第8話:怖いこと言うな
先生が教室に入ってきた瞬間、腕に抱えた束が見えた。プリントだ。…恐らく、これから配るもの。けど。
⸻厚みが、まずおかしい。
《多いね》
《あれ全部配るの?》
(いや、まさかそんなわけ)
「じゃあ、前から回して」
その一言で、嫌な予感がした。
前の席から順に紙が流れてくる。
一枚。二枚。
ホッチキスでまとめられたプリント。
受け取って、後ろへ回す。その流れを数回繰り返している途中で、先生が言う。
「あ、それと、これもな」
別の束が追加された。
サイズは一緒だが、色が違う。
《いっぱいだね》
《たっぷりだね》
(ちょっと黙ろうか)
溜まってきたプリントを重ねていく。…まだあるのか。
「はい、これも一緒に」
さらに一枚。今度は薄いが、両面印刷。
《まだ来るよ》
《底が見えないね》
(…無限じゃないよな?)
そんなわけないと思いながら、配る、回す。
どれだけあるんだ。多分、親に渡す分もあるんだろう。
先生は教卓に戻りながら言った。
「じゃあ、それ見ながら聞いて」
どれだよ。
《え、どれ?》
《全部じゃない?》
(全部はさすがに無理あるって)
「まず最初に配ったやつな」
《最初!》
《最初のプリントだよ!》
(これか!)
聞き逃さないように集中する。
「それは親御さんに渡して、今週中に提出する分」
《集中して聞いて!》
《提出するやつだって!》
(聞いてる!お前らちょっと黙れ!)
急いでプリントの右上に「今週中に提出」とメモを書いた。先生の声は続く。
「二枚目。これも提出だけど、今月中でいい」
《まだゆとりある》
《でも忘れちゃ駄目だよ》
(待て!)
先生が黒板に向かう。
チョークの音。
その間に、もう一束、先生がプリントを掲げる。あの色の付いた紙だ。
「あと、これ」
《まだあったよ》
《これから本番説》
(やめろ)
先生が振り返る。
「あとで使うからそのまま出しといて」
《あとでって?》
《未来の話?》
(そこまで先じゃないだろ》
誰かがプリントをめくる音。
連鎖するように、めくる音が広がる。
俺の机の上には、数えるのも面倒な枚数のプリントの量。
いや、これほんと多いな…?
先生はちゃんと説明してくれてる。
⸻ただ。
「プリント、無くさないようにな」
《無くすなって》
《すでに危ない気はするけどね》
(…否定できない)
先生がどの紙を見て、話を進めていたのか。
提出物と、自分の保管用。
…ちゃんと、先生の話を聞き取れたのかかなり自信がない。
放課後、カバンを持ち上げた瞬間重さが確実に変わった。
歩くたびに、カバンの中で紙の擦れる音。
ガサ、ガサッ。あの束が入ってると思うと少し憂鬱だった。
《重そうな音がするね》
《これ、中で増えてない?》
(増えてるわけないだろ、怖いこと言うな)
そんな恐怖のイリュージョンが起きてたまるか。
昇降口で靴を履き替えるために、一旦カバンを床に置いた。
ドン。
思ったより、音がした。
《え。今の音なに》
《鉛か何か入ってる?》
(…紙のはずだ)
俺も少し怖くなった。
家までの道はいつもと同じだ。
同じ道、同じ建物。違うのは、肩だけ。
異様に紐が食い込んでくる。
痛みを軽減するために何度か持ち直したり、少し位置をずらした。
《持ち方変えたね》
《何かの作戦かな?》
(重いんだよ)
いつもより長く感じた帰路。
ようやく家に着いた。早く中身を下ろしたくて、一目散にリビングへ向かう。
「ただいま!」
「おかえり〜」
ちょうど台所に母の姿。夕食の準備でもしてたのか、エプロンを着ている。
カバンをテーブルの端に置いて、ファスナーを開けた。
《とうとうこの時が来た》
《運命の瞬間です》
(大袈裟な…)
中から紙の束を出す。一束。
もう一束。さらに、もう一束。
《多くない?》
《増えた?》
(増えるか馬鹿)
テーブルの上に、今日配られたプリントが広がる。
「これ、今日のプリント」
親の視線が紙に落ちる。
その束を見てひとこと。
「……多くない?」
同じこと言わないで。
《ほらね》
《やっぱり》
「先生が配ってた」
親は黙って、紙を揃え始める。
トン。トン。
音がするたび、厚みがはっきりする。
そして俺の顔を見て、ニコッと笑った。
「あとで見るね」
紙の山がテーブルの端に移動する。
直感で、「あ、これ現実逃避したな」と察した。
でもまあプリントは親に渡したし、忘れ物はない。
カバンは軽くなったし肩も楽になった。
《本当にあれが全部?》
《全部ちゃんと持って帰ってきた?》
(…怖いこと言うな)
自分の部屋に戻って、軽くなったカバンを置く。重そうな音はもうしない。
《あの紙の量が嘘みたい》
《幻だったのかな》
《戻ってこないかな》
「怖いこと言うな!!」




