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十一

 あれから約一年が経った。

 「ご苦労。今日はもう上がっていいぞ」

 私はダンデに言い渡した。

 あの後聞いた話では、ダンデはロベリアの協力者ではなかったようで、本当にただ私を誘き寄せるためのエサだったらしい。今となっては私のいい部下だ。

 ダンデを見送ってからも、私の仕事は続いた。

 文字が掠れて見えるようになってきた頃、部屋の扉が叩かれた。それは私にとって仕事の終わりを意味する。

 「今日はレイと長話をしてしまってな。少し遅くなってしまった」

 ヒシンは毎晩、レイが眠った後に私の部屋を訪れる。一応、同じ城内に住んではいるが、彼女にはレイとの時間を大切にしてもらいたいため、別々の場所に住んでいる。

 「今日は少し、あては控えめにしたぞ」

 「え……ど、どうしてだ……?」

 酒の肴はヒシンが手作りして持ってきてくれる。それは私の日々において一番と言える楽しみだった。

 「いや、あんた少しふっくらしてきたと思ってな」

 「……まあ、確かに……」

 近頃は治安が安定してきた上、私は戦わなくなったため、私の運動量はかなり減っていたのだ。

 「……これからは、運動習慣をつけるとするか」

 「ああ。そうしたら、量を元に戻すよ」

 そんな風にして、私達は夜深くまで話し込んだ。

 「おいヘリク。あんたいつから私に隠し事をできるご身分になったんだ?」

 ある昼下がり、私の目の前にヒシンが立ちはだかった。

 「ご身分ならお前と出会った時からずっとこの国の最高権力者だ。頼むからついてこないでくれ」

 あの約束の通り、私が外に出る時、ヒシンは同伴する。ただ、今回ばかりはやむを得ない事情があったのだ。

 「お前は私のプライドにかけて守られなくちゃならないんだ。今のあんたじゃレイにすら勝てないだろう?そんな状態で外をほっつかれたら困るんだ」

 「それは私のことを見くびりすぎではないか……私とて、パッシブが使えなくとも戦える。だから、単独での外出を許してはもらえないだろうか」

 「……はぁ。死んだら殺すからな」

 「ああ。あの世でもう一度殺されよう」


 私は用事を済ませ、無事城内へ帰還した。光が漏れ出ている自室の扉を開けると、そこにはヒシンが鎮座していた。

 「……遅かったじゃないか。それがもし浮気だったのなら、当然私より強い女なんだろうな」

 「気にするところが違うと思うが。そして、お前より強い人間など、この国にはいないと言って差し支えないだろう」

 私はため息をつきながらベッドに座った。疲れていたせいか、少しそっけない態度をとってしまっただろうか。

 「そうか。ま、もとより何も疑ってはいないが。そんなことよりもほら、うつ伏せになれ。マッサージしてやるから」

 そんな風に思っていても、ヒシンは察し良く私を労ってくれる。彼女の好きなところの一つだ。

 よく、幸せというのは身近すぎて気づかないという表現を耳にするが、そしてその幸せは失った時に気づくというが、私は今が限りなく幸せだということを認識していた。だがしかし、そうであったとしても、幸せというのは危機に晒されるものなのだと、この後私は知ることになる。


 「やはり、そうなってしまったか……」

 本部からの便りに目を通し、私はうなだれた。

 現在、シンアイでは内部抗争が起きていた。自由と権力を求めた一部の人間達が結託し、シンアイ本来の目的とは外れたところで侵略をしようとしたのだ。ここまでは以前から知っていた。その続きとして、本部が新勢力を鎮めようとしたが失敗。侵略の矛先はまだ出来立て新体制の我々ディサ帝国に向いた、というのが手紙の内容だった。

 これから、私が皇帝になってから、かつてないほどの戦いが始まる。私はすぐに戦いの準備を進めていった。敵軍勢の戦力はどう見積もっても自軍よりも大きい。私は自軍における個人個人の戦闘能力、パッシブなどの情報を片っ端から集め、地の利を活かせるような配置、見張りの時間シフトなど、一日中部屋にこもって考案した。

 

