3.英雄と、噂話と恋心
「本当に、大きな都市……」
中心にあるのは王城ではなく機構軍の軍事基地だというのが不思議なほどだ。大国の首都より大きいとも言われる要塞都市は、中に入っても尚、全容が想像しきれない。
「地図も買わなければ。これでは機構軍の建物がどこにあるのかもわからないわ……」
圧倒され、きょろきょろと視線を巡らせ、ぼやきながら舗装された道を歩む。
モイライの主要な通りに面した街並みは機能性が最優先され、建物には装飾も殆ど無くどこか無機質だ。だが真新しい建物が綺麗に清掃され整えられているせいか洗練されているように見える。
何よりも、行き交う人が絶えず、ここにたどり着くまでに訪れたどの街よりも活気がある。
軍の関係者や傭兵として集まる冒険者、商売人以外にも、国を失った下級貴族や平民が仕事を求めてこの都市に集まってくるらしい。
働き口が豊富にあるからか、そんな一般市民の生活も悪くはないようで、ここが軍事都市だというのが不思議なほど道行く彼らの表情は長閑だ。
しばらく街をぶらぶらと歩いていると、露店の増えたあたりで若い女の子たちの華やかで姦しい声が聞こえてきた。
通りを見渡せば、露店の一つにたくさんの女性が群がっている。
近づいて覗き込んでみれば、大衆新聞や本、それから魔導転写画を印刷した手のひらに乗るくらいのカードが大量に並べられた露店だった。
印刷されているのはユリウスを筆頭に、機構軍で英雄と呼ばれている高位の魔導士や魔導騎士たちの姿だ。吊された値札には”護り絵”とある。
──なるほど、縁起物の護符っていう事かな。物は言いよう……。
「見て、ユリウス様の護り絵、新しいのが出てるー!」
「うそ、どれっ!? 買わなきゃーー」
「観賞用と保存用……3枚で足りるかな? 5枚?」
「ユリウス様のは必須として、やだ、ちょっと、ルシュディー様のも新作出てるわ」
「その二人がお美しいのはわかるけどぉ、あたしはディディエ派なんだよねぇ」
「はぁーーーユリウス様かっこいいよぅ」
女の子たちはきゃあきゃあと声高に騒ぎ立てながら護り絵と呼ぶカードを選ぶのに夢中だ。
アカシャはその熱気と勢いに圧倒されてしまい、思わず半笑いを浮かべる。けれども彼女たちの気持ちの、根底にあるものも理解できる。
──英雄だものね……。
魔物が軍勢となって襲ってくるという恐怖と閉塞感は、常に人々の傍らに存在している。或いは実際に襲撃を目の当たりにし、国を失った者、家を失った者、家族を失った者、彼らの悲しみや怒り。
そういった積もりゆく負の感情を、魔物もろとも打ち破り、消し飛ばしてくれる英雄たちの存在は、希望であり、憧れの対象であり、心の拠り所でもあるだろう。
──それに、悔しいけど本当に、見事に美形揃い……。ぐっ、むむむ……。
不本意だ、という顔をしつつも、女の子たちの隙間から露店に並ぶカードを一枚一枚、目で追ってしまう。
どうにも無性に気恥ずかしいが、よく見れば若い女性だけでなく、年嵩のご婦人や、買い出しの途中と思しき主婦や、腰の曲がったお婆さんも居る。男性客もそれなりの数が居た。もちろん英雄と呼ばれる魔導士の中には女性も居るので、そちらが目当てなのかもしれない。
いずれにせよ、皆どこか楽しそうに、頬に喜色を刷いて、並べられた英雄たちの姿に見入っている。
これはもはや偶像崇拝だ。
購入を終えた客が少しはけると、いつの間にか後ろに出来ていた人だかりに押されるように、店の前に進み出てしまった。
折角なので間近で商品を物色する。大衆新聞も扱っているのだから、モイライの都市地図も置いているかもしれない。そう自己弁明してみるが、目線はどうしても”護り絵”の方に吸い寄せられてしまう。
──そりゃそうだろうとは思いますけども、ユリウス・アーデングラッハが一番種類が多いじゃない! 何なの!
