三
「名前はベンダ。現在ディサ帝国で最も戦闘力が高いとされている人物だ」
マクサがメモ帳を覗きながら言った。
「個人最強か……その比較対象にヘリクは含まれていないのか?」
「ヘリクはここ最近戦っていないみたいでな。ヘリクを除いたっていう認識ではあるみたいだぞ」
「ふむ。それでパッシブは?」
「戦闘力最高ってだけあって、身体強化系みたいだ。ただ、具体的な内容はわからないな」
この世界の人間は、基本的にパッシブの内容を公に晒すことはない。戦いの多いこの世界では、今回のマクサのような軽い調査程度でパッシブを知られてしまうのはあまりにも不利だからだ。
「身体強化系なら、モユリだな」
「……はい。そろそろ体を動かしたいなって思ってたところです」
「殺すなよー」
「殺されちゃうかもしれないし、そんなことは考えてられないよ」
「それは自信がないのか?謙虚なのか?」
「圧倒的前者ですよ」
「それ、大体の場合煽りにしかならないじゃないか」
「そうなったらいいじゃないですか」
「確かに」
三人は話しながら、あらかじめ取っておいた宿へ向かった。
翌日、昨晩と同様に目的の公国にて、三人は集まった。
昨日と同様に、ランは遅れてやってきた。
「さ、行こうか」
三人は歩き出した。
「なぁ、今日半日くらい滞在して思ったんだが、ここは随分と雰囲気が良くないか?活気があるというか」
マクサが呟いた。
「……うん。人は感じが良いし、荒れた感じもないし。昨日とは大違いだね」
「強い人がいるから、もっとパワー系の殺伐とした感じだと思ってたけどな」
公爵はある程度自由にルールを定めることができるため、公国にはその統治者の特色が出る。
「お前らなぁ……それが正しかったら、俺たちはどんだけ乱暴になっちまうんだ?」
「あ……確かに」
ネモの館と違い、ベンダの館には門番が一人もおらず開放的だった。
「ごめんくださーい」
ランが戸を叩いた。
「はいはーい」
返事の一分程後、三十代半ばくらいの男が寝巻き姿で出てきた。
「ごめんねパジャマで。何の用かな?」
「ベンダって奴いるか?……ってもしかしてあんたが?」
「うん。そうだね。僕がベンダだけど、何か用かな?」
「あ、うーん……」
ベンダは自分の頭を撫でた。
「一応、夜に人は入れない様にするってことで、一人にさせてもらってるんだけど……」
「ふむ。なら俺たちは強盗だ。無理矢理入られたってことでどうだ」
「あんまりみんなに嘘はつきたくないなぁ……」
「うーむ。良い方法はないか?」
相手の対応が柔らかいからか、今回はランの対応も穏便である。
「そうだな……なら、決闘とか、どうだい?」
「決闘?何だそりゃ」
「一対一で戦うことだよ」
「それはわかってる。それなら良いのかってことだ」
「うん。僕が負けたら、言う通りにするから。強い相手に屈したってね。」
「ほー。お前が良いなら良いぞ。お前が腕に自信があるように、こっちもあるもんでね」
「いいね。じゃ、そういうことで。準備するからちょっと待っててね」
ベンダは一度家の中に戻っていった。
「良い奴そうだな」
「うん。この人なら任せても良いと思います」
「何言ってんだ。こういう奴に反逆の精神があると思うか?忠誠心の塊だぞきっと」
「それは確認しないとわからないじゃないですか」
と言ったところで、ベンダが戻ってきた。
「よし。それじゃあ行こうか」
四人は近くの人気がない平野まで移動した。
「……あ、あの、ワタシがお相手します。お願いします」
モユリがいつも通りおどおどしながらベンダの前に立った。
「お、君が相手か。人は見た目によらないって言うし、むしろ強そうに見えるよ」
その見立てはおおよそ正解である。
「言っておくけど、命はかけない感じで頼むよ?」
と言いつつも、ベンダはワクワクした様子で準備運動をしていた。
「だけど、本気では行かせてもらうよ」
「どっちですか……」
「さ、二人とも、いくぞー」