 数日後、案の定新生シンアイ軍はディサ帝国に攻め込んできた。宣戦布告はなかった。

 私は自室の椅子に座りながら、戦況の報告を待った。

 荒々しく扉が開いた。そこには、今回の戦いとは無関係であるはずの人間が立っていた。

 「ヘリク!どういうことだ!」

 ヒシンが怒鳴った。彼女には今回の件のことは伝えていなかった。

 「最近の隠し事っていうのはこれだったのか」

 「……」

 「きっと、私に伝えれば私も戦いに参加するって言うと思ったんだろう。ああそうさ。私が参加しないでどうするんだ」

 「……君は、シンアイの正式な人間ではない。よって——」

 「そんな上辺だけの理由で納得すると思うか?私がいるなら確実に被害を抑え、勝率を上げられる。生き残る自信だって当然ある」

 「それはわかっている。しかし、お前がいなくなったら、誰が私を守るんだ……?」

 我ながら、なんと情けのない言葉なのだろうか。

 「……全て、私のわがままだと思って、聞いてはくれないだろうか」

 「……わかったよ。その代わり、お前の指揮を全力でサポートするからな」

 「ありがとう。頼りにしている」

 

 ヒシンの助言もあり、始めは戦いを有利に進めることができた。しかし、時間が経つにつれ、総合力の差が着々と露呈していき、戦況は悪化の一途を辿った。

 「ヘリク。調子はどうだ?」

 ヒシンが部屋を訪れた。

 「ああ。だいぶ良くなった」

 戦いが始まってからというもの、私は戦場には出ずに城の中に缶詰だった。同時に、ボディーガードの役割がないヒシンは私の仕事の一部を肩代わりしてくれ、私は今の今まで休憩していたのだ。

 「報告を頼む」

 「ああ。今日で全兵の約三割がやられたそうだ」

 「はぁ……」

 私は頭を抱えた。

 「ははは、殊勝だねえ、あんたは」

 ヒシンは側にあった机に寄りかかった。

 「殊勝?どこがだ?」

 「押し付けられた戦争に文句も言わず戦って、どうしようもない犠牲に責任を感じて……これほど関心な奴はいない」

 「一国の主というのは、そういうものだ……と、思う……」

 私自信、この皇帝という地位にどういった姿勢でいればいいのか、未だ明瞭ではない。

 「辛いな。一国の主というものは。加えて、あんたの場合は大して思い入れがないだろう。守らなきゃいけない理由なんてないだろうに」

 「……ああ、まあ……」

 濁してしまったが、守らなければならない理由ならあった。私はヒシンとレイの暮らしを守りたかった。それがなければ、ヒシンの言うようにとっくに投げ出していただろう。

 「さあ、ヒシンは休んでいてくれ。後の仕事は任せろ」

 ヒシンは報告を終え、部屋を出ていった。それを確認すると、私は懐から小さな箱を取り出した。それを少しの間見つめると、私はため息をついた。

 先日、ヒシンが私の単独外出の理由を問い詰めてきた時、都合の良い理由があったために誤魔化してしまったが、あの日は婚約指輪を見繕い、プロポーズの段取りをつけていたのだ。

 こんな状況になってしまった今、この戦いが終わったら結婚しようなどとプロポーズするのは投身自殺に等しいお笑い行為だ。つまり、プロポーズは当分お預けということになる。それどころか、そのチャンスは永久にやってこない可能性だってある。この戦いに敗戦するということはつまり私の死であるという可能性が高いからだ。私はプロポーズを遂行するため、今一度気合を入れ直した。

 

 

 しかし、私の心根一つでは何かが変わるはずもなく、ディサ帝国は敗戦濃厚となっていた。

 「ヘリク様。本部への支援は見込めないそうです……」

 頼みの綱も切られてしまった。これではもう、敗戦後の準備をした方がいいだろう。私が処刑されるかどうかはわからないが、とにかくヒシンとレイは守らなくてはならない。彼女達が存在した記録は抹消して、城を追い出された後もある程度は生活できるように、ある程度の金銭は渡しておかなければ……まぁ、ヒシンなら心配ないとは思うが。

 そんなことを考えながら、私は廊下を歩いた。すると、ヒシンとレイにばったり出くわした。

 「おじさん。久しぶり」

 レイが言った。レイはほんの少しではあるが私に懐いてくれているのだ。

 「ああ。最近は忙しくてな。ところで、ここの生活は楽しいか?」

 しかし、私は命が危うい身。いついなくなっても大丈夫なようにしなければならない。

 「うん。楽しいよ」

 「そうか。それは良かった。だが、一つだけ言っておきたいことがある。君は今、恵まれているんだ。それを意識した方がいい」

 決して甘やかしてはならない。

 「そして、どこへいっても、自分は恵まれていると考え、献身的に生きるのだぞ」

 思ってもいない、老害のようなことを言ってしまった。だが、これでいい。そう思っていた。

 「うん。わかった」

 レイはお利口に返事をした。そんな様子を、ヒシンは静かに、唇を噛みながら見守っていた。

 後に私はこの行動が失敗だったと悔やむことになる。ヒシンの決心を誘ってしまったのだから。

 

