決着
「・・・誰かと思ったら、処刑人じゃないか。生きていたとは驚きだが・・・」
クロは喉の奥からグルル・・・と唸るように笑った。
聞き覚えのある掠れた低い声と厭味ったらしい言い回しは、間違いなくヤツだ。
それを確認して、俺は絶望した。
こいつが話して分かるヤツじゃないことは、昔から身をもって知っている。
「・・・生憎だったけど、俺は生きてたよ。あんたこそ、こんな所で何やってるんだ?咎人を処断したのなら、もう森に帰れよ。余分に人間を殺してる事は、大人しく帰ったら黙っておいてやる」
俺はなるべく冷静にそう言った。
こいつとは牙を交えた事はなかったけど、苦手な相手だ。
できれば争う事なく、このまま別れたかった。
だが、残念な事に、クロはそうは思ってくれなかったようだ。
俺の忠告を聞いても開き直ったように、ふてぶてしく鼻を鳴らした。
「役割を放棄して、人間と一緒にノコノコ森を出て行ったヤツに言われる筋合いはないんだよ、処刑人。お前が急にいなくなったから、俺がその役目をやってるんじゃないか。お前がしてきた通り、俺が処断する時は、俺のやり方でやる。誰にも文句を言う権利はない筈だ」
「森の掟を犯した咎人だけを処断するのが、森の守り神の人狼の役目だろう?それが、咎人以外の人間まで面白半分に殺しているなら、咎人はあんたの方じゃないか。そんな事が一族に許されると思っているのか?悪い事は言わない。このまま大人しく森に帰ってくれ。あんたとここで会った事は誰にも言わないし、あんたも俺に会った事は忘れてくれていいから・・・」
俺の提案に、クロはあからさまに軽蔑した眼差しを送って寄こした。
バカにするなと言うように、全身の毛が逆立っている。
「しばらく会わない間に随分、偉そうな口を利くようになったもんだな。俺が何をしていようと、お前につべこべ言われる云われはない。そもそもが、今まで好き勝手に殺しをしてきたお前が、何をいきなり善人ぶって説教垂れてやがる。お前の方こそ、さっさと消えろ。さもなくば、今、俺がこの場で消してやる・・・!」
クロは洞穴の奥から響いてくるような低い声で、俺を威嚇する。
黒い毛が総毛立ち、開いた口から涎と一緒に真っ赤な血が滴り落ちた。
クロが現われるまでここにいた人間の血に違いない。
ヤツは低く身構えて、いつでも飛び掛れる臨戦態勢に入った。
話の分かる相手ではなかったが、ここでこいつと戦う事も想定していなかった。
だが、ヤツの反応にもう説得する余地は無い事が分かって、俺も腹を括って身構える。
体は俺の方が大きいが、戦闘経験は同じくらいだろう。
負けている事があるとすれば、残忍性だ。
それが闘う時にどんなに有利に働くかは、俺も熟知していた。
緊張感で空気がビリビリと震える中、俺達はしばらくお互いの隙を狙って睨み合っていた。
精神的に弱い方が先に動くのは、恐怖に負けたほうが弱いからだ。
ヤツの黒い目が、果ての無い闇のように俺を吸い込んでくる。
その視線の強さに、俺は一瞬、眩暈を感じて後ずさった。
ヤツが、俺の一瞬の隙を見逃す筈はなかった。
その刹那、黒い体は弾かれたバネように跳び上がり、俺に向かって猛烈な体当たりを食らわせた。
勢いで吹っ飛ばされた俺は、狭い小屋の木の壁に激突する。
俺の体はそのまま壁をぶち抜き、木片を撒き散らして外に飛び出した。
体当たりの衝撃で胃の中のものを吐きそうになりながらも、地面に叩きつけられる寸前に体を回転させ、体勢を整える。
隙を与えることなく、壁に開いた大穴からヤツは俺目掛けて飛び掛ってきた。
喉笛を食い千切ろうと執拗に顔を狙ってくる。
俺は必死で抵抗しながらも、ヤツに抑え付けられて身動きが取れない。
俺の鼻先にヤツの口が近付き、血の匂いのする泡立った涎が垂れ流れている。
精神戦で完全に優位に立ったクロは、余裕をかましてグルグルと喉を鳴らした。
「なんだ、口程にもないガキだな。人間なんかと一緒にいたから腑抜けてやがるぜ。やる気あんのか、え、処刑人よ?」
「・・・俺は処刑人じゃない。アスランって名前があるんだよ」
「アスラン?」
「そうだ!だから処刑人って言うな!」
俺の言葉に、クロは赤い口を開けてベロリと舌を垂らした。
ハッハッと生臭い息を吐きかけながら、喉を鳴らして嘲笑する。
「なんだ、そりゃ?お前、どこまで人間に毒されちまったんだ?人狼が人間なんかに名前つけられて、何浮かれてやがる。ママゴトも大概にしとけ!」
「ママゴトじゃない!人間だって、皆、真剣に生きてるんだ。好きで殺しをする人間はいないし、俺達が殺していい人間だっていない・・・。人狼達だけが特別だと思うなよ!」
「何だと・・・!?」
ヤツが激昂した一瞬の隙。
ほんの一瞬だけ完全に無防備になったヤツの喉笛に、俺は死に物狂いで喰らいついて牙を立てた。
グエッというヤツの呻き声がしたが、俺は力を緩めず、そのまま地面にヤツを叩きつける。
勝機は今しかない。
無我夢中でヤツの肉に齧り付く俺の口内に、鉄臭い血の味が一気に広がり、生暖かい液体が喉に流れ込んでいく。
俺が齧り付いたヤツの首がボキボキっと音を立てて、頭が変な方向に折れ曲がった。
抵抗しようともがいていた体から突如、力が抜けて、グニャリと地について動かなくなる。
ハッと我に返った俺は、口に咥えていたヤツが息絶えた事に気が付いて、慌てて飛び退いた。
口の中がネットリとした血の感触で吐き気がする。
地面に横たわるヤツの喉は完全に引き裂かれ、白い骨が覗いている。
力任せに咥え込んだせいで、首の骨が折れたのが致命傷だった。
久し振りの血の味に本能が働き始めたのか、俺は訳もなく興奮して体をブルルっと震わせた。
どんなに人間と馴染もうと、名前をつけて貰おうと、俺はやっぱり動物らしい。
理性は血の味を嫌悪しても、本能は久々の殺しの興奮に歓喜している。
・・・俺も人の事は責められない。
ルアナから離れたら、きっとただの狼に戻ってしまうだろう。
それが自然な事であるかのように・・・。
ルアナの澄んだ水色の瞳を思い出して、俺は少し悲しくなった。
その時、国境まで続いている一本道の遥か向こうから、団体で歩み寄ってくる足音が俺の耳に届いた。
沢山の人間の男達の声も混じっている。
まだ、かなり距離はあるが、人間の一団がここに向かって歩みを進めて来ているのが分かった。
そして、その中に感じる懐かしい感覚・・・。
ルアナがいる・・・!
俺の野生の直感が、確実にそう伝えていた。