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人狼奇譚  作者: 南 晶
第二章 人狼の話
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依頼

 その日を境に、ルアナは木の上で寝るのを止めた。


 一線を越えて以来、俺達は急速にお互いを求めるようになった。

 ルアナは今まで一人で生きてきて強がってはいたけど、本当はまだ子供で、寂しがりの女の子だという事が分かった。

 相変らず、口も素行も悪くて、俺を犬のように扱ってはいるが、眠る時だけは寒さから逃れようとする猫のように甘えた声で俺の懐に忍び込んで来る。

 男の愛を求める女というよりも、親を恋しがる子犬のように。

 俺も彼女の体の温もりが恋しくて、彼女が蒲団に忍び込んで来るのを、いつしか待っているようになった。


 正直言えば、俺も嬉しかった。

 俺の事を抱き締めてくれるその腕を、ずっと探し求めていたような気がした。

 彼女が俺をアスランと呼ぼうが、猫だと思っていようが、俺は彼女の傍から離れるつもりはなかった。

 食べる準備ばかりに専念する毎日ではあるけれど、ルアナと一緒に生きていけるだけで、俺は楽しかった。


 このまま、今の生活がずっと続けばいい・・・。


 単純な俺は、ルアナもそうだと勝手に思い込んでいたのだ。

 彼女の心の闇をまだ俺は知らなかった。


 燻製にした肉も、日が経つに従って、少しづつ消費されていく。

 いざとなったら、俺が近くの雑木林にでも行って兎か鼠でも捕ってくればいい。

 人間の姿の俺はただのウドの大木だが、狼の姿に戻って獲物を狩るなら、ルアナが弓で鳩を射るよりは遥かに効率がいい筈だ。

 そんな打算があったので、俺はさほど食う事については気に病んでいなかった。


 俺が分からないのは、ルアナが少なからず金を持っている事だった。

 森で殺した動物の肉の半分は商人に売ったと、ここにきた初日に言っていたが、それ がどの位の稼ぎになるのかは、人間社会の金の相場が分からない俺には見当もつかない。

 だが、市場を見る限り、人間として生きていくには、肉以外の物も買わなければならないだろう。

 その為には金が必要な筈だった。

 ルアナが肉を売る以外にどうやって現金収入を得ているのか、俺には分からなかった。


 その日が来るまでは。


◇◇◇



 その日は、どんよりと曇った灰色の空が朝から広がっていた。

 外の空気の湿気で、近いうちに雨が降る事を体で感じる。

 俺とルアナは、太陽が出ていない肌寒い日に出歩くのが億劫で、その日は朝から二人で布団の中でまどろんでいた。

 薄い布団の下でお互いの体を絡ませ合いながら、体温を共有するだけで、薄暗い燻製小屋も心地よいねぐらになる。

 彼女の細い体を抱き締め、長い金色の髪に顔を埋めながら、俺は一時の快楽に酔い痴れ、目を閉じた。


 その時、小屋の戸が激しく外から叩かれた。

 ドン!ドン!ドン!という音が響いて、粗末な造りの小屋全体がガタガタ揺れる。

 俺は反射的にビクッと起き上がり、ルアナを守るように彼女の体の上に覆い被さる。


「・・・いいよ、アスラン。誰かは分かってる。仕事の依頼だ」


 ルアナは驚きもせず、神妙な顔で俺をそっと押し退けた。

 布団から出ると、床に脱ぎっ放しだったいつもの麻袋を被って、慣れた手つきで腰紐を巻く。

 あっという間にいつもの格好になった彼女は、まだドンドンと音を立てて叩かれている小屋の戸を開いた。


 少しだけ開けた戸の隙間から、見覚えのある赤い軍服が目に入った。

 確か、あの軍服は、この前市場で俺に絡んできた連中が着ていたものと同じだった。


「本日、処刑が執行される。罪人は浮浪民の20代の男だ。浮浪民の居住領域を脱し、民家に強奪の目的で侵入した。執行時刻は正午だ。必ず立ち合うように!」

「・・・承知しました」


 見るからに横柄な態度の赤い軍服の男に、ルアナは凛とした声で返事を返すと、恭しく頭を下げた。

 男は深く下げられたルアナの頭を上から見下ろし、優越感に満足したような醜悪な笑みを浮かべる。

 先日のいざこざがトラウマになっていた俺は、余計な事をしないように、そいつが小屋の戸を閉めて完全に姿を消すまで、蒲団の中で丸くなって隠れていた。


 戸が閉まった後、俺の野生の聴覚はヤツの足音がだんだん遠ざかっていくのを確認した。

 ほっと胸を撫で下ろして、俺はノコノコと蒲団の外に這い出す。

 ルアナはこちらを振り返ることなく、小屋の壁に吊る下げてあった弓と真っ白な木の枝でできた矢を掴んで、部屋の隅に座り込んだ。

 さっきまでの子供の様な顔とは別人のような、険しい表情だ。

 緊張したその面持ちにうっすら汗まで浮かべて、ルアナは小さなナイフで矢の先を削り始めた。


「ルアナ?処刑ってなんだ?」


 俺は当然の疑問を口にする。

 が、彼女は俺には目もくれずに、矢の先を尖らせることに集中していた。

 話したくないという意思表示を理解した俺は、黙って彼女の対極の隅に体を凭せ掛けて、その様子を眺めた。


「・・・仕事だよ。私は依頼されれば、処刑人の仕事も請け負うんだ」


 矢を削っていく手元をぼんやり見つめる俺に、彼女は突然呟いた。

 目だけ動かしてその口元を見ると、ルアナは自嘲的な笑みを浮かべる。


「・・・処刑人って、前にヤツラが言ってたヤツか?」

「そうだ。この国で罪を犯した人間を処罰するのが私の仕事だ。罪人を告発するくせに、罰する人間がいないんだからおかしな国だよ、ここは」


 俺は胸が痛くなった。

 森で咎人を処断していた時の記憶が蘇る。

 森の秩序を保つ為に必要なことなのだと、いくら理論武装をしても、俺に直接関り合いのない人間を殺してしまうのは、いい気分ではなかった。


「あんたも好きでやってる訳じゃないんだろ?」

「好きじゃないさ。でも、この仕事は一回すれば半年くらいは食っていける金を貰えるんだ。しないと、自分が食っていけないからな・・・」


 ルアナは矢を削っていた手を止め、虚ろな目で宙を見つめた。

 無言のまま、時間が止まったかのように彼女は動かなくなり、やがて、俺の顔を縋るような瞳で見上げた。


「アスラン、私が何をしていても、傍にいてくれるか?」

「・・・いるよ」

「私が地獄に落ちても怖がらない?」

「怖くないよ」


 彼女の質問に、俺は小さく笑った。

『殺しをすると地獄に落ちる』のを心配してるのは、実はルアナなのだ。

 本当は怖くて仕方がないくせに、わざと強がって意地を張って・・・。

 それでも、生きる為にやらなければならない。


「心配するな。あんたが地獄に行くなら、俺も行くから」


 慰めで言った訳ではない。

 今までの俺の所業が神様に知られているとしたら、俺は真っ先に地獄行きだ。

 でも、俺のその言葉を聞くと、ルアナは目を潤ませて嬉しそうに笑った。





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