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人狼奇譚  作者: 南 晶
第一章 旅人
1/26

旅人1

 どこまでも続く緑の草原を、旅人は早足に横切っていた。

 澄み切った夜空には星が瞬き、地平線まで一杯に黒いカーテンを引いたような景色だ。

 その雄大な景色に気付いてさえもいないように、旅人は黒いマントを目深に被り、ひたすら歩き続ける。


 国境を越えてこの国に入ってから、まだ人の姿を見ていない。

 見たのは関所で入国のチェックをしていた国境警備隊の男だけだ。

 国王から直々に承った通行手形を見せるだけで国境を守る屈強な男たちはあっさりと門を開いた。

 いくら王家の家紋がオールマイティだと言っても、生温い警備には違いない。

 見渡す限りの草原を旅人は歩きながら、この国はまだ平和だと感じた。


 宝石を撒き散らしたような星空と草原の境界線に大きな一本の木が立っているのが見え、旅人はそこに足を向けた。

 枝の広がるその形から、どうやら広葉樹のようだ。

 それなら木の実が落ちているかもしれないし、広がった枝の下なら風も遮られる。

 今夜の宿をそこに決めた旅人はなだらかな丘陵を木に向かって登っていった。


 木は遠くから見るよりかなり大きかった。

 まだ夏の暑さが残っている今、木の実は望めなかったが一晩眠るには充分夜露を防いでくれそうな枝ぶりだ。

 木の大きさを確認できる程に近付いた旅人の視界に、奇妙なものが映った。


「・・・犬?」


 木の下に大きな獣が蹲っているような影が見える。

 姿は丸くなって寝ている犬のようだが、大きさが尋常ではない。

 遥か南の国に生息するという伝説の獅子くらいはあるだろう。

 しかし、獅子と言うには、その漆黒の毛並みはそぐわないように思えた。

 まだ木からかなり距離があったというのに、旅人の足音に気付いたのか、動物はムクリと重そうに頭をもたげた。

 闇に溶け込んでしまう黒い体に、緑色の両目が炎のように揺らめく。

 旅人は一瞬たじろいだが、毅然とした態度を崩す事なく木に向かって進んで行った。

 草を踏みしめて歩く足音だけがサクサクと夜空に響く。

 獣は旅人から視線を外す事なくじっと見つめていた。


「・・・いいところに来た」


 突然、洞穴の中から発せられたような低い声が響き、旅人は思わず歩みを止めて立ち竦んだ。

 声の主を探そうと周りを首を回して探してみるが、人影はない。


 まさか・・・!?


 旅人はギョッとして、目の前に蹲っている獣の緑色の瞳を見つめた。 

 その緑の瞳が笑っているかのようにユラリと細められ、地の底から響いてくるようなグルル・・・という唸り声が地に響く。


「そう驚くな。ご覧の通り喋っているのは俺だが、取って食うつもりはないから安心しろ」


 そう言われた旅人は少し警戒を解いたものの、油断する事なくその場で立ち止まった。

 漆黒の獣の首と四本の足を纏めて縛り上げている縄が視界に入ったからだ。

 少なくとも、これ以上、獣が自分に接近する危険はないと、瞬時に計算しての間合いだった。

 目深にマントを被った旅人の顔が暗がりでも見えているかのように、獣はグルグルと喉を鳴らした。

 細められた緑色の目を見ると、どうやら笑っているらしい。

 背筋に寒気を覚えながら、旅人は恐る恐る口を開いた。


「お前・・・、いや、あなたはもしや人狼じんろうではありませんか?深き穢れのない森に神として存在している筈のあなたがこんな俗世界で何をおられるのだ?」

「へえ、俺の事を知っているのか。あんた、この国の人間じゃないな」

 

 旅人の言葉に漆黒の獣、人狼は意外そうな声を出した。

 大きなフサフサした尻尾がバタバタ振られているのを見ると、自分の存在が認められた事が嬉しかったようだ。

 旅人は、自分に危害が及ばない程度に近付いて、草むらに腰を下ろした。

 ついでに被っていたマントも邪魔そうに剥ぎ取る。

 その途端、クシャクシャになった旅人の金色のクセ毛が、タンポポの綿毛みたいに現われた。

 堅苦しい口調と落ち着いた物腰のせいで老けた印象を与えているが、鳶色の好奇心に溢れる瞳は、彼がまだ年若い青年である事を物語っていた。


「いかにも。私はこの国の人間ではない。ここより遥か西に位置する王国から来た。国王の命を受けて近隣諸国の地理的位置や気候について調べている。あなたこそ、気高く孤高に生きる神である筈の人狼じんろうが、何故ここで縄に縛られているのだ?」


 旅人の問い掛けに、人狼は喉の奥でクックッと笑った。

 緑色の瞳を細めて、自嘲的な声で投げ遣りに返事を返す。


「あんたは余所者だから知らないだろうけど、ここは処刑場なんだ。俺がここで縛られてるのは明日処刑されるからだよ。ついでに言えば、俺は神じゃない。まあ、孤高な神の人狼もいるけど、俺はどちらかと言えば堕落してるからな」


 人狼の言葉に、旅人は返事に詰まって眉を顰めた。

 彼はサラリと言ったが、ここは処刑場で明日が処刑なら、切羽詰まった状況ではないのか?

 縄で自由を奪われているとは言え、鷹揚な口調で話をしている人狼には死を迎える焦燥感や悲壮感が感じられなかった。

 旅人の沈黙の理由が分かったかのように、人狼は再びグルグルと喉を鳴らす。


「どうして大人しく殺されるの待ってんのかって言いたいんだろ?」

「大人しくここで死を待っている事は確かに解せないが・・・・・・あなたなら、まず人間に縄をかけられるような事にはならない筈だ。狼よりも獰猛である人狼が、人間にやられる訳がない」


 旅人の困惑した鳶色の瞳を見上げて、目の前の黒い獣は起き上がろうと試みた。

 が、体を縛る縄で身動きが取れない事を確認すると、首だけ重そうに持ち上げ、クルリと緑色の目を動かした。


「それが、人狼じんろうにもやられる訳があったのさ。とりあえず身動きができないんだ。どうだ?取引しないか?」

「・・・? 何をだ?」

「そうは言っても、俺は何にも持ってないからな・・・そうだ。この縄をあんたの手で解いてくれるなら、面白い話を聞かせてやるよ。どうする?」


 旅人は目の前の漆黒の獣の言葉を聞き、形のいい眉を上げた。





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