第3話:始まる前から限界
朝だけは、まだ平和だと思っていた。
《起床確認》
《意識レベル、正常》
「待て」
…なんか始まったんだが。
《四肢、可動》
《発声、可能》
「待てって言ってんだろ」
俺はいつから
実験体になった?
《では本日の役割を発表します》
《あなたは――》
「聞きたくねぇ!!」
布団の中で叫ぶ俺と、
無駄にテンションの高い二人。
(まだ起きて五秒だぞ……)
朝から頭が痛くなりそう。
《今日は爽やかに始めよう》
《いや、静かに始めるべき》
「もう始まってる」
目を開けただけで、方向性の違う提案。
《カーテンを開けて、朝日を浴びて》
《眩しいのはよくない。目に悪い》
「開けるなってこと?」
どうすりゃいいんだよ。
《深呼吸》
《寝起きに空気を意識するのは危険》
「どっちだよ」
まともに呼吸すらできねぇじゃねえか。
《じゃあ行こっか》
《本日の地獄へ》
「その言い方やめろ!!」
家を出て、駅までの道を歩く。
《歩幅を一定に》
《いや、不自然》
「歩けない歩けない」
一歩。
二歩。
《今のは大きい》
《いや、狭い》
(どっちだよ)
意識した瞬間、足が変になる。
(歩くってこんな難易度高かったっけ……?)
前から人が来る。
《目を合わせて会釈》
《見すぎ》
「まだ何もしてない」
すれ違う直前。
《今だ》
《今じゃない》
(どの今だよ)
結局、目線を地面に落としたまま通り過ぎた。
(変なやつだと思われた気がする……)
横断歩道。
信号は、まだ青だ。
《今行ける》
《まだ危険》
「普通に渡れるだろ」
一歩踏み出した瞬間、
《早い》
《遅い》
(もう渡ってんだよ!!)
心拍数だけが上がる。
駅が見えてきた。
《まだ余裕》
《もう遅い》
「どっちなんだって」
改札前で立ち止まりかけて、慌てて歩き出す。
(……朝から疲れる)
車内は、朝特有の静けさだった。
誰も喋らず、誰も目を合わせない。
(……助かった。ここは静かだ)
そう思った瞬間。
《立つ?》
《座る?》
(もう立ってる)
一瞬でスンッとなる。
判断を迫られるには、最悪の混み具合。
《前に一歩》
《詰めすぎ》
(まだ動いてない)
吊り革に手を伸ばす。
《握る》
《触りすぎ》
(握らないと倒れるだろが)
電車が揺れる。
《今だ》
《今じゃない》
(だから何の今だよ)
体が一瞬、前に傾く。
慌てて踏ん張る。
《危なかったね》
《今の、変だった》
(………やめろ……)
周囲の視線が、ほんの一瞬だけこちらを掠めた気がした。くそ…。
(気のせいだ。たぶん)
《視線、三》
《いや、五》
(数えるな、増えるな)
前に立つ人の背中。
横の人の距離。
背後の気配。
全部が急に“意識の対象”になる。
(普通に立て……普通に……)
《呼吸》
《浅い》
(してる)
息を吸う。
《深すぎ》
《不自然》
(じゃあどうすればいいんだよ)
駅に着く。
《降りる準備》
《まだ早い》
(もう着くんだよ)
ドアが開く。
《今》
《今じゃない》
(どっちかにしろ!!)
一歩遅れて流れに乗り、軽く肩がぶつかる。
「っ……すみません」
自分の声が、やけに大きく聞こえた。
《今の良い》
《謝りすぎ》
(やめろって)
ホームに降りた瞬間、疲れをドッと感じ、膝が少しだけ笑っているのに気づく。
(……電車、乗っただけだぞ)
《まだ半分》
《学校はこれから》
(朝だぞ……?)
教室の前に立つ。
ドアの向こうから、ざわざわと声が聞こえた。すでに何人かはいるようだ。
《入室》
《タイミングが悪い》
(もうここまで来てんだって)
取っ手に手をかける。
《今》
《今じゃない》
(またそれかよ)
一拍遅れて、ドアを開けた。
足を踏み出す。
《歩幅、一定だね》
《不自然だよ》
(考えさせんな)
自分の席へ向かうだけなのに、距離がやけに長く感じる。
《早く》
《急ぎすぎ》
(普通に歩いてんだよ)
机の間をすり抜ける。
《ぶつかる》
《避けすぎ》
(何も起きてない)
椅子の前で立ち止まる。
《座って》
《一呼吸しよう》
(しない)
椅子を引く音が、教室の中で妙に響いた。
《音が大きい》
《普通だよ》
(もういい)
腰を下ろす。
椅子がきしむ。
《今の、目立った》
《誰も見てない》
(……はぁ)
机に手を置いた瞬間、ようやく肩の力が抜けて。
(…………まだ、授業始まってないのに)
ただそれだけで、もう十分だと思った。
担任が入ってきて、ホームルームが始まる。
内容はいつも通りで、特筆することはない。
——ただし、精神だけは削られ続けた。
そして一限目。
教壇に着いた教師が、至って普通の調子で口を開く。
「えー、出席取る前に」
(……?)
《来た》
《始まる》
嫌な予感が遅れて追いつく。
「今日はしないけど、来週軽く小テストやります」
(は?)
《小》
《テスト》
(二語に分けるな)
「これまでのちょっとしたまとめだから、復習しておけば簡単です」
《安心だ》
《いや油断》
(どっちだよ)
まだ教科書も開いてないんだぞ。
「では、出席を取ります」
(俺だけが、地獄…)
ーー限界は、更新されたばかり。




