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第十章 桜舞い散る月下で




一.



 刀と刀が触れ合い、鋭い音が耳をすり抜けた。

「っ……」

 晴明せいめいは小さく顔を《しか》めつつ、後ろに視線を向けた。

「申し訳ありませぬ。手出しをするなと言われましたが、つい心もとなくて堪らなくなり、参戦せずにはいられませんでした。それに」

 そこで言葉を切り、微笑んだ。

「俺にだって守りたいものがあります。その為に、手に入れた力です」

「――ほんま、あれ程手を出すなと言ったのに。とんだじゃじゃ馬やな」

 何時の間に話を聞いていたのか、ひずみが大げさに肩をすくめた。

「やっすんと自分を戦わせたくなかったから、あんなこと言うたんやけど。予想外やったわ。みかどもそうやろ?」

 帝の隣に移動し、にんまりと笑む。

阿呆あほう。てめえと一緒にすんな。俺は晴明に守られる程弱くはねえし、嘘もついてねえ」

 帝は肩に伸びてきた手を払い、じろりと式を睨み付けた。だが歪は動じることなく、更に笑みを深いものへと変えた。

「そないに傷だらけで言われても、説得力あらへんな」

「……くそっ」

 帝は眉根に皺を寄せつつ、晴明に視線を戻した。

「気をつけろ、晴明。今の保憲やすのりはてめえに関する記憶を全部無くしちまっている。斬り殺されてもおかしくはねえ」

 そう呟く顔は何時いつになく深刻であった。

「心配なさるな、帝」

 晴明の顔に、ふわりと笑みが浮かぶ。

「必ず救うと、誓いましたゆえ

 不思議と、不安はなかった。

「――ほう、余所見よそみをするとは余裕だな」

 低くささやくような声が耳に入る。

 瞬間、刀が強い力で弾かれた。

「くっ」

 一瞬、身体が宙に浮く。

 咄嗟とっさに手を地面に付き、足を滑らすようにして着地した。

 ふと、視界の端に光り輝いた何かが映る。

 それを刀だと認識し、身体を反転させた。

 片手で印を結び、小さくじゅを唱える。

 保憲を見据え、叫んだ。

ざん!」

 保憲の体中に、赤い亀裂が入る。

 そこから血が噴出し、地面に散った。だが、保憲は顔色一つ変えずに立っている。

 ――効いていないのか。

 晴明は信じられない思いで保憲を見つめた。

 見ると、漆黒の炎が傷を覆い尽くしていた。覆われた部分から、傷が癒えている。

「なっ!」

「どうした、もう終わりか」

 保憲が言った。漆黒の炎が全身を包み込んでいる。まるで、侵食しようとするかのように。

「!」

 殺気を感じた。と同時に、炎が刃の形となって晴明に襲い掛かった。

「させぬ!」

 ふところから札を取り出し、頭上に掲げた。

「急々如律令きゅうきゅうじょりつりょう!」

 声に合わせて、空中に星型の五角形を描く。

 それは蒼く光る結界となって漆黒の光を弾いた。

「ほう……」

 保憲は微かに片眉を上げた。

「私の呪を二度も弾くとは」

「当然だ。こちとら平安京を守る為に必死なのだ。貴様如ごときにそう易々《やすやす》と殺されてたまるものか」

「……如き、か」

 にぃっと小さく口端を上げ、晴明をめた。

「大層な口をくな、女」

 ぶわり、と。

 重々しい殺気が晴明を包んだ。

 強い霊気で袖がたなびき、砂塵さじんが舞った。

「ぐぅっ!」

 身体が戦慄せんりつし、頭の中で警鐘けいしょうが響く。

 全身が、恐怖していた。

 だが身体が動かない。

