第四章 桜花と共に朽ち往け、咎人の恋慕よ
一.
それは霜月も終わりに近づいた頃のことである。
……丑三つ時。
一人の女が夜道を歩いていた。
長い五衣の裾を両手で持ち上げ、地面に落ちている汚物を避けながら進んでゆく。何ともみっともない格好だが、女は貴族の娘であった。
ふいに、生暖かい湿った風が、ゆるりと女の髪を揺らした。
「!」
女はぎょっとして忙しなく辺りを見回した。無論、女以外は誰もいない。
だが、何処かからか誰かにまじまじと見つめられている感覚がした。悪寒が奔り、背中に冷たい汗が流れる。
並々《なみなみ》なら恐怖を感じた女は踵を返し、歩いてきた道とは反対方向に走り出した。
おおおおん……
おおおおん……
背後から、獣の咆哮のような叫び声が聞こえた。
恐る恐る、振り向く。
そして、瞠目した。
目玉が無数にあるもの。
首だけのもの。
顔が岩程もある大入道。
獣のようなもの。
鬼。
血でしとどに濡れているもの。
数多の異形の群れが此方へ向かって歩いてくるのが見えた。
恐怖で女の髪の毛が逆立ち、駆けていた足が止まった。足が竦み、逃げようにも動かない。恐ろしくて恐ろしくて堪らなくなり、女の唇から悲鳴が漏れかけた。
刹那、真横から伸びてきた手に口を塞がれた。
強い力で腕を引っ張られ、立ち並ぶ家屋の陰に連れ込まれる。
女は仰天して、手足をめちゃくちゃに動かし、暴れた。
「落ち着け。暴れると異形共に見つかり、喰らわれてしまうぞ」
女を拘束する腕の主が、耳元で低く囁いた。
……喰らわれる。
新たに生まれた恐怖に、女は余計に暴れた。
「ちっ」
頭上から舌を打つ音が聞こえ、視界が緑色の狩衣の袖で覆われた。途端に手足の力が抜け、女は地面にへたり込んだ。
「すまぬが、呪を掛けさせてもらった。あの百鬼夜行が過ぎ去る迄は辛抱してくれ」
ざり、と砂が擦れ合う音が鳴り、視界に男の姿が映った。
希有な黄金の髪に、端正な面立ち。白い肌。心地の良い低い声。
あまりにも京の人間とかけ離れた風貌をしたその男は、美しい幽鬼を思わせた。
「むう、何かいるぞ」
「人間じゃ、人間がいるぞ」
遠くから、声が聞こえた。雷鳴のような、腹に染み渡るような、おぞましい声であった。
「……!」
息を呑み恐怖に震える女を、男が抱きしめた。
「案ずるな。私は陰陽寮に務めておる者だ。必ず助ける」
女はこくこくと小さく頷き、涙で濡れた瞳を閉じた。
やがて、耳元で男が何やらぶつぶつと唱えている声が聞こえてきた。
「何処じゃ、何処にいる」
「ああ、早く喰らいたいのう」
「人間の肉で腹をくちくしたいのう」
「おう……」
「おう……」
男の声に誘われるかのように、妖異達の声が段々と近づいてくる。そして、女達が隠れている家屋の前で止まった。
女を抱く男の手に、一層力が籠もる。押し殺した二人の呼吸音だけが、周囲に響いていた。
「あな、悔しや」
「誰もおらぬ」
「せっかく折角喰らうてやろうと思うたのに」
「じゃが姿が見えねばどうにもならぬ」
「おう、腹が減ったのう」
「おう……」
鬼達が再び歩き出す音が聞こえた。どうやら鬼達には女達の姿が見えていなかったらしい。
鬼達の足音や咆哮が、次第に遠ざかってゆく。
その間にも家の狭間から大きな目玉がぎょろぎょろと覗くのが見え、女は生きた心地がしなかった。
「大丈夫か」
再び静寂を取り戻した闇夜の中で、男は漸く女から手を離した。心配しているのか、男は真摯な目で見つめてくる。自然と、顔に熱が集まるのが分かった。
「……はい」
女はどぎまぎしながらも頷いた。
「これからは一人で夜に出歩かぬことだな」
男はそう言いつつ、懐から一枚の紙切れを取り出して女に差し出した。見ると、何やら複雑な漢字のようなものが記されている。
「これは?」
「呪符だ。常に身に着けておれば、貴様を先程のような異形から守ってくれる」
女は呪符を受取り、唇を噛み締めた。
「……私には、必要ありませぬ」
「何」
「これを受け取ってしまったら、もう貴方は私を助けてはくださらないのでしょう?」
男は微かに目を見開き、女を見た。
「貴様、まさか」
「貴方と、これきりで終わりたくありませぬ」
女は男を固く抱擁し、耳元で囁いた。
