彼の原風景
己の勝利を確信し、悠然と歩を進めていた処刑者は突然に立ち止まる。
眼前の生命はもはや虫の息の筈だ。放ってくる一撃こそ必殺の威力だったが、それ以外はこれまでに戦い、淘汰してきたモノたちと比べれば劣っていたし、小さく脆かった。自分のなかに渦巻く違和感を振り払うように、そう独白する。これまで幾度となく敵を屠ってきた自分の力がその考えを補強する。
だがそれ以上接近することができない。否、そうすることを本能が拒んでいる。
―――『逃げろ。それ以上近づいてはいけない』と。
それに驚愕する。
自分は常にそれを与える側であったはずだ。断じて自らがそれを与えられるはずがない。
そうだ。己の本能に従い常に戦い、その身を血で染め上げその腕で恐怖を振りかざした。
殺す。その単純明快な事こそが自らの存在価値であり、存在理由だ。
老いも若いも男も女も、強いも弱いも美しきも醜きも。全てを等しく殺す。
それこそが唯一飢えを、渇きを、自分を満たしてくれた。
それ以外を知らない。それ以外は教えられていない。それ以外は要らない。
いまさら、それ以外を受け入れたところでどうなる?
答えなど考えるまでもない。『どうにもならない』
だから殺す。
そう完結した処刑者は再び歩をすすめる。自らが強者であると、見えないなにかに見せ付けるようにあくまで悠然と。
もしも、彼もしくは彼女が初めて感じたものに従い。眼前のことなど無視し、この空間から逃亡していれば結果として処刑者は生き延びたであろう。自ら崩した天井も、疲弊した騎士たちも傷ついていたとしても楽に蹴散らせただろう。
しかし、その決定はその存在の死を確定してしまった。
▽
世界が引き延ばされる。自分の心だけが狂った時を刻み、空回る。
視界が暗転する。俺が見ているものはなんだ?
一つの歯車が回っている。回転する速度は安定せず、軋みを上げながら加速と減速を繰り返している。
よく見るとその平面部分には三つの紋様の窪みが見える。二箇所にはそれぞれ銀と七色の紋様が奔り不安定に輝いていた。
しかし、一箇所だけが空白となっていた。三角形に配された窪みの内、そこだけがないことのがとても不安定に思えてくる。
ふと、そこにあるかもわからない自分の手をみる。
自分の小さな両手で形作られた器には淡い緑色の砂が満たされていた。
俺はそれを躊躇うことなく、空白へ注ぎ込んでいた。そうすることが一番良い事だと思えたからだ。
歯車はいつの間にか止まっていた。そんなことはお構いなしに俺は空白を淡い緑で満たしていく。
そして、歯車の空白は完全になくなった。それと同時に認識できていた自分が再び曖昧になり、わからなくなる。
回り始めた歯車はゆっくりとだが、先とは違いしっかりとその在り方を維持していた。
安定した回転をしていたかと思えば、次はどんどんと大きくなっていく。
その大きくなった先には何があるのかと見れば、数多の―――それこそ星の数を超えるのでないか、そう思うほどの歯車があった。しかしどれも錆びていたり、朽ちていたり、ヒビ割れていた。始まりの大きくなっている歯車を除き、全てが崩壊しかけている姿はまるで誰かを待っている内に幾星霜が過ぎてしまったかのようだ。それを見た俺の胸には郷愁の念が生まれていた。なぜだろう。あの光景からしばらく目が離せなかった。
大きくなり続けていた始まりの歯車がゆっくりと歯車と噛み合った。
それまで稼働していなかった部分が噛み合った歯車を始点に拡大されていく。
ボロボロだったそれらは、一回転するごとにもとの在り方へと回帰する。それらは色も大きさも材質も多種多様であった。
存在する全ての色が使われているようなほど膨大で、多様な色の歯車たちがその偉容を曝け出す。
しかし、もとの姿を取り戻してもその回転は止まることなく、回り続けた。
そして、その回転は速度をどんどんとあげていく。歯車はもはや円のようにしか見えない。
色とりどりな歯車は終には全てが円へとなってしまった。
しかし、変化は終わらなかった。ゆっくりと回っている円群は動き始めた。その動きは太陽を中心とした銀河のように廻り始める。
そして始まりの歯車を中心とした銀河もまたそれを形成する歯車と同じように回転を始める。
圧倒される。それこそ転生などというふざけたことを経験したことなど、些事に思えてくる。
その光景を見る僕の意識が揺らぐ。否、覚醒しようとする。
同時に生れ落ちたときとは比にならない量の情報が流れ込む。
だけどそこにあるのは僕の持つ【力】についてだけだ。僕という存在については何もなかった。