そして飛ぶように売れている。
色々な感情がない交ぜになって、眉を寄せて物言わぬ露店の護り絵を睨んでしまう。すると店主がちらりとこちらを見て、にやりと笑った。
煽られた気分になって顔を上げると、露店の奥に文字が書かれた布が掲げられていた。
『収益金は難民支援に充てられています』
◇◇◇
「……かっ、買ってしまった……」
露店の少し先にあったカフェテリアのテラス席に腰を落ち着けて、アイスティーを啜りながら、どんよりと溜息をつく。
テーブルの上には先ほどの露店の護り絵が3枚、裏返しに重ねられて置いてある。怖くて直視出来ない。
「ああもう! 出だしから散財してどうするのよ! ……でも、難民支援って書いてあったし……いや、でも、本当に支援に充てられてるのか確かめるすべなんて、無いのだけれど……く、うぅ……」
小声で呻きながら頭を抱えて悶絶していると、やって来た給仕の男性に心配げな目を向けられてしまった。彼の手には注文した料理が乗せられている。
慌ててテーブルの上の護り絵を回収し、鞄のなかの手帳に挟み込む。
給仕の邪魔になってしまうし、汚すわけにはいかないから。気恥ずかしさを誤魔化すように、そんな言い訳を心の中でする。
気持ちを切り替えて、久々のまともな食事に目を輝かせていると、少し離れたテーブルがにわかに騒がしくなった。
先ほど露店で見かけたような若い女の子たちの集団だ。同じ店に立ち寄ったのだろう、手には”護り絵”を持っている。
「はーーーもぅ、ユリウス様ほんとうに素敵!」
「魔性の美貌とか言われてるけど、戦場に立たれる姿は男性らしさが増すよね」
「鍛えてても少し細身なのが最高なんじゃない!? 顎のラインとか美しすぎて…」
うっとりと語らう女の子たちの会話が聞こえてくる。
「……でも、あの”噂”、本当なのかなぁ……」
そして耳に入ってきた言葉に、かちゃり、とスプーンを滑らせて音を立ててしまう。
周囲の喧騒に呑まれてその音を咎める者などここには居ないが、どきりと心臓が跳ねた。
「それ、気になるよねぇ。でも知りたくないような気もするし。……もう少し夢を見ていたーい!」
「前線に立つ英雄は死と隣合わせだから婚約者を持たない、って、あれ建前だよね……」
「ねー。そういうくせに軍で出会って、くっついちゃうんだから」
機構軍は、魔物に対抗する最重要戦力として人々の希望ではあるが、陰では出会いの場と揶揄する声も少なくない。
大陸各地から有力な魔力持ちが集まるのだから。魔力持ちが支配階級に集中する以上、大小問わず様々な国の王侯貴族がその大多数を占め、高位貴族の子息令嬢も多く居る。
彼らは国という垣根を越えて一つ所に集まり、危機を遠ざけるために共に戦っているのだ。そこで巡り合い育まれるものがあったとしても、何も不思議はないだろう。
実際に、平時ではあり得ないような国や身分を越えた恋物語はいくつも聞こえてきていた。
そんな中で、最近とみに市井の女性たちが物憂げに口にするようになった噂話は、その主役が稀代の英雄なだけあって、瞬く間に広がった。
モイライに限らず、旅先で立ち寄る街で幾度となく耳にした”噂”。
曰く、ユリウス・アーデングラッハには恋人がいるらしい。
──まぁ、その、居ても別に不思議ではないし、それは決しておかしな事では、ない……。
すっかり止まってしまった食事の手を、ぼんやりと見つめる。
心臓はおかしな鼓動を立てていて、じくじくと痛む。
──……こいびと……、恋人、か……。
噂が、”実は婚約者が居る”だったら、まだましな気さえする。真実はどうあれ王族である以上、避けられない義務という事だってあるのだから。
──噂が本当なら、互いに想い合う相手が居るって事だよね……。
今まで散々耳にしてきた噂なのに、モイライにたどり着いた事で、急に現実として形と色と音を持って目の前に現れたような錯覚さえする。
しばらく固まったように放心したあとで、深呼吸をして、眉を持ち上げ、手を止めていた食事を口に運ぶ。
すっかり冷めてしまった料理を、無心に次々と口に入れ咀嚼する。
──だったら、尚の事、返してもらわなければ。そうしないと、私は、
心の中で続く言葉は、料理と共に飲み込む。
これまで言葉として口にしたことは無い。自分自身にすら誤魔化したり、はぐらかしたりして、極力深く考えないようにしていた。
けれども10年という年月の間、胸のうちに宿っていたものに、無自覚で居られるほどアカシャは鈍感でも無かった。
あまりにも幼くて、拙くて、頼りない、だけど今もそこにあるもの。それを無に還すために、ここまで来たのだ。
モイライで最初に口にした食事は味がしなかった。