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第八章 殺戮に染まりゆく幽鬼




一.



「――みかどは、保憲やすのり今何処どこにいるのかご存知ですか」

「え」

 帝が、きょとんとした顔で晴明せいめいを見つめた。

 予想外の質問であったのだろう。

 確かに先程まで交わしていたやりとりから考えても、保憲のことを問うのは普通ありえない。

 気まずい沈黙が、牛車ぎっしゃの中に広がる。

 ――何をしているのだ、俺は。

 晴明は保憲のことを話題に出した自分を呪いつつ、床を見つめた。

 軽蔑けいべつもった視線を浴びせられるか。それとも皮肉を言われるか。晴明はきたるべき攻撃に備えて、きゅっと強く目をつむった。

「……保憲が、どうかしたのか」

 帝の言葉に、ばっ、と顔を上げる。

 彼の視線は予想していたものと全く異なっていた。

 赤い鮮やかな双眸そうぼうは、何時に無く真摯しんし眼差まなざしで晴明を見つめている。

「保憲を、心配してくださるのですか」

 晴明が訊ねると、帝は微かに目を見開いた。

 直後、ふわりと笑みを浮かべ「ばーか」と優しい声音こわねで呟いた。

「当たり前だろ。奴は俺の恋敵こいがたきだからな」

「へ?」

 恋敵。

 その言葉に、晴明は頬を赤く染め、瞠目どうもくした。

「おいおい。俺はてめえと別れるとは言ったが、あきらめるとは言ってねえだろ?」

 帝は呆れ混じりにため息を吐きつつ、晴明の肩をぽんぽんと軽く叩いた。

「俺は保憲を盾にてめえを手に入れたが、今度は自分の力で奪い返してやるつもりだ。心も――」

 肩をぐいっと強い力で引き寄せられ、帝の唇が耳元で言葉を紡ぐ。

「身体も、な」

「っ!」

 低く尚且なおかつ艶を含んだ甘い声が、耳を通り抜け、ぐさりと心の臓をつらぬいた。

 思わず小さく悲鳴を上げ、慌てて帝から距離を取る。

「どうした? 顔が赤いぞ」

 くすくすと意地悪く笑う帝を、晴明はじろりとめつけた。

「帝! あまり人をからかわないでくだされ!」

「はいはい。そりゃあ悪かったな、お姫様」

 帝は手をひらひらと振って心底楽しそうに笑った。

 ――きっとこの方は、俺を使って遊んでおるのだ。

 腹正しさを感じた晴明は、くるりと帝から背を向けた。

「もう良いです。貴方に訊いた俺が間違っておりました」

「おい、晴明。こっちを向けよ。俺が悪かったって」

「嫌です」

 背後から伸びた手を振り払い、きっぱりと言い返す。

 すると、背後で帝が、はは、と乾いた笑い声を零した。

「何だよ、晴明。てめえがねるなんてめずらしいな」

「拗ねてなぞおりませぬ! 大体貴方は――!」

 晴明は振り向き、怒鳴ろうとした。

 だが帝の顔が視界に広がった瞬間、その気がすっかり失せてしまった。

 帝が、柔らかな微笑みを浮かべていたのだ。

 十六夜いざよいと名乗っていた時の偽りのそれとも、時折見せる皮肉混じりの意地悪いそれとも違う。

 感情が素直にさらけ出された、丸裸の微笑みであった。

「やっと振り向いたな」

 帝の穏やかな声が、耳を通る。

 思考が、停止した。

 ……出会った時から気付いてはいた。

 帝の態度が、表情が、晴明の前でだけ特殊な変化を帯びているということに。

 それ程に、自分を信頼してくれているのだと思っていた。

 だが、違った。

 帝が晴明に向けていたのは、限りない慈愛じあいの情であったのだ。

 声で、態度で、全身で、必死に伝えようとしてくれていたのだ。

 ――嗚呼ああ、合図はこんなにも分かりやすく出ていたのか。

 晴明は俯き、唇を噛み締めた。

 ――もし、それに早く気付いていたとしても俺は奴を……。

 脳裏に、ある男の姿が浮かぶ。

 同時に帝に対する罪悪感が頭をもた擡げ、再びあふれそうになった涙をぐっとこらえた。

「――晴明?」

 帝が怪訝けげんな顔で顔を覗き込んできた。

「具合でも、悪いのか?」

 帝の手が、優しく背中をさする。

「……あ、あぁ……っ!」