「私の家に、来ていただけませぬか」
「……断る」
男は女の肩を掴み、身体を引き離した。立ち上がり、女に背を向ける。
「何故です」
問うと、男の目がつう……と女へ流れるように向けられた。
「……私は、罪を犯してしまった身だ」
微かな、聞こえるか聞こえないかくらいの呟き。
それは晩秋の冷たい空気の中を、じんわりと染み渡った。
男の表情はよく見えなかったが、血が滴る程握り締められている拳が彼の苦痛を物語っていた。
「私に、人に愛される資格なぞない。諦めてくれ」
苦虫を噛み潰したような顔で男は言うと、女から目を逸らし、歩き始めた。
「待って!」
女は立ち去ろうとする男の袴の裾を掴んだ。
男の足が、止まる。
「やはり私の家に来てくださりませぬか」
「……その話は断った筈だが」
男は女に目も向けずに言った。その声には先程見せた苦痛や悲しさなどというものは微塵も感じられなかった。寧ろ、無情と言っても良い。
それでも女は退かなかった。
「否、何も男女の仲になろうという訳ではござりませぬ。何が貴方を其処まで苦しめているのか、知りたくなったのです」
男は無言で女を見つめた。女は続ける。
「どうか、私にお話ください。さすれば貴方の中に渦巻く自責の念や後悔も、もしかしたら緩和されるやもしれませぬ」
男は暫く考え込むように俯いていたが、やがて女に手を差し出した。
何時の間にやら呪が解けたのか、手足に力が入るようになっている。女は男の手を取り、立ち上がろうとした。
だが、今度は腰から下に力が入らない。……どうやら、腰が抜けてしまったようである。
女は途方に暮れて力なく項垂れた。
刹那、くすくすと頭上から小さな笑い声が聞こえた。
「え?」
顔を上げた女は目を見開いて固まり、男を凝視する。
一瞬前まで作り物の如く無表情だった彼の顔に、柔らかい笑みが浮かんでいたのだ。
「何をやっているのだ、貴様は」
――こんな表情も出来るのね。
思わず男の顔に見惚れていると、突然身体がふわりと空中に浮かんだ。
「きゃあっ!」
驚いた女は手足をばたつかせ、慌てて傍にあった布を掴んだ。
「あまり暴れると、落ちてしまうぞ」
男の声が耳元で聞こえた。
はっ、として横に視線を這わせると、男の顔が目の前にあった。
男に、横抱きされていたのだ。女が布だと思って掴んでいたのは、男が着ている狩衣であった。
「――!」
漸く状況を理解した女は、声にならない悲鳴を上げ、狩衣から手を離した。
すると、ふっ、と女を支えていた男の手から力が抜け、均衡を崩した身体が下へずり落ちた。
「ひゃあっ!」
咄嗟に男の肩を掴み、体勢を整えた。
「だから言ったであろう。落ちてしまうと」
男が、意地悪い笑みを浮かべて言う。
「貴方がいきなり横抱きにするからでしょう!」
女は顔を真っ赤に染めつつも、負けずと言い返した。
「ふふん」
男は鼻で笑い、ゆっくりと歩き始めた。
「ど、何処へ行くおつもりです?」
「貴様の家だ。来いと言っていたであろう。案内しろ」
「この状態でですか?」
女は目を丸くして訊ねると、男はぴたりと足を止めた。
「ならば、腰の抜けた状態で歩くか? 今すぐ下ろしてやっても良いぞ」
「……貴方って意外と意地悪なのですね」
「ほう。私は優しそうに見えていたのか」
「違います!」
「ではどう見えていたのだ」
「う……」
女は何も言えなくなり、顔を背けた。月光に照らされた男の姿が脳裏を過ぎり、顔が赤くなる。
「どうも見えておりませぬ」
「ふっ、何だそれは」
男はさも可笑しそうに喉を鳴らして笑った。
――それにしても……。
女は男を横目でちらりと見た。
男は堅物そうに見えたが、女を横抱きにした上、通常ではありえない程近くで話していたのにも関わらず、平然としていた。
――もしかして、女の人に慣れているのかしら。
男が数多の女と侍っている様を想像し、顔が赤くなる。
――一体、どんな女の方と……。
女が新たな空想に羽を伸ばそうとした時、男と目が合った。
「私の顔に、何か付いておるのか」
不可思議だと言いたげに顔を顰める男に、女は再度顔を赤くした。
「な、何でもありませぬ」
男は女を暫く見つめていたが、やがて前方に視線を戻し、月光でぼんやりと光る道を歩き始めた。
二.