マクサの言葉で二人は構えた。ベンダは美しいファイティングポーズだったが、モユリは腰が引けていていかにも弱そうだった。
「はじめー」
マクサの締まりのない掛け声で戦いが始まった。
初めに仕掛けたのはモユリだった。ベンダの懐に入り込み、ボディーブローを喰らわせた。しかし、ベンダには効いておらず、モユリの上から肘を振り下ろした。ただ、モユリにもそれは効いておらず、モユリはそのままベンダの腹部に数発パンチを打ち込んだ。それに体制を崩したベンダは一旦モユリから距離を取った。
「君も身体強化なんだね。かなり頑丈だ」
ベンダが楽しそうに言った。
「……あなたこそ」
モユリは手をグーパーさせながら、かなり手応えを感じていた。ベンダの身体はモユリが今まで殴った物の中でもかなりの堅牢さを誇っていた。ディサ帝国最強の名は伊達ではないようだ。
ベンダのパッシブ:身体強化・分割
ベンダのパッシブは体を部位別に強化する能力である。同時に強化できる部位は二つであり、扱いが難しい代わりに強化幅がとてつもなく大きい。ベンダはこのパッシブを完璧に使いこなしており、まるで全身を強化しているかのように思われることも少なくない。
「今度はこっちから行くよ!」
ベンダはそう宣言し、瞬時にモユリの後ろを取った。もっとも、声がけという愚かな行為のおかげでモユリは簡単に避けられたのだが、彼女はあえてそうしなかった。
ベンダは蹴りを三発、殴打を五発、モユリに喰らわせた。それは先程の攻撃よりもギアが上がっており、モユリは体勢を崩した。彼女はベンダに一度牽制の蹴りをいれ、彼から距離を取った。
「……値踏みしてるな」
二人の戦いを遠目に見ていたランが呟いた。
「あいつ、相手の力量測るのできないからな……」
「ああ。マクサ、準備しておいてくれ」
「あいよ」
そんなモユリは、不気味な薄笑いを浮かべていた。
「……これなら、使えますね……」
モユリは一つ深呼吸をした。閉じていた瞳をゆっくりと開けると、その目は薄緑色に輝いていた。
モユリのパッシブ:身体強化
この世界のパッシブにおいて、最も高い割合で存在しているのは身体強化系のパッシブである。そして、モユリはその頂点である。全身を観測史上最も高い上がり幅で強化し、さらに視力や反射神経などの力以外の身体機能を強化するだけにとどまらず、ほとんどの武術や剣術、投擲術など、戦闘における感覚をも完璧に把握することができる。
モユリは親指と人差し指で輪っかを作り、ベンダに向かって軽く空気を弾いた。すると、周りの草の根は持ち堪えることができず、文字通り根こそぎ空中に投げ飛ばされてしまうほどの衝撃が周りに走った。ベンダは本能的に危機を感じたのかモユリの指の先から外れようとしたが、現在のモユリのエイムはプロのスナイパーよりも鋭い。結局その指先は完璧にベンダの中心を捉えていた。当然、その衝撃波はベンダに直撃した、かと思いきや、モユリの目の前にはマクサが立っていた。
「お前……殺してどうする」
マクサが涼しい顔をして言った。
「なに?マクサが相手してくれるの?」
この言葉はモユリのものである。そう、モユリはパッシブを使うと人が変わるタイプである。戦闘狂になるのだ。
「どうせ戦った後は俺が後片付けするんだろ?勘弁してくれよ……」
「あ、そっか、ごめん……」
しかし、別人格が出てくるわけではないので、意外と聞き分けが良いものである。
「さ、降参でいいか?ベンダ」
マクサとモユリが話しているうちに、ランがベンダの元でしゃがみ込んだ。
「ああ。言葉が出ないよ」
モユリの気迫のみで地面に転がったベンダは目を閉じながら言った。
四人はそのままベンダ宅へ直行した。
「さて、何の話がしたいのかな?できる限り答えるよ」
ベンダはお茶を差し出しながら言った。
「そうだな。とりあえずシンアイのことについて教えてもらおうか」
ランがソファに深く腰をかけながら、遠慮なくお茶をすすった。
「ええ?そりゃ、葬炎をなくすために結成された組織だけど」
