人狼奇譚2
中庭を足早に進みながら、エドウィンは思い出していた。
処刑が終わったあの時の事を・・・。
◇◇◇
ルアナはその場で国籍を与えられる名誉を、人々の前で辞退した。
赤い軍服姿の国王側近の男は、ルアナが誰もが欲しがる名誉をあっさりと断わったので、あからさまに不機嫌になって彼女を上から見下ろした。
ルアナは弓を背中に背負ったまま、彼を上目遣いに睨み返す。
そして、八重歯を出してニヤリと笑ったのだ。
その強気な表情は、この国には絶対に媚びないという彼女の決意が表れているようだった。
「国籍は必要ありません。ですが許されるなら、私が浮浪民本来の姿で自由な暮らしを続けられるよう、通行許可書を発行して頂きたいのです。さすれば、私は、昔のように旅をしながら生活することができます」
通行許可証は、旅を続けるエドウィンも当然所持しているものだった。
これさえあれば、どの国にも自由に出入りする事ができる。
だが浮浪民とは言え、10年近くもこの国に定住していたルアナが許可証を得た後、何故、旅の生活に戻りたくなったのか・・・?
エドウィンにはもう分かっていた。
国王側近の軍人は、たった今、この国の英雄となった少女の願いを無下にする訳にもいかず、苦虫を潰したような顔で神妙に頷いた。
二人のやり取りを興味深く眺めていた人々は、その瞬間、ワアっと歓声を上げて惜しみない拍手を与えた。
『人でない』民族のルアナが、この国に留まるよりも、自分達本来の生き方を選んだのだ。
浮浪民としての矜持をこの国に突きつけてやった彼女は、ここに集まった同胞達にとっても誇りになったに違いない。
やがて、彼女の周りを取り囲んでいた見物人達が、ざわめきながらだんだんと減っていった。
一大イベントは無事終了し、いつもの日常がまた始まる。
荒涼とした草原には、エドウィンとルアナ、そして白い矢が頭と背中に刺さったまま横たわる漆黒の狼だけが取り残された。
周りに人影が無くなってから、ルアナは狼の傍らに座り込んだ。
目をしっかり閉じて眠っているような狼の顎を、猫にするみたいに掻いてやる。
狼は全く動く気配がない。
エドウィンは、アスランが既に『地獄』とやらに逝ってしまった事を悟った。
「見事な腕前だった。私は旅をしているが、貴女程の弓の名手は今だ見たことがない」
そう言いながら近付いてきたエドウィンを、ルアナは怪訝そうに眉を寄せて横目で睨んだ。
「・・・あんたは?」
「私はここから離れた国から来た旅人だ。この国には昨晩、国境を越えて来た」
「昨晩?」
ルアナは少し興味を持ったように水色の瞳を大きく見開いた。
旅人という言葉が、浮浪民の彼女の心に引っ掛かったのかもしれない。
エドウィンは自分が拒否されていないのを確認して、彼女を反対側の狼の横に座った。
血に濡れた漆黒の毛並みは触れればまだ温かく、アスランはもしかしたら死んだふりをしているのではないかと希望を持ちたくなる。
だが、それが叶わないものだという事は、彼の閉じられた目が物語っていた。
ルアナの放った矢は見事にアスランの額を貫いていた。
一瞬の内に意識を手放したであろう彼は、苦しむ時間などなかったに違いない。
安心しきって運命をルアナに委ねたアスランの顔は、ただ、穏やかだった。
・・・これで良かったんだな、アスラン?
