第5話:勘違い禁止
翌日。
教室に入ると、いつも通りの朝だった。
特別な視線も、気配もない。
(……当たり前だよな)
昨日ノートを見せただけだ。ただそれだけ。
それ以上でも以下でもない。
《昨日の出来事覚えてるかな?》
《相手は覚えてないかもね》
(だろうな……)
普通に席に着いて、普通にカバンを下ろす。
ノートを取り出す。ここまで後ろから声はかからない。当然だが横からもない。
《話しかける?》
《いきなりいっちゃう?》
(やめろって……)
チャイムが鳴った。授業が始まり、教師が板書を始め、俺はノートを開く。
(至って普通の字、だよな)
板書を書き写していく。字は、昨日と同じ。雑でもなければきれいでもないが。昨日の「きれいな字だね」もきっと聞き間違いだろう。
《見せる相手、いないね》
《つまらないね》
(つまらないってなんだよ)
休み時間。
周囲ではまた声が上がる。笑い声。雑談。
いくつかのグループらしき集団もいた。
もう、友人が出来てるのか。みんな早いな。
そんなときに背後から、あの声。
「ねえ、今日のプリントさ」
心臓が、一瞬だけ跳ねた。
《来た!?》
《来たかも!?》
(ちょっと黙って!)
「前の授業の続きだよね?」
びっくりした。俺じゃなかった。話しかけられているのは斜め後ろの男子。当たり前だけど。
「あー、そうそう」
会話はそれで終わる。
(そりゃそうだ)
《期待したね》
《一瞬だけね》
(するかっての)
それだけだった。
何も起きないし、何も変わらない。
(ただの勘違いだ)
ノートを見せただけ。それ以上じゃない。
それで終わる話なんだ。
さらに数日後。
放課後が近い時間帯、教室には少しだけ空間が出来た。
《実験、してみる?》
《条件は整ってるよ》
(怖ぇよ何の話だよ)
俺は席に座ったまま、内心ではこいつらに反論しつつぼんやりしていた。
後ろから、あの声。
「ねえ」
来た。
《来たね!》
《今度こそ!》
やたらテンションが高くなってる天使と悪魔を無視して振り返る。
「これさ、合ってる?」
見せられたのはプリント。完全に授業内容だ。
(普通だな)
《ここで雑談いこう!》
《いや、急すぎじゃない?》
(うるさいよ)
「……合ってると思うよ」
「ありがとー」
それで終わり。
……終わり?
《続かせる?》
《自分から続ける??》
(いや無理だろ)
喉が鳴る。言葉が、どこにも出てこない。
《今なら自然だよ》
《むしろ今しかなくない?》
(何がだ)
沈黙が続いたことで相手は立ち去ろうとする。
《このままじゃ終わっちゃうよ?》
《それでいいの?ねえほんとにいいの?》
(……)
一歩、踏み出しかけて、止まる。
(いや、何してんだよ俺)
《声出せば流れ変わる》
《人生の分岐点かも》
「(大げさすぎる)……あの」
声が出た。
「?」
《大成功だよ!》
《ここからイベント発生!》
「(発生しねーよ)……いや……」
続かない。
「どうしたの?」
《優しいねー》
《困らせてるのに優しいね》
(別に困らせてはないだろ)
結局続く言葉が見つからず。
「……ごめん」
「あ、うん」
それで終わった。
相手は困った風でも、怒ってる風でもなく、ただ“クラスメイトとの会話が終わった”と解釈した。
《終わっちゃったね》
《でも今のでフラグ立った気がする》
(立つかばか)
何事もなく、一人になる。
《今回は未遂だったけど》
《でも次はあるよ次は!》
(作るんじゃない)
机に突っ伏す。
(疲れた)
限界は何も増えないまま、また精神が削れただけだ。
翌日以降。
教室は何も変わらない。席も、配置も、空気も。変わる理由もない。
後ろから声はかからないし、横からもない。
前からも。
《昨日の余韻は?》
《残ってるかもね》
(残らない)
ノートを開き、板書を書く。
昨日と同じ速度で、同じ癖。
《あれ、視線》
《感じない?》
(集中だ、集中)
休み時間になって、周囲は相変わらず騒がしい。笑い声。机を寄せる音。
(まあ普通だな)
あの席も普通。
立ち上がって、座る。
誰かと話す。
《あれ見て》
《目が合ったよ》
(合ってない)
視線を落とす。ペンを回す。
《意識してない?》
《無意識ってやつ?》
(勝手に決めるな)
昼休み。
廊下に出た瞬間、前触れもなくすれ違った。
《今だ!》
《イベント発生!》
(しない)
何も起きない。
すれ違って終わり。
(ほらな)
午後になって、プリントが配られる。
前から回ってきた紙を受け取り、後ろへ回す。
《手が近いよ》
《距離、ゼロ》
(ゼロじゃないし)
指は触れてない。確認もした。
触れた感覚はない。間違いない。
《触れた判定は?》
《誤差範囲ですね》
(捏造すんな)
放課後。教室に残る人数は減っていく。
音も減る。
《静寂だね》
《チャンスだね》
(何の?)
椅子を引く音。誰かが帰って、一人、また一人。
《残った二人…》
《これはもう…》
(俺含めて三人いるから)
手元のプリントを片付ける。カバンに入れる。
《目が合った》
《まただよ》
(またじゃない)
顔を上げる。ただの確認だ。
(用はない)
声はかからないし、かけない。
《この沈黙…》
《意味深だね》
(意味を作り出すな)
教室を出る。
《背中に視線》
《見送られてるよ》
(気のせいだって)
階段を下りて、昇降口。靴を履き替える。
《帰り道イベント発生》
《定番だ》
(定番じゃないし、発生しない)
校門を出る。
何も起きない。最後まで。
当然だ。
《今日も不成立》
《でも積み上がってるよ》
(別に積み上がってない)
家に着いて、ノートを出す。
今日の分を見る。
字は同じ。昨日との差分もなし。
《共有した時間…》
《尊い…》
(違うから)
ノートを閉じた。
(………疲れた)
今日も、何も起きなかった。それが正解なのに。
起きてないのに、俺の精神はまた削れた。
《勘違い継続中》
《まだ続く》
(終われ)