「それは昔の話だろう?葬炎がなくなった今、シンアイはどんなことをしているのかってことだ」
「うーん。最近特に大きな何かがあるとは聞いてないな。最も、僕みたいな末端の人間の話は、だけど。上が考えてることはわからないよ」
「ま、それもそうか」
「……そもそも、シンアイっていうのはどういう人間の集まりなんですか?いきなり出てきてディサ帝国を滅ぼしちゃうなんて異常ですよね」
モユリはランと違ってソファ前部分にちょんと腰をかけている。
「シンアイは行き場のない人間の居場所を作ってあげている組織でもあるんだ。そういう人たちを集めて大きくなったのさ」
「それは初耳だな。ならあんたも?」
「そうだね。僕もシンアイに拾われたんだ。だから、僕はこの恩返しを一生をかけてしようと思ってる」
「そうか。話したいことはそれだけだ。邪魔したな。お茶ごちそうさま」
「……え、もういいんですか?」
「俺からはそれだけだ。他に何か聞きたいことがあるのか?」
「いえ、別にないですけど……」
「なら、そういうことで」
ランが席を立った。
「ちょっと待って。もう遅いから、ウチに泊まってたったら?」
「お、いいのか?じゃあお言葉に甘えさせてもらうぜ」
ランは遠慮することなく即答した。
ベンダは宿泊させてくれるだけでなく、手料理も振る舞ってくれた。
「僕皿洗いしてくるから、ゆっくりしててね」
そう言い残し、ベンダは台所へ消えた。
「……ワタシ、あの人が仲間になってくれたら嬉しいです」
「でも、ランとの会話で無理そうだってわかっただろ?」
「あー、話は終わりっていうのは、やっぱりそういうことだったんだね」
「ああ。言った通り、忠誠心の塊みたいな感じだったろ?あいつのシンアイに対する恩義は相当なもんだろう。きっと、一生シンアイに尽くすんだろうな」
「何とか心変わりさせられないでしょうか?」
「そうだな。あいつのシンアイに対する恩義よりでかい恩義を演じて上書きしちまえばいいんじゃないか?」
「それはあの人の良心を利用してるみたいでなんか嫌です……」
「おいおい。ぬるいぞモユリ。ま、それも頭に入れといてくれ」
翌日、ベンダに朝食をご馳走してもらい、三人は次の公国へ出発した。
「さよーならー」
ベンダが気に入っているモユリは元気に手を振っていた。彼女が初対面の人間を気に入るのは稀である。
「さて、一旦は次が最後だな。公爵の名前は……ルミア。最も若くして公爵位となった人物だ」
マクサがいつものようにメモ帳を見ながら言った。
「俺たちと同じくらいの年齢だそうだ。いわばダークホースのような存在だな」
「お前は年齢不詳だろうが」
「まあ、そうなんだけどな」
その通り、マクサは諸関係から、年齢不詳である。なお、他のメンバーの年齢は上からランが26歳、モユリとツバキが25歳、そしてリンが22歳である。
「で?そのルミアってのはどんな奴なんだ?」
「言った通り年齢は二十代半ば。性別は女。あまり性格は良くないらしい。パッシブは完全に不明。ってな感じだな」
「策士タイプだな。モユリが苦手なやつだ」
「……でも、そういう人が負けるのを見るのは大好物です。頼みましたよ。ランベルさん」
モユリは悪趣味であった。
その日の夜、例に漏れず遅れてきたランを待ってから、一向はルミアの館へと向かった。
ルミアの館には灯りがなく、人気がないのが一目でわかった。
「なぁ、ルミアは留守みたいだが、どこにいるか教えてもらえるか?」
ランが門番に話しかけた。
「ルミア様はじきにお戻りになる。上がって待つこともできるが、どうする?」
「お、ずいぶん親切だな。是非そうさせてもらおう」
「……え、でも……」
「いいっていいって。相手の親切を裏切る方がしたくないって」
ランとマクサは呑気に、モユリは怯えながら館に入った。
案内された部屋にて、まずモユリが椅子に座って大きく伸びをした。
「……うーん、疲れた。いっぱい移動するとくたびれますよね」
「確かに。誰かマッサージしてくれねぇかなぁ」
