第一章四話 「突如として、現る」
―――ギルドの受付嬢で、元Sランク冒険者と思わしき黒髪の人物――クローディナ・バークアディスの予想にもしていなかった発言に、ルーディナは思わず、その場で沈黙をしてしまった。
「あれは、九年ぐらい前のことでしたね」
―――その沈黙をどう見たのか、クローディナはルーディナの反応も聞かずに、語り出す。
「それが、当職が冒険者を辞めた理由へも繋がるのですが……ものすごい、豪雨が降ってるときでした」
―――そのときの光景を思い出すように、クローディナはその闇に満ちた目を細めて、少しだけ暗い表情で語る。
「当職がギルドかなんらかの依頼で、少しだけ時間がかかったので、一泊だけ野宿をして、そうして帰っていこうと思い、食事と入浴を簡単に済ませ、眠りに入ろうとしてるときでした」
―――豪雨が降っている夜中、クローディナがギルドの依頼で時間を喰い、一泊だけ野宿をして帰っていこうと思い、食事と入浴を簡単に済ませ、眠りに入ろうとしているとき。
今のクローディナの話を簡単にまとめると、それである。
「先程、豪雨が降ってるときと、言いましたよね。寝ようとするときに、ざーっと降ってる雨の向こう側に、人影が見えたんです。で、追ったんですよ。こんなところで何してるんだろうって」
―――豪雨のように、降り注ぐ雨の向こう側に映る人影――その光景だけでも、ルーディナは想像するだけで背筋が冷える。
そう言ったホラー系の話は、生憎ながら、得意ではないのだ。
「そして後を追っていって、異変に気づいたんです。―――その人影との距離が、全く縮まってないことに」
―――追っているつもりなのに、距離が全く縮まっていない――そういうのは、強者が相手を自分に近づかせないためのトリックとして、かなりの定番である。
「自分のことながら言わせてもらいますけど、そのときの当職は、今に劣るとは言え、合計ステータス100万超えのSランク冒険者だったんです。だから、当職ですら近づけないような強者――そんな雰囲気がして、とりあえず、ルーディナさんの観察に似たような当職が開発した独自のスキルで、その人影のステータスを見てみました。それが―――」
―――彼女は一拍置いてから、話す。
「―――1000億超え、でしたね」
「―――」
―――そこで、――おそらくもっと前からだが――ルーディナは、理解する。
魔界王配下の最強幹部、『十魔星』は名前の通り十人いるのだろうがーーおそらく、その十人全員が、合計ステータス1000億超えなのだろう、と。
「どんな強者でも、ステータスの隠蔽や変化なんてできません。そういう世界の法則ですからね。だから、直感で理解しました。……関わるべきではない、と」
「そっか……」
「はい。それと、そのとき名前も見えていて、『アヴァーグネス・ノア・ノーヴァディ』と、そう書かれていました」
「ノア……」
「はい。―――ノアは、『魔界王支配地域』に住む魔族の証。これは、世界的な一般常識です」
―――1000億超えの異次元ステータスに、魔族の証である『ノア』が、名前についている。
そんな存在など、思いつく数はとてつもなく少ない。
「いやでもわかりますよ。魔界王本人か、『十魔星』の一人のどちらかかと思いました。ただ、魔界王本人がそこら辺を歩いてるというのは想像できないので、そのときはもう、『十魔星』の一人と思ってましたね」
―――クローディナの言う通り、魔界王然り、それぞれの王国の国王然り、王というのは、基本的には外を出歩くことを禁止とされている。
身の安全のためだの、あまり市民の目から見られたくないだの、いろいろな理由があって、それも世界的一般常識となっているのだ。
「だから、触れるのは、関わるのは避けて、そのまま見なかったふりをして撤退する……というのが、一番良かった結果なんでしょうね」
―――一番良かった結果、とそう後悔するように、――しかしどこか、嬉しそうな感情も混ざっている気がするが――クローディナは言う、ということは―――
「じゃあ、クローディナさんは……」
「はい。冒険者の好奇心なのか、自分より強いものを認めたくなかったのか……声をかけてしまったんですよ。それも、なかなか挑発的な」
―――彼女は触れることも関わることもせずに撤退、という一番安全な方法――それを取らずに、冒険者の好奇心かライバル心かで、挑発的な声をかけてしまった。
それは、誰がどう見ても――愚策である。
「それで、彼は反応しました。あ、性別は男性ですよ。黒髪に高身長でイケメンという、当職の好みど真ん中のものすごくタイプな人でしたから、そのときからは冒険者の心だのなんだのかんだのはなくなって、ただただお近づきになりたいと思っていました」
