両断の一矢
内容はできてもまとめきれない…
薬草の採集を終え、枯らさぬように細心の注意を払いつつも帰路に着いていた。この任務を終えた後に酒場に飲みに行くか、などと喋っていたものたちを嗜めつつも、私も肩の荷が下りた気でいた。いてしまった。
一瞬の油断が死に直結する。そう教わっていたはずなのに
「―――ぇ?」
一人の女性騎士の声とポトリ、という音が私たちの耳に聞こえてきた
私の視界に映ったのは飛び散る赤色とそれを撒き散らす一本の棒のようなもの
――――――腕だ。人間の、彼女の、腕
「あ、あぁ、あぁぁあぁぁっ!腕がぁ!?」
切り落とされた部分を押さえて女性騎士は叫ぶが、誰も動くことはできなかった
ギシャァァァァァァァァァァァァァァァ!!
私たちを圧倒的な恐怖が包む
「そんな…どうしてコイツがこんなところにいるのよ……」
私たちの前にいる灰色の甲殻に赤い鋏の巨大蟹。
【ブラッドエクスキューショナー】と呼ばれているこの魔物はランクにするならAクラスだ。断じて再誕の空洞のような場所に出てくるような魔物ではない
「ッ!マルク!アダン!マルタを連れて下がって!!」
私は仲間の騎士たちに矢継ぎ早に指示をだす
「エメリは残って!他の魔術師たちは急いでここから離脱!薬草を届けて!あと救援をお願い!」
「ハンナ!!戦う気か!?今の装備じゃ無理だ!!」
部下の一人が叫ぶがそれに悠長に答えている暇は無い。腰に吊っていた長剣を鞘から抜きざまに灰色の甲殻に奔らせる
ガギン!
思ったとおりこの長剣ではこの甲殻に有効打を与えることができない。だが気を引くことには成功した。己の存在を誇示するかのように鋏を上下させていたヤツはこちらを振り向いた
「残りは私について来なさい!!」
残りの騎士たちも私の意図に気付いてくれたのか、追走してくる
▽
ギチギチという生物が出す音とは思えないような音を発しながら追いかけてくる処刑者への恐怖を捻じ伏せながら走る。
「おい、どうする気だハンナ!今の俺たちじゃロクに戦うこともできんぞ!?」
「わかってるわよそんなこと!でも薬草をもう一度取りに来るなんて無理よ!!」
「つまり魔術師たちが離脱できるだけの時間を稼いでから離脱するんですね!?」
その言葉に軽く頷くことで肯定する。魔術師たちは薬草に魔力を注ぎ続ける必要があり、帰還用の移動魔術を使用できないのだから私たちがコイツを引き付ける必要がある。
「少し行った所にもう一つ広間があったわね、そこで迎え撃つわ!!」
コイツは足場の悪いここで迎え撃っていては蹴散らされるだけだ。なら広い場所で散開して、少しでも注意を散らしながらの方がましなはずだ。
「全員死ぬなよ!!!」
甘い理想論だがそれでも私は口にする
『応ッ!!!』
私に着いて来た全ての騎士たちの言葉にこんな状態だというのに思わず笑みを浮かべそうになる。
そうだ、私たちはなんだ。誇り高きドラクロワ騎士団だ。
▽
高台から見ているだけの俺が言うのもなんだが、やはり時間稼ぎが精一杯のようだ。
「はぁぁぁぁぁぁッ!!」
裂帛の気勢とともに剣閃が奔る。それは本来なら銀の弧を絵描くのだろうが、それは半月をかたどるに止まった
ガキィィイン!!
それは比較的甲殻の薄いはずの関節を狙った一撃であったが、傷を一筋付けただけだ。あれではジリ貧ですらない、ただの悪あがきだ。あれを倒しに来たにしてはいくらなんでも装備が貧弱すぎないだろうか?
