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始まりの景色

私が対峙していたのはとても美しい存在だった。


触れれば壊れてしまうガラス細工のような儚さとそれ故の神々しさを持っていた。

どれほどの美姫を集めたところでその前では霞んでしまう。美の女神と呼ばれる者でさえ横に並び立てば霞むであろう、そんな確信とも言うべき感覚があった。

光によってステンドグラスのように煌くその髪が、いかなる存在も知らぬかのような無垢な雪のごとき肌が、月光の穏やかさと陽光の温かさを湛える瞳が、その存在を構成する全てが完璧な調和を持ってその存在を確立させていた。

たとえそれが幼き姿であっても美しかった。否、境界線を彷徨う年齢であるが故にその姿は侵し難かった。




――――――もしもこの存在を手に入れられるというのならいかなる財も、名誉も、全てを、それこそ世界さえも差し出してもいい。




ッ!!?今自分は何を考えた?



騎士として培ってきた精神力で茫洋としていた頭のなかをなんとか切り替える。

これ以上の愚考はマズイと理解する。あまりにも今の自分には危険すぎる。

この者があの処刑者を倒したとは信じられないが、そこに胴体に大穴を開けた死骸が転がっているのだ。これはもはや疑いようの無い事実だ。

“ミィス”と名乗った(でいいのだろうか)は、その魔性といっても差し支えない美貌をこちらに向けている。

彼には一度剣を向けている後ろめたさが手伝ってあんな邪な考えを抱いてしまったのだ。



………そうだ。私は肝心なことを言っていなかった。騎士としてなどということを考える前にエルフとして言うべきことがあったではないか。



私は助けてくれたことへの礼を改めて彼に告げようとしたが、



「それでは縁が会ったらまた会えるかもね。ああそれと、そこの蟹はあげるよ。素材としては良い物だろうから」

そう言うや否や彼はいきなり土煙で辺りを覆ってしまった。


「なっ!?待ッ―――!ケホッ!コホッ!!」

彼の唐突な行動に私は慌てて引きとめようとしたが、驚いた拍子に土煙を大きく吸ってしまい咳き込んでしまった。

自分の間の悪さに悪態をつきたくなった。そうこうしているうちにも彼は去ってしまう。



「そうそうこれは口止め料。あまり権力者には僕のことを言わないでおいてくれると助かるよー」

せめて礼だけでも、と顔をあげた私の顔面に光る緑の何かが飛んできた。


「えっ?わぁ!?」

不意打ちだったが、なんとかそれを受け取ることができた。

しかし、今度こそ私の頭は凍り付いてしまった。


投げ渡されたのは私がいままで見たことがないような宝石だった。

大きさだけでなくその輝きも一目で最高のものだと素人の私でもわかった。


宝石は一部の特権階級、裕福な上級貴族か王族が所持するくらいか、上級魔術の媒体に安価なものを使うくらいだ。  

王族の持つものでさえここまでの一品は、よほどの大国でなければない。

手の内にあるものの価値に完全に動けなくなる。


そうしているうちにも足音は遠ざかってしまった。




            



                             ▽


                      