「――何だと?」
晴明は箸を置き、眉を顰めた。
夕餉の時刻。
晴明は大広間にいた。賀茂家では、食事は基本的に大広間で摂ることになっていた。
「だから、保憲様が女を娶ったのさ。今宵で、通い始めて三日目の夜だ」
そう飄々《ひょうひょう》と答えるのは、渡辺寿朗。陰陽寮に勤めており、忠行の弟子であった。寿朗は、その軽い態度とは裏腹に利発そうな顔をしていた。
「って、お前知らなかったのか? この屋敷に住んでいる奴は全員知っているぞ」
「ああ。全く」
「へえ」
寿朗は目を丸くした。
「意外だなあ。あの保憲様が晴明に教えないとは」
「どういう意味だ」
晴明は眉間に寄った皺を更に深くした。
「そのままの意味さ。保憲様はお前のこと好いているみたいだったし。一番に知らせると思っていたのになあ。意外意外」
寿朗は何処か芝居がかった口調で言った。
「――」
晴明は俯いて、黙り込んでしまった。
数月前の、夜の光景が頭に浮かぶ。
――かように切羽詰った保憲を、見たことがなかった。あの日以来、保憲は思慕の情を自分に向けていたのだとそう思っていたが。
晴明は小さくため息を吐いた。
――あの夜、奴は何を思って私を……。
「おい、晴明! 聞いているのかよ!?」
寿朗に左肩を強く叩かれ、はっと我に返る。
「す、すまぬ……。ついぼんやりとしてしまった」
「――お前。保憲様と何かあっただろ」
寿朗が呆れ混じりに呟いた言葉に、晴明は息を呑んだ。
「何のことだ」
晴明は平静を装いつつ、答えた。
それに対し寿朗はにんまりと笑みを浮かべた。
「俺が何も知らないと思ったら大間違いだぜ」
「ほう」
晴明は相槌を打ちつつ、白湯をすすった。
寿朗は晴明の耳に口を近づけた。
「お前、保憲様に抱かれたろう」
「ぶはっ」
晴明は思わず白湯を吹いてしまった。
寿朗はそれを見て、顔を顰めた。
「うは~、何すんだよ。汚いな」
「そ、それはこっちの台詞だ。何で貴様が知っておるのだ」
「知りたい?」
「勿論」
「ふふ、そうかそうか」
寿朗は微かに笑み、晴明に顔を近づけた。
「なら、今夜俺の寝屋に来ないか? 保憲様のことで落ち込んでいるだろう。慰めてやっても良いぞ」
「冗談は顔だけにしておけ」
晴明の言葉に、寿朗はわざとらしく肩を落とした。
「うはっ、ひでえな。半分本気だったのに」
「はいはい。ところで、先程の話だが」
晴明は軽くあしらいつつ、話題を戻す。
寿朗は俯いた顔を上げ、涙で潤んだ瞳で晴明を見つめた。
「ったく、仕方ないな。話してやろう。かわいい晴明ちゃんのために」
「誰がかわいい晴明ちゃんだ」
「え? もしかして保憲様に言われたかった?」
「寿朗」
晴明は片手で寿朗の胸倉を掴んだ。
その顔には柔らかな笑みが浮かんでいる。
「いい加減にせぬと、力づくで黙らせるぞ」
寿朗の顔が、みるみるうちに青くなる。
「わわわ、分かった。分かったから手を離せ!」
晴明が手を離すと、寿朗は喉元を押さえて大きく咳き込んだ。
「げほげほっ! 綺麗なナリして案外乱暴だなお前」
「良いから早く話せ」
「へいへい」
寿朗は辺りを見回しつつ、晴明ににじり寄った。
「ちょうど、葉月の頃のことだ。俺はその晩、屋敷の宿直を任されていた。それでさ、見回りをしている時に偶然見ちまったのさ。お前らの契り」
「な!」
晴明が目を見開く。
その頬は微かに赤く染まっていた。
――全然、気がつかなかった。
晴明は自分の失態を恥じた。
「まあ、俺はいつかこうなるって予想はしていたけどな」
「何だと」
「お前、気がつかなかったのか? 保憲様はこの七年間お前だけを恋慕してきたのさ」
「……それは本当なのだろうか」
晴明の発言に寿朗は大きくため息を吐いた。
「ばか、当たり前だろ。好きでもない奴と契らないだろ普通」
「では、何故妻を娶ろうとするのだ」
「それは」
「俺のことを本当に恋慕しているのであれば、しないであろう」
「晴明……」
寿朗は困ったように目を移ろわせた。
「……じゃあ、一度本人に確かめてみたらどうだ?」
「何」
「保憲様は明日には此処に帰られるはず筈だ。その時に聞いてみたらどうだ?」
「いな否、そのようなことをしても無駄だ」
「は?」
「保憲はきっと俺のことを好いておらぬ」
「なんでだよ」
晴明はすっと目を伏せた。
「……保憲は、俺を好きだと言ったことがないのだ」
「え」
寿朗は口をぽかんと開いた。
予想外だったらしい。
「……や、保憲様の性格を考えてみろよ。そう簡単に好きだとか言えるたまか?」
「は、つまらぬ口添えはもう良さぬか」
「でも!」
寿朗は切なげな顔をしてこちらを見ている。
晴明は口元に微かな笑みを浮かべ、懐から酒を取り出した。
「さあ、保憲の話なんかやめて飲もうではないか」
「晴明」
「貴様の気持ちは有難いが、これは俺の問題なのだ。一人で考えさせてくれないか」
「……おう」
寿朗は渋々《しぶしぶ》頷いた。
晴明は杯になみなみ並々と酒を注ぎ、少しずつ口に運んだ。
心地よい熱が、体中を駆け抜ける。口内に仄かな酒の甘さがふんわりと広がった。
「……美味い」
思わず、ほうと息が漏れた。
……その時。
頭上から伸びてきた手に杯を奪われた。
「おう、美味そうな酒を飲んでおるのう」
忠行であった。
片手に先程まで晴明が持っていた杯を持っている。次の瞬間、それを一気に飲み干した。
「あーっ!」
「……っ!」
寿朗の叫び声に、晴明は肩をびくつかせた。
「これぞ正しく間接接吻じゃ!」
忠行はなぜ何故か胸を張って高らかに言った。
「う、羨ましい……、じゃなくて何をしているんですかあんたは!」
「間接接吻? 何だそれは」
忠行の言葉に寿朗は怒り、晴明は首を傾げた。
「ほほう。羨ましいのなら御主もすれば良いではないか」
「出来るか! あんたじゃあるまいし!」
寿朗は顔を紅潮させて叫んだ。
「――ところで晴明や」
「堂々の無視かよ!」
何やら喚いている寿朗を無視して忠行は言った。
「御主に話がある。少し顔を貸せ」
「は、はあ……」
晴明は戸惑いながらも頷いた。
三.