俺がそんな疑問を抱いている間も、蟹に斬りかかった騎士が鋏の餌食にならぬよう他の三人の騎士がフォローをしていた。練度と連携は十分、やはり一番の問題は装備か…。
「みなさんッ!!距離を!」
杖を持っていた騎士が声を上げる。声からして女性であろう。前衛の騎士四人が蟹の気を引いているうちになにか準備をしていたようだ。
蟹の足元で応戦していた騎士たちもその合図を聞くと同時に飛び退く。ただその動きは普通の人間と比べて明らかに逸脱していた。それぞれが数歩のステップで蟹から大きく距離を開けていた。大体一歩あたり四メートルほどだろうか?常人では何の助走もなしにあそこまでのものはできないだろう。やはり魔法のようなもので身体強化でもしているのだろうか
合図をした騎士の持つ杖の先端を中心に風が渦巻いていた。風を利用した魔法か?
本来、不可視の風が渦巻いているのが視認できる段階でおかしいが、そんなことよりも俺はこれから起きる事のほうに興味を向けていた。
「大気の槍に穿たれなさい!!」
凛とした声とともに、先ほどまで渦巻いていた風が螺旋に姿を変え、蟹に向かって飛ぶ。それはあたかも風でできた突撃槍のようだ。
ガアァァァァァァァンッ!!!!
風の突撃槍は着弾すると凄まじい轟音を響かせ、その爆風によって土煙が蟹がいた地点を包む。蟹の姿は濛々と立ち込める土煙で確認できない。
風の槍を放った騎士は膝から崩れ落ちたが、荒い息をつきながらも前を見つめていた。思ったとおり魔術は万能ではない、何かしらを対価としている。
「やったのか…!?」
騎士の一人が声をあげる
▽
「あ…フラグ」
こんなことを俺は呟いてしまったが仕方無いだろう?
ギィシャァァァァァァァァァ!!!!
土煙を振り払って現れたのは刺々しかった甲殻が砕け、足も最初に斬られていたものを含めて二本失っているが、変わらずに健在な蟹であった。
「すごいな…。あれだけの威力のヤツをもらっても死なないのか」
俺の口からは驚きの呟きが洩れる。
怒りを顕わにするように鋏をガチガチと開閉している姿を見た騎士たちは、敵が未だ倒れていないのを確認すると、再び円陣を組みなおしていた。しかし風の槍を放った騎士は言うまでも無く、他の騎士たちも満身創痍の様相だ
…そろそろ手を出すか。倒せなくとも、能力をフル活用して逃げ回れば時間稼ぎくらいはできるだろう。すぐに手を出さなかったのは、騎士たちに余力を残した状態でいられると敵対されたときに面倒だからだ。やや外道くさいが仕方が無いさ。
俺は腰に手を回して、コートの後ろポケットに入れていたものを二つ取り出す。それはここまでの道すがら少しずつ集めた金属を圧縮してコンパクトに形成したものだ。形としてはUSBメモリが近いだろうか。色合いは、一つは暗い蒼色をしていて、もう一つは白金色のものだ。共に手のひらに収まる程度の大きさだが、実際の量は圧縮形成されているのでこの数十倍にもなる。
ただ同種のもの同士でしか圧縮できず、手のひらサイズまでが限界の今の俺では、多種の金属を同時に操るにはいくつも金属塊を持ち運ぶ必要がある。重さも同サイズの石ころほどしかないとはいえ、さすがにいくつも持ち歩ける重さでもない。この二つとあと一つ、計三つあるが、残りの一つはいざという時の予備だ。今使うのは暗蒼と白金のものだけだ。
俺は【星錬】で暗蒼の金属塊を変形させていく、モヤモヤと形を変えていく金属を見るといつも不思議な気分になるが、今はそんな場合ではない。蛇の成長を早送りしているように金属塊は姿を伸ばしていく。完成度を高めるためにいつもの数倍も慎重に力を使う。
「完成かな」
俺の手にあるのはその身から弦まで全てが金属でできた弓だ。時間がないので結果、シンプルな外見になってしまっているのでこの事態を解決したら何とかしよう。凝り性なのは昔からなのだ。
そして矢は白金のものが一本、暗蒼のものが二本だ。コートの右側に即席のホルスターを付け加えてそこに矢を固定する。
