第6話:違う、そうじゃない
前にやった小テストが返ってきた。
名前を呼ばれて、前に出て、紙を受け取って、戻る。それだけの行動だ。
手元に返ってきたテストの点数を見る。
悪くはないが、良くもない。
《微妙だね》
《頑張ったとは言えないよ》
(別に頑張ってないし、普通でいい》
赤ペンの丸と、いくつかの×。
(判断しづらいな…)
《褒められない》
《叱られもしない》
(それでいいんだよ)
教師が言う。
「今回の小テストな、全体的にはまあ、悪くなかった」
(全体。)
《個人じゃないね》
《逃げ道だ》
(何の?)
「ただ、点数低かったやつもなーー」
(来る!?)
《俺?》
《違う?》
(やめろ!)
「落ち込む必要はないから」
……ちょっとだけ安心。
《いや、今からだよ》
《ここからが本番だ》
(始まってないって)
教師は続ける。
「大事なのは、次どうするかだ」
(次って何)
《予習》
《復習》
《先生に聞く》
《友達に聞く》
(せめてどっちかに絞れ)
ノートを開くか。迷った結果開きかけて、閉じた。今じゃない、と自分に言い聞かせて。
《逃げたね》
《先延ばしにしたね》
(違うって)
もう一度ノートを開いて、ペンを持つ。
《間違えたとこ書く?》
《全部書いちゃう?》
(全部は多いだろ…)
教師が黒板に向き直りながら言う。
「分からないところはな、分からないって自覚するのが大事だ」
(自覚はしてる)
《第一歩だ》
《踏み出したよ》
(全然歩けてないけど?)
教師は黒板に向かったまま、淡々と続けた。
「まあ、今回の結果見て思ったことは人それぞれだと思うけど」
(人、それぞれ…)
《感じ方は自由ってことだね》
《受け止め方次第ってことだね》
(余計に分からなくなった…!)
「良かったって思うやつもいるだろうし」
(そんなやついるのか…?)
《ポジティブだね》
《前向きだね》
(誰の話だよ!?)
「思ったより取れなかったな、ってやつもいるだろう」
(それは、まあ…)
《反省だね》
《成長のチャンスだよ》
(いや、成長って言葉便利すぎじゃね?)
教師は振り返らず、チョークを持ち替えた。
「どっちが正しいとかは、ないからな」
(……じゃあ何を見ればいいんだよ)
《正解はない》
《自由だよ》
(それが一番困るんだって…!)
黒板に書かれ始める次の単元の見出し。
もう小テストの話は終わったらしい。
(え、終わり?)
《今の話まとめると》
《つまり――》
(まとめなくていいから!!)
ノートに視線を落とす。
さっき返された小テストには丸と×が並んでいるだけ。
《これってさ》
《どう評価するの?》
(こっちが聞きたいよ…)
良かったとも、悪かったとも言われていない。
褒められてもいないし、叱られてもいない。
(判断材料が少なすぎないか)
《平均より上じゃない?》
《でも満点じゃないよ》
(だから何なんだよ)
ペン先が止まって、
《書く?》
《今の気持ち》
(いや何の気持ちだよ)
結局、何も書かないまま次のページをめくった。
《逃げたね》
《先送りしたね》
(またそれか!)
教師の声が背中側から飛んでくる。
「あと一つ言うとしたらな」
(まだあったのか!?)
「点数に振り回されすぎるなよ」
(……………………は?)
《効いてる効いてる》
《図星だね!》
(違うって…)
「テストはあくまで目安だからな」
(目安…)
《じゃあ気にしなくていいね》
《でも無視はダメでしょ?》
(どっちだよ…)
「以上」
……本当に終わった。
教室にざわっと音が戻る。紙をしまう音、椅子の軋む音。小テストの返却が終わり、授業開始。
(結局、何だったんだ)
《安心していいよ》
《でも油断は禁物》
(それ、便利な言葉だな)
テスト用紙を二つ折りにして、カバンに入れる。
《しまっちゃうんだ〜》
《向き合わないんだ〜》
(向き合いようがないだろ…)
チャックを閉めた。
(……まあ、いいか)
《本当に?》
《いいの?》
(いいって言ってんだろ)
授業はもう先に進んでいる。
俺だけが、さっきの話を引きずっている気がした。
(何をどうすればよかったんだ)
《答えは簡単だよ?》
《そうそう、選べばいいだけ》
(その肝心の選択肢が多すぎるんだよ)
結局、何も分からないまま。
でも、何かを間違えた気だけは残った。
(……違う)
違う気がするのに、どこが違うのかは分からない。
《次は、うまくいくよ》
《今度こそうまくやれるよ》
(何をだ)
ノートに視線を戻す。
疲労が溜まっているせいか、字はさっきより少しだけ歪んで見えた。
教師が黒板に向き直り、次の板書を書き始める。チョークの音が一定のリズムで続いていく。
授業終了まであとわずか。
(もう終わりか…)
《終わったね》
《一区切りだね》
(何がだよ)
ノートに視線を落とす。
さっき返された小テストは、もう机の隅に置いた。今は触れないでおく。
《片付けないの?》
《気になるんでしょ?》
(別に…)
ペンを持つ。黒板の文字を書き写すが、こいつらの声は止まらない。
《さっきの点数さ》
《どう思った?》
(どうも何も…普通だろ)
書いて、止まって、また書く。
《良かった?》
《悪かった?》
(どっちでもいいだろ)
教師の声は淡々と続き、特別なことは言わない。いつも通りの授業だ。
(…普通だな)
《普通って一番評価に困るよねー》
《基準がない分余計に困るよねー》
(勝手に困ってろ)
赤ペンの丸と×が、頭の片隅に浮かぶ。やめろ、何も思い浮かべるな。
《平均より上かな?》
《でも満点じゃないよ?》
(またそれかよ)
ノートの文字が少し歪む。
自分の字なのに、落ち着かない。落ち着けない。
(別に気にしてない)
《本当に?》
《気にしてない人は考えないよ》
(考えてないって)
新しいページをめくる。まっさらな紙にペンを走らせていく。
《今なら書けるよ》
《書けるよ、振り返り》
(何のだ)
教師が一度だけこちらを見た気がした。
(気のせい、か)
《見てたね》
《評価されたね》
(何の評価だ)
授業は進む。誰かがページをめくる音。
椅子が少し鳴る。
ふと、小テストの紙を指で押さえた。
《今どうするかが大事だよ》
《先生も言ってたね》
(言ってたけどさ…)
どうする、って言われても。
《次に活かそう》
《反省する?》
《忘れちゃう?》
(選択肢多すぎだろ…!)
ペンを置く。ひとつため息をついて、
(今はいい)
《今はいいってことは…》
《後でやるってことだね?》
(違う)
《じゃあやらないってこと?》
《つまり封印!》
(飛躍しすぎだろ!!)
《今はいいって言ったよ!》
《つまり永久封印!》
《二度と開かないやつ!!》
俺は、疲労が溜まっていく精神のなか、誰にも気づかれないくらい小さな声でただひとことだけ呟いた。
「………違う、そうじゃない」