「保憲が今夜、所顕しの儀を行うことは知っておるな」
渡殿を歩きながら、忠行は問うた。
「!」
背後で、晴明が小さく息を呑む音が聞こえた。
……所顕しの儀。男が女の下へ通い始めて三日目の晩に行われる儀式のことである。晴れて夫婦になる男女が、共に三日餅と呼ばれる餅を食べるというものだ。また、御披露目も含めた宴も同時に行われる。
「……はい。先程寿朗に聞きました」
「そうか。ならば話が早い」
忠行は立ち止まり、振り向いた。
「三日餅を、今から保憲に届けて欲しい。本来ならば女の方が用意をせねばならぬのだが、相手は貴族といえどすでに没落している家の者だ。両親も早くに亡くなったと聞く。態々《わざわざ》餅を準備させるというのも少し酷じゃろう」
「俺が、ですか」
晴明の瞳に、僅かに戸惑いの色が浮かぶ。
「左様」
「し、しかし! 何も俺でなくても良いではありませぬか」
「保憲は常日頃から御主のことを気にかけておった。御主が直々に祝いの言葉を掛ければ、奴も大層喜ぶであろうよ。それとも、保憲と何かあった――」
「い、否! そのようなことはありませぬ!」
忠行の言葉を遮り、晴明が言った。その声は、僅かに震えている。
忠行はゆるりと一つ瞬き、晴明を見据えた。
「では、やってくれるな」
「……はっ!」
晴明は鋭く返事をし、片膝を突いた。
「はあ……」
屋敷の門に向う晴明の後ろ姿を見つめながら、忠行は嘆息した。
確かに晴明の言う通り、下郎や他の弟子に持っていかせることも出来た。しかし、晴明だからこそ保憲に餅を持っていかせる価値があると、忠行は思ったのだ。
「……すまぬ、晴明」
忠行は、小さく謝罪の言葉を紡いだ。
その、刹那。
「――随分と酷いことをするな。忠行」
声が、聞こえた。
二度と聞かぬものだと思っていた、声。
二度と聞きたくないと思っていた、声。
漆黒の大きな瞳と、目が合う。
「息子には、自分と同じ道を歩ませたくないという訳か」
低い声が、耳に響く。
瞬間、視界が暗転した。
四方八方から短刀が飛び、忠行の身体を貫く。
「ぐうっ!」
息を吐く間もなく、次々と肉が切り刻まれてゆく。
赤い飛沫が宙を躍り、狩衣を濡らした。
……ぐさり。
突如、胸の辺りに何かが食い込む感覚がした。
恐る恐る見下ろす。
……太刀であった。
「ごふっ!」
口内から、血が溢れ出る。
がくりと膝が折れ、視界が大きく揺れた。
「――っ!」
我に返った忠行は声にならぬ悲鳴を上げた。身体から流れている筈の血も、短刀も太刀も、何処にもない。
まるで、初めから存在していなかったかのように。
「はあっ、はあっ、はあ」
忠行は片膝を突き、乱れた息を整えた。
――これは、呪か? 否、奴の霊力は微塵も感じられなかった。
忠行は顔を上げ、すうっと目を細めた。
――殺気、か。
視界に、漆黒の襤褸を纏った法師が映る。忠行の唇に微かな笑みが浮かんだ。
「しばらく見ぬ間に中々腕を上げたようじゃな。道満よ。とうに死に絶えたと聞いていたが」
道満と呼ばれた男は、くつくつと喉を鳴らした。
「お前さんは大層腕が鈍ったようだな。あれしきの殺気で膝を折るなぞ、情けない。そろそろ陰陽頭の引退を考えたほうが良いのではないか?」
「ほざけ。儂はまだまだ現役じゃ」
忠行は立ち上がり、道満を見据えた。
「――時に、何故今更儂の元へ来たのじゃ。何か用でもあるのか?」
「ふふん。さすが忠行。察しが良い」
道満は満足げに鼻を鳴らした。
「お前さんに、ある提案があるのだよ」
「提案?」
「うむ」
道満は渡殿の手摺りに手を掛け、空を見上げた。風が吹き、黒衣がはらりと靡く。
「お前さん、平安京が欲しくないか?」
「……何?」
忠行は目を大きく見開いた。
道満は続ける。
