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第九章 追憶の果てで微笑むは、誰ぞ




一.



 金属音が、鳴り響く。

 咄嗟とっさに閉じたまぶたをそろりと開くと、銀の糸が目に映った。

何晴明せいめいに刀なんか向けてんだよ、保憲やすのり……!」

 みかどが保憲の斬撃ざんげきを受け止めていたのだ。

「ぐっ!」

 帝がかすかに顔をしかめる。見ると、身体中の傷から血がしとどに流れていた。

「帝、おけがが!」

「気にするな。こんなもん、どうってことねえ」

「なれど!」

「――晴明!」

 帝の怒声どせいに、びくりと肩が跳ねる。赤い瞳が流し目で晴明を睨み付けていた。

「俺は、保憲と戦いてえんだ。俺はこのままじゃあ保憲を許せねえ。てめえを泣かせたこいつを、どうしても許せそうにねえんだ。だから……」

 ぎりりっ、と刃がうなりを上げる。

 同時に、べにが地面にこぼれ落ちた。

「……だから此処ここで保憲と戦って、自分の気持ちにけりつけてえんだ」

「帝、しかし貴方はおけがを――」

「――姫さん」

 なおも食い下がる晴明の肩を、ひずみが背後から掴んだ。

「本人がああ言っとるんや。ほっといたれ」

「歪」

 振り向き、名を呼ぶ。

 見下ろしてくる漆黒の瞳は、小さな笑みをたたえていた。

「好きな女の前ではたとえむちゃしてでも格好つけたいっちゅう男の我侭わがままや。少しは大目に見てやってや」

「だが……」

 晴明はきゅっと唇を噛み締めて帝を見遣った。

 帝は保憲に斬りかかっていた。

 華麗な刀さばきだが、どれも保憲に掠りもしない。刃が交じり合う度、赤い花弁が宙を舞った。

「帝!」

 たたまれなくなり、足を踏み出す。

 もう、自分の所為で誰かが傷つくのは嫌だった。たとえ、本人が望んだことだとしても。

「姫さん」

「分かっておる」

 牽制けんせいさえぎり、晴明はすうっと目を伏せた。

「俺には何も出来ぬことは良く分かっておる。俺が手出しをしたところで、帝がそれをお喜びにならないことも。……そんな自分が、浅ましくて適わぬ」

「なら、信じればええ」

「……え?」

 視線を向けると、歪はにいっと口元をゆがめた。

「たとえ手助けは出来んでも、帝の勝利を信じることぐらいは出来るんちゃうか?」

 予想外の言葉に呆然とする晴明に構わず、歪は言葉を続けた。

「見守ることも人を護ることやと、わては思うで」

 そこで歪は言葉を切り、前方に目を向けた。釣られて、晴明も視線をわせる。

 同時に、日光が交差する刃に反射した。

 直後。

 片方の刀が音を立てて空中に投げ出された。

 ……保憲の刀だった。

「これで終わりだな。保憲」

 帝の瞳が、すうっと細められた。

 その刹那せつな

 保憲が、視界から消えた。

「な、に」

 晴明は小さく息をみつつ、周囲を見渡した。だが、保憲の姿は何処にもない。

 ゆらり。

 空気が大きく揺れる。

 それが禍々《まがまが》しい殺気であると脳が理解する間もなく、恐怖が頭から爪先まで急速に駆け抜けた。

「あ、う……っ」

 がくりと膝が折れ、崩れ落ちそうになる身体を片手をついてどうにか支えた。

「大丈夫か! 姫さん!」

「あ、ああ」

 慌てて駆け寄る歪に力なく頷き、前を見つめた。

 緑色の狩衣かりぎぬが、風に乗っておどっている。

 帝の頭上から保憲が手をかざしているのが見えた。それは、翡翠ひすい色の光をびていた。

「駄目だ、保憲!」

 地面を蹴り、駆け出す。

 はためく袖の隙間から見えた保憲の口元に、歪んだ微笑が浮かんていた。



二.



