八
ルミアが皇帝に就任してから二週間が経った。
「そこだけですかね。あとは大丈夫です」
ルミアは書類を見ながら言った。
皇帝(ヘリクの場合)の仕事は主に国営組織の監査、各種政策の可決などである。
「新興感染症、エクシ復活と思わしき事件……」
皇室へ戻り、クッションのような椅子に座りながら、ルミアは報告書を眺めた。
「あ、この前私をはずかしめたやつら、あいつらどうなったんだろう……」
ヘリクはルミアにラン達のことを伝えてはいなかった。城の損傷は他の侵入者として片付けられていた。
「ふぅ……ああ、もうこんな時間か。帰ろう」
ルミアは自宅へ歩き出した。城は仕事場であり家ではないのだ。
途中、ルミアはその歩みをスキップに変えた。そう、彼女は悦に浸っているのだ。皇帝の仕事は公爵位の規模を少し大きくしたようなもので、ルミアはあっという間に適応し、ヘリクの作った混乱も落ち着いてきた。彼女にランの言った傲慢な向上心があったかどうかはわからないが、少なくとも自分が皇帝に指名されたという、客観的に見ても特別な功績を噛み締めていた。
近くの比較的治安の良い高級住宅街にて、ルミアは家の扉を開けた。
「ああおかえり。ご飯できてるよ」
そう声を掛けたのはルミアの夫だ。彼とはルミアが公爵位となる途中で出会ったのだが、それをピシャリとランに当てられてしまい、いまだにその悔しさが心に残っている。
「ママ!」
今年で三歳になる娘も出迎えてくれた。育児と家事は夫に任せており、ルミアは仕事に専念している。
「はーい。ママですよ。どう?新しいおうちは慣れた?」
「うん!」
「そう。よかった」
三人は揃って食卓を囲んだ。
「再来週さ、早く帰って来れる?」
夫がルミアに質問した。
「うん。今の調子なら大丈夫だけど。どうして?」
「え?どうしてって……覚えてないの?」
「あ、あれね。楽しみにしてるから」
と言いつつ、ルミアはよくわかっていない。彼女はわからない、と言うのが好きではないのだ。
「そういえば、この辺りの幼稚園、調べてくれた?」
ルミアが夫の顔を見た。二人は娘の教育のため、幼稚園を探しているのだ。
「うん。だけど、この辺どころか、帝都には小学生以下の子供が入るような施設はないって」
「そうなんだ。じゃ、作っちゃおうかな」
「よ、皇帝!」
「よ、こうてい!」
娘が夫の真似をし、食卓に笑いが溢れた。
「おやすみ」
その夜、娘を寝かせた後、ルミアは家事をしている夫より先に寝室へ向かった。
二つのベッドが陣取っている部屋に足を踏み入れ、ルミアはドアを閉めた。息をついてベッドに飛び込もうとした刹那、後ろから感じた気配が瞬時にルミアの後ろに迫ってきた。彼女が曲者、と思うよりも先に腕を首に回され、ルミアははがいじめにされてしまった。曲者はルミアの目の前にナイフを持ってくる。
ルミアは視線を右へ左へさせた後、ゆっくりと両手を上げ始めた。ルミアの手はゆっくりと上がっていき、彼女の肩の前まで到着する。途端、ルミアは目の前にあった、曲者がナイフを握っている手の母指球に噛みついた。ナイフに対する握力が弱くなったのを口の中で感じるや否や、ルミアは近くにスタンバイさせていた両手を使ってナイフを奪い取った。そして、瞬時にそのナイフを相手の足へ突き刺す。たまらず曲者はルミアを突き放し距離をとった。
——顔はフードで隠されていて見えない。体格及び身長は……男にしては少し低くて、女にしては少し高いくらい。どこからの回し者だ?