 瞬間、押さえていた感情がしずくとなって溢れた。

「……晴明」

 帝は晴明がどんなに泣いても何も言わず、赤子あかごをあやすかのように背中を撫ぜていた。そしてひたすら、名前を呼んでいた。

 その手が、声が、保憲のものであったらどんなに良いだろう。

 かような時でさえ、そう考える自分が心底憎たらしかった。

「――姫さんっ!」

 突然御簾みすが跳ね上がり、甲高い声が響いた。

 外から伸びてきた手に腕を掴まれ、引き寄せられる。

 青い髪が、視界に広がった。

「……ひずみ

「何があったんや、姫さん! こんなに顔がぐちゃぐちゃになるまで泣いて!」

 歪は晴明の顔を見るなり、大きく悲鳴を上げた。

「歪、これは――」

 肩に伸ばした指先を、歪の大きな掌が包み込んだ。

「ああ、何も言わんでもわてはわかっとるで、姫さん!」

 額に手を当て大袈裟おおげさに首を横に振る歪に、嫌な予感がふつりと湧き上がった。

 晴明は直感的に感じた。

 歪は何か勘違いをしている、と。

「ひ、歪。まずは俺の話を……」

「何処ぞやの男衆に何かされたんやろ! 皆、最近やっすんが姫さんの近くにおらへんからって調子に乗りおって!」

「否、そうではないのだ! これは――」

「わかったで。あの野郎が姫さんを泣かせたんやな!」

 歪の指が、びしぃっと牛車の奥を指した。

 目で、追う。

「……あ?」

 これ以上ない程に顔をしかめた帝が、其処そこにいた。

「ばっ、莫迦ばか者! 貴様、何て失礼なことを……っ!」

 晴明は慌てて帝を指した歪の手を押さえた。

「良いか、歪! 此方こちらの方はな、平安京で最も強い権力を持つ朱雀帝すざくていなのだぞ!」

「そんなもん、関係ないわ。帝であろうと何であろうと姫さんを泣かせたことに変わりはないっちゅー話や」

「だから、そうではないと言っておるだろう!」

「――いや、良いんですよ。晴明殿」

 穏やかな声が、耳朶じだを打つ。

 十六夜の仮面を貼り付けた帝が、微笑んでいた。

「しかし、そちらの殿方が貴方にいつまでもくっついているのは感心しませんね」

 強い力で引き寄せられ、身体がよろめく。

「う、わっ!?」

 悲鳴が唇を割った刹那、ふわりと柔らかいものに抱き込まれた。

 帝に、背中から抱きしめられていた。

「貴方も私と彼女の噂は聞いているでしょう? 意中いちゅうの方がいる女子おなごに易々《やすやす》と触れるだなんて、常識がなっていませんよ」

「帝! なれど、貴方と俺は先程――」

 ……恋仲ではなくなった筈。

 そう言いかけた言葉を、帝の掌がふさぐ。

「ですよね、晴明」

 にこやかに、言う。

 穏やかな声音とは裏腹に、何故かどす黒い雰囲気が帝を包んでいた。

「は、はい」

 身の危険を感じた晴明は、こくこくと何度も頷いた。

「恋仲、やて……」

 ぼそりと、歪が呟く声が聞こえた。

 視線を向ける。

 白く変色するほどに握り締められた拳の隙間から、群青の光が漏れているのが見えた。

「ひ、歪?」

 名を呼ぶと、漆黒の瞳がじろりと此方を睨み付けた。

「ふざけんのも、大概にせえよ……」

 噛み締められた薄い唇から、紅が伝う。

 表情から。

 眼差しから。

 声から。

 真っ直ぐな怒りが、晴明に向けられていた。

「何やねん、恋仲って。やっすんが妻をめとったからってもう他の男に乗り換えたんか?」

「歪……」

所詮しょせん、自分のやっすんに対する恋情はその程度やったんか。がっかりや」

 何も言い返すことが出来ず、俯く。

 違うと否定したかったが、喉に何かり上げてくる感覚がして言葉が出なかった。

「やっすんも姫さんも、離れるのが相手の為やとか思うてるんやろうけどそれはちゃうで。それは、逃げているっていうんや」

「違う……っ」

 ようやしぼり出した声は、小さくて情けないものであった。

「此処まで言うたのにまだ否定するんか。ええ度胸しとるな、自分」

 くつくつと歪が喉を鳴らす。侮蔑ぶべつと哀れみを含んだそれに、胸がえぐられた心地がした。