「私は平安京を乗っ取ろうと思っている。これ以上藤原氏の好き勝手にさせることなぞ、私には耐えられぬのだよ。そこでお前さんに、力を貸して欲しいのだ」
振り向き、忠行を見る道満の目に、光が灯った。
激しい、憎しみの光。
――未だにあのことを恨んでおるのか。
忠行は複雑な心境で道満を見つめた。
「断る。今、儂は陰陽寮に属しておる。陰陽寮は本来、京を守る為に在るものだ。京を裏切ることなぞ出来る訳ないじゃろう」
「お前さんにかようなことを言う権利があると思うか」
「何だと?」
「忘れた訳ではあるまい。お前さんは私を裏切ったのだぞ」
「それは……っ」
忠行は道満から目を逸らし、俯いた。唇を強く噛み締める。
「もし私と手を結べば、過去のことは全て許してやっても良いぞ」
道満の言葉に、忠行は弾かれたように顔を上げた。
「さあ、どうする」
道満の濡れたように黒い瞳が、ゆるりと瞬く。
「騙されたらあかんで、おっちゃん!」
突然聞こえた声に、忠行は我に返った。
いつの間にか、群青色の髪の青年が隣にいた.
「今のはあの坊主の呪や! 陰陽頭の自分が呪に掛かってどうすんねん!」
「あ、ああ。すまぬな、歪」
歪と呼ばれた青年は、ふん、と鼻を鳴らしつつ、道満を睨めつけた。
「おい、そこの生臭坊主! おっちゃんは死んでも自分の仲間なんかにならへんで! とっとと諦めて帰りや!」
中指を立てて叫ぶ歪を、道満は冷めた目で見つめた。
「忠行。どうやらお前さん、式神の躾が下手なようだな」
「否、此奴は儂の式ではないのじゃよ。ま、愚息の躾方というか、元が悪いというか……」
「成程。貴様の息子は運が悪い奴だな」
「いやいやいや。自分らさっきから何気に失礼やで!」
歪のつっこみを無視しつつ、忠行は言った。
「……そういうわけで、儂は御主の仲間にはなれぬ」
道満は、片眉をぴくりと上げた。
「……ふん、仕方があるまい。お前さんが断るなら、私にも考えがある」
道満の口元に、にんまりと笑みが浮かんだ。
「私の誘いを断ったこと、後悔するでないぞ」
道満は踵を返し、ゆるりゆるりと歩き始めた。
立ち去って行く背中を見つめながら、忠行は口を開いた。
「……ところで御主、何故此処にいるのだ? 保憲の元にいたのではないのか」
「やっすんが女を娶るのが、嫌だったんや。だからついて行かへんかった」
歪が言った。
眉根を寄せ、歯を噛み締めている。心なしか、顔が青い。
「姫さんがいるのに、何を考えとるんやあのばかは。……おっちゃんも知っとるんやろ。やっすんが姫さんにしたこと」
「……ああ」
忠行は重々しく頷いた。
「……姫さんがかわいそうや」
歪の声が震える。
瞬間、胸元を押さえ、がくりと膝を突いた。
「歪、どうしたのじゃ」
驚く忠行に歪は力なく笑った。
「心配あらへん。ちょっとあの坊主の殺気に中てられただけや」
無理もない、と忠行は思った。
道満は今や忠行をも凌ぐ程の霊力の持ち主だ。
式である歪が殺気を放つ道満と同じ空間にいて無事でいられる方がおかしい。
「……上に、坊主のことは伝えるんか?」
歪が呟く。
「否、上には伝えないほうが良かろう。道満は儂ら等と同じ呪の使い手じゃ。宮中の近衛がどう足掻いても勝てる相手ではない」
「じゃあ、陰陽寮だけで極秘に動くんか」
忠行は小さく首を横に振った。
「……陰陽寮にもこのことは知らせるつもりはない」
「な、何でや! 明日にもあの坊主が京に攻めてくるかも知れへん――ごほっ!」
歪は胸を押さえて激しく咳き込んだ。
「あまり叫ぶでないぞ、歪。道満の殺気を喰らったばかりなのじゃ、命を縮めるぞ」
忠行は視線を上げ、夜空を見上げた。
「案ずるな。道満は慎重な男じゃ。そう直ぐには行動を起こさぬよ。しばし、見守ろうぞ」
唇から漏れた白い吐息が靄となって天に昇る。やがてそれは、吸い込まれるように闇夜の中に溶けていった。
四.