優しい表情で狼の亡骸をなでている旅人に、ルアナも笑みを見せた。
アスランが言ってた通り、その容姿は動物に例えればイタチの類だ。
丸い顔に笑窪が浮かび、大きな口の両端から八重歯が覗く。
彼の話と違わぬルアナの笑顔を見て、エドウィンは可笑しくなった。
「そう言えば、あんた、処刑の前もこの狼の横にいたな?こいつは何人も人を食い殺した化け狼なのに、怖くないのか?」
彼の笑顔に警戒を解いたルアナは、気さくに問いかける。
だが、エドウィンは複雑な思いで、それについての解答を考えなければならなかった。
「怖くはない。昨晩、私はこの狼とここで話をして友達になったのだ・・・そう言ったら、貴女は信じるか?」
「・・・信じる訳ないだろ。あんた、賢そうなのに莫迦だな。狼が喋る筈ないじゃないか」
ルアナはアハハ・・・と屈託なく笑った。
だが、彼女の水色の瞳が少し潤んでいるのを、エドウィンは見逃さなかった。
「貴女は泣いているみたいに笑うんだな。ここに現われた時も、私には泣いているように見えたが?」
「・・・ああ、みっともないだろ?見られちまったならしょうがないな。実は泣いてたんだ。昨日の晩、うちで飼ってた猫が一匹、逃げて行ったもんだから・・・」
グスっと鼻を啜って、ルアナは照れ笑いをする。
ああ、やはり・・・。
アスランは彼に奇譚を語った後、最期の力を振り絞って愛するルアナの元に行き、別れを告げたのだ。
エドウィンは、亡骸となった狼の思いを痛烈に感じ、泣きたくなった。
唇を噛み締めるエドウィンに、ルアナはポツリポツリと語り続ける。
「だからかな・・・? 今日はなんだか変な気分なんだよ・・・」
「・・・?」
「この狼が、昨日いなくなった猫みたいな気がしてさ・・・莫迦は私だな。猫が狼になるわけないのにな・・・」
冷たくなってゆくアスランの耳にそっと触れながら、ルアナは夢見るように微笑んだ。
ああ、そうだ。
この狼は貴女の愛した男だ・・・!
喉まで出掛かったその言葉を、エドウィンは必死で呑み込んだ。
もし言ってしまえば、アスランのした事が全て無駄になってしまう。
それに、ルアナは一生、愛する人を殺してしまった自分自身を呪い続けるだろう。
アスランが、それを望む筈がない。
「貴女は先程、国籍を得る権利を辞退していたが、それは何故なんだ?名誉な事ではないのか?」
「この国にいる意味がもうないからさ。この街で燻ってるのも潮時だ。私は元から浮浪民だからな。また旅をしたくなったんだ」
「・・・逃げた猫を探しにいくのか?」
「見つからないのは分かってるさ。でも、浮浪民はそういう報われない事が好きなんだよ」
エドウィンはそう言った彼女の顔を見て、ハッとした。
凛々しいルアナが一瞬だけ見せた女の顔。
愛する男を追いかける喜びと辛さを、彼女は知っているのだ。
熱くなってくる目頭を必死にごまかそうと、エドウィンは笑った。
「ならば、あなたも私と同じだな。私は国家任務を請け負って旅をしている。貴女も知っている通り、この近隣諸国は紛争が多くて危険を伴う旅だ。もし、貴女さえよければ、私の旅の用心棒として同行できるように申請しよう。あなた自身も通行許可証を所持しているのだから、話は早い筈だ」
ルアナはそれを聞いて嬉しそうに笑った。
「ああ、感謝する。腕は確かだから安心して雇ってくれ。でも、私には一番先に行かなければならない場所があるんだ。その仕事を終えて、あんたが自分の国に戻った頃、私から会いに行くよ。」
「どこに行くんだ?」
「・・・逃げてった猫が昔、言ってたんだ。あいつと会ったあの森には人狼がいて、人間に鉄槌を下すんだって。この化け狼はあの森から来たんじゃないかって思うんだ。この亡骸を森に返してやりたい。猫もそこにいるかもしれないしな」
目を擦りながら照れ笑いをするルアナの肩を、エドウィンは優しく叩いた。
「好きなようにして構わないよ。貴女は自由な浮浪民だ。心残りが無くなったら、いつでも私の国に来るといい。私がきっと助けになろう」
「ありがとう。気長に待っててくれ。なんせ、私は浮浪民だからな」
永久の眠りについた狼の前で、二人は固く手を握り合った。