「何が違うんや。その証拠に、姫さんは未だにやっすんを想うとる。そうやろ?」

「それは……っ」

「じゃあ何でもっと素直にならへんのや! 何で気持ちをぶつけようとせえへんのや! 本当に失ってから後悔しても遅いんやで!」

 急に声を荒げた歪に驚き、びくりと肩をすくめた。

「――言い過ぎだろ、てめえ」

 身体から、帝の温もりが消えた。

 顔を上げる。

 帝が歪の胸倉を掴んでいた。

「てめえは知ってんのかよ。保憲が女娶ってからこいつがどれだけ泣いたのか、知ってんのかよ!」

「そら知らへんわ! せやけど、今まで二人がどれ程互いを想っておったか、おんどれよりかはよう分かっとる!」

「てめえ……!」

 帝の振り上げられた手が空を切る。

 その、直後。

「――

 声が聞こえた。

 愛しくて。

 恋しくてまなかった、あの声が。


 

二.



寿朗としろう!」

 忠行ただゆきは、地面に倒れた寿朗に駆け寄った。

御主おぬし……、寿朗に何をした」

「案ずるな、只気を失っておるだけだよ」

「何」

 抱き抱え、胸の辺りに手を当てる。微かな拍動はくどうを掌越しに感じ、安堵あんどの息をいた。

 その時。

「ぎゃあああっ!」

 耳をつんざいた、悲鳴。

「何だ……っ!」

 即差に振り返り、視界に映った光景に大きく息を呑む。

 黒い束帯そくたいに身を包んだ男が、あやかしに喰らわれていた。

「いかん!」

 忠行は妖異ようい達に向かって駆け出そうとしたが、道満どうまんに行く手をはばまれてしまった。

「其処を退け!」

「そう焦るなよ。宴はまだ始まったばかりだろう、忠行。それに――」

 道満はすうっと目を細め、肩を揺らしてわらった。

「あの男を助けたところで、どうなるというのだ? 私が放った妖は他にもたくさんいる。お前さんがどう足掻あがいても、他の貴族達が同じ運命を辿たどることには変わりないだろう」

「――それはどうじゃろうな」

 忠行は小さく笑みを浮かべ、ふところに手を差し入れた。

 札を取り出し、地面に打ち付ける。そこから伸びた光が驚異的な速さで地を駆け、道満の周りを取り囲んだ。

「……わしが御主を迎え撃つのに、何も準備をしていなかったと思うか」

「な、に」

 道満の口元から、笑みが消えた。

 忠行がじゅを唱えると、地面に数多あまたの印が浮かび上がった。どれも翡翠ひすい色の炎に包まれ、めろめろと燃えている。

「これは何日も前から幾重いくえにも張り合わせた完成させた呪印じゅいんじゃ。威力は普通のそれよりもはるかに強い。祝詞のりとによって霊気れいきが満ち溢れた此処ならば、尚更な」

「ちっ、小癪こしゃくな真似を」

 道満はぎりぎりと歯噛みし、忠行を睨めつけた。

「終わりじゃよ、道満。御主でも、これを喰らったらひとたまりもあるまい。なれど、平安京から妖達を退かせるのならば、命だけは見逃してやろう」

「私に、命乞いのちごいをしろと言うのか」

「そうだ」

「く……っ!」

 道満は視線を下に落とし、俯いた。

 身体が小刻みに震え、唇から声が漏れている。

 ……笑っていた。

「何が可笑おかしい」

「くく、お前さんは昔からそうだな。目の前の事ばかりに夢中になる。周囲の事なんかお構いなしだ」

 漆黒の瞳がゆっくりと動き、忠行を射抜く。

「だから私に勝てぬのだよ、忠行」

「何が言いたいのじゃ、道ま……っ!」

 突如下腹部を襲った鋭い痛みに、忠行は言いかけた言葉を飲み込んだ。

「ぐ、う……っ!?」

 うめき声を上げつつ、視線を下ろす。

 刀が背後から腹部を貫いていた。

 ――一体、誰が。

 視線を後ろへ向ける。

 赤い曼珠紗華まんじゅしゃげが、目に映った。

 顔一杯に華の形を模した印を刻んだ寿朗が、忠行に刀を突き刺していたのだ。

「何故」

 忠行は大きく目を見開き、呆然ぼうぜんと呟いた。

 同時に、ごぷりと口内から血が溢れた。

「何故じゃ、寿朗……」

 視界が、黒く塗りつぶされてゆく。

「くく……、はははははははっ!」

 訪れた闇の中で、道満の狂笑だけが響きわたっていた。



三.