思考を張り巡らせながら、ルミアは曲者を凝視した。すると、曲者は驚きの行動に出た。足に刺さったナイフを引き抜いたのだ。これにはルミアも目を丸くした。
——何やってんだこいつ。身体に刺さってる刃物抜いたら出血多量で死ぬぞ。そんなことも知らないのか。
そんなことを考えていると、ルミアはさらに目を丸くすることになった。
——全然出血してない!?とすると……。
「どうしたんだー?」
夫が足音と共に部屋へ近づいてくる。声を聞いた途端、曲者は隣にあった窓ガラスを割って暗闇に逃げてしまった。
「ちょっと!逃げられたでしょ!」
「え?あ、ああごめん。敵だったのか」
ルミアは夫に説教した。
——確か、公爵のネモがああいうパッシブを使えたはず……。
窓の修復を夫にさせ、ルミアはベッドの中で頭の中を整理していた。彼女は戦闘が得意ではないため、かなりの情報網がある。
——なら、あいつの手下か。理由はヘリクに精一杯媚を売ってたのに皇帝が私になったことに対する僻みとかだろうな。だけど、逃げられちゃったから証拠と言えるようなものはないし、ようやく家族が落ち着いてきたんだ。あまり大事にはしたくない。とすると……いったん家に警備をつけてもらうしかないか。もし私の命を狙ったとするなら、二の矢があるはず。警戒するしかないか。
それから、ルミアと彼女の家周辺にはボディーガードが付くようになった。むしろ、今まで付いていなかったのが不思議に思えるが、それは前皇帝のヘリクが大抵のボディーガードよりも強く、呪いうんぬんの話から、できるだけ一人になることを好んでいたからだ。
それからさらに一週間が経過した。ただ、前の二週間と違うのは、ルミアの顔から余裕を奪っていったということだろう。
「ルミア様。他国から次々と鉄道の運行休止要請が出ています」
二週間前から兆しの出ていた流行病、それが今や巨大勢力となって帝都に猛威を振るっていた。
「わかってます。やむを得ないですね」
ルミアは鉄道本部へと赴いた。普通、皇帝自身が現場へ赴く、というのはおかしな話だが、ヘリクがこのスタイルであったため、ルミアもそれに従っている。しかし、ルミアはこれを気に入っておらず、ゆくゆくは変えたいと思っているようだ。
「ほぉ。それで、運行を中止させたいと」
ルミアによって呼び出されたナノハは自慢の糸目をさらに細くさせた。
「しかしルミアはん。流行病っちゅうのは大した症状があらへんのやろ?ほんなら列車を止めるほどと違うのちゃいますか?」
「確かに、新型感染症の症状は軽い風邪程度で、微熱にしかならず、他に特徴的な症状はありません。しかし問題はその感染力、症状の現れる期間にあるんです。発症者が初めて確認されてから二週間、それなのに感染者は帝都の人口の約30%にも昇っているんです。さらに、発症者のほとんどは症状が収まらずに、二週間以上症状が出続けているんですよ。そんなものから、もし致死性の高い変異株が生まれでもしたら……ことの重大さ、わかっていただけましたね?」
「そうは言われましても、軽い風邪なんでしょう?ウチは古い人間ですさかい、それくらいじゃ仕事を休むほどでもないような気ぃがしますが……わかりました。他国に向けた列車を止めればいいんですね?」
「いえ、帝都に携わる列車は全て止めていただきたいです」
そう言うと、ナノハは口を固くつぐんだ。
「……わっかりました。そうしましょう」
ナノハは苦い顔をして言った。
「ありがとうございます。後のことはよろしくお願いしますね」
ルミアは颯爽と部屋を離れた。
「次は……大学か」
ルミアには予定が詰まっているのだ。
「……それで、新型感染症の分析は終わりましたか?」
今度は大学の学長と相対していた。
「はい……そうですね。とりあえずわかったのは、何もかもが未分類のウイルスだということです。未分類というのは、性質、構造などが近縁な種が存在しておらず、完全に新種のウイルスだということです。インセ国の方にも問い合わせたのですが、まるっきりだそうで……」
マスクをしている学長は言った。彼の見た目は、誰に近いかと言われれば病院のフクジュに少し似ている。ちなみに、ルミアには夢獣についての説明はしていない。