晴明はある屋敷の前にいた。
先が見えぬ程に草が生い茂っている。
其処は全く手入れをされていないようであった。
――本当に人が住んでおるのか?
晴明は訝しく思いながらも、傾いた門を潜り、足を進めた。
「晴明殿」
ふと声を掛けられ、立ち止まる。
「椿樹」
名を呼ぶと、突如目の前に現れた赤髪の男はふんわりと微笑んだ。
「保憲殿に、何用ですか?」
「ああ。三日餅を届けて欲しいと忠行殿に頼まれたのだ」
「……成程。では、保憲殿を呼んで参りますので少々お待ちを」
「ま、待て!」
屋敷へ戻ろうとする椿樹を、晴明はは慌てて引き止めた。
「保憲に会う気は毛頭ない! 貴様が餅を渡しておいてくれ!」
そう言いつつ餅を押し付ける晴明を見下ろし、椿樹はくすくすと笑った。
「否、折角来たのですから貴方が直接渡してください。最近、保憲殿とまともに話しておらぬでしょう?」
餅を押し返され、晴明は困惑して椿樹を見た。
「し、しかし」
「……保憲殿に、会ってくれますな?」
椿樹が首を傾げて問う。
顔は笑ってはいるが、その声音には有無を言わさぬ響きがあった。
「は、はい……」
晴明は力なく頷き、肩を落とした。
しばらくして、茂みの間から人影が見えた。
……保憲であった。
いつも結ばれている髪は解け、夜風に靡いている。
翡翠色の直衣は僅かに乱れており、如何にも寝起きといった風貌だ。
「晴明」
低い声が、静寂を切り裂く。栗色の瞳がゆるりと動き、晴明の手元に向けられた。
「餅を、届けに来たと聞いたが」
「ああ。忠行殿に頼まれたのだ。受け取れ」
晴明は三日餅を保憲に手渡し、立ち去ろうとした。
「……すまぬ」
微かな謝罪の声が、耳を貫き、心臓に歯を立てる。
思わず、足が止まった。
あの夜の出来事が、脳裏を過ぎった。
「――何故、だ」
言葉を紡ぐと同時に、熱いものが頬を伝った。
「何故、妻を娶った」
振り向き、保憲を睨む。
「何故、俺を抱いたのだ」
「……晴明」
保憲が珍しく困惑したような表情を浮かべている。だが、いったん一旦出た言葉を止めることなぞ出来なかった。
「貴様は俺をからかっていただけなのだろう! 俺を単なる玩具として見ていただけであろう!」
「晴明」
保憲は大きく頭を振った。彼の表情は、悲痛に満ち溢れていた。
「違う。違うのだ、晴明」
「ならば……何故」
震える唇が、言葉を紡ぐ。
零れ落ちた涙が、地面を濡らした。
「俺を好きだと、言ってくれぬ」
「何だと」
保憲は大きく目を見開いた。
「何故、貴様は俺に愛を囁いてくれぬのだ……!」
晴明はそこで言葉を切り、泣き崩れた。
「……私、は」
微かに、声が聞こえた。
瞬間、腕を引き寄せられ、強く抱きしめられた。
ふわりと、薫物の芳香が晴明を包む。
女物の、それであった。
背中まで下ろされた黄金の髪はしっとりと汗で濡れている。
保憲が先程まで何をしていたのか、直ぐに察しがついた。
「――他の女を抱いた手で、俺に触るな」
晴明は低く呟いた。
「……何」
背後から、小さく息を呑む音が聞こえた。
背中に回された手を掴み、拘束を解く。顔を上げ、じろりと保憲を睨み付けた。
「俺は、貴様なぞ嫌いだ」
「せい、めい」
保憲の鋭い瞳が、絶望の色に染まってゆく。
それを見るのが耐え切れなくなった晴明は、保憲から顔を背けた。
「――こんなにも苦しい想いをするなら、貴様と出会わなければ良かった……」
闇に飲み込まれたと錯覚してしまいそうな程、小さく零した心情。
改めて声に出すと余計に悲しくなって、唇から嗚咽が漏れた。
……ゆらり。
突然、空気が変わった。
振り向く。
いきなり両手首を掴まれ、近くにあった大木に叩きつけられた。
「ぐっ!」
背中を襲う痛みに、小さく呻く。
咄嗟に瞑った目を恐る恐る開くと、保憲の顔が近くに見えた。
「――っ!」
慌てて抵抗しようとすると、両腕を頭上に固定された。
晴明の顎を空いている方の手が掴み、持ち上げる。
直後、柔らかな感触が唇を覆った。同時に、ぬるりとしたものが口内を犯す。
「ん……っ!」
拘束された手を必死に動かし、何度も幹を叩く。だが、手首を締め付ける力は一向に変わらない。
苦しさのあまり自然と開いた口から唾液が零れ、舌が触れ合う音が耳に響いた。
愛撫のような激しい口付けに、身体の奥からじんわりと甘い熱が込み上げる。
四肢の力が抜け、膝ががくりと折れた。
そこで漸く唇が解放された。
「はあ、はあ、はあ……っ、貴様!」
晴明は息を乱しながらも保憲を睨み付けた。
見下ろしてくる保憲の目が、大きく揺らぐ。手首を掴む力が緩んだのを見計らって、保憲の手を振り払った。
ぱしっ
乾いた音が、響く。
保憲の頬を、晴明が打ったのだ。
「……最低だな」
唸るように、言う。
「貴様なぞ、大嫌いだ」
再び瞠目する保憲を尻目に、晴明は屋敷の出口へ駆け出した。
五.