 

 「ヘリク様!敵勢力が帝都内への侵入を始めました!」

 私は最後まで降伏をしなかった。よって、彼らは私の首を狙いに来たのだ。

 ついにこの時が来てしまったか。こうなってしまっては、降伏するより他ない。

 私は準備のため、足早にある部屋へ向かった。

 「ヒシン!レイ!避難を……」

 言いながら、二人の部屋を開けた。しかし、レイの姿はあったものの、ヒシンの姿はなかった。

 「レイ、ヒシンは……?」

 「えっと……約束があるって……外に……」

 「約束……どんな?」

 「わかんない……だけど、遅くなったらおじさんに言うようにって、お母さんが」

 ヒシンは外出する際、必ず私に報告していた。加えて、彼女は昔の自分の身分を隠すためか、私以外の人間と関わりたがらない。約束をできるような人間がいるように思えなかった。

 そこまで考えたところで、私はハッとした。もしかすると、その約束というのは私に対する物ではないのか。

 気づくと、私は城内で最も広いバルコニーに向かって駆け出していた。

 息を切らしながらバルコニーのフェンスに手を打ちつけた。顔を上げると、遠方に巨大な水飛沫が弾けているのが見えた。ヒシンが戦闘している証だ。

 私はヒシンに守られる立場であったことを思い出した。にもかかわらず、私は自分を犠牲にしてヒシンを守ろうとした。守ろうと思い上がってしまった。それに勘づいた彼女はそれを食い止めようと、視線を繰り広げてしまった。

 私がヒシンを守ろうとすればまた、ヒシンも私を守ろうとする。きっと、現状ではヒシンがやられてしまうのは時間の問題だろう。私達両方が生き残るには、この戦いに勝つしかない。そしてこの絶望的な戦況をひっくり返すには、私が出るしかなかった。それはつまり、私のパッシブを発動させなければならないということを意味していた。

 久方ぶりに自室から刀を取り出した。迫ってくる現実に、胸が締め付けられるのを感じた。

 大切なもの……大切なもの……それも、ヒシン以外の……。

 私は思考を張り巡らせた。しかし、いくら考えようとも、私の頭にはヒシンの顔しか思い浮かばなかった。

 ふと、自分の身体を見た。以前、一番可愛いのは自分だと、ヒシンに言ったのを思い出した。

 「……」

 一瞬躊躇ったが、私は利き腕を切り落とした。

 身体から力が湧き出てくるのがわかった。だが、まだまだ足りない。

 止血をするために医務室へ足を運んだ。医者はかなり驚いており、大規模な手術を勧めてきたが、国の状況や私の都合を考え、応急処置だけを施した。一刻も早くヒシンの元へ駆けつけなければならない。

 失った血液のせいでぐらついている視界の中、私は城内を練り歩いた。

 あと一つ、何か一つ、大切なものを捨てなければならない。しかし、もう一つの腕や脚を切り落としてしまっては、戦いに影響が出てしまう。

 「あ、ヘリク様!」

 後ろから聞き馴染みのある声が聞こえた。振り返るとそこには、戦いでつけたであろう傷口を押さえたダンデが立っていた。

 見つけた。見つけてしまった。

 「ダンデ様……その腕……」

 「ああ……大したことはない」

 ダンデは心配そうな顔で私を見つめた。今から私はこの罪なき部下を殺すのだ。息が荒くなっていく。

 なに、今までやってきたことじゃないか。なのに、ここまで動揺するとは。平和ボケしてしまったものだな……。

 「ヘリク様、大丈夫ですか?」

 「うん?あ、ああ……」

 無意識のうちに、私は体勢を崩していたようだ。

 「一緒に医務室まで行きましょう」

 ダンデは私を担ぎ上げた。

 「大丈夫だ。そ、そこまでしてもらわなくても……」

 「いえいえ、私は大したことないですから。それに、あなたに倒れられてしまっては困ります。この戦いも、