「そうですか……あなた方には、ワクチンの制作を急いで欲しいのですが……できそうですかね?」
「いえ、絶望的、ですかね。このウイルスを弱毒化するには情報もまったく足りていませんし、そもそも、ワクチンを作るというのは莫大な時間と費用を要します。すぐに、というのは夢の見過ぎかと」
ルミアはため息をついた。
「わかりました。しかし、研究のメインはそのウイルスのワクチンを作ることを目標にシフトしてください。お願いしますね」
ルミアは大学を出た。外はすでに日が落ちているが、それは帰宅する理由にはならない。
向かったのは公安本部である。サツキに話があるのだ。
「ここ一週間で発生したエクシによる被害は四十七件。エクシは息を吹き返したように人さらいの件数を増やしていますね。これの対策はどうお考えですか」
「……え、えーっと……エクシによる犯行は主に夜なので、日勤の人員を減らし、夜のパトロールへ回しています」
「日勤はもともと人員が少ないはずですが、それによる影響はどれくらいありますか?」
「……そうですね……ひったくりや万引きの件数が少し、増えていますね……」
「少し、とは具体的に?」
少し、という単語を言う時、サツキが目を逸らしたのをルミアは見逃さなかった。
「えっと……や、約二倍くらいです……」
サツキは図星を突かれた、という風に下を向いた。
「それは芳しくありませんね。エクシの対策と兼ねてそれの対策もよろしくお願いします」
「……はい」
サツキとの話が終わり、ようやくルミアの仕事が終わった。
「……ただいま」
ヘトヘトになりながら、ルミアは家にたどり着いた。女はとっくに寝ている時間だ。
「おかえり。簡単に摂れるご飯作っておいたから、食べれるなら食べて」
夫はルミアの服を脱がしながら言った。なに、ルミアにシャワーを浴びるために服を脱ぐ気力がなく、それを手伝っているだけだ。
——まさかここまで緊急事態が重なるとは。まさか、ヘリクはこうなることを知ってて、私にそれを押し付けるために?となると、私を狙っているのはヘリクという可能性も?
シャワーを浴びながら、ルミアは自分が襲撃された時のことを回想していた。彼女はこの一週間で計三回襲われているが、それぞれ襲撃者達の特徴は毎度違っていた。
——私を狙っているのは一人じゃないことが考えられるけど……いや、毎回毛色を変えてあえて的を絞らせないようにしている?はたまた全員がグルで私を狙っている?しかし、その意味は?
現在の情報から考えられることを一通り考えると、ルミアは今日のことを振り返り始めた。
——確かに、かなりハードで疲れは溜まってきてるけど、今のところパフォーマンスが落ちている感じはしない。まだまだいける。この状況を当たり前だと思おう。
ルミアは過酷な生い立ちを持つため、適応力が高い。
しかしそれから一週間後、事態はまるで改善の見込みがないどころか、悪化の一途を辿っていた。
「ついに感染者が帝都人口の過半数を超え……エクシの被害件数も倍増……国民の不満はうなぎのぼりか……」
報告書を見ながら、ルミアは頭を抱えた。
「ルミア様。大病院にてフクジュ様がお話があると……」
「わかりました。向かいます」
「こちらがあの業者から請求された金額です」
マスクをしたフクジュが数字の書かれた紙切れを差し出した。
「は?こんなに……?」
そこに記してある数字は、国家予算と照らし合わせても、なかなか手の出ないものだった。
「はい。足元を見られてますね」
先日、大病院に謎の人物が訪れた。その人物によると、自分達は流行病のワクチンを持っている、これを試してみて欲しい、とのことでワクチンのサンプルを数本置いていった。言われた通り試験的にワクチンを投与すると、被験者は見事に流行病に対する免疫を獲得した。そして、今日再びフクジュの元を訪れ、価格交渉に入った、ということだった。
「値段はびた一文まけない、だそうです」
「そうですか……」
ルミアは顎に手を当て、下を向いた。その様子を、もはや目よりも面積が広いクマをその目で引っ張りながら、フクジュは見守っていた。
「わかりました。払いましょう」
ルミアは顔を上げた。