「はあ……」
保憲は、牛車に揺られながら小さく嘆息した。
彼は女の家で所顕しの儀を終えたばかりであった。
空は白み、有明の月がうっすらと浮かんでいる。
……早朝であった。
「後悔をするくらいならば、追いかければ良かったではありませぬか」
隣に座っている椿樹がわざとらしくため息を吐いた。
「私が折角きっかけを作ったというのに、何をしているのですか貴方は」
「……ああするより他に仕方がなかったのだ」
ぽつりと、呟く。
「晴明は女の身でありながら、男として生きる運命に在る者だ。況してや私達は、義理とはいえ兄弟なのだ。私に恋慕したところで到底幸せにはなれまい。……晴明の幸福を考えるならば、好きだなどと言える訳がない。愛を囁くことなぞ、出来る訳がない」
『貴様なぞ、大嫌いだ』
晴明の泣き顔が脳裏に浮かぶ。
――本当はあのような表情をさせたくなかったのに。
保憲は自嘲的な笑みを浮かべた。
思えば、今まで晴明を苦しませてばかりいた。
初めて会ったあの日も。
二人で参内したあの日も。
晴明を強く抱きしめたあの日も。
強引に肌を重ねたあの日も。
……ずっと。
「今まで私は、晴明を守ってきたつもりだった。晴明を苦しむ全てのものから、遠ざけているつもりだった。だが、違った。……私が晴明を一番苦しめていたのだ」
「……保憲殿」
「奴は今まで散々辛い目に遭ってきたのだ。これ以上苦しむ必要が何処にある? 私の所為で不幸になることなぞ、あって良いはず筈がない」
震える双眸を閉じ、拳を握り締めた。
「かように罪深き私が、奴の傍にいる資格はないのだ」
声が、揺れる。
忘れていた筈の涙が、頬を流れた。
刹那、両手が肩へ伸ばされ、保憲の身体を引き寄せた。
「つ、椿樹」
慌てて引き離そうともがいたが、椿樹の身体が震えていることに気づき、動きを止めた。
「何処まで莫迦なのですか貴方は」
椿樹の涙が、保憲の狩衣を濡らしてゆく。
「貴方の幸せはどうなるのです? 貴方は晴明殿をこんなにも想っているのに……それなのに……」
「……すまぬな」
謝ると、濡れた狩衣の冷たさが更に増した。
「本当に莫迦ですな、貴方は」
「……ああ」
「なれど、私はそんな貴方が好きですぞ。……無論、私だけでなく歪も」
めったに聞けぬ言葉――否、初めて聞く言葉に、保憲は呆然と椿樹を見た。
椿樹は濡れた瞳を細め、優しげな表情を浮かべている。背中に回された腕に、より力が込められた。
「如何なる罪を犯そうとも、私達は貴方の味方ですからな」
驚きのあまり返事も出来ずに固まっていると、椿樹はくすくすと笑い、保憲の身体を解放した。
「案外、保憲殿も初心ですな。顔が猿のように真っ赤ですぞ」
「……煩い」
椿樹の言葉で我に返った保憲は、余計に顔を紅く染めた。
六.