さて準備は終わった。あちらはどうなっているだろうか?作成にかかった時間はそこまでではないが、その間にやられていないだろうか。
俺はもはや体を隠すこともせずに下を覗いて確認する。
…ピンチを通り越して絶体絶命の危機になってる。ん?意味は同じか?まぁとにかく大変なことになっていた。
騎士のリーダーらしき人ともう一人を除き全員がダウンしている。生きてはいるようだが、重傷といったところか。そのダウンしていないもう一人というのは、さっき蟹に向かって風の槍を叩き込んだ者だ。どうやら蟹の標的にされたらしい。そしてろくに動けない魔術師を庇ってリーダー格の騎士も動き回れないのか。動きと立ち回りから察するに撹乱しながら攻撃するタイプだろうから、足が止められている状態では長くはもたない。
俺は弓を構える。子供の背丈の俺に不釣合いな大きさの弓は本来なら引くことは不可能だが、弦はスッと抵抗もなく暗蒼の矢をつがえる俺の手によって引かれ、金属であるはずの身を軋ませ、しならせる。
暗蒼の鏃は角錐の先端が螺旋となっていて、敵に突き刺さることよりも穿ち貫くことに特化させてある。
その螺旋の渦は、こちらに気付かずに騎士へと鋏を振りかざしている甲殻類へと向けられる。そして狙い
――――――力を解き放つ
▽
ヒォン!!
世界を引き裂くかのように螺旋の渦が獲物へと襲い掛かる
「―――ぇ?」
その微かな言葉を皮切りに引き裂かれた世界が繋がれ、その一矢が起こした事象を観測させた。
ギィィィィルァァァァァァァァ!!??
その威力は尋常ならざるものであった。騎士たちの剣と魔術師の放った風の槍にも耐え抜いた血塗れのギロチンその片方と足の一本を根元から千切り飛ばしていた。
自分の身に起きたことに理解が追いつかないのか、蟹は困惑するように無機質な目をせわしなく動かし、声を出して叫ぶ。
そしてその目は一つの存在を見つけた。処刑者はそのまま体をその存在へと向ける。脅威足りえない騎士にはもはや目もくれずに、その存在へと注目する。
騎士も蟹へと注意を払いながら、その方向に目を向ける。
騎士は静かに残心するかのように弓を降ろし、こちらを見下ろす金の瞳に気付いた。その瞳は太陽の暖かな煌きにも月の静かな輝きにも見えた。その瞳の持ち主は幼いながらも美しかった。そう幼子が持つ愛くるしさを感じるよりも美しさを強く感じたのだ。
その金眼の存在はホルスターの暗蒼の螺旋矢を指に挟むと弓につがえる。その螺旋は処刑者を狙う。
しかし処刑者はそれを簡単には許さない。それを許したときは自分が死ぬときだと理解しているからだ。蟹は残った足をたわめ、一瞬だけ体を沈めると、バネの如く飛び上がった。その動きには先ほどまではなかった、生へと執着する本能とでも言うべきものがあった。
飛び上がった処刑者は千切られていない鋏を足場に叩きつける。張り出した高台となっていた岩は砕かれたが、そこにいた金眼は器用に落下していく岩を次々と足場にしながらかなりの速さで下りていく。
地面に着地したのに追随するように蟹も落下してくる。
「そこの人!」
急に声をかけられた騎士は突然のことに反応が遅れるが、そんなことはお構いなしに続ける
「時間を稼いでみるから、後ろの連中を連れてさっさと退いて!!」
「だッ、だが!?」
騎士は逡巡する。当たり前だ、突然そう言った相手はどう見ても子供なのだから。
「くどいッ!!殺すか生かすか考えろ!!」
一喝され、己が第一に為すべきことを騎士は思い出す。それは全員で生きて帰ること。
「…ッ!感謝する!!」
それを聞いた金眼の持ち主は蟹とのにらみ合いをしながら、ジリジリと洞窟の奥へと移動する。蟹もまた怨敵を逃すまいと距離を詰めようと移動する。
そして両者は同時に疾走する。金眼は己の有利な場所へと誘い込むために、蟹は敵を逃さず葬るために。
騎士が見たのは洞窟の奥に消えていく巨躯の刺々しい甲殻だけだった。