「私が沈黙した理由はありましたね。私は反対です」
「……どうしてですか」
ルミアはしっかりと考えてから結論を出したため、眉間が狭くなった。
「この流行病。現在私も絶賛罹患中ですが、いつもより少し体調が悪い程度です。食欲低下や下痢もないですし、体力もそこまで落ちていません。よって、風評ほど帝都の経済への影響はないでしょう。たかだか軽い風邪一つに、大枚をはたく必要はないでしょう」
「しかし、変異株などの問題も……」
「万が一の話を考えられるほど、余裕はないでしょう」
「ですが——」
「もし、一定数のワクチンを用意したとして、どういう優先順位で、どういう値段設定にするのか。場合によって、ワクチンを巡った争いが起きるのも想像に容易いでしょう。そうなったら、ワクチンを帝都の人数分用意するのか、それには時間も費用も膨大です」
「ですが、国民の不満は最高潮です」
「だからなんだというのですか。不満が溜まろうと、できないものはできない」
「国民の不満をどうにかするのが皇帝の仕事です」
「国民の不満が溜まって!被害を被るのはお前だろう。お前の保身のためのわがままは聞いていられないな」
声を荒げて、その後の言葉は静かに、しかし迫力満点に、フクジュは言った。
「……目を瞑ろうと思っていましたが、あなたの病院運営は不義理的です。金のある患者を優先させ、金のない患者は安楽死させているのも知っています。その上、職員をボロ雑巾のように酷使していることも。前任はそれを黙認していたかもしれませんが、私は看過できないと思いますよ」
遠回しに、お前を解雇するぞ、とルミアはプレッシャーをかけているのだ。
「……そこまで知っていて、わからないんですか」
「ええ。わかりませんね。そんな金稼ぎしか眼中にない人間の意見なんて聞き入れられませんよ。患者を選んで小遣い稼ぎをするくらいなら、ワクチンを買ってより多くの人を助けようと思いますがね」
「はぁ……」
フクジュはため息をつくと、重たそうな口を開いた。
「……うちの病院では、なるべく重い症状の患者を受け入れている。そして説明してもらった通り、金のある患者を優先的に入院させ、そうでないものは安楽死を勧めている。だが、これは一途に金儲けが理由ではない。程度の重い患者を入院、治療するということは、とても金のかかることだ。それを安定的に払える人間はほんの一部。金のない人間は大抵、その配偶者や子供に金を払ってもらう。そう、彼らは生きているだけで他の人間を苦しめていることになる。自宅で療養するにしてもそうだろう。ならいっそ、安楽死を選択させるのが最善なんだ。金に余裕のない親族というのは大抵、習ってきた建前上、なんとか生かしたい、というような発言をするが、本当は死んでもらえたらどれだけ楽か、と思っているんだよ。だから、安楽死をこちら側から提案すれば大抵の人間は口を固く結んで頷く。衰弱した先の短い人間よりも、今を生きる若い人間を生かした方がいいんだ。それが自然として、社会としての正解なんだ」
「……それは、金儲けをするための言い訳に過ぎないですよね」
「そうかもな。ではその儲けた金はどこに行くか。それは全て職員へ行き渡っている。ここの職員はおしなべてまとまった金を必要としている。確かに他の職と比べて激務だが、高い能力やキャリアのない人間でも高い収入を得られる手段として、前の皇帝が作ったんだ。事情は様々だが、職員もそれを承知した上で働きにきている。この病院はそうやって回っている。だから、この病院はここまでやってこれた。ここまで支持を得られた。」
「……」
悔しいことに、ルミアは口が出なかった。
「もしワクチンを提供するとなったら、ウチの職員も必ず関与することになるだろう。これ以上、彼らに負担を与えたくはない」
「……わかりました。ワクチンの話は、なかったことにします。そのように伝えておいてください」
「ああ。その方が賢明だ。お前が間違いを認められる人間で良かったよ」
ルミアは立ち上がり、部屋の出口をくぐった。
「ああそうだ」
フクジュが呟き始めた。
「ウチの職員がボロ雑巾だと言うのなら、それより働いている私は何になるんだろうな」