 目をらそうとしても、逸らせないのだ。

「……どうやら貴様は、この私を見縊みくびっているようだな」

 栗色の瞳がゆるりと一つまたたき、晴明を冷たい眼差しで見つめた。

「ならば、思い知らせてやろう。どう足掻あがこうともかなわぬ、力というやつを」

 保憲が刀を鞘に納め、冷笑した。

 そう、瞳で認識した。

 直後。

「何処を見ている」

 声が、耳元で響いた。

「――っ!」

 急に息苦しくなり、晴明は微かに息を詰めた。

 首元に触れると、ごつごつした何かに触れた。

 保憲の、手であった。

「終わりだ、女」

 首を絞める手に力が入る。

「ぐ、うぅ……っ」

 小さく、うめく。

 口の端から一筋、唾液だえきこぼれた。

「晴明!」

「姫さん!」

 背後から、声が聞こえた。

 帝と歪の声であった。

 後ろを振り向くと、すでに帝達は走り出していた。

「あああぁああぁぁ!」

 一斉に刀を抜き、振り上げる。

 保憲の瞳が、すう……と閉じられた。

ね」

 低く呟くと同時に、二人の身体が吹き飛んだ。

 まるで、何かに弾き飛ばされたかのように。

「ぐぁっ!」

「がはっ」

 地面に体を強く打ち付けられ、彼らは動かなくなった。

「貴様……!」

 晴明は息も絶え絶えに、保憲をにらんだ。

「ふん、どうせ後で私が殺すのだ。今更何をしようが同じことよ」

「っ!」

 その言葉に並々ならぬ恐怖を感じ、身体が竦む。

 保憲の唇がゆがんだ笑みを浮かべた。

「さよならだ、女」

 首を覆う皮膚に、指先が食い込む。

「ぐぅっ!」

 ごぷりと水音を立てて、咥内こうないから酸味がかった液が溢れた。

「やす、のり」

 朦朧もうろうとする意識の中で、名を呟く。

 涙が、頬を伝い落ちた。



二.



「やす、のり」

 晴明がそう呟いた瞬間、心臓がどくんと大きく脈打った。

 感情、が。

 感情が、よみがえる。

 白い紙に、筆に乗せた墨をにじませてゆくように。

 鮮明に。

 ――其奴そやつを、傷付けてはならぬ。

 脳がそう告げると同時に、保憲の手は晴明の首から離れた。

「うわっ!」

 晴明の体が、空を舞う。

 咄嗟とっさに、両手で抱きとめた。

「げほ、げほっ! 保憲……?」

 晴明は何回も咳き込みながら、こちらを不思議そうに見上げていた。

 その仕草に、胸が締め付けられる心地がした。

 ――何だ、これは。

 感じたことのない感情。

 だが、何故か懐かしく感じた。

「貴様は、誰だ」

 保憲は呟いた。

「貴様は一体、何者なのだ。何故、貴様はこんなにも私を苦しめる」

 一言ずつ、噛み締めるようにとろ吐露する。

 声が、震えていた。

「貴様のことを知らない筈なのに、言動に身体が反応する。名を呼ばれただけで、歓喜に身が打ち震える。貴様を見るだけで、苦しくてたまらぬのだ」

「――保憲」

 名を呼ばれると共に、身体中に温もりが広がる。

 晴明に、抱きしめられていた。

「すまぬ」

「何?」

 突然の謝罪に、思考が停止した。

「俺の所為せいだったのだな。保憲がこんなになったのは」

「何を、言っておるのだ」

 保憲は狼狽うろたえた。

 かまわず、晴明は言葉を続ける。

「俺は、ずっと男として生きてきた。陰陽生おんみょうしょうとして、務めを果たすことが生き甲斐がいであった。だから、貴様に迫られたときは驚いたよ。俺は男として見られているとばかり思っていたからな」