ランが肩を回した。
「ならこれで勝負するか?」
気づくと、机には麻雀のスタンバイがされていた。
「はぁ?お前イカサマし放題じゃねぇか」
マクサはそういうパッシブである。
「イカサマ発見したらその時点で負けでいいからさ」
「……まぁそれなら」
三人は麻雀を始めた。
マクサは宣言した通り、特に違和感なくゲームを進めた。
ゲームはランが有利な展開で進み、最後の一局となった。
当然、逆転をする絶好のタイミングなため、ランはマクサを注意深く見張った。
無事にランが逃げ切りそうな終盤、マクサが最後の牌を持ってくる。ランがマクサを凝視する。マクサは諦めたかのように苦笑いをし、牌を切った。
ランがホッと一息を吐いた。しかし、安心したのも束の間、意外なところから声が上がった。
「ツモ!大三元!」
モユリが何も書いていない牌を叩きつけた。
「……」
「……」
全員が沈黙し、変な空気が流れた。
「おい。なんだその断面が荒い白は?」
「ええ?な、なんのことかな……」
そう、モユリは麻雀を知っている人間なら誰もが一度は考えたであろう”力で牌を削り取って白を作り出す”をわかりやす過ぎるイカサマとしてやってのけたのだ。
結果、当たり前のようにモユリが反則負けとなり、モユリは不貞腐れながら二人の肩マッサージをすることになった。
「俺の肩、破壊しないでくれよ。優しくな、優しく」
モユリなら簡単にランの肩を亡き者にできる。
「……ん?あぁ、残念だな」
ランが突然独り言を放った。
「どうした?」
「モユリが正解だったみたいだ。ま、それが普通か」
「……ってことは、どうします?」
「ま、相手の思い通りにしてやるのが一番じゃないか?マクサ、あとは頼んだぞー」
そのままランは倒れ込み、いびきをかき始めた。
「えぇ……」
二人は渋々、ランと同じようにした。
「おい……おい!ラン!モユリ!」
マクサが声を張り上げた。
「ちゃんと熟睡する奴があるかお前ら」
「あぁ……疲れたって言っただろうが」
「……んん、まだ眠い……てあれ?」
モユリは目を擦ろうとした。がしかし、三人は全ての関節を固定され、身体をどこも動かせないような状態だった。
「ここは少しでも衝撃があればインジス製の爆弾が作動するようになっています。抜け出さないようにするのが得策だと思いますよ」
脱力した女の声が聞こえてきた。三人が縛られている部屋の窓の奥から髪を一つに縛った女が現れた。そう、彼女がルミアだ。
ちなみに、彼女の説明にあったインジスというのは端的に言うと、とてつもなく頑丈な金属のことである。
「あなた達の話は聞いています。変なマントをつけた奴らが襲撃に来たって」
「マントじゃない!ローブだ!」
ランが声を張り上げた。
「突っ込むところそこじゃないだろ……」
「じゃあ何を突っ込めばいいんだ?」
「俺たちの情報がバレてるってことだよ。ランが釘刺しといたのに」
「あぁ、そういえばそうだったな」
「それにしても、ずいぶんアホな人達ですね。あんなの罠じゃない方がおかしいでしょうに。長々立てたプランが台無しです」
「おいおい、簡単に罠に引っかかったのをアホだからで片付けてるぜ。自分が舐めきられてるってことをわかってないみたいだ」
「ふっ、愚か者の負け惜しみは醜いですね。そんなみっともない状態にされてしまって」
ルミアは気持ちよさそうに蔑んだ目でランを見下した。
「おぉー聞いてた通り、性格が悪そうだな」
「そうだな。基本は下手に立ち回って、相手が何もできなくなって初めて強気に出るんだよな」
「優秀じゃないか。最初から強気に出るお前よりよっぽど賢い」
「よく喋る人達ですね。あなた達は今から——」
「そうそう!上司みたいな人にお前しかできないんだ……って言われてさ、しょうがないですね……とか言いながら内心めっちゃ喜んでるんだよな!」
ランとマクサはルミアの声が聞こえてないかのように談義に花を咲かせていた。
「パッシブは……そうだな、普段だったらまったく役に立たないが、一発逆転できるような能力じゃないか?」
