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人狼奇譚  作者: 南 晶
第二章 人狼の話
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浮浪民

「ルアナ、浮浪民とか処刑人ってなんだ?」


 軍人の口から出た懐かしいその言葉に、俺は興味を持って彼女に聞いた。

 途端に、すごい勢いでルアナの拳が飛んできて、今度は俺の顔面を直撃した。

 ガツン!と鈍い音がして、目に火花が散る。


「・・・・・・!!!」


 俺は殴られた頬を押さえて蹲った。


「何、呑気な事言ってんだ!お前、今ホントに殺される所だったんだぞ!あいつらはこの街の人間一人殺す事なんて何とも思っちゃいないんだからな!いいか!?私達は浮浪民で、ここじゃ人じゃないんだ。ヤツラに会っても口利くんじゃねえ!分かったな!?」


 俺の着ている麻袋の襟首を掴んでユサユサと揺さ振りながら、ルアナはすごい剣幕で捲し立てた。

 浮浪民の意味もよく分からない俺には納得し辛かったが、とにかく、あの軍人集団の人種とルアナは違うのだという事は理解できた。


「まあ、落ち着きなよ、ルアナ。この兄ちゃんは悪くないよ。元はと言えば、あたしが悪いんだからさ。それにお兄ちゃんが頭が弱いのは本当なんだろう?この街の事、まだ何にも分かってないんじゃないかい?」


 蕩けかけた白い雪みたいにダラリと太い足を伸ばして、俺の後ろから、さっきの女が助け舟を出してくれた。

 緊張が解けたせいで、締りのない脂の乗った体が、更にダラリと膨張してしまったみたいだ。

 ルアナは、俺の襟首を掴んだまま、今度は女の方に顔を向けると、唾を飛ばしながら怒鳴り返す。


「大きなお世話だ!ってか、お前がアスランを誘ったのか!?」

「誘ったよ。まさか、あんたの連れだとは思わなかったからさ。でも、文無しだって言うから腹が立って、丁重にお断りしたらこの有様だ。別にあんたの男を寝取ろうなんて思っちゃいないから安心しな」

「アッ、アスランはそんなんじゃない!狩りしてた所でたまたま会ったから連れて来ただけだ!」

「そんな事どうでもいいよ。どこで拾ってきたのか知らないけど、金がないなら興味もないね。それより、面倒なヤツラが戻ってこない内にさっさと帰んな!あたしはまだ今日は稼がなくちゃなんないんだからね。文無しの相手してる暇は無いんだよ」


