13.マナ・タブレットはレモン味
想定外の重い荷物を抱えて宿の部屋にたどり着く頃、アカシャは疲労困憊で息切れを起こしていた。
「……こ、これ、は、薬屋のおねえさんに言われた通り、しばらくポーションだけにして、まずは、た、体力を……取り戻さねば……」
ぜぇぜぇと息を切らして、瓶の詰まった紙袋から、オマケしてもらった魔力回復液剤を取り出して勢いよく蓋をあけると一気にあおる。
「えっ!? 美味しい……! 何!? このポーションすごく美味しい!? しかもリンゴ味だわ」
これまで口にした魔力回復液剤はどれもこれも薬草の匂いがきつく甘ったるい、飲んだ後で喉が渇くようなものばかりだった。アカシャは感動に震えていた。
魔力回復液剤は文字通り魔力を回復することを目的とした経口飲料の総称である。
この大陸においては傷や怪我の治療は回復魔法を封じた魔導石を用いるのが一般的なので、単にポーションと言えば魔力回復液剤の事を指す。
魔力活性と呼ばれる現象を起こす薬草を煎じて作るので、通常味はあまり良くない。ひと瓶で概ね中級の単体魔法一発分相当を回復するのが一般的とされている。
魔力の回復にさらに強力な効果が見込めるのが、魔力活性結晶薬と呼称される結晶固形薬だ。
だが、それなりにまとまった量の魔力回復が得られる反面、副作用があり、場合によっては深刻な後遺症を招く事もある。
人の身に宿る魔力を理から外れて無理やり回復させる、という行為の代償だ。
「……美味しいのにしっかり回復してる。流石モイライ、最先端の品物が集まるのね」
飲み干した瓶のラベルを熱心に読みながら、感嘆の声を上げた。
魔力持ちとそれ以外とに区別はされているが、魔法が使えない平民でも皆、体内に微細な魔力がある。
アカシャのように魔力回路を持たない人間であっても、何らかの原因で魔力の大量喪失が起これば体調を崩す事がある。
それ故に、回復すると少し元気になる。
精神面が体調に影響を与えるのと類似した現象だとも言われている。
一息ついた後で、買い物した荷物の中から、アカシャは帰り道で買った大衆新聞を取り出して開いた。
大衆新聞には、機構軍からの軍事行動予定通達の頁があるからだ。
機構軍は人間同士の戦争をしているわけではなく、魔物の大行軍に対抗するための軍事組織なので、行動予定の多くが一般に広く開示されている。
前線を担う傭兵の募集や、防壁や塹壕を築く人足の募集。該当区域近辺への避難指示や受入れ体制の準備、兵站物資の流通など多方面にわたる事象、記事は多岐にわたる。
脅威が間近にない市井の生活にも広範囲で様々な影響を与える為、事前に情報が共有されるのだ。
「……当分のあいだ大規模な討伐は無さそう、かな……。うん、これならしばらくポーション頼みでも問題無さそう」
軍事予定を事細かに読み込んで、ひとり呟く。
それから薬屋の紙袋をがさごそと漁り、茶色い小さな小瓶を取り出して机の上に置いた。
頬杖をついてその瓶を眺める。
「命綱も、補充したことだし……」
ラベルにはエンティ・アシュ錠剤と書かれている。
アカシャが買い求めたそれは、数年前に薬師たちの長年の研究と努力の末に作り出された、回復量に比して極めて副作用の軽い魔力活性結晶薬である。
「でも、これ、腹が立つくらいに酸っっっぱいのは! どうなの!? レモンを丸かじりするみたいなあの味、何とかならないのかしら!?」
矢庭に小瓶を掴むと、そのままベッドに飛び込むように倒れ込んだ。
その錠剤を服用した時に口に広がる酸味を思い出してしまって、顔をぎゅっと顰めてじたばたと暴れてみる。
「しかも、四、五日は胃が荒れてご飯食べられないし……それだけで済むのは、凄い事なんだけど」
それから脱力するように手足を投げ出してベッドに身を預けた。手には小瓶が握られたままだ。
アカシャの身体には魔力がもう殆ど残っていない。
生まれた時から、高位魔導士も遙かに凌駕してしまうほどの甚大な量を持っていたが、日々の自己回復量は常人と変わらないのだ。
例えるならばバスタブにティースプーンで湯を張るような回復速度だ。
それをユリウスが知らずにその栓を抜いてしまうようなもので、漸く溜まったかと思えば事あるごとにごっそり減るものだから、魔力回復薬が手放せない。
「彼は知らないのだから、仕方ない。そこは、怒ってなど……むむ……」
ぎゅうと手にある小瓶を握り締める。
”第二の心臓”による魔力供給によって直接死に至る事は無い。主人であるアカシャの身体が生命維持出来るだけの魔力は大抵残っている。
「でも、流石私の”第二の心臓”だけあって、いつもギリギリのラインを攻めてくるのよね……」
直接死に至らないとはいえ、急激に枯渇寸前まで魔力を喪失すると意識を保っていられない事も増えていた。シチューを台無しにした時もそうだ。
もしも旅の途中、誰も通らない場所で失神したら、或いは治安の悪い場所で急に動けなくなったら、無事では済まなかっただろう。旅路で大事にならずにモイライにたどり着けたのは幸運だったと強く思う。
そのままモイライまでの旅路をベッドに横たわって思い返していると、まどろむような眠気が身体を覆い始める。
ポーションやタブレットで魔力回復を行うと、自分の魔力に馴染むまでの間眠くなるのはいつもの事だ。
「そういえば……小さい頃は、お馬鹿さんだったから、お肉を食べたら魔力が回復するのだとなぜだか信じ込んで皆を困らせてたわね……」
子供の頃の間抜けな自分を思い出して、つい笑ってしまう。
──あの頃は、魔力が身体から抜ける度に浮かれて喜んでいた。彼が、生きているのだと感じられるのが嬉しくて、自分の力が誰かの役に立っているのが嬉しくて……。
幼い頃、身の内に感じるそのささやかな喜びは、いつしか淡い想いに変わっていた。
魔力が抜けていくのを感じる度に、遠い国に居る、けれど自分と見えない糸で繋がっている相手を想うそれは少しずつ降り積もって育っていった。
国が滅んでしまった時の絶望と無力感の中で、初めて大衆新聞でその姿と活躍を知った時に胸のうちに湧いた歓喜と高揚は今も覚えている。
その活躍の中に、無力な己の寄る辺を求めていたのも事実だし、容姿にときめいたのも事実だ。
時折ごっそりと魔力が減る時は、それが何を意味するかを知り、その身を案じ無事を祈るのが常だった。
魔力が付きかけて尚、魔力活性結晶薬まで使って補おうとしているのは、半分は自分の為だが、半分は、畏れているからだ。
もしも万が一、この魔力が尽きたせいで、第二の心臓が役目を果たさないせいで、戦う彼の身に危険が及んだら。護れるはずのものを護り損ねていたら。
それを想像すると空恐ろしくて、背筋が凍えてしまう。
──身勝手で一方的な自己犠牲など、あまり褒められたものでも無いし、望まれているとも思えないけれど……。
或いは心のどこかで、この”繋がり”が消えるのを、意味を無くすのを、畏れていたのかもしれない。
けれどもそれを今、自ら断ち切りに来たのだ。
「……私は、第二の心臓を渡した事を、後悔した事は一度も無いの。……腹が立つことは、まぁ時々、あるけれど……」
まどろみながらぼそぼそと呟く声は、安宿の天井に消えていき誰に届く事も無い。その日はそのまま眠りについた。