「一回作戦を失敗させたように見せかけて、そこからあえて大逆転するーみたいなのが好きなんだろ」
「……悪趣味ですね」
「あと、何かを志す途中で出会った人を助けないといられないような主人公気質のやつと結ばれてそうだよな」
「……あんたら、自分の状況がわかってるんですか?」
ついにルミアが大きい声を出した。
「おいおい、褒めてるじゃないか。自分のこと当てられてむかついちまったか?プライド高いな」
ルミアがため息をついた。
「つくづくアホですね。立ち回りによってはもう少し長生きできたのに。爆弾を起爆させてください」
しかし、ルミアの指示も虚しく、爆弾は起爆しなかった。
「ほら!早くしてください!」
「まぁそうカッカすんなよ。お前は優秀だと思うぞ?ただ、相手が少し悪かっただけだ」
「何を言って……」
ルミアは周りを見渡すと、自分の部下が全員倒れているということに気がついた。と同時に、自分の体調不良が偶然ではないということに気づかされた。
「ど、どういうこと……」
ルミアはそのまま倒れ込み、意識を失った。
気づくと、ルミアは拘束されており、ものの見事に形勢逆転を喫していた。
「一体なんなんだよこいつら……くそ、部下どもが無能なばっかりに……」
「愚か者の負け惜しみは醜いですねぇ」
モユリがニヤニヤを通り越してニチャニチャしながらルミアの言葉を使った。その言葉に、ルミアは歯を噛み締めながら下を向いた。ただ、モユリは今回特に何もしていない。見事な小物ムーブだ。
「ほらほらぁ、もっとその可愛い顔を見せてくださいよぉ」
モユリがルミアの顔を覗き込んだ。
「……あなたの顔も、かなり整ってるじゃないですか。私なんかよりもずっと可愛いと思いますよ。
「ぇ……」
モユリが一気に女の顔になった。
「あ、堕ちた」
「モユリももーちょい自分に気を遣えば化けるんだけど、本人にその気がないからな……ってことで、茶番は終わりにして、少し話をしようか。まぁ、別にお前に危害を加えようってわけじゃないから、今の感じで肩の力を抜いてくれ」
「……そうですか。危害を加える気がないなら拘束を緩めてくださいよ」
ルミアはムスッとした顔で言った。
「太々しいな。マクサ、言った通りにしてやってくれ」
マクサはルミアの手を縛っていた縄を緩めようとした。がしかし、ルミアはなぜかそれが気に入らないようでジタバタと暴れまわり、マクサにビンタを喰らわせた。
「おい、拘束を緩めてくれって言ったのはお前だろ?」
「いえ、ずいぶん女性を扱うのが下手だなと思って」
「おろ?女の気持ちはよくわかってるはずなんだかな」
「なんですかそれ。モテ自慢ですか?」
「いやぁそういうことじゃなくて……やっぱなんでもないわ」
一連の様子を見ていたランはふーんと言ったように小刻みに頷いた。
「マクサ、お前が悪いぞ。向こうは敗北して気が立ってるんだから」
「それもそうか」
「なぁ、あんたはどんな経緯でシンアイに入ったんだ?」
ルミアは最低限の拘束に解かれ、少し休憩を挟んだところで話を始めた。
「あまり昔を語るのは好きじゃないんですけど……そうですね、一言で言うと仇討ちですかね」
「仇討ち?親でも殺されたのか?」
「いえ。両親は毒親でした。むしろ殺したかったし。いっそそうしましたよ。やられたのは姉でした。子供の頃、両親は私達を虐げていました。どういうタイプだったかというと……私達を道具としか思ってないタイプでしたね。ろくにものを与えないでただの労働力扱い。おかげで私達はろくに学校へ行っていません。そんな中で、姉はいつも私に良くしてくれました。食べ物を多めに分けてくれ、私が受けるべき罰を肩代わりしてくれたりもしてくれました。当然、私はそんな姉を慕っていました。そんなある日、姉がある提案をしてきました。内緒で少しづつ貯めてきたお金がある程度まとまったから、夜逃げを一緒にしようと。もちろん私は二つ返事でOKしました。しかし、夜逃げ決行の日を首を長くして待つ中、一つの知らせが届きました。それはシンアイからでした。シンアイがここを統治し始めた頃、彼らは人手不足に悩まされていました。だから、あいつらはそこに住んでいた人々を召使い、いや、奴隷として召集していたんです。そう。お察しの通りそれは姉が召集されたことを知らせるためのものでした。それを聞いた時は思いましたよ。ああ、神様は居ないんだなと。私達の計画は台無しになってしまいました」