―――ルーディナは、正直言ってクローディナの好み諸々の話は全く興味がないのだが――一目惚れというやつなのだろうと、そう理解する。
「で、そっからどーだのこーだの言って話が続きました。そして、その後は……なんだかんだ言って、楽しかったですね」
「楽しかった……?」
「はい。処女を奪われました」
「え……」
―――激突に出たそのワードに、ルーディナは驚きが隠せなかった。
「そして数ヶ月後、私は妊娠したので冒険者を辞めました」
「そ、そういう……」
「はい。アヴァくんはいつか時が来たら、必ずお前を迎えに行くと言ってくれました。なので、冒険者を辞めて妊娠した子供のために、ギルドの受付嬢をやってお金を稼いでいます」
「そ、そう、なんだ……」
―――『十魔星』の一人、『暗黒の魔王』アヴァーグネス・ノア・ノーヴァディを、彼女はアヴァくんと、そう親しみを込めて呼んだ。
そして、彼女は―――
「―――当職は、『十魔星』の一人である『暗黒の魔王』、アヴァーグネス・ノア・ノーヴァディから子宝を授かったものです。言うと、魔界王陣営関係者ですね」
―――挑発的に、ルーディナの前で堂々と、そう言ったのだ。
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―――彼女の瞳が闇で満ちているのは、『暗黒の魔王』であるアヴァーグネスと繋がりを持ったからなのだろうと、理解する。
―――彼女はこの話をするとき、目を細めた少し暗い表情で、語っていた。
それはきっと、アヴァーグネスと楽しんだ記憶がそのときしかなく、幸せを噛み締めるように思い出していたのと、九年も迎えに来てくれない寂しさから来たものだと、理解する。
そう理解しながら――ルーディナは、クローディナの話を聞いてから、暗い表情で『勇者パーティ』の諸々の元へと帰っていた。
『―――当職は、『十魔星』の一人である『暗黒の魔王』、アヴァーグネス・ノア・ノーヴァディから子宝を授かったものです。言うと、魔界王陣営関係者ですね』
―――彼女が言ったこのセリフを、ルーディナは頭の中で何回も何回も繰り返す。
このセリフに込められた意味、それは、自分は魔界王陣営だとルーディナに言っているものだろう。
だがーーお前程度では自分には勝てないから、言ったとしても意味がないだろうと、そう言った意味も含まれていると、ルーディナは思う。
もしくは、ルーディナがクローディナを殺そうとして、そこをアヴァーグネスが颯爽と助けに来てくれるのでは、という考えも混じっているとも考えられる。
「―――」
―――だが、おそらく今の彼女には、ルーディナ率いる『勇者パーティ』全員と、彼女一人で戦って、互角程度。
そして、それはルーディナの観察で見た合計ステータスから、予想したものに過ぎない。
彼女がまだ隠している性能や、武器、防具、魔法具、技など――彼女の方が上回る可能性など、全然ある。
だからこそ、彼女と戦うなんてことは避けたいし、何より―――
「……殺したく、ないなぁ」
―――知り合ったばかりの相手を殺すなんて、今のルーディナには考えられなかった。
魔界王陣営関係者なんて、裏切りを宣告されたようなものなのだから、殺した方が得、もしくは世間から褒められ称えられるだろう。
しかし、アヴァーグネスのために九年待って、妊娠した子供のためにギルドで金を稼いで――そんな努力をしている彼女を殺す勇気なんて、ルーディナにはない。
「はぁ……」
―――『勇者パーティ』の諸々には言わなくてもいい情報だが、ルーディナの様子を見て、優しい彼ら彼女らは、理由を求めてくるに違いない。
そして、少しでも痛みを分け合えたらと、そう言うだろう。
あんまり役に立てていないルーディナに対して、そう言ってくれるのは嬉しいし、そして何より救われる。
―――やはり、持つべきは信用できる仲間なのだと、そう感じながら、彼女の口角は少しだけ上がっていた。
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「……ルーディナさん?なんか暗いですけど、大丈夫ですか?」
―――ギルドの受付から戻って席へと着いたとき、真っ先に話しかけてきたのはメリアであった。
表情を偽らなくても、『勇者パーティ』の諸々はルーディナのことなんてすぐに見破ってくるので、もう一層、最初からバラした方がいいだろう。
そう思い―――
「……とりあえず依頼の返却はできたけど、それ以上に暗い情報が入ってきたってのも確か、かな」
