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其の十四



 哲太は、年明けから新しくアルバイトを始めていた。

 IT関連企業の地方支社で自宅からも近く、めでたく上司に能力を認められて、大学卒業後はそのまま正社員として登用を約束されている。

 同じ頃、三ヶ月ほど付き合っていた恋人とも別れたが、お互いドライな関係だったので未練もない。

 二つ年上の姉・柚葉が突然飼い始めた奇怪な白蛇にも手足が生えて、愛嬌のあるサンショウウオ系へと姿を変え、もう蛇が家の中を徘徊するのに怯える必要もなくなった。

 哲太は、なかなかに順風満帆で平和な日々を送っていた。

 ――それなのに

 一週間前からサナギに籠っている不思議生物の様子が気になって、夜遅くアルバイト先から帰宅するなり姉の部屋をノックしようとした哲太は、扉の向こうから聞こえた声に一瞬頭の中が真っ白になった。


 ――男の声だ。


 そう理解したとたん、彼はノックをしようとした手で扉の取手を掴み、乱暴に押し開いた。


「――て、哲太!?」


 普段から、佐倉家の人々は自分の部屋に鍵をかけない。

 扉をくぐって正面に見えるベッドに、柚葉と見知らぬ男が並んで腰掛けていた。

 哲太の頭に、かあっと血が上る。

 しかし彼が怒りの咆哮を上げる前に、先に男が口を開いた。


「ユズ、何者だ?」

「あ、あああ、ええっと、弟です……」


 長く白い髪に不健康なほど白い肌。

 袖も裾も長ったらしい白い服。

 とにかくやたらと白いその男は、唯一色を持った赤い瞳で哲太を見据えると、いささかぞんざいな口調で柚葉に問うた。

 彼が馴れ馴れしく「ユズ」と呼んだことに、哲太の怒りが一気に爆発する。


「ユズっ! 誰だ、そいつ!」


 弟のかつてないほどの怒りの形相に、柚葉はあわあわと慌ててベッドから立ち上がろうとしたが、ナーガがその手を掴んで阻む。

 彼は、さらに眉を跳ね上げた哲太に向かって堂々と告げた。


「余は、ユズの夫だ」

「――はあ?」

「ちょっ、ちょっと! ナーガ!」


 ナーガの言葉を聞いたとたん極限まで人相を悪くして、ずかずかと近寄ってきた哲太が彼の胸ぐらを掴む前に、柚葉は慌てて弁明する。


「あ、あのね! 訳あって、一年間限定で彼と結婚したの」

「……は?」

「単なる利害の一致による偽装だから、お父さんとお母さんには黙っててね」

「お前っ……何言ってんだ!?」


 ベッドに座った柚葉の前に仁王立ちし、哲太は血走った目で彼女を睨みつけた。

 とてつもなく、怖い。身内じゃなかったら、ちびるほどの迫力だ。

 隣でそれを平然と眺めるナーガの存在を気にしながら、柚葉は懸命に続けた。

 

「えっと、ええっと……事情は話せば長くなるから省くけど、大丈夫! 籍とか入れてないし!」

「何が大丈夫だ、馬鹿っ! 省くな! ちゃんと説明しろっ!」


 彼女の弁明は哲太の怒りに油を注ぐだけのよう。

 怒鳴りつけられた柚葉は「うわう」と身を竦め、対する哲太はナーガを睨みつけて吠えた。


「とにかく偽装だろうがなんだろうが、俺はユズの結婚なんて認めない!」


 そして素早く柚葉の腕を掴んで引っ張り上げると、彼女を己の背に庇うように後ろのパソコンデスクの椅子に座らせる。

 ナーガを視界から排除した弟の広い背中を見上げ、柚葉は目を丸くした。


「やだっ、哲太ちゃんったら。いつからそんなシスコンになったの? おねーちゃんだって、いつかはお嫁に行くわよ!?」

「――ぶわぁかっ! 何がシスコンだ。ユズのこと、もうずっと前から姉だなんて思ってねぇよ!」

「ひどっ!!」

「それに、まぬけなお前に一生付き合ってやれるような奇特な男は俺くらいだぞ!」

「……は?」

「大学を出て就職したらプロポーズしてやるから、この男とはさっさと縁を切れ!」

「……へ?」

「まだ言うつもりはなかったんだがな。偽装結婚なんてわけのわからんことを言い出されたら、黙っていられるかっ!」

「……え?」


 両親は、哲太と柚葉の結婚に賛成するに違いないと彼は言う。

 父は、血が繋がらないながらも柚葉を実の娘として可愛がってきたので、よその家に嫁になど出したくはないと思っている。

 しかし、相手が実の息子ならば信用できるし、柚葉をそのまま家に置いておけるではないか。

 母にとっても三歳から育てた哲太は紛う事なき可愛い我が子であり、実の娘である柚葉を預けても安心できる相手。

 さらに、将来家を継いで同居することになるだろう哲太の結婚相手と、嫁姑バトルになる心配もなくなって一石二鳥だ。

 

「……」


 そんな哲太の持論にぽかんとしつつ、柚葉は両親の反応に関する彼の予想はおおむね当るような気がした。

 著しく平和で柔軟な思想を持った、へんてこ家族なのだ。佐倉家は。


「もし戸籍上問題があるなら、まずお前を親父の籍から抜いて叔父さんと養子縁組させる。それから婚姻届けを出せば、役所も受理するだろう。元々、俺たちに血の繋がりは少しもないんだからな」

