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其の十三



 ナーガの存在については、柚葉はいまだ家族の誰にも打ち明けてはいなかった。 

 自室のクローゼットがマングース人間の世界と繋がっているなどということも、一年の期間限定契約とはいえ、その国の皇帝陛下と婚姻関係を結んだということも、もちろん秘密である。

 ナーガには、柚葉が声をかけるまで絶対に姿を見せないように言い聞かせてあるし、大五郎にも口止めしている。

 時々、勝手に扉をこしらえてやってくるミッドガルドの長老マングース・ヘレット爺さんには困りものだが、次代の平和的育成を盾に説得すると彼も柚葉の言うことに従うようになった。

 また、ヘレットはまだ蛇の姿が濃い大五郎を見てよだれは垂らしても、本当に食べようとすることは一度もなかった。

 さすが、ナーガよりも長く生きているだけはある。


 やがて、脱皮を繰り返した大五郎に、紛うことなき手足が生えた。

 身体が太くなった代わりに丈が短くなり、トカゲのような姿にもなった。

 いや、見た目としてはアルビノのウーパールーパーに似ているので、トカゲというよりはイモリやサンショウウオに近い。

 蛇のような鱗肌から、滑らかな皮膚へと変異も遂げた。

 この頃から、大五郎はナーガの元で帝王学を学び始める。

 昼間は姿を消す彼に、最初母は不思議がっていたが、「適当にそこらで遊んでいるんでしょ」と柚葉が誤魔化した。

 その後も脱皮を重ね、おたまじゃくしが蛙に成長するように尻尾が消えた頃、大五郎の柚葉の呼び方が変わった。



「母上」



 唇と舌の発達に伴い、しゃべり方も段々と滑らかになっていく。

 だが相変わらず声は幼く、柚葉の母を“ママさん”、父を“パパさん”と慕い、二人に可愛がられている。

 哲太のことは、最初呼んだ時の“てった君”のまま。

 ただし大五郎が随分と蛇の姿から遠ざかったこの頃には、哲太もいくらか彼と打ち解け始めていた。


 さらに月日は流れて年を跨ぎ、すっかり大五郎が佐倉家の一員としての地位を確立した頃――


 彼はある日突然、魚肉ソーセージをどか食いしたかと思ったら、そのまま固い殻を纏って閉じこもってしまった。

 それはまるで、サナギのような殻。

 いつもの脱皮とは明らかに違う様子に、柚葉はもちろん父も母も哲太までもが心配した。

 しかし、柚葉が夜にこっそりとナーガに相談すると、彼は「ついにこの時がきたか」と感慨深げなため息をついた。


「一年には少し早いが、おそらくはこれがダイゴロウの最後の変態となるだろう」

「え? 最後!?」

「うむ。サナギの中にこもり、次代は今まさに著しく身体の形態を変えている」


 つまり、大五郎は今サナギの中でナーガのような“人”に近い姿に変わろうとしているのだ。

 それはすなわち、彼が柚葉から巣立つ時が近づいているということ。

 我が子として大切に育ててきた存在の成長に、柚葉の中では喜びとともに一抹の寂しさがわき起こった。

 人の姿になった大五郎は、もうマングース人間達に捕食される心配はないだろう。

 堂々とナーガとともにミッドガルドの国民の前に立ち、次期皇帝として忙しくなるに違いない。

 もう、柚葉が抱いてベッドで眠ることも、一緒にお風呂に入ることもなくなってしまうのだろうか。

 哲太も両親も、大五郎が妙な進化的変態を遂げ続けることを不思議がりながらも、彼が“動物”である間は特に騒ぎ立てはしなかった。

 しかし、それが“人”の姿になれば、事態は変わってくるかもしれない。

 さすがの家族も、大五郎の存在を気味悪がるかもしれない。

 そうなる前に、やはり彼をミッドガルドに返し、柚葉も関係を絶つべきだと思う。



 そしてまた、ナーガとの婚姻契約終了の期限も迫っていた。

 実のところ、この時点ではまだ柚葉はミッドガルドの文字を少しも習得できないままでいた。

 文字はひどく複雑で、柚葉の目にはどれも似たような幾何学模様にしか見えず、なかなか覚えられない。

 早々に音を上げた彼女は、ちょこちょこ顔を出すマングース侍従長にそれとなく文書の代筆を頼んでみたが、何故か彼は柚葉とナーガの婚姻を歓迎しているらしい。


「陛下を男にしておいて、ぽいと捨てるのはあんまりではございませんか。どうか、最後まで添い遂げて差し上げて下さいませ」


 ヘレットはそう言うと、柚葉の契約終了申込書の代筆を拒否した。

 ほとほと困った柚葉が次に縋るのは大五郎だ。

 彼の書くミッドガルドの文字もまだ拙いが、それは手の形がペンを持つのに適していないからだった。

 おそらく人の姿に変態した暁には、すでに知識としては習得しているそれを簡単に書けるようになるに違いない。


 大五郎は立派な次期皇帝となり、ナーガとの婚姻契約も終了する。

 そうすれば、彼らと柚葉が共に過ごす必要性は何もなくなるだろう。

 ミッドガルドと繋がるクローゼットの扉は閉じられ、二度と再び交わることもなくなる。


 柚葉は、大五郎が姿を消す理由を上手くでっちあげ、家族を納得させることができるだろうか。

 そもそも柚葉自身、彼がやってくる前の生活に戻ることなど、本当にできるのだろうか。


 さよならなんて、したくない。

 

 これからもずっと、大五郎と一緒に居たい。


 そんな想いが、油断をすればすぐに口からもれてしまいそうだった。

 それを知ってか知らずか、大五郎がサナギの中にこもって一週間が経った夜――


 柚葉に自室に招かれ、彼女の隣でコーヒーを飲みながら次代のサナギを眺めていたナーガが、静かに口を開いた。


「ユズよ、婚姻契約のことだがな」

「……うん」

「せっかく出会えたそなたとの関係を、これっきりにしたくはない」

「……ん?」


 まだ大五郎と別れる心の整理がつけられず、どこかぼんやりとナーガの話を聞いていた柚葉は、彼がカップをことりと盆に戻した音ではっとした。

 視線を感じ首を横に向ければ、先ほどまで熱心にサナギに注がれていた赤い瞳が、今はまっすぐに柚葉を捉えている。


「余は、そなたの側が気に入った。次代の事情抜きで、この先もそなたと共に居たくなった」

「ナーガ……?」


 ナーガはすっと白い手を伸ばし、柚葉の首に掛かっている細いシルバーチェーンのネックレスを指に引っかけた。

 そのままするりと引くと、戸惑う柚葉の服の胸元からチェーンに通された指輪が姿を現す。

 婚姻の証と称して贈った、自身の血液から作らせた石を指先で摘みながら、ナーガはそれと同じ赤色の瞳で柚葉をじっと見据えて告げた。

 


「――正式に、婚姻契約の継続を要求する」

「――っ、えっ……?」



 ――バタンッ!



「――!?」



 ナーガの改まった告白に目を見開いた柚葉は、直後自室の扉が立てた大きな音にさらに驚かされた。


 ノックもなしに全開にされた扉の向こうには、鬼の形相の哲太が立っていた。





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