 顔を真っ赤にして必死で抗議を続けるルアナを、女は余裕の表情で一瞥してから、重そうな体を揺すって立ち上がった。

 まだ地べたに座り込んでいる俺に目配せして、ニヤリと意味深に笑ってみせる。


「あたしはファビオラ。あたしが何を売ってるのか知りたきゃ、ルアナがいない時に金持っておいで」

「うるさい!お前こそさっさと帰りやがれ!」


 噛み付きそうな勢いのルアナには目もくれず、ファビオラは背を向けるとカーテンで目隠ししてある露店の中に消えた。



◇◇◇



 ルアナが街と呼んだ露天市場の列を一通り見た後、俺達は最初の約束通り、街から少し離れた所を流れるこの川に辿り着いた。

 昼下がりの太陽の光が暑い位に乾いた地面を照り付けている。

 さっきの騒ぎで更に埃に塗れる事になった俺達は、キラキラ光る水面を見ると、水飛沫を上げて足を踏み入れた。

 森を流れる冷たい湧き水とは違い、生温くて濁った水だ。

 ゆっくりとした重い川の流れは、怠惰なこの街の雰囲気に似つかわしく思えた。


「あーあ!お前のせいで酷い目に遭った。お前、莫迦過ぎるぞ。私がいなかったらどうするつもりだったんだよ?」


 麻袋を脱ぐ事なく、ルアナはスラリとした足だけを水に浸からせ、ブツブツと文句を言った。

 今回だけは、知らなかったとは言え、弁解の余地のない不手際っぷりを晒してしまった。

 その事を肝に銘じている俺は、返す言葉もなく肩を竦めて見せる。

 燻製小屋の脂と街の埃に塗れてベタベタする麻袋を脱ぎ捨て、俺は生暖かい水面に顔だけ出して体を伸ばした。


「おい、アスラン!聞いてんのか?私がいなかったら、ファビオラについて行ったか?」

「・・・分からない。あの女が何を売ってるのかも俺には分からず仕舞だ。多分、俺は本当に頭が弱いんだろう」


・・・人間に比べて、な。

 最後の台詞は口に出さずに飲み込んで、俺は水中に潜った。

 水の中は泥でどんより濁って、魚一匹見当たらなかった。

 俺の住んでいた森の清らかな冷たい水が少し懐かしくなる。

 水面に顔を出して息を吐くと、水には入らないと言っていたルアナが胸まで水に浸かって俺の横に立っていた。

 いつも吊り上がっている水色の目が申し訳なさそうに垂れ下がり、八重歯の出た大きな口はギュっと噛み締められている。

 初めて見るルアナの表情に尋常でないものを感じて、俺も首を傾げて立ち上がった。


「どうした?水に入らないんじゃなかったのか?」

「・・・ごめん。頭弱いとか言って・・・。お前も、突然、森の中からこんな所に連れて来られて迷惑だったよな。帰りたくなったら帰っていいんだよ?お前が名前も服もないからこっちの方がまだマシだと思って連れてきたけど、ここだって良くはないんだ。所詮、私達は虐げられる側の人間だ」


 どうやら、俺が頭が弱いと言われて森に帰りたがってると思ったらしい。

 強がっているくせに、チラチラ人の顔を盗み見ては表情を窺ってるのが、子供みたいで可笑しくなった。


「別に怒ってない。ただ、初めてこういう世界に来たから、仕組みが理解できないだけだ。ルアナは自分は人ではないって言うけど、俺には人に見えるし、さっきの男達が人だって言うなら、もう俺には区別がつかない」


 俺は正直に思った事を口にした。

 森の掟は単純だ。

 強い者が弱い者を必要なだけ食す。

 だが、この街の掟は複雑過ぎて、森のどんな動物にも理解できないだろうと思われた。

 ルアナは俺の言葉に、ああ・・・と納得したように頷いた。


「私達は、商売しながら国から国へと旅をする定住しない民族なんだ。つまり、この国じゃ余所者だ。この国では、住む所のない私達の事を軽蔑して『浮浪民』と呼んでるんだよ。すぐに旅に出る予定だったのが、10年くらい前からこの国を除いた近隣の国々が戦争始めて、私達はここから抜け出せなくなった。市場が街になるまで定住したのは、ここが初めてなんだ」


 ルアナは話しながら、肩までゆっくりと水に浸かった。

 もう水に入らないのは無理だと諦めたらしい。

 俺は黙って、ルアナが遠い目をしてポツポツ話すのを聞いていた。


「私みたいに金色の髪をしてるのは、大抵、浮浪民だ。この国で許可されて住んでいる訳じゃないから、仕事もないし、定住所もない。だから、街に集まって自分達で生きていくしかないんだ。男は狩りをして肉を売る。けど、女は体売るくらいしかないんだ。さっきのファビオラみたいに」

「あんたは女なのに、狩りをするのか?」

「生きてる間に体売るくらいなら、死んでから地獄に落ちた方がマシだよ」


 ルアナはニヤっと悪戯っぽく笑って肩を竦めた。

「体を売る」事の意味を、俺はこの時完全に穿き違えていたが、黙って続きを聞く事にした。


「前も言ったけど、この国の人間は阿呆だからな。絶対に殺しをしないんだ。何とかいう神様を信仰してるせいで、死んでから地獄に行く事を本気で怖がってる。だから、私達、浮浪民が殺してきた動物を買って食べるんだ。そのお陰でこっちも何とか生活できるんだけどな。殺しをしないお陰で、戦争にも参加しないのは賢いのかもしれないけど、自分の手を汚さないのって、なんか汚いよな」


 苦々しくルアナはそう言って、水面に唾を吐いた。




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