「……使い古した雑巾は、ただ捨てるだけですよ」
ルミアはここぞとばかりに言い切った。
「そうか。ヘリクだったら直すよう努めてくれるんだがな」
その言葉に、ルミアの歩みが止まった。
帝都がパンデミックに陥った頃から、もしヘリクだったら……という言葉がルミアの耳を何度も掠めた。それまでは聞こえないフリをして精神を守っていたが、今のフクジュ明確な言葉で彼女の精神には傷がついた、それを彼女は感じ取った。
「エクシによる被害は先週の倍増。治安は日に日に悪化。はぁ……」
機嫌を崩したまま、ルミアはサツキの前で手に持っていた書類を叩きつけた。
「……す、すみません……で、ですが、このご時世ですし……」
サツキは肩を狭めた。
「本当に原因はそれだけですか?そのご時世というのに甘んじて努力を怠ったという可能性はないんですか?」
「い、いえ……ワタシ達はできる限りのことをやってます」
ルミアは鋭い目つきで、静かにサツキを睨んでいる。
「……な、なんですか」
何秒かそうした後、ルミアはため息をついた。
「……はっきり言ったらどうですか」
「……」
「この報告書通りに考えれば、都心部は五百メートルに一人はパトロールがいるはず。ですが、なぜ都心部での人さらいは増えてるのでしょうか。しかも、取り逃した、のではなくいつの間にかさらわれていたと報告されています。五百メートルの範囲で人がさらわれている様子が見えないなんて、公安の方々は随分と目が悪いんですね。あ、人だかりでわからないのか。でも、それくらいわからないものなんですかねー」
「……」
「ちゃんと答えろよ!人員を削減したんだろ?」
ルミアはテーブルに拳を打ちつけた。
「……はい」
「報告書に偽りを記したことも、人員を削減したことも、どちらも許されることではないです。しっかりとこの報告書の内容を真実にできるようにしてください」
「……いやです」
「……もう一度いいます。この報告書通りにしてください」
ルミアは言い捨て、その場を離れようとした。
「……いやです」
繰り返されたその言葉は、一度目よりも力強かった。
「……夜勤というのは、体内の生活リズムが狂うから、あなたが想像しているよりもとても辛いんです。ただでさえそれなのに、今や職員の半分が流行病にかかっています。これ以上、職員を酷使したくないんです」
ルミアは舌打ちした。
「あいつとおんなじこと言いやがって……被害に遭ってる人間のことはどうでもいいって言うんですか」
「ですけど……公安だからといって、強い人間ばかりじゃないですし、ワタシとしても、職員を危険に晒したくないんです……」
「だからと言って!それをするのが公安の勤めだろうが!」
ルミアは再びテーブルに拳を打ちつけた。サツキはビクッと肩を動かす。彼女は何かを言い返したそうに口を開いた。がしかし、すぐに目を逸らした。
「なんですか?いいたいことがあるなら言ってくださいよ」
サツキはうーんと唸りながら、口を開いた。
「……違うんです」
「何がですか?」
「ワタシたち公安の仕事は、そういう仕事じゃないんです。本来、公安は脅威に対抗したり、悪に制裁を加えたりするところではないってことです。公安は、治安の維持とともに、人々を更生させる場所。暴力をはたらいた人には、一緒に仕事をしてもらって、お話をして、力の使い所を教えてあげます。盗みをはたらいた人は、大抵生活苦がある人か居場所のない人なので、生活や社会復帰のサポートをします。そういう場所なんです。ここは」
「なら——」
「先ほど言った脅威に対抗したり、悪に制裁を加えたりするのは……」
サツキが上目遣いでルミアへ視線を飛ばした。
「……ヘリクさんの仕事だったんです。正確にはヘリクさんとその直属の方達ですが……」
その言葉を聞いて、ルミアは固まった。続くであろう言葉に嫌な予感がしたからだ。
「……ヘリクさんは皇帝を辞めた後に私の元に来て、次の皇帝のルミアさんは戦闘能力が低いから、国防活動の兼任もしてくれないか、って言われたんです。これは本人には言わないでほしいってことだったんですけど、やっぱり無理です。すみません……」
「ああ、そうだったんですか……」