「そんな召集なんて放っておいてすぐに逃げればよかったのでは?」
マクサが言った。
「そうしたら両親の身が危ないと言いました。姉はそういう人だったんです」
「そういう人ね……なんで、そういうのに限ってどっか言っちまうんだろうな……」
ランは天を仰ぎながら言った。
「そうですね。そして、姉は一年後に帰ってきました。何もできない状態で。姉は社会での立ち回りというものを知らなかったので、両親の元にいた時よりも酷い扱いをされていたようです。その時に決心しました。こいつら全員地の底まで叩き落としてやろうって。で、それがうまくいって、そのまま後釜って感じです」
「……結構ハードな人生だったんですね……」
モユリが眉に皺を寄せた。
「まぁ、別に私だけ特別ってわけじゃないみたいですけどね。同じような話も結構聞きます」
「それはシンアイに虐げられて壊れてしまった人がたくさんいたってことか?」
「はい。姉が入る前にも、かなりの人間がそうなっていたみたいですよ」
「ふーん。前にも、ね……」
ランは顎に手を当てた。
「さ、暗い話は終わりにしましょう。他に聞きたいことは?」
「いや、特にはない。お前を解放したらお暇させてもらう」
「そうですか。なら、私から聞きたいんですけど、あなたのパッシブってどんなものなんですか?答えていいなら教えて欲しいんですけど」
「俺か?俺は空気を操るパッシブだ」
ランのパッシブ:気体操作
ランのパッシブは自分の範囲内の気体を思うがままに操ることができる能力である。また、付随している能力として範囲内に存在している気体の種類を把握することができ、種類別に操作することも可能である。このパッシブの特徴は活用方法が多いところにある。ある時は気体で自分の身体を押し出して空を飛び回ったり、可燃性の気体を集めて爆発を起こしたり、小さな空気の塊を飛ばして空気砲にしたりと多彩である。そして、今回のルミアに対してはランが空気中の酸素を薄くさせ、酸欠を招いたのだ。
普段、味方でもない人間にパッシブの内容を伝えるということは滅多にないが、ランは自身か過信か余裕でその内容を語った。
「なるほど……そうだったんですか。私に勝ち目はないですね」
ルミアが言った。
「ところで、お前のパッシブを聞いてもいいか?予想したから、答え合わせをしたい」
「いいですよ。私も説明したくてうずうずしてました」
「うずうず?変態か?」
「私のパッシブは、線虫を操る能力です」
「線虫?線虫ってあのめっちゃちっちゃいやつ?」
「はい。その通りです。全長一ミリ程度のあいつです」
ルミアのパッシブ:線虫操作
ルミアのパッシブは範囲内の線虫を自在に操ることができる能力である。と言っても、線虫が強化されるわけでもなく、ただ命令を出せるということである。基本的に線虫ならどのような種類でも操ることができるが、複数隊同時に操ることはできない。パッシブの力量だけで見るとこのパッシブは平均以下、いや底辺クラスである。
「ちなみに、今リアルタイムでパッシブを使ってるんですが、どこにいると思いますか?」
ルミアがニヤリと笑った。
「さあ?どこだ?」
「そこのお兄さん、マクサさんの頭の中です」
「頭の中って……まじか」
マクサは頭を抱えた。
「マクサが縄を緩めようとした時か。なるほど、だから抵抗したんだな」
ランが腕を組んで頷いた。
「さてこの線虫、普通に戦うなら何もないに等しいですが、人一人の脳を食い潰すには十分です。それに、一度命令を出せば、私が死んでも線虫は命令を遂行します。さて、どうしますか?」
