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人狼奇譚  作者: 南 晶
第一章 旅人
2/26

旅人2

-人狼じんろう


 博識な旅人は、その名前と存在くらいは知識として知っていた。

 文献によれば、牛くらいの大きさの狼であり、人智を超えた能力を持つ。

 野生の獣以上の獰猛性を持ちながらも、人間以上の知能も兼ね備えている為、動物のように人間を襲ったりする事はない。

 そもそも、彼らは動物ではない。

 常には狼の姿であるが、時に人間の姿に変化し、人の世に紛れ込んで生活をする者もいると言う。  

 かつて、人々は彼らを森の守り神として崇めてきた。

 人狼じんろう棲家すみかは人間の手が届かない奥深い森の中であり、故に彼らに遭遇するのは極めて稀な事らしいが、目の前にそれを見る事ができた事は幸運と言えるだろう。


 旅人はそう考え、草の上で蹲っている人狼の傍に寄った。

 もう一度、彼の手足が縄でしっかり固定されている事を確認してから、彼の傍らに腰を下ろす。

 人狼は、それを満足そうに横目で見ながら、バタバタと尻尾を振った。


 間近で見ると確かに大きい。

 文献通り、牛くらいの大きさはあるが、外見的には普通の狼だ。

 夜の闇に溶けている真っ黒な毛並みは、光沢があり美しい。

 何より、暗闇の中で緑色の炎のように揺らめく理知的な瞳と、人間の若者のような気の抜けた口調が、旅人の警戒心を緩ませた。


「あなたは邪悪な者ではないと確信するが、今、この場でその縄を外す事は出来かねる。明日、処刑されるという事は、あなたは何か罪を犯したとお見受けする。そうでなければ、この国の人々が森の守り神として崇められる人狼を、このような目に合わせる理由がない」

「ハハ・・・残念ながら、この国で俺が人狼だと気が付いたのはあんたが初めてだよ。尤も、この姿で人と喋った事はないけどな」


 自嘲的にそう言うと、人狼は喉の奥でグルル・・・と唸り声を出した。

 笑っているようだ。

 旅人は、その言葉を怪訝に思い、眉をひそめた。


「では、あなたは今までずっと狼として生きていたのか?」

「いや、逆だ。俺は人間として生きていた。名前だってあるんだ。呼ぶ人間は限られていたけど・・・」


 緑色の目を細めて、人狼は何かを思い出しているようにグルグルと喉を鳴らした。


 人間として生きていた彼が、何故、狼の姿で処刑されるのを待っているのか・・・。

 旅人が彼の今までの人生に興味を持ったのは、持ち前の好奇心だけではなかった。

 王宮に戻れば、旅人は旅の報告を王家の面々の前でしなければならない。

 業務的な報告の後には、必ず、誰かが旅の土産話をねだる。

 彼が語る珍しい異国での思い出話は、身分の高さ故に国外に出る事が許されない王族達の唯一の娯楽でもあったのだ。


 遠い異国で処刑を待つ人狼の話は、王族の前で披露するには申し分ない奇譚きたんになるだろう。

 そう考えた旅人は、腹を括った。


「あなたの話を是非、この旅人に聞かせてくれないか。だが、縄を解くのは話が終了してからだ。解いた途端に、あなたは私を噛み殺す事もできるのだから。あなたを信用していない訳ではないが、私も我が身がかわいい。殺されるにしても、聞いた後の方が気分が良さそうだ」

「この期に及んで人を殺そうなんて思わないけど、あんたがそうしたいなら、それでも構わないさ。俺には噛み殺せる程の力は残っていないしな」


 人狼はグルグルと喉を鳴らしながら、長い鼻面をブルンと振って背中に向けた。

 促されるように、旅人はその背中に視線を走らせ、そしてハッと息を呑んだ。

 漆黒の毛皮の中に白い棒状の物が見える。

 木の枝を荒く削っただけの質素な造りではあったが、それは間違いなく矢だった。

 人間によって作られ放たれたであろう矢が、神聖な森の守り神である人狼の背中に深々と突き刺さっているのだ。

 咄嗟に手を伸ばして矢を引き抜いてやろうとした旅人は、思い返してそれを断念した。

 矢の長さも見当がつかないこの暗闇で、無闇に傷に触れれば、それが逆に致命傷に成りかねないからだ。


「心配する必要はない。どの道、俺は明日、処刑される身だ。ただ、俺は月が消えるまでに、ほんの一時だけ自由になりたいんだ。逃げるつもりはない」


 重そうな頭を地に横たえると、彼は緑色の炎のような瞳を真っ直ぐに旅人に向けた。

 静かで力強いその視線に、旅人は彼のこの願いがとてつもなく切実なものであると理解したのだ。


「では、約束しよう。あなたが話しを終えたら、私はあなたを一時だけ自由にする。それでいいか?」

「・・・上等だよ。商談成立だな」


 人狼は嬉しそうに喉をグルグル鳴らして、尻尾を丈の低い草地にバタバタと叩きつけた。

 まだ年若い旅人は、その姿を見て少し嬉しくなる。

 たった一人で責任ある任務を遂行しなければならなかった若い旅人にとって、こうやって腰を下ろして話をする事ができたのは、彼にとっても労い(ねぎらい)になった。


「では、改めて。私は、とある王国の任務を請け負って旅をしている。名は・・・長いからエドウィンと呼ばれている。そう呼んでもらって構わない。国王勅令の任務の名に於いて、あなたの話を所望する」


 突然、姿勢を正して自己紹介を始めた若い旅人を、人狼は目を細めて見つめた。

 堅苦しいのは苦手だと言わんばかりに、もたげていた首をガクンと地に落とす。


「そんなに気負うなよ。あんたが期待する程、楽しい話じゃない。でも、あんたの事はエドウィンって呼ぶよ。俺はご覧の通りの人狼だ。今まで呼ばれていた名はアスラン。どっかの国じゃ獅子の事らしいが、この国じゃよくある猫の名前だ」


 牛ほどの大きさの狼には似つかわしくないその呼び名を聞いて、旅人は生真面目な顔を緩ませ、苦笑した。


「狼のあなたが猫の名前で呼ばれていたとは、いきなり滑稽な話だな」

「笑うなよ。それでも気に入ってるんだ。それに、俺が狼だと知ってる人間は、この国にはいないんだ・・・」


 縛られた手足を投げ出して、アスランは体を草地に横たえた。

 うずくまって頭を蛇のようにもたげた姿勢を保つのは容易ではないらしい。

 エドウィンと名乗った旅人は、その傍らに寝転んだ。

 並んで横になった二人からは、同じ星空が見えた。


「大した話じゃないが、聞いてもらえるのは嬉しいよ。俺が明日処刑されても、これから話す事はこの国の中では口外しないでくれ」

「・・・あなたがそう望むなら」


 人狼アスランはゆっくりと語り出した。



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