ルミアには、心の中でたぎっていたものがしぼんでいくのがわかった。代わりに、自分の能力の欠如を知らず知らずに棚に上げ、その補填に対し大声を上げて痛烈に批判をしていたという事実に、羞恥心と劣等感が彼女の中で膨らんでいった。ヘリクだったら……と遠回しに言われているようなものだと彼女は感じ取った。
「……少し、考えますから、時間をください。大声を出してすみませんでした……」
ルミアは力なく立ち上がった。
「……いえ、ワタシの方こそ立場をわきまえず口答えをしてしまい、すみませんでした」
と言いつつも、スッキリとした様子のサツキを尻目に、ルミアはその場を離れた。
「ナノハさん。言いましたよね?帝都の列車は全て休止するように」
ルミアはさっきの憂さ晴らしをするように語気を強めて言った。こればっかりはどうやっても相手が悪いだろう、というように。
「あら、バレましたか」
マスクをしたナノハは何一つ慌てることなく答えた。
「なぜそんなに落ち着いていられるんですか?あなたがやっていることはごめんなさいでは済まされないんですよ?」
帝都の列車は通常通り運行されていた。
「ああ、説教なら受けへんよ。約束を破ってるってわかってるんで。バレたって謝るつもりはあらしませんわ」
ナノハは反抗期の子供のようなことを、きっぱりと言い切った。
「な……では、はなから私の言うことを聞くつもりがなかったと?」
いつもなら軽く受け流すであろうルミアだが、その状態からかナノハの圧力にうろたえていた。
「はい。申し訳ないとは思っていますが。これでクビになっても構いません」
「……どうして、そこまで?」
「そやなぁ……当たり前すぎて理由にならへんかもやけど、列車を必要とする人がいたから。とかでいいですか?」
「それは、自分の地位をおびやかしてまですることなんですか?」
「うーん。というより、ウチは地位とかどうでもいいねん。ここには流行病にかかろうと、仕事せな生きていけん人がぎょうさんいます。ほんなら、仕事に行くための交通手段を断つことはできないでしょう。こっちはそれに誇り持ってますんで。人を運ぶためなら、どんな嘘もいといません」
「……」
本来、今のナノハが言ったような正義じみた言葉が嫌いなルミアだが、今回はそれに感銘を受けていた。
「……わかりました。他国への列車を止めてもらえれば、他は何も言いません。あなたの判断に任せます」
「お、わかってくれたようやね。もうちょっとでウチのパッシブ使わなならんところでしたわ」
「はは。お手柔らかに」
力なく乾いた愛想笑いをし、ルミアは外へ出た。
街灯が太陽の代わりとなった街を歩くルミアは俯いていた。自分の決定は全て蔑ろにされたという悔しさ、しかしそれが優位であったという悔しさ、そこからくる自分の無力さに彼女は憂いを抱いていた。
——なんだか、ヘリクが彼らを指名した理由がわかる気がする。フクジュは残酷な選択を迫られる医療で、誰よりも現実を見る力を持っている。サツキは実は厳しさよりも寛大さが求められる公安で、誰よりも優しさ、人情を持っている。ナノハは、断絶してはいけない列車というライフラインに、絶対に人を運ばなければならないという信条とその仕事に対する誇りを持っている。
ヘリクには見抜けたその本質を、自分には見抜けなかった、という敗北感が込み上げてきた。
突然、何かと何かがぶつかり合う鈍い音がした。驚いて顔を上げると、予想通りと言うべきかルミアのボディーガードが倒れうめいていた。
——襲撃!?こんな時に……。
当然、襲撃者はルミアに攻撃を仕掛けてくる。相手は相変わらずフードを被っていて顔は見えない。
ルミアは携帯していた短剣でなんとか襲撃者の攻撃に対抗しようとしたが、力でも体技でも勝てそうになかった。まるで弄ばれているようだ。しかしそれは、ルミアよりも強いボディーガードがやられた時点でわかっていた。
——クソ……こんな簡単に窮地に追いやられるなんて。情けない。私のよっわいパッシブじゃどうにもならないし、今はなんとか時間を稼がないと。
と思うや否や、ルミアは相手の武器によって持っていた短剣が弾き飛ばされてしまった。
——まずい!武器が!