 脳に、記憶の破片が突き刺さる。

 晩秋の夜の光景が、頭に浮かんだ。

「貴様が怖くなった。もう顔も見たくないとさえ思った。貴様も他の男と同じく興味本位で俺に迫ったのだと、そう勘違いしていた」

 晴明は、すう、と目を伏せた。

 思い出すだけで辛いのだろう。顔が悲しそうに歪んでいた。

「だが、すぐに分かった。あれは、貴様が俺に並々ならぬ想いを寄せていたゆえに起こしてしまった行動なのだと。そして俺も、貴様にかれていたのだと」

 晴明は、まっすぐに保憲を見つめた。

「今更告げても、もう遅いやもしれぬ。それでも、貴様には知っておいて欲しいのだ。俺は貴様が……、保憲が好きだ」

「……!」

 記憶が、滝のようにあふれ出す。

 眩暈めまいがして、思わずまぶたを閉じた。


 ……桜舞い散る月下げっかで見た、幼い女童めのわらわ

 そう。全てはそこからが始まりだった。

 奴との出会いこそが、私の人生を大きく変えたのだ。

 何故、こんなにも愛しい存在を忘れていたのだろう。

 名を呼ぶことも、出来なかったのだろう。

 これもそれも全て、理由を付けて真実から逃げてきた結果だ。

 私は、おろか者だな。


 すう、と瞼を開く。

 目の前にいる少女の顔は、保憲が良く知っているものだった。

「晴明」

 名を、呼ぶ。

 晴明ははじかれたように顔を上げた。

「保憲、思い出したのか!」

「ああ」

 頷き、微笑む。

「今、私を抱きしめておるのは、愛しい晴明だ」

「え」

 晴明は目を大きく見開き、頬を染めた。

 思わず、笑い声が零れる。

「聞こえぬなら、もう一度言う。今抱きしめておるのは、この保憲が愛おしく思っている安倍晴明だ」

「保憲……」

 晴明の瞳から、涙が伝う。

 それを、指で拭った。

「……すまない、晴明。私も貴様に謝らなくてはならぬ」

「え?」

「私は、貴様を道ならぬ恋の苦しみに巻き込みたくはなかった。身体は汚してしまったが、せめて心だけはと、愛をささやくような真似はしないと誓っていたのだ。だから極力貴様と離れて過ごそうとした。だから妻をめとったのだ」

 愛を囁けば、それは「恋」という呪になってしまう。

 増してや相手は義兄弟である晴明だ。幼い頃から差別や偏見の目に晒されてきた彼女に、これ以上の重荷を背負わせたくなかった。

「……だが、私は只、自分の気持ちから逃げたかったやもしれぬな。それが、貴様を苦しめる結果となってしまったのだ。だから、もう気持ちを偽らないことにする。それで貴様を苦しめることがなくなるのならば」