パチパチと爆ぜる音が焚き火の周りに聞こえている。日も沈み闇に包まれ始めた辺りを橙の光が照らしている。




「―――と、これがあそこであったことだ。」




焚き火を中心に車座になって数人の若い騎士たちが一人の騎士の話を聞いていた。

話をしていたのは例の女騎士のようで、それを聞いていた騎士たちは一様に難しい顔をしていた。




「個人で上級の魔物を討つなど俄かには信じらません…」

若い男の騎士が腕組みして唸る横で、また別の騎士が

「本当にそんな人いたんでしょうか?」

疑問を口にする者もいた


「だが現に、お前たちもブラッドエクスキューショナーの死体を見ただろう。それともお前たちはアレが自然に死んだものだと思うのか?」


「それは…」

疑問を口にした騎士を遮るようにまた別の騎士が言葉を発した。


「だが肝心の討った本人はどこへ消えた?」

包帯が目立つその騎士は目を瞑ったまま、自分にも問いかけるように言う。


「跡形もなく去ってしまった。礼を言う暇も無く、ね」

女性の騎士―――ハンナ・アウリッツは苛立ったかのように自分の膝をギュッ、と握り締めていた


「これを残して」

その場にいる全員の視線が、ハンナの前に広げてある布の上に置かれている深緑の宝石に集まる。




腕組みをして目を瞑っていた騎士は目を開けて、焚き火を見つめて口を開く

「正味な話、俺はそのミィスとかいう奴のことは信じられん。だがそいつに助けられたのは事実だ」

全員がその言葉を聞き入る。


「ついでに言や、これを譲ってくれたおかげでマルタの腕もなんとかなった」

焚き火から少し離れた位置に停められている馬車に視線を送る。

恐らくそこにマルタ―――処刑蟹に腕を切断された騎士、がいるのだろう。


「確かに不気味ではあるが、今は仲間の無事を喜ぶべきじゃねぇか?」


他の騎士たちは互いに顔を合わせていたが、一人が苦笑を洩らすとそれにつられるように皆が肩の力を抜いて笑った。


「まぁ目下のところの問題は、あの頭の固い宰相閣下への報告をどうするかだな!」

その言葉に何人かが顔を引きつらせるが、さっきまでの緊張はなかった。







                   




                       ▽










あれから二日と半日が経ち装備も充実させたことでついにここから旅立つ時が来た。

湖と水晶とそれでできた大樹しかない場所だったが、いざとなると名残惜しい。住めば都だったのだろうか?




「行ってきます」




返してくれる相手がいるはずもないが、なんとなく言いたかった。






                     ▽






首から下の体全体を薄い金属皮膜でコーティングして潜水服を纏う。顔を覆うと前が見えなくなるから顔出しだ。




コーティングした金属皮膜の重さで、張り巡らされた水晶樹の根をくぐり湖をゆっくりと潜っていく。




光が遠ざかり、黒い底無しの暗闇に近づく。




程なく外へと続く岩の裂け目に辿り着いた。


ふとなんとはなしに底無しの暗黒に目を向ける。

そこにはなにもかもを飲み込み跡形も無くしてしまいそうな深淵はただそこにあった。



“深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ”



ニーチェの詩の一説が浮かぶ。


このまま好奇心に任せて落ちてしまったら僕もあの一部となるのかもしれない。

ただ不思議と恐怖は無かった。





深淵を覗きこんだものが彼岸に引き摺りこまれるというのなら、此岸へと身を乗り出した深淵はどうなるのだろう。











                            ▽




例の洞窟に出たとき一応あの蟹の死体を確認してみたが、戦闘の痕があるだけで回収されたようだ。



あの鋏や甲殻はきっと素材にでもなるのだろう。


「ほんの少し分けてもらうべきだったかな。ああでも、あしがつくかもだし・・・」


あんだけ大暴れする奴が無名の筈がないし、十中八九厄介なことになっていたと思う。



ただ妙なのは、あのサイズの存在が態々この狭苦しい洞窟を根城にしていたことだ。



洞窟の空洞はそれなりの大きさだが、それらの空洞を繋ぐ通路はあの蟹にとって幅はともかく、少々天井が低い。

事実、通路の壁や天井を注意深く見ると何か硬質のもので擦った痕跡がある。

手間をかけて天井に痕をつけた存在がいないのであればあの蟹の甲殻が原因のものだろう。


追われている時にも天井を削りながらだったので気になっていたが、改めて考えると不自然だ。

通常の蟹は狭い隙間に隠れることが多々あるが、アレがあの刺々しい甲殻でそれをするとは思えない。


あのハンナとかいう騎士のセリフのAランク云々も含めると



―――なにかしらの要因が奴を引き寄せた?



僕という線が濃厚だが、それにしては蟹の反応が悪かった気がする。不意打ちも通ったし

もう一つが騎士たちが原因という線だ。


「まぁ今は考えてもしょうがないか。とりあえず頭の隅にとどめておこう」




目の前から風が流れてくる。微かに緑の匂いが香る。この薄暗い洞窟も終わりのようだ。


少しずつ辺りが明るくなり始め、緑の匂いも強くなる。






                        ▽





暖かな光に目を細め、息を大きく吸い込むとむせ返るような新緑の香りが肺腑を満たす。


彼が足を踏み出した先には太陽を抱く蒼穹の空があり、小高い山の上にいる彼の眼下に広がる森の先には平原がどこまでも続いていた。




「――――――――――――!!!」




彼が息を呑む音も頬を撫でる風が運んでいく。


風も香りも温かさも、かつての彼は一度たりとも体全体で受け止めたことは無かった。



知らず知らず彼の瞳は一滴の涙を零す。



それは郷愁か感動か、そのどちらにせよ彼にとっては尊いものだ。





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