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人狼奇譚  作者: 南 晶
第三章
22/26

別れ

 昼間は露店で賑わう街は、闇の中で静寂に包まれていた。


 まだ、思う様に動いてくれない二本の足を引き摺るように、アスランはゆっくりと街を通り抜けてゆく。

 ルアナと昼間に来た時は、いつもの雑踏がこんなに広いとは思わなかった。

 今、彼の前に真っ直ぐ続いていく道は、果てがないかのように先が見えない。

 大きく息を吐きながら、アスランはとにかく歩き続けた。


 朝が来る前に、どうしてもルアナに会わなければならない。

 会って別れを告げるのだ。

 それも、できる限り残酷な方法で。

 そうしなければ、ルアナは彼を殺した後もずっと待つだろう。

 いつか戻って来るという一縷の期待を捨て切れないまま・・・。

 希望はすっぱり断ち切るより残される方が、どれだけ辛くて残酷な事なのか、アスランは分かっていた。


 同じ過ちを繰り返す訳にはいかない。

 父親を失ったルアナは、愛する者を待つ辛さを充分に味わっている。

 今頃、燻製小屋に帰ってきたルアナは、アスランの姿が見当たらない事に悲しんでいるだろう。

 このまま殺されてしまったら、彼女は永遠に自分を探し続ける。

 それだけは避けなければ・・・。


 その思いだけが、瀕死の彼の体を突き動かす原動力になっていた。

 体が揺れる度に、背中に刺さった矢が傷口を抉り、生暖かい血が滴る。

 不快に感じながらも、そのお陰で、まだ自分が生きているという実感を持つ事ができた。

 真っ暗な道の先を見つめて、アスランはひたすら歩みを進めた。


 距離にしたら、決して遠くはない道のりだった。

 いつもの狼の姿なら、一飛びだっただろう。

 やがて、疲れと痛みで気が遠くなりかけた頃、風にそよぐ大きな広葉樹の枝ぶりが見えてきた。

 その傍らにポツンと並んだ小さな小屋。

 ほんの少しだけ開かれた入り口の戸からは、柔らかい光が洩れている。

 ようやく目的地が見えて、アスランはホっとして大きな溜息をついた。

 だが、ここで安堵している訳にはいかない。


 仕事はこれからだ・・・。


 アスランは気を引き締めて、小屋に向かって歩みを速めた。


◇◇◇



 ギイイ・・・


 懐かしい小屋の戸を、アスランは渾身の力で押した。

 いつものように耳障りな響きを立てて、戸はゆっくり開いていく。

 薄暗い小屋には、小さな蝋燭の火が灯り、アスランが小屋に足を踏み入れると影がユラリと動く。

 その小屋の隅で、ガバっと起き上がった人影があった。

 金色の髪を背中まで垂らし、いつもの麻の服を着た懐かしい姿。

 ルアナは、入ってきたアスランを睨みつけ、スックと立ち上がった。


「アスラン!お前、どこ行ってたんだよ!?」


 アスランは、ルアナがそこにいた事が嬉しくて、思わず表情を緩ませた。

 だが、彼が感慨にふける前に、彼女の凛とした怒声が飛んでくる。

 強気な水色の瞳は赤く腫れ上がり、乾いた頬にはいく筋にも涙の痕が残っている。


 俺がいなくて泣いていたのか・・・。


 その顔を見れば一目瞭然だったが、そうとは気付いていないルアナは、わざと目を吊り上げてできるだけ怒った顔をする。

 それは迷子になった子供が親を見つけた時のようで、アスランはこの小さなルアナを抱き締めたい衝動に駆られた。

 彼女に向けて伸ばした手をぐっと握り締めると、アスランは距離を取るように一歩下がって、小屋の外に出た。

 自分から離れていくアスランを見て、ルアナは怪訝そうに首を傾げて立ち竦む。

 その意味が分からないのだろう。

 アスランは無表情のまま、彼女を見据えて言った。


「ルアナ、俺は森に帰る事にした。あんたとはもうお別れだ。元気でな」


 できるだけ冷たい表情で・・・。

 そう思ったが、彼の緑色の瞳は潤んで揺らめいた。