「弥生の君?」
名を呼ばれ、軽く肩を叩かれる。
ぼんやりとあらぬ方向を見ていた晴明は、はっと我に返った。
「どうしたのです? 先程からぼんやりして」
そう心配そうに訊ねたのは、十六夜である。
此処は、晴明の寝屋であった。
保憲の所顕しの儀から数日後。
二人は今宵も、逢瀬を重ねていた。とはいっても、男女の仲ではなく、ただ只単に杯をかわすだけの仲なのだが。
晴明は慌てて頭を下げた。
「すみません、少し疲れてしまっているようで。師走が近い故、行事の準備に追われているのです」
十六夜は眉尻を下げ、そうですかと呟く。
「大変そうですな。決して無理はなさらぬよう」
「はい、ありがとうございます」
晴明はもう一度、頭を下げた。
「ところで、つい最近小耳に挟んだのですが」
十六夜が言う。
「陰陽寮の賀茂保憲殿が、婚約したそうですね」
「――!」
どくんと、心臓が脈打つ。
今、一番触れたくない話題であった。
――話を変えなければ。
晴明は必死で策を練るのだが、中々妙案が思い浮かばない。
それどころか、保憲の顔が脳裏に浮かぶばかりである。
そんな晴明を他所に、十六夜は話を続けた。
「なんでも相手は落ちぶれた貴族の姫君だとか。ま、あれほど女人に人気があるのに、今まで正妻がいなかったこと自体おかしな事ですが。そう思いませぬか、弥生の君」
十六夜が晴明を鋭いまなざしで見つめる。
そこには普段の柔和な彼の面影は、微塵も無かった。
「……はい」
晴明は頷き、十六夜から目を逸らした。探るような目線から逃れたかったのだ。
「晴明殿」
突然呼ばれた、名。
晴明は思わず十六夜に視線を戻した。
「驚きましたか」
十六夜の手が、晴明の頬に触れる。その手は、凍てつくように冷たかった。
晴明を見つめる彼の、赤い双眸のように。
「私はずっと前から、貴女の正体に気づいていました。貴女が安倍晴明だということも、貴女が女だということも」
「十六夜の君」
声が震える。
晴明は、十六夜に恐怖を感じていた。
彼が、あの夜の保憲と被って見えたのだ。
十六夜の鋭い瞳は、保憲のそれと何所か似ていた。
「帝ですよ、晴明殿」
十六夜は微笑んだ。
「正確に言えば、寛明ですが。貴女も気づいていたのでしょう? 私の正体に」
「はい」
晴明は頷き、再び視線を逸らした。
――早く立ち去ってくれれば良いものを。
晴明は思った。
彼女は十六夜に始めて拒絶という感情を抱いていた。十六夜を見ていると、保憲を思い出してしまうから。
「そんなに、賀茂保憲殿が気になりますか」
「!」
一瞬、晴明の瞳が映した動揺。
帝はそれを見透かしたかのように、やはりなと呟いた。
「では先程も、彼のことでぼんやりしていたのですね」
晴明は沈黙した。
「貴女は、彼に恋慕の情を抱いているのですか」
「違います」
「何処が違うというのです」
瞬間、晴明は十六夜に顎を掴まれた。
視線が、ぶつかる。
「貴女が今、どういう顔をしているのか、わかりますか」
晴明は首を横に振った。
「そうですか」
十六夜はふわりと悲しげに微笑み、顎から頬へと指を移動させた。
「恋をしている顔をしています。こんなことを言っては失礼かもしれませぬが、私が見てきた中でも一番美しく、女らしいですよ」
「え」
「貴女にそんな顔をさせることができる、保憲殿が羨ましいです」
晴明は何と言えば良いのか分からず、俯いてしまった。
自分は女ではないと言いたかったが、十六夜の切なさに満ちた笑顔を見ていると、その気も失せてしまう。
「……桜が、咲いていたのです」
「晴明殿?」
晴明の発言に、十六夜は眉を顰めた。
だが晴明は気にすることなく、言葉を続けた。
「保憲と出会った頃、この屋敷は花弁が咲いた桜の木で埋め尽くされていました。それが散る様がとても綺麗で、私は桜の花がだいすきでした」
晴明はゆっくりと、目を伏せた。
「しかし保憲が婚約した今、桜は散り、あの頃の面影は微塵もありませぬ」
晴明は庭へ視線を向けた。
たくさんの桜の木が、風にゆ揺れていた。
「屋敷の桜を見るたび、辛いのです。まるで保憲と私の関係を象徴しているかのようで」
「……私が代わりでは駄目ですか」
十六夜が呟いた。
「……はい?」
晴明は思わず聞き返した。
聞こえてきた言葉が、信じられなかったのだ。
だが次の瞬間、晴明は十六夜の腕の中にいた。
「俺が賀茂保憲の代わりになってやるよ」
いつもと違う、粗雑な言葉。
だが、不思議と違和感を覚えなかった。
むしろ彼らしいと、晴明は思った。
「忘れられるか?」
晴明が問う。
「保憲を、忘れられるだろうか?」
もう一度、繰り返す。同時に、涙が頬を伝った。
「ああ。忘れさせてやる」
十六夜が言った。
「てめえが手に入るなら」
身体を離し、お互いを見つめ合う。
……やがて、十六夜の顔が近づいてきた。
二つの影が、重なった。
庭園では、幾百もの桜の木が夜風に揺られてざわめいている。
その中を、一匹の蝶が飛んでいた。
久し振りの更新です。
此の章は物語の中で最も大切な変わり目なので特に力を入れて書きました。その為、いつもよりも若干長めです(*ノv`//)
……最近サイトの方で番外編をはじめました。興味のある方は是非、ご覧下さい。また、本書のキャラクターの人気投票もそのサイトで行っています。
作者は、保憲が一位になってくれるかなと思っています笑 保憲は一番読者受けが良いと勝手に自負しているので← でも、個人的には歪&椿樹の人気が出で欲しい……!←
と、とりあえず、本編と共にお楽しみください!
さて、いよいよ大詰めを迎えつつある本作品。
保憲と晴明の恋の行方は如何に。
最後まで見届けてくださると幸いです。