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人狼奇譚  作者: 南 晶
第三章
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処刑

 太陽が頭上に昇ってきて、処刑場に聳え立つ大きな木が影を落とした頃。

 荒涼とした丘陵に人の姿がポツリポツリと現れだした。


 博識な旅人エドウィンも見た事がない長いスカートの民族衣装の女達、この国の軍隊らしき赤い軍服を纏った男達、そして、アスランが言っていた麻袋のような粗末な服装の金色の髪をした人々。

 この国の人間ばかりではなく、今回は浮浪民達も見物にやってきていた。

 世にも珍しい牛ほどの大きさの人食い狼が生け捕りにされて、それが一人の浮浪民の少女の手で処刑されるのだ。

 この小さな国では大きな行事に違いない。

 ここで生活している全ての人種がこの一大イベントに参加しようと、この処刑場に集まってきていた。


 アスランは狼の姿のまま、微動だにせず眠っていた。

 傍らに寄り添っていたエドウィンは、彼が死んでしまったのではないかと何度も呼吸を確信した。

 絶え絶えではあったが、僅かな息遣いを感じてはホっと胸をなで下ろす。

 そのうち、怖い物見たさの見物人達が、横たわる矢が刺さった狼とそれに寄り添う旅人を遠巻きに眺めるように集まって来た。

 並の狼より遥かに大きいアスランの姿に、興味本位で見に来た人々は息を呑む。

 悪魔でも見たかのような驚きぶりだ。


 エドウィンは許される限り、彼の傍にいるつもりだった。

 いや、できることなら、この処刑を止めさせたいとさえ考えていたのだ。

 彼の心を知ってか知らずか、アスランは浅い呼吸を続けながら目を固く閉じている。


 ああ、彼はもう長くはない。

 彼が愛する者の手によって死にたいのなら、寧ろ、急いでくれ・・・!


 エドウィンは複雑な思いで唇を噛んだ。


 エドウィンの祈りが神に通じたのか、その時はすぐにやってきた。

 赤い軍服を着た5,6人の男達が、遠巻きに集まっていた野次馬達を蹴散らすようにこっちに向かってくる。

 アスランは彼らの手によって乱暴に起こされると、四足を縛った縄に引き摺られながら、草原の真ん中まで連れて来られた。

 最後まで寄り添うようにアスランの傍らにいたエドウィンも、軍服の男達によって強引に引き離される。


「ま、待ってくれ・・・この狼は悪い者ではない・・・!」


 軍服の男達に反抗しながらエドウィンはそう言い掛けたが、アスランが弱弱しく薄目を開けた事に気が付いた。

 消えかかった緑色の目で睨みながら、低く唸って威嚇している。


「余計な事を言うな!」


 アスランが全身でそう訴えている事を理解したエドウィンは、黙って項垂れた。


 これは彼が望んだ事なのだ。

 アスランが命を懸けて仕掛けたこの舞台を、自分の一方的な親切心で台無しにする訳にはいかない。

 彼は自分の死をもって、ルアナを幸せにしようとしているのだから。

 それが、彼女にとって本当の幸せになるのかどうかは、後の神のみぞ知る話だ。

 アスランの覚悟を知っているエドウィンは、何もできない自分を歯痒く思いながらもその場を離れた。


 やがて、太陽は処刑場に集まった人々の真上まで上がりきった。


 何もない緑の草原の真ん中に、漆黒の狼は荷物のように転がされた。

 白い矢が刺さった大きな背中は、夜中流れ続けた血でべったりと濡れている。


 既に立ち上がる体力も残っていない彼の周りには、人食い狼を呪う罵声が飛んだ。

 家族を狼に食い殺された人々は、各々手に石を持ち、瀕死のアスランに向かって容赦なく投げつける。

 恨みの言葉と共に投げられた石が、鈍い音を立て当たる度、黒い体がビクンと震えた。

 エドウィンは直視する事ができずに、思わず目を背ける。


 もういい。

 早く殺してくれ。

 これ以上、アスランを苦しめないでくれ・・・!


 エドウィンの目から涙がボロボロと零れ落ちる。

 だが、そんな事を気にする余裕は残っていない。

 早くこの狼を楽にしてやりたくて、彼はひたすら神に祈った。


「処刑人が来たぞ!皆、下がれ!」


 突然、軍服を着た男の大声が響き渡った。

 その声を合図に、狼を囲んでいた人々は、ザザッと蜘蛛の子を散らすが如く遠ざかる。

 エドウィンも神のお告げを聞いたかのように、ハっと顔を上げた。


 人々が退いた花道の向こうに、金色の髪をなびかせた少女が佇んでいた。

 その手には自分の体の大きさくらいの弓をしっかり握っている。

 エドウィンはその姿にただ、息を呑んだ。

 彼女こそ、アスランが愛した少女、ルアナに違いない。

 アスランが言った通り、子供くらいの大きさの体に、木の枝のように痩せ細った手足。

 麻袋を加工したような質素な服を被って、縄で腰を締めている。

 細く長い首の上に載った小さな丸い顔。

 そして、彼が好きだった釣りあがった大きな水色の瞳。

 だが、その目は赤く腫れていて、少女が今まで泣いていた事が窺えた。


 少女はヒタヒタと人々の間を通って、横たわる狼の前で跪いた。

 小さな手で、狼の鼻面をなでてやると、黙ったまま四足を縛り上げている縄を解き始める。

 エドウィンが緩く結んでおいたせいで、縄は少女の手でもあっさり解けた。

 彼女を取り囲んでその動向を見つめていた見物人達は、狼が自由になったのを見て一斉にどよめき立つ。


「おい!何してるんだ、処刑人!」

「狼が襲ってきたらどうするんだ!?」


 飛んでくる罵声にルアナは表情も変えず、ただ冷たい視線を投げた。


「この狼はもう死んだも同然だ。私はせめて自由な姿で殺してやりたい。あなた方に危害は加えさせない」


 凛と響く彼女の高い声に、ざわついていた人の群れは水を打ったように静まり返った。

 ルアナは周りをぐるりと見回してから、狼の耳元にそっと口を寄せた。

 それを見守る人々には、彼女が何を言ったのかは聞き取れなかった。

 だが、アスランの話を聞いていたエドウィンだけは分かっていた。


「安心しろ。お前を絶対に苦しませない」


 いつも処刑する前に、彼女が罪人に掛ける言葉。

 それをアスランは聞いたに違いない。

 薄っすらと開いた緑色の目が、ルアナが囁いた途端に安堵したように閉じられる。

 その瞼をそっと手でなでてやると、ルアナは立ち上がり、元の位置までゆっくりと歩いて戻った。


 横たわる狼の頭をじっと睨み、弓を掲げる。

 反対の手で背中に用意した矢をスラリと抜き取って、グイっと弧を描くように弓を構える。

 その鏃は、アスランをピタリと狙ったまま動かない。

 彼女の水色の目は、狙いを定めようと三日月のように細くなった。


 ああ、やめてくれ・・・!

 その狼は、貴女が愛しているアスランなんだ!


 エドウィンは、喉まで出掛かったその言葉を必死に呑み込もうと唇を噛んだ。

 死んだように横たわる漆黒の狼は、昼寝でもしているような穏やかな表情で目を閉じている。

 愛する女の手に運命の全てを委ねた彼の顔に、後悔の色は全く見えない。

 その時、ルアナの高い声が響いた。


「心配するな!私も必ず後を追うから!」


 彼女が誰に向かって言ったのかは分からない。

 そう叫んだと同時に、張り詰めた弓を握り締めたルアナの手から、真っ白い矢が狼に向かって放たれた。






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