 言っている事が分からないルアナは、キョトンとしてしばらく硬直していた。


「・・・どうして? 急に何言い出すんだよ?」


 搾り出すような声でルアナはやっとそれだけ言った。

 それを見つめながら、アスランは尚も表情を崩さない。

 本心を知られてはならない。

 頑なにそう言い聞かせて、アスランは続ける。


「あんたはいつか、この国の人間になって浮浪民の街を出るんだろう?俺はこの国の人間になるのは嫌だし、一緒に行く事はできない。俺にはやっぱり、森の暮らしの方が性に合ってる。この生活もそろそろ潮時だったんだよ」

「どうして急にそんな事言うんだ!?私が狼狩りに参加したのは、お前と一緒に生きてく為だったんだ!お前が行かないのなら、私だって行かない!」


 アスランは激昂するルアナの顔を見つめた。

 その返事は想定していたが、せっかく掴んだチャンスを自分の為に捨てさせる訳にはいかない。

 アスランは薄笑いを浮かべて軽蔑したように言い放った。


「あんたは何か勘違いしてるみたいだけど、俺はあんたと生きていくつもりはないんだ。俺はずっと一人で生きてきたし、このしがらみの多い人間の街で、あんたと一緒にいるのは限界なんだよ。俺はまた森で自由に生きていきたいんだ。だから、俺に何も期待しないでくれ」

「だったら、私を好きだって言ったのも嘘だったのか・・・?」


 佇んだルアナの目から、涙が一筋ツーっと流れ落ちた。

 それを見ないように視線を泳がせながら、アスランは笑った。


「好きだったさ。でも、あんたが期待してるような事じゃない。あんたには悪いが、まあ、楽しませてもらったよ。俺の事は忘れて、あんたもあっちの国でせいぜい楽しくやっていくんだな」


 ルアナはガクッと膝をついて床に座り込んだ。

 体から力が抜けてしまったように、ダラリと両肩を落として項垂れる。


 もう限界だった。

 それ以上打ちのめされたルアナを見ないように、アスランはクルリと背中を向けた。

 エドウィンの貸してくれたマントのお陰で、背中に刺さったままの矢が見えないのは幸いだった。


「じゃ、元気でな。俺はもうここには戻らない」


 捨て台詞を吐くアスランの頬にも、溢れた涙が幾つも筋をつけてゆく。

 それを見られないように、アスランは足早に小屋を離れた。


「バッカヤロウ!私の前に二度とその汚い顔見せるな・・・!」


 去っていくアスランの耳に、ルアナの罵声が聞こえてくる。

 消えていく言葉尻には泣き声が混じっていたが、彼は気がつかない振りをしたままどんどん歩いていった。

 立ち止まれば、戻っていって彼女を抱き締めてやりたい衝動を抑えられなくなる。

 彼にはそれが分かっていた。



◇◇◇



 エドウィンの前にアスランが戻ってきたのは、東の空が青紫色に変わって鳥の鳴き声が聞こえてきた頃だった。

 満身創痍でよろめきながら戻ってきたアスランは、エドウィンの前に来ると安心したように地に倒れこんだ。

 既に血の気の無くなった青い顔に弱弱しい笑みを浮かべて、アスランは声を絞り出す。


「待っててくれて感謝するよ、エド。これで俺の仕事は終了した。悪いけど、さっきみたいに縛り上げてくれないか?処刑までまだ時間はあるから、俺は少し眠るよ・・・」


 大きな緑色の瞳が閉じられると、彼は力尽きたように体を伸ばした。

 その瞬間に、彼の体はムクリと大きく変化する。

 エドウィンの目の前には、さっきと同じように、漆黒の狼が瀕死の状態で横たわっていた。


「・・・バカだな。このまま逃げればいいものを」

「いいんだよ。俺は先に地獄に行って、アイツが来るのを待っててやるって約束したんだから・・・」


 アスランは心底満足した顔で、グルグルと喉を鳴らした。

 

 エドウィンがさっき切った縄で再びアスランを縛り上げた頃、大きな太陽が地平線の向こうに現れた。



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