 一呼吸おいて、晴明を見つめる。

「私も、貴様が好きだ」

 ぽたぽたと、地面に雫が落ちた。

 晴明の涙であった。

「貴様は、本当に良く泣くな」

 晴明は、じろりと保憲を睨んだ。

「貴様の所為であろう」

「……そうだな」

 保憲は頷いた。

「だが、もう貴様を泣かせはしない」

 腕の中にいる少女を、強く抱きしめた。

「ずっと、傍にいる」

「――っ!」

 晴明の瞳が再びうるみだす。

 保憲は慌てて抱きしめる手を緩めた。

「何故、また泣くのだ。もしや、私が傍にいるのが嫌なのか」

 狼狽ろうばいする保憲の声に、晴明の声が重なる。

「嫌ではないに決まっておるだろう」

 同時に、ぎゅっ、と抱きつかれた。

「嬉しい時にも涙は出るのだ、莫迦ばか

「そうか……」

 保憲は微笑み、晴明の頬に手を添えた。

 晴明が、瞳を丸くして保憲を見上げる。

 そのまま、顔を近づけた。

「はい、そこまで」

 唸るような声と共に、顔を掴まれ、後方へと押しやられた。

「けが人ほったらかしで何しているんだ、てめえらは」

 ため息を吐いて、帝は保憲の頭をこ小づ突いた。

 もう片方の手は、さり気無く晴明の肩に回されている。

「全くや」

 そんな帝の傍らで、歪がしきりに頷いていた。

「……帝」

 晴明が呟く。気まずそうな様子であった。

 ――そういえば、此奴らは恋仲であったな。

 保憲は、視線を地面へと向けた。

 帝がどんな反応をするのか、少し怖かった。

「保憲」

 びくっ、と肩が跳ねた。喉が水音を鳴らして上下に動く。

「はい」

 返事をし、顔を上げた。

「晴明を、これ以上泣かせんなよ」

「え?」

 帝は、穏やかに微笑んでいた。

「さっきも言っただろ? 俺はお前の代わりにはなれそうもねえ。晴明にはお前が必要だ」

「……はい」

 保憲は頷き、帝の腕を掴んだ。

「では、晴明から手を離してください」

「は? いいじゃねえかよ、肩くらい」

「良くありませぬ」

 私ですら触ったことないのに、と保憲は心の中で呟いた。

「はっは~ん」

 帝の瞳が怪しげな光を放つ。

「もしかして、嫉妬しているのか?」

「違います」

 保憲は即答した。

「照れんなよ、保憲」

「照れていません」

「嘘つ吐くなよ」

「吐いておりませぬ」

「はっ、素直じゃないな。相変わらず」

「素直でなくて結構。貴方ほど直情でも周りが困りますからな」

 保憲の言葉に、帝はぴくりと片眉を上げた。

「ほう。相変わらず生意気だな、てめえは」

「お陰様かげさまで」

 二人の間に、不穏ふおんな空気が流れる。

 それを破ったのは、爆発音だった。

「!」

 音が聞こえた方角に、目を向ける。

 強い霊力ちからの気配を感じた。

「……おっちゃん、か」

 歪のぽつりと呟いた声が、耳に入った。

「父上が、戦っておるのか?」

「せや」

 歪は保憲を見つめ、眉根を寄せた。

芦屋道満あしやどうまんと、平安京を賭けて戦っとるんや。せやけど、幾ら陰陽頭おんみょうのかみとはいえ、もうええ歳や。到底道満には勝てへんやろうな」

「ああ」

 保憲は重々しく返事を返した。

 いくら優秀な陰陽師である忠行も、老いには勝てなかった。息子である保憲はそのことを良く実感している。

 ――ならば。

「……晴明、歪。今すぐ父上の援護に向かうぞ」

「言われなくとも、そのつもりだ」

 晴明は微かに頷くと、足を踏み出し、駆けた。

 またたく間に、保憲を追い抜く。

 保憲もそれに続こうと、地面を蹴った。

「待てや!」

 歪の怒声が聞こえた。

「何だ」

 眉をひそめ、振り向く。先を行く晴明も、足を止めて此方こちらを振り返った。

「どうやら、自分らが行く必要は無くなったみたいやで」

 くい、と口角を上げて歪が微笑む。彼の額には蒼い印が煌々《こうこう》と光っていた。

 忠、と刻まれた印。

 忠行の式となった証である。

「貴様……、いつの間に父上と契約を」

「話は後や。今、おっちゃんがわてを呼んどるんや。急がんと」

「では、私達も共に――」

「――阿呆!」

 突然言葉を遮られ、頭を強く叩かれた。

「自分等、帝を置いて行く気なんか? もし妖に襲われたらどないすんねんっちゅう話や」

「なれど、父上が」

 痛む頭を擦りつつ言うと、「阿呆」と再び強い力で叩かれた。

「貴様……」

 さすがに怒りを覚え、睨み付ける。歪は大きく鼻を鳴らし、保憲を見下ろした。

「心配せえへんでもわてがおるから大丈夫や。ま、自分等は帝を頼むわ」

「否、貴様だけでは無謀むぼう過ぎる」

 保憲は小さく首を横に振った。

 いくら式といえども、道満に勝てるとは到底思えない。それに。

「――らしくないぞ」

「は?」

「貴様らしくない、と言っているのだ」

 いぶかしげに眉を顰める歪を見つめ、もう一度呟いた。

 歪はああ見えて物事には慎重であった。形振り構わず危険なことに突っ込んでゆくような無鉄砲な男ではない。

「何故、かように無謀な真似をしようとする」

 一瞬、漆黒の瞳が揺れる。

 唇が、ゆっくりと動いた。

「――樹が」

「何」

「椿樹が、殺されたんや。道満に」

 声が、鼓膜を震わせた。

 それはごくごく小さな声であったが、保憲を驚愕きょうがくさせるのには充分であった。

「な、に」

「わての近くで、死んだんや。手が届く距離やった。せやけど……っ」

 歪の喉がごくりと上下に動いた。ひゅうっ、と乾いた音が唇から零れた。

「何も出来へんかった。あいつが冷たくなっていくのを見ることしか出来へんかったんや!」

 悲痛な叫びが空気を揺らし、響き渡る。

 哀しみ。

 そんな言葉が保憲の頭を過ぎった。

「せやから、後生やから頼む……」

 歪が地面に手を付き、保憲を見上げた。

「わてに、椿樹のかたきをとらせてくれ!」



三.



