赦し
ザワザワという人の気配は足音と供にどんどん近付いてくる。
時々、大声で笑う男の声が混じり、緊張感は感じられない。
狼退治というより、皆で遊びに来たような雰囲気だ。
俺は咄嗟に、今、殺したばかりのクロの死体を咥えて、道から引き摺り出した。
俺ほどではないにしても、子牛くらいの大きさの狼の死体は重くて、俺は顎が外れるかと思いながらも必死で引っ張って行く。
何とか、道から外れた林の中まで引き摺っていくと、外から見えないように藪の中に放り込んだ。
これでしばらく、ヤツの死体が見つかる事はないだろう。
だが、問題はこれからだ。
こちらに向かってくる人間の集団には、間違いなくルアナも同行している。
俺の野生の勘は彼女の気配を確実に感じていた。
同行している人間達は、国籍目当てに狼狩りに参加した腕自慢たちに違いない。
が、目的の狼は、たった今、俺が殺してしまったのだ。
彼女の悲願である国籍の取得は、これで敵わぬ夢となってしまった。
「私が射止めたら、一緒にこの街を出るんだ」
最後にルアナが言った言葉が俺の脳裏に浮かんだ。
そうだった。
彼女は今の暮らしを抜け出し、人間らしく生きたかったんだ。
この狼狩りは、それが叶う最後のチャンスだっただろうに・・・。
その時、俺は唐突に、自分がたった今殺したヤツと同じくらいの大きさの黒い狼である事を思い出した。
少なくとも『化け狼』の名に相応しい風貌をしている。
ああ、この手があった・・・!
決断をするのに、そう時間はかからなかった。
俺は、ヒラリと藪を飛び越え、こっちに向かってくる集団の方に走り出した。
◇◇◇
俺は、さっき走ってきた一本道に仁王立ちになって、集団が来るのを待ち構えた。
狼がここにいるとも知らずに、間抜けな一行は大声で笑いながらガヤガヤと近付いてくる。
こんな状態で本当に俺を殺る気があるのか・・・?
人狼もナメられたモンだ。
完全に物見遊山な雰囲気を感じ取った俺は、半ば呆れて苦笑する。
本物の人狼の恐ろしさを知らないルアナ達、浮浪民は、遊び感覚で狐狩りでもするつもりなんだろう。
もっとも、人狼に遭遇した人間は皆殺しにしているので、知らないのは仕方が無い。
やがて、真っ暗な道の向こうから、最前列を歩く人間の姿が薄っすらと見えてきた。
少し、からかってやるか・・・。
そう思った俺は、喉を震わせて遠吠えをした。
ウォォ・・・という俺の声に驚いた鳥が、林の中からバサバサと飛び立つ。
それでようやく俺の存在に気が付いた人間の集団は、悲鳴を上げながら歩みを止めた。
俺は、恐怖で固まっている集団の前まで、ゆっくりと歩いていった。
俺が一歩近付くと、集団もざわめきながら一歩後退する。
想像以上に大きかった俺の姿を見て、完全に怖気づいている。
俺はグルル・・・と喉を鳴らして威嚇した。
その時だった。
一本の真っ白な矢がビュン!と音を立てて放たれ、俺の耳を掠めて後方に飛んでいった。
立ち竦む男達の前に躍り出た小さな立ち姿。
両足を開いて踏ん張り、大きな弓をしっかりと構えている。
俺を狙う水色の瞳に恐怖の色は全く見えず、ただ、微動だにせず俺を狙っている。
ああ、ルアナだ。
怖いくらいに揺ぎ無い、俺の好きな強い視線。
それを全身全霊で感じながら、俺は彼女に向かって腹の底から吠えた。
グオォオ・・・!
悪魔の叫びとも呼ばれた人狼の吠え声に、ルアナの後ろに控えていた男達は悲鳴を上げて後方に散らばった。
ただ一人、ルアナだけはその場から全く動かず、スラリと次の矢を背中から抜き取る。
「下がるな!私に続いて矢を放て!背中を見せて逃げる方が危険だ!」
凛としたルアナの怒声が響いた。
子供くらいの大きさのルアナは、牛くらいの狼の俺を目の前にして全く引けを取らない。
構えられた次の矢は、既にピタリと俺の頭を狙っている。
その水色の大きな瞳には何の感情もない。
ただ、目の前の獲物を射止めんと、強いけれども静かな視線で俺を見つめている。
敵ながら、その勇敢さに俺は感動すら覚えた。
さすがはルアナだ。
俺が愛した価値は十二分にある。
俺は嬉しくなった。
この女の為に死ねるなら、それは俺の本望じゃないかって思えた。
彼女の声に励まされて、後方に散った男達が次々と俺に向かって矢を放ってくる。
暗闇のせいでどこに飛んでくるのか見当もつかず、俺は雨のように降ってくる矢を避けて飛び上がった。
バラバラと落ちてくる矢の雨の向こうに、俺を狙って弓を構えたルアナが見えた。
そして、いつもの真っ白い矢がその手から放たれた瞬間、俺はそれに向かって走り出した。
バスッ!と鈍い音が響いて、背中に物凄い衝撃を感じた。
その勢いで、俺はひっくり返されて地面に叩きつけられる。
ドドーンと地響きがして、土埃が舞い上がった。
背中に刺さった白い矢には毒が塗ってあったらしい。
矢が刺さった痛みはさほど感じないのに、急速に足腰の感覚がなくなっていく。
そのまま、俺は蹲ったまま立ち上がることもできなくなった。
さっきまでルアナの後ろで逃げ回っていた男達は、歓喜しながら戻ってきて、俺の周りに集まった。
持ってきた縄で、俺の首を犬みたいに縛り上げ、口輪を嵌め、豚を丸焼きにするように4つ足全てを纏めて縛り上げて荷台に乗せた。
俺の背中に刺さっているルアナの矢は、彼女がいかに勇敢に立ち向かったのかを物語るだろう。
これで狼狩りの一番の功労者はルアナだって証明される。
豚を料理するようなぞんざいな扱いに、俺はムカつきながらも、その点については安堵した。
荷台に積まれた俺の顔に、そっと誰かの手が触れた。
小さな冷たいその手の感触。
身動きの取れない俺が目だけ動かして見ると、そこにはじっと俺を見下ろすルアナがいた。
「・・・ごめんな。お前に恨みはないけど・・・私の愛する人のためなんだ・・・許してくれ」
苦渋の表情で、ルアナは俺に謝罪した。
こんな状況にも拘らず、俺は可笑しくなる。
ああ、許すよ。
俺がした事も、愛する人のためなんだから・・・。
でも、ルアナは許してくれないだろうと、俺には分かっていた。
やがて、人間達は俺を乗せた荷車を押し出し、懐かしい街へと続く道を歩き始めた。