―――一切遠慮もせずに、『勇者パーティ』の諸々の優しさに、甘えることにした。
「なるほど、返却はできたのだな。感謝する。で、その暗い情報とやらだが……」
「うん、包み隠さず話すよ」
―――アークゼウスから感謝の言葉を貰い、ルーディナは暗い情報へと話を移す。
そして、ルーディナは包み隠さず全てを話した。
受付嬢がかつてSランク冒険者であるクローディナだったということ、彼女が『十魔星』の一人、『暗黒の魔王』アヴァーグネス・ノア・ノーヴァディを見たことがあるということ、そして彼と男女の関係を持ったということ、彼女が挑発的にルーディナに言ってきたということ、殺した方がいいのだろうけど、今の『勇者パーティ』では敵わないだろうということ、ルーディナがアヴァーグネスのために努力している彼女を殺したくないということ。
それを全て、言い切った。
そして、肝心な『勇者パーティ』の諸々の反応は―――
「なるほどな……余とディウが行ったときには気づかなかったが、彼女がそれほどの実力者とは。そして、関係を持った、か……」
―――アークゼウスは、『禁忌の賢者』の二つ名らしく、いろいろと分析しながら解析をして。
「そんなことがあったんですね……ごめんなさい、ルーディナさんだけに今回の依頼返却のこと任せちゃって」
「あ、それに関しては大丈夫だよ。今メリアちゃんが謝ってくれたことで、かなり気が晴れたから」
「そうですか、だったら良かったです」
―――メリアは『慈愛の女神』の二つ名らしく、ルーディナのことを気遣ってくれて。
「なんか、世の中って深いなぁ……」
「だな」
―――こういう系の話が苦手なフェウザとディウは、どこか遠い目をしながら唖然としていて。
それで、わかったのが―――
「―――みんな、クローディナさんを殺そうとかは、思ってないよね?」
「「「「もちろん」」」」
「良かったぁ……」
―――誰も、クローディナを倒そうだとか殺そうだとか、討伐の計画を立てようだとかは言わなかったことである。
討伐対象である魔界王の実質配下のことで喜ぶことはどうかとは思うが、今回についてはクローディナに非はないし、やはり知り合った人には、生きて幸せになってもらいたい。
だからこそ、ルーディナは安堵の感情を感じていた。
「じゃあルーディナさん、ここは気分転換で買い出しに行きません?」
「お、いいね。ちょうどお腹空いたから、メリアちゃんと一緒に行ってくるね」
「うむ、気をつけてな」
「俺は魚を希望する」
「だったら、俺は肉を希望する」
―――フェウザが魚派で、ディウが肉派で意見が毎回分かれるのはもはや、『勇者パーティ』の中では馴染みなので、そこは誰も追求しない。
健闘を祈ってくれたアークゼウスに一言感謝を述べてから、気分転換がてら、メリアと一緒に買い出しへと向かった。
△▼△▼△▼△▼△
「……たくさん買っちゃったね」
「そうですね。だから、今日は奮発です。たくさん美味しい料理作りましょう」
「うん、賛成!」
―――つい買い過ぎてしまった料理の材料を入れ込んだ大量の袋を見ながら、ルーディナとメリアは今日の夕飯のメニューについて語り合う。
ルーディナのさっきまでの暗かった雰囲気はもうなくなり、メリアと楽しく話していた。
本当に楽しく、幸せで、喜ばしい、そんな雰囲気の中―――
「―――はーい、皆さん皆さんごちゅうもーく!!塔の上からどうもこんにちは!!」
―――ルーディナとメリアがなかなかに広い街の中の広場のような場所を通り抜けている中、そこに立っている大きな塔の上から、声が降りかかってきた。
「あ、なんだ?」
「なになに、誰あの可愛い子」
「やば、俺めっちゃ好みなんだけど」
―――この広場にいるのはルーディナやメリアだけならず、普通の住民たちも普通にいる。
そして、ルーディナやメリアも含めた彼ら彼女らは、塔の上に目線をやり――塔の上で、手をスピーカー代わりにして大声で叫んでいる、青髪の美少女を見ていた。
「皆んな、見てくれてありがとうございます!!うち、すっごく嬉しいです!!」
―――まるで熱い声援を受けたかのような彼女の返事、そして可愛い声、可愛い見た目に、この場にいる誰もがのほほんとして――油断ができる。
「うちは、魔界王様配下各種族幹部『鮫魔族』代表王!!『凶暴の海姫』の二つ名を持つ、ザシャーノン・ノア・アクアマリンでぇす!!」
「え!?」
「は、各種族幹部!?」
―――いきなり出された自己紹介に、驚愕の反応を見せたのは――ルーディナとメリアだけだ。
周りの住民たちは、どうして反応しないかというと―――
「……嘘?」
―――ルーディナとメリア以外、全員、首から上がなくなっていたからだ。