ルミアは勝ち誇ったような顔で言った。そう、こうしてルミアはどうにか相手の頭の中に線虫を侵入させ、その言葉を脅し文句にのし上がってきたのである。
「マクサさんの命が惜しければ私の言う通りにしてください。でないと——」
「ランベルさん、すごいです!普段だったらまったく役に立たないけど、一発逆転できるような能力ってそのままじゃないですか!」
モユリがランへ小さく拍手をした。
「だろう?やっぱ俺って天才!」
ランは鼻高々な様子で言った。
「……あんたら、今の状況わかってるんですか?仲間の命を私が握ってるんですよ?」
ルミアはイライラした様子で言った。
「あー、えっと……申し訳ないんですけど……」
「そいつ、不死身みたいなもんなんだよ。だから、脳食い荒らされたくらいじゃなんともないんだ」
「ごめん、そうなんだ。やってみてくれてもいいよ」
マクサはなぜか照れくさそうにルミアを見た。
「は?え……?ずる……」
ルミアから素な感想が飛び出た。
「ま、こんなことだろうと思ってマクサに色々やらせたんだよな」
「でもそれをいいことにいっつも俺に危ない雑用をやらせてくるんだよ……うぅ」
マクサがルミアの拘束を解きながら言った。
「じゃ、一連の出来事は言わないでくれよー。ってどうせ言っても無駄だと思うけど」
三人は背を向けながらルミアに手を振った。
「……結構いい感じでしたね。あの人」
夜の街頭を歩きながらモユリが言った。
「ああ。最高だ」
「すっごく賢くて優秀ですし、シンアイへの忠誠心はなさそうですし、何より相応な過去を持ってて、応援したくなるというか……」
「そう見えたか。俺が評価してるのはそこじゃない。あいつの一番の見どころは傲慢な向上心だ」
「傲慢な向上心?」
モユリが顔をしかめた。
「ああ。ルミアは姉がシンアイに入る前からそこが地獄だと知っていた。どんなにその姉が優しい人間でも、そこまで酷い親なら何も気にせずルミアと一緒に逃げ出すだろう。もし姉が本物の聖人だったとしても、姉を慕っていたというルミアがなんとしても連れ出しただろう。なのに、ルミアはそうしなかった。きっとあいつは姉のことなんてどうでもよかったんだろう。むしろ、自分の過去が美談化するって喜んでるくらいだろうよ。シンアイに入ったのも、権力を手に入れるのに一番近いからとか、そんな理由だよきっと」
「そんな推測ばっかりで、全然納得できないですよその話」
モユリが唇を尖らせた。
「あいつが俺のパッシブで酸欠になって倒れた後、なんて言ったか覚えてるか?」
「なんか、部下が使えないとかなんとか言ってましたね」
「そう。あれは部下と大して関係作れてないんだ。ってことは今でも人員を招集する制度は変わってないんじゃないか。あいつ、シンアイを潰すみたいなこと言ってなかったか?その割には何も変わっていないじゃないか」
「うーん……そうといえば……そうかも?」
モユリが今度は腕を組んだ。
「……お前、あいつに可愛いって言われたからバイアスかかってんだろ」
「え!い、いやそんな……こと、ないですよ……」
モユリの顔が一気に歪んだ。
「顔に書いてあるぞー」
「だだって!あんなこと滅多に言われないですし……」
「そんなん俺がいくらでも言ってやるから。ほらかわいいかわいい」
ランは抑揚のない声で言った。
「あ、そんなことするならみんなが最初に集まった時ツバキの格好見て男子校の文化祭って呟いてたのバラしますからね?」
「げっ!聞こえてたのか!勘弁してくれ!モユリ世界一かわいい!世界一かわいいから!」
ランがうろたえた。
「もう遅いです」
「頼む。マクサ、助けてくれ……」
「自業自得だろ」
マクサが笑った。
「ツバキ怒らせると怖いんだよぉ……」
ランはモユリの腰を引っ張り、そんなのは抵抗にすらならないモユリと、その二人を楽しそうに見守るマクサ。三人はリンドウとツバキが待つ帝都へと向かった。