 初めに目にしたのは、血の色であった。

「何や、これ」

 歪は瞠目どうもくし、掠れた声で呟いた。

 彼の視線の先には、身体中を赤く染めた忠行がいた。

 歪を呼び出す際に力を使い果たしたのだろう――瞳が固く閉ざされていた。

 その傍らには寿朗が倒れている。

「おっちゃん、寿朗!」

 急いで駆け寄り、抱き起こした。

 がくがくと乱暴に揺するが一向に目を覚まさない。

 焦燥しょうそうつのる。

「まさか……、死」

「――案ずるな、此奴等は死んでおらぬよ」

 背後から声を掛けられ、振り向く。

 そして、大きく息を呑んだ。

 黒い襤褸布ぼろぬのまとった法師が目の前に立っていた。

 整った唇に、あるかなしの笑みが浮かんでいる。

「ふふん、お前さんはどうやら私の呪に掛からなかったみたいだな」

「……芦屋道満」

 名を呟くと、脳裏にある男の姿が浮かんだ。

『歪……』

 赤い月の下で、命を散らした式神が。

 ――椿樹。

 堪えようのない怒りが身体中を駆け抜けた。

「うあぁぁああああっ!」

 雄たけびとも似つかない声が、鼓膜を揺らす。

 気がつくと、道満に向かって走り出していた。

 突き出した右拳が空を切った。

 道満がいた筈の場所には、漆黒の炎に包まれた札が落ちていた。

「式神か……!」

 小さく舌打ちをし、振り向く。

 視界いっぱいに、刀身が映った。

「ぐっ!」

 反射的に刀で受け止め、なぎ払おうと腕に力を込めた。

「無駄だ」

 道満はにんまりと笑み、再び刀を振り上げた。

「ぐあっ!」

 強い力で吹き飛ばされ、地面に叩きつけられた。

「はあ、はあ、はあ……、ごほっ」

 咳き込みながら、震える手で胸の辺りに触れる。指先が当たるだけで、鈍い痛みが身体中を蝕んだ。

 ――肋骨が折れたか……。なんて力や。

 きしむ身体をどうにか起こし、立ち上がる。

「ほう、まだ戦う意志を見せるか」

 道満はわざとらしく目を見張り、微笑んだ。

 歪も負けずと笑みを浮かべ、言った。

「当たり前や。おんどれみたいなモンに負けるようじゃあ、賀茂保憲の式の名が泣くわ」

「……成程なるほど

 道満はぴくりと片眉を上げ、笑みを深くした。

「ならばその名に恥じぬよう、此方も全力でいかせてもらおうか」

 ――何を、する気や。

 嫌な予感がして、歪は慌てて刀を構えた。

「その目にしかと焼き付けておくが良い。数ある陰陽道の術の中で、最も危険で高度なものだ。そして 唯一、創造主の如き力を持つ術――ジキタリスの宴、だ」

 片手で印を組み、頭上に掲げる。

 そこから放たれた漆黒の炎が渦を巻き、道満の傍らに落ち着いた。

 それは段々と大きくなり、人の形に近いものへと変形してゆく。

「何や、これは」

 呆然と呟くと、道満はくつくつと喉を鳴らした。

「お前さんの欲が、創りしものだよ」

「わての、やと?」

「そうだ。まあ正確に言うと、絶対に手を出すことの出来ぬ者、だがな」

「……自分、最低やな」

 唇を歪め、言う。

「どういたしまして」

 轟々《ごうごう》と。

 道満の声に被さるようにして炎が燃え盛り、消えた。

「な……っ!」

 歪は大きく息を呑んだ。

 炎が燃えていた場所に、一人の人間が立っていたからだ。

 ごくり、と喉を鳴らし、瞳を見開く。

 そして、唇で紡いだ。

 永劫えいごう、呼ぶことがなかったであろうその名を。

 何度も、泣き叫んだその名を。

「つば……き……」



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