「あのぅ……哲太? ちょっとそれは、いくらなんでも先走り過ぎじゃあ……」


 哲太の中では、すでに柚葉との結婚は決定事項のようで、それを前提に話が進んでいる。

 しかし、それぞれが五歳と三歳の頃から姉弟をやってる柚葉としては、哲太を弟として以外に見たことがないし、今更異性として見れないというのが本音。

 とにかくそれを彼に伝えようとしていると、それまで傍観していたナーガが口を挟んだ。


「おい、テッタとやら。先ほどから黙って聞いていれば、余とユズの婚姻を認めないだの縁を切れだの好き勝手言っているようだが、すでに我々の間には正式な婚姻契約が結ばれているのだぞ」

「だから、そんな契約自体認められねぇって言ってるんだ!」

「そなたが認める認めないに関わらず、契約は成立している。それに契約書とともに血の証も交換した以上、どちらか一方の都合で契約不履行となった場合の罰は、その者の命に関わる」


 ナーガの口から漏れた不穏な情報に、柚葉はぎょっとして椅子から立ち上がった。


「げ、何それ!? そんなの聞いてないよっ! そもそも、血の証って……? 確かに、ナーガからは血の石付きの指輪もらってるけど、私からは渡した覚えは……」

「血判を押した際、そなたの指先から血を採取済みだ。それで作った」


 ナーガはそう言って、なにやらローブの中から小さなケースを取り出してみせた。

 彼が蓋をパカリと開くと、中には柚葉が受け取ったのと同じデザインの指輪が。

 確かに、それにもぽちっと赤い石がはまっている。

 それが、柚葉の血だというのだ。


「ひどいよ、ナーガ! こんなの詐欺だっ!」

「では、正直に話せばそなたは血をくれたのか?」

「絶対、いやっ!」

「そうであろう」


 ナーガは苦笑するようにそう言うと、血の石を取り戻そうと柚葉が駆け寄ってくる前に、それを大事そうに懐にしまってしまった。

 

「くそっ、なんて汚い手を……! そもそも、てめぇは一体何者なんだよっ!!」

「ユズの夫だと、先ほども申したであろう? 小僧」


 ギリリと奥歯を噛み締める哲太と、涼しい顔をして瞳だけ鋭く細めたナーガが睨み合う。

 人生最大の修羅場に、柚葉は成す術もなくあわあわと双方の顔を見比べることしかできない。


 そんな時、空気が張り詰めシンと静まり返っていた室内に、突然“――ぴしっ”っと小さく何かが割れるような音が響いた。


「ちょ、ちょちょ、ちょっとちょっと!? 二人とも、あれっ……!!」


 音の正体にいち早く気づいた柚葉が、ベッドの枕元を指差す。

 そこには、お気に入りだったピンクのクッションの上に乗せられた、大五郎のサナギ。

 その背中に縦に真っ直ぐ切れ目が入り、中から白いものがゆっくりゆっくりとせり上がってきた。



「——大五郎っ!」



 柚葉は慌ててベッドに駆け寄り、サナギの殻の中から身を起こしたものを抱き締めた。

 二本の腕がするりと柚葉の背中に回り、彼女を抱き締め返す。

 繊細な産毛を持った滑らかな白い肌。

 世にも美しい白い髪は柔らかくカールしていて、肩で跳ねる毛先が柚葉の頬を優しくくすぐる。

 瞳は、ルビーのような赤い輝きのまま。


「大五郎……」


 最後の変態を終えた大五郎は、十代前半くらいの年頃の少年の姿になっていた。


 そう、“少年”である。


 裸の彼には、確かに雄の象徴がぶら下がっていたのだ。

 初心な柚葉はそれに気づくと、「きゃっ」と顔を赤らめて慌ててシーツで彼を包んだ。

 哲太は、大五郎の劇的変貌に顎が外れんばかりに驚いている。

 そしてナーガもまた、次代のその雄たる証に衝撃を受けていた。

 ミッドガルドの皇帝は、両性の可能性を持って生まれてくる。

 しかし、性を決める必要のない場合はどちらの特徴も現れない。

 それなのに、大五郎が雄の特徴を持って今ここにいるということは、つまり――


「柚葉」

「……え、大五郎?」


 声変わり直前のような、少し不安定な声が柚葉の名前を呼んだ。


 “まま”でも、“おかあさま”でも、“母上”でもなく——“柚葉”と。


 中性的な顔をにこりと綻ばせた大五郎は、不覚にもそれに一瞬ドキリと顔を赤らめた彼女の頬に手を伸ばし、真っ白いそれで優しく撫でながら言った。

 

「柚葉、ナーガとの婚姻契約終了の文書は僕が書くよ。血の証も、きっとナーガから奪い返してあげる」

「あ、ほ、ほんと?」


 ぎらりと、ナーガから鋭い視線が突き刺さる。


「哲太の世迷い言も、勝手に言わせておけばいい」

「え? あ、えっと……」


 少し愛着がわき始めていたペットの毒舌に、哲太は唖然とした様子。


 戸惑う柚葉の頬を撫でていた掌は、そのままそれをそっと包み込み、鼻先が触れ合うほどに近づいた白い少年は婉然と微笑んで言った。



「その代わり、僕のお嫁さんになってね」

「――え?」




 佐倉柚葉、間もなく二十二歳。


 人生最大のモテ期の到来である。






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