「――破」

 保憲の声と共に、身体が宙に浮く。 

 直後、激しい痛みと揺れが晴明を襲った。

 呪で吹き飛ばされて地面に叩きつけられたのだと理解したのは、起き上がって直ぐのことであった。

 先程まで乗っていた牛車は崩壊し、只の木片の山と化している。

 周囲には、同じく吹き飛ばされた歪が倒れていた。

「歪!」

 駆け寄り、身体を揺する。

「う……っ」

 小さく呻き声を上げて、漆黒の瞳が開いた。

「あ、姫さんの顔が近くに……。此処は、天国か?」

「縁起でもないことを言うな、莫迦者!」

 歪の頬に、平手打ちを喰らわす。

「おぶっ」

 歪は奇妙な声を上げて、地面に頭を打ち付けた。

「つつ……、今のは効いたわ」

「当たり前だ、本気でやったからな」

「酷いわ! こないなことされたら、もうお嫁に行けへんやないか!」

「……それを言うならむこ婿だろう」

 涙まじりに叫んだ歪を、晴明は冷たい眼差しで睨めた。

 ……ふわり。

 甘いかおりを乗せた風が、頬を撫でる。

 それは、ある男がまとっていたものに酷似こくじしていて。

 心臓が大きく高鳴った。

「やす、のり」

 乾いた唇で、名を紡ぐ。

 すると、背後から聞き慣れた衣擦きぬずれの音が聞こえた。

 それだけで、歓喜と緊張で身体が打ち震える。

 自分がどれ程保憲に未練があったのかを、思い知らされた気がした。

 ゆっくりと振り向く。

 視界に映ったのは、紅だった。

 保憲の身体中に血が付いていたのだ。それらはいずれも水分を含み、光に反射して輝いている。

「これは……!」

 目の前の惨状さんじょうに驚きつつ、視線を下ろす。

 保憲の足元で人が倒れているのが見えた。

 ……帝であった。

 血で赤く染まり、ぐったりと身を横たえている。

「帝!」

 思わず、叫んだ。

 赤い飛沫ひしょうが宙に舞う。

 保憲の足が、帝の身体を踏みつけていた。

「ぐあっ!」

「おや、まだ息があったか」

 帝が小さく悲鳴を上げると、保憲の唇から笑みがこぼれた。

 背筋がぞっとする程、恐ろしい表情かおだった。

「保憲!」

 震える手足に鞭を打ち、駆け出す。

 細められた栗色の瞳が、此方に向けられた。

「――邪魔をするな、女」

 翡翠色の光が、保憲の右手から放たれた。

 鋭い刃のような形状となり、空中を飛んだ。

 そう頭が認識した瞬間。

 身体中を光が貫いた。

「か、は……っ!」

 膝が、がくりと折れる。

 地面に手を付き、よろめく身体を支えた。

「保憲。貴様……、どういうつもりだ。平安京を、裏切る気か」

 息も絶え絶えに問うと、保憲は「せぬ」と片眉を上げた。

「裏切る? 何のことだ。私は芦屋道満に忠誠を誓った身。平安京に身を置いた覚えなぞ、ない」

「何、だと」

「……では、私も貴様に質問しよう」

 保憲は晴明に歩み寄り、首元に刀を突きつけた。

 同時に、身体に突き刺さっていた光が消えた。

「貴様は、誰だ。何故なにゆえ私の名を知っているのだ」

「貴様、まさか」

 頭にある確信が浮かぶ。

 だがそれは、出来れば認めたくないものであった。

 どうか杞憂であって欲しい。

 祈りを込め、口を開く。

「保憲。貴様……、記憶を失っておるのか」

「さあな」

 問いを肯定するかのように、刃が振り下ろされる。

 刀身にこびり付いた紅が、やけに眩しく映った。



更新が遅れてすみません。

何せ書き下ろしなので時間が掛かるんです……('A`;)


さて、晴明が早くもピンチです。

平安京と二人の恋の行方は如何に!


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