反射的に相手の手元に目をやると、その手にはルミアの知っているものが握られていた。
——公安の警棒!?まさか、サツキが……?いや、今はそんなこと考えてる場合じゃない。どうしよう。
「……あ、あれ?ルミアさんじゃないですか」
聞いたことのある怯えたような声が聞こえた。
「あなたは……前に私を襲撃してきた三人の……マユリさん?」
「モユリです。と、とりあえず助けますね」
モユリは瞬時に襲撃者へ拳を喰らわせた。その衝撃で襲撃者は宙へ飛ばされ、綺麗は放物線を描いて消えていった。
「ええ……演出じゃなくて、ほんとにあんな風に飛んでいくことあるんだ……」
ルミアは面食らいながら、その様子を見ていた。
「ありがとうございました」
「……いえいえ、一度こちらが迷惑かけてますから」
休憩がてら、二人は近くのベンチに腰を下ろした。
「……それで、どうですか?念願の皇帝は」
「あまり、芳しくはないですね」
「そうですか。まあ、こんな状況じゃ仕方ないですよね……」
「こんな状況、ですか。これがもし、前の皇帝だったらどうなっていたのかなって、考えてしまいます」
「え?おんなじじゃないですか?」
「いやですね、私が間違いや失敗をすると、前の皇帝だったら……って言われてるような気がして……実際言われてもいるんですけどね」
スラスラと話している自分に若干驚きつつも、ルミアは話を続けた。
「心持ち的には、私ならもっと出来る、もっと国をよく出来るって思ってたんですけど、全然だから、そのギャップにちょっとやられちゃってるんですよね……」
「……それは大変でしたね……ルミアさんは、皇帝になりたいって直訴したんですか?」
「いえ、ヘリクさんがやめるってなってから、突然指名されました」
「なるほど。前の皇帝さんに直接指名されたから、それがプレッシャーになっちゃたんですね」
「そんなはずは……いや、そうかもしれませんね」
ルミアは自分自身を整理したい、そんな思いで話をしていた。
「……ルミアさんにとって、皇帝の仕事ってやりたかったことなんですか?」
「うーん、最初は上手くいってたから、漠然とこれがやりたいことで、やっと願いが叶ったって思ってたんですけど、いざ障壁にぶつかるとこんなのやりたいことじゃないって思いましたね。都合のいい話ですけど」
「つまり、ルミアさん的には障壁にぶつかったとしても、やりたいことはやりたいことのまま、それがやりたいことってことですか?興味深いですね」
「はは、そんな難しいことを言ったつもりじゃないんですけどね」
「あ、そうなんですね。すみません。ところでじゃあ、ルミアさんが今やりたいことってあるんですか?」
「そうだな……」
ルミアは顎に手を当てた。
「……気恥ずかしいですが、家族と過ごしたいですね。最近まったくかまってやれなかったから、かなり我慢をさせてると思うんです」
「……案外、そっちの方が良かったりして?」
「え!?私、家族に嫌われてるってこと?不安になってきた……でも、そうだとしても、その事実を知らないよりは知っておきたいですね」
「いいですね、それ。じゃ、今から皇帝辞めちゃいますか?」
「それは流石に……ダメですよ。こんな状況で」
ルミアは立ち上がった。
「私、そろそろ行きますね。守ってくれたり、話し相手になってくれたり、ありがとうございました。またのご縁があれば何かお礼させていただきますね」
「あ、忙しいですもんね。貴重な時間を取っちゃってすみません」
ルミアは歩き出した。
「……ルミアさん!別に、逃げたっていいと思いますよー!」
後ろからモユリの声が聞こえた。
「無責任なこと言わないでくださいよ。なんでそんな甘やかすようなこと言うんですか?」
振り返らないで、答えた。
「私が逃げたからです!仲間になりましょう!」
「ふふ、なんですか、それ。私を道連れにしないでくださいよ」
「……へへ、すみません」
しかしその言葉で、ルミアは心が軽くなったのがわかった。
ルミアは城に到着した。今日の仕事は軽く事務処理をして終了だ。
「ルミア様。皇室でお待ちになっている方がいらっしゃいます」
「誰ですか?」
「それがわからなくて……聞いても、答えてくれないのです」
「なんだそれ……もしかして、ワクチンの業者か?」
若干警戒しながら、ルミアは皇室に続く階段を登った。
——もうかなり遅い時間なのに……また遅くなっちゃうな……もしかしたら本当に、二人に愛想尽かされるかもな……。
ため息をついて、ルミアは皇室の扉を開けた。
「おめでとう!」
パーン、と小さな爆発音をした。
「え?え!?なんで!?」
そこには、クラッカーを持った夫と娘が、装飾された部屋の中で片膝をついていた。
「誕生日、おめでとう!」
「あ、そっか、私、今日誕生日だっけ……」
「覚えてなかったの?前に聞いたじゃないか」
そんなことはすっかり忘れていたどころか、聞かれた時もなんのことかよくわかっていなかった。
「最近かなり忙しそうだったからさ。ほんの少しの間だけど、今夜くらいは、肩の力を抜いてもいいんじゃない?」
「まったく……こんなことまでしなくてもいいのに……」
言いながらも、ルミアは口元を手で抑え、目の下に涙を蓄えていた。
それから、ルミアは久々に濃密な家族の時間を過ごした。