「――

 低く呟いた呪が、耳に響く。

 それと共に背後から刀を突きつけられた。

 見ると、黒髪の少女が直ぐ後ろにいた。

 何やら小さく呪を唱えている。いつの間にか、手を包み込んでいた光が消えていた。

 恐らく、自らの呪で相殺そうさいしたのだろう。

 ――大した奴だ。

 保憲は感嘆の息を漏らした。

「ほう。貴様、どうやら中々の使い手のようだな」

 保憲が「名は知らぬが」と付け加えると、少女の目が大きく揺れた。

「本当に、俺のことを忘れてしまったのか……?」

「先程も言ったろう? 私は――」

 ふいに後ろから襟を掴まれ、保憲は言葉を切った。

 振り向くと、怒りに燃えた赤い瞳と目が合った。

「まだわからねえのか! 晴明だ、安倍晴明だ! 何故、忘れられるんだよ! 今まで散々な目に合わせておいててめえは……っ!」

「晴明……」

 保憲は小さく呟いた。

「誰だ、そ奴は……くっ」

 保憲は片手でこめかみを押さえた。

 鋭い痛みと共に、頭の中にぼんやりと人の輪郭りんかくが浮かぶ。

 ――誰なのだ。

 思いだそうとすればするほど、頭痛が酷くなる。

 帝が、また呟く。

「てめえは、愛していた女の名まで忘れちまったのか」

「煩い!」

 刀を抜き、構える。刀身とうしんが漆黒の光に包まれた。

「私には、その様な奴なぞおらぬ。知ったような口を叩くな」

「いや、知っているさ」

「何」

「てめえは、陰陽師・安倍晴明を愛していた」

 帝が一歩、足を踏み出す。

 自然と、保憲は一歩あとずさ後退った。

「だが、てめえはそいつを泣かせてばかりだった。挙句の果てには他の女と婚約したりしてな」

 脳裏に、一人の女の顔が浮かぶ。

 彼女は、美しい顔をくしゃくしゃにして泣いていた。

「俺も晴明が好きだったから、てめえのことが憎かった。無理やり、てめえのことを忘れさそうともしたよ。でも……」

 そこで帝は言葉を切った。その顔には、自嘲的な笑みが浮かんでいる。

「……無理だった。あいつはてめえのことが忘れられなかった。俺がどんなに愛をささやこうが,優しい言葉を掛けようが、無駄だった。俺は結局、てめえの代わりにはなれなかった」

「何が、言いたい」

 痛む頭を押さえて、問う。

 いつの間にか、帝の話に引き込まれていた。

「これ以上、晴明を泣かす真似すんじゃねえよ。あいつはもう充分泣いた。とっとと晴明の記憶を取り戻しやがれ」

「私、は……ぐうっ!」

 保憲は痛む頭を掻きむしった。

 頭痛の間隔が、短くなってゆく。

「ああぁぁあああああ!」

 雄叫びとも悲鳴とも似つかない声が、口から漏れた。



 気がつくと、簾子すのこの上に保憲は立っていた。

 ――此処は。

 知らない場所だった。だが、何所どこか懐かしい。

 前を見ると、大きな桜の木があった。

 薄い桃色の花弁を溢れんばかりに咲かせている。

 思わず、手を伸ばす。

 その時。

『保憲』

 名を、呼ばれた。

 黒く艶やかな髪。赤く染まった頬。

 白い狩衣を着た少女が、隣にいた。

『保憲、何を呆けておるのだ。行くぞ』

 白い手が自分に向かって伸ばされる。

 胸に、何ともいえぬ感情が込み上げる。

 嬉しいような、弾むような。

 この感情の名は、なんといったであろうか。

『ああ、行こう』

 保憲は頷き、手を伸ばした。

 二人の手が触れ合わんとした時、低く囁く声が聞こえた。

『目を覚ませ、保憲。お前さんにはその用なやからは必要ない』

 目の前にいる晴明の口から発せられたものだった。

『お前さんは、ずっと一人なのだ、保憲』

 晴明の顔から、皮膚がずるりと床に落ちる。

 皮膚の下から現れたのは、芦屋道満あしやどうまんの顔であった。

 唇が歪み、笑みが浮かぶ。

『もう下らぬ夢を見るのはやめぬか、保憲』



「……私は、晴明なぞ知らぬ」

 ぼそりと、呟く。

 漆黒の炎が、保憲の体を包み込んだ。

「私は道満殿の命令通り、貴様の命をもらうまで!」

 刀を鞘から抜き、帝に斬りかかった。 

 耳をつんざくような金属音が、鳴る。

 保憲の斬撃を帝の刀が受け止めたのだ。

「ふん。そんな事は俺がさせねえ。俺は、てめえに負ける訳にはいかねえんだよ!」

 帝が腕に力を入れ、一歩踏み出す。

「前は、守りたいものなんかなかった。信じられる奴も、愛せる奴もいなかった。でも、今は違う!  初めて心から愛せた人がいる。自分に居場所を与えてくれた人がいる。……だから」

 帝は柄を握りなおし、保憲を見据えた。

「俺は、てめえなんかに負けねえ。平安京も譲らねえ」

「何」

「俺はもう、晴明にこれ以上大切なものを失わせたくねえんだ!」

 帝が、叫ぶように言う。

 ある感情が、頭をもたげた。

 ――壊したい、何もかも。

 抑えようのない破壊衝動はかいしょうどう甘美かんびしびれとなって渦巻く。りあがる感情を押し殺し、口元にうっすらと笑みを浮かべた。

「ほう、大した自信だな。ならば私がそれを貴様の心ごと打ち砕くまでだ。貴様を殺して、すべてが終わりだ!」

 刀を、振り下ろす。

 強い重圧が、柄を握る手に掛かる。

「ぐっ!」

 きりきりと、音を発てて刀が交わった。

「……保憲」

 同時に、声が聞こえた。

 視界に入ったのは漆黒の髪。

 幻の中で見た少女が、其処そこにはいた。

「帝に向かって何をしておるのだ、貴様は」

 鋭い蜜色の瞳が、保憲を貫いた。



三.



「ふん、かつては『鬼才きさい』とうたわれたお前さんも、呆気あっけないものだな」

 道満はくつくつと喉を鳴らしながら、倒れている忠行の顔を蹴り上げた。

 ぐったりと身を横たえている忠行が、昔憧れていた男とは到底思えなかった。

「くく、時の流れとは残酷なものだ」

 道満はくるりときびすを返し、応天門おうてんもんの方角に向かって足を進めた。

 周囲では妖達が貴族達を次々に襲っている。

 ……惨状さんじょう

 正にこの言葉通りの光景であった。

 道満はふと笑うのを止め、立ち止まった。

 振り向き、忠行を見下ろす。

「……お前さんが悪いのだぞ、忠行。お前さんが私を裏切るから、かようなことになる」

 呟いた言葉が何時に無く拗ねているように聞こえ、道満は眉をひそめた。

 ――つまらぬ思慕しぼは、とうに捨てたはずだ。

 自然と、足が動いた。

 忠行のもとへと足を進め、しゃがみ込む。

「人は、なんという浅ましい生き物なのだろうな。忠行よ」

 頬に手を添え、ゆるりと優しく撫でた。

「人をしたゆえに、人に裏切られる。人を想う故に、心を壊す。私も嘗てそうであったように」

 吐息の掛かる程に顔を近づける。血の臭いが、鼻をいた。

「お前さんが、悪いのだぞ。あの時、私を受け入れてくれなかったから」

 唇が、自分のそれに触れる。微かに漏れた息が、肌をくすぐった。

 次の瞬間。

 漆黒の目がゆっくりと開かれた。

「どう、まん……」

 先程まで触れていたそれが、柔らかな笑みを浮かべた。

「引っかかったな」

「何……」

 慌てて、身を引こうとした。だが……。

 ――身体が、動かぬ。

「お前さん、何をした」

「ちいとばかり、呪印を仕掛けさせてもらった。お前さん、隙だらけじゃったからのう。特に先程は――」

「――黙れ!」

 思わず、声を荒げる。

 一方、忠行はにんまりと笑みを浮かべながら起き上がった。

 寿朗に刺された傷は、跡形もなく消えていた。

「さて、今度こそわしの勝ちじゃな。大人しく妖共を此処から退かせるのじゃ」

「……お前さんこそ、油断し過ぎではないのか」

「何じゃと」

「まさか忘れていた訳ではあるまいな」

 ゆるりとまばたき、忠行を見据えた。

「幼い頃からお前さんは一度も、術比べで私に勝てたことがないということを」

「くっ!」

 忠行は小さく舌打ちをし、素早く立ち上がった。

「遅い!」

 叫んだ刹那、忠行の周りを呪印が取り囲んだ。

 忠行を軸に、漆黒の光が九角形を作っている。

「これは……九字くじ!」

 瞠目どうもくする忠行に気を良くし、道満はくつくつとわらった。

「懐かしいだろう? お前さんが私に初めて教えてくれた呪だ」

「ふん。じゃが、御主も呪で縛られておるではないか。かように動けぬ状態でどうやって呪を発動させるのじゃ」

「それは心配御無用だ」

 道満はにんまりと笑み、ぶつぶつと小さく呪を唱えた。

 すると、呪のいましめから解放された。

「御主……!」

 鋭い瞳で、睨み付けられる。

 それに構わず、道満は蠢笑きしょうを漏らして言った。

「これで終わりだ、忠行。我が力の前に平伏ひれふすがいい。勝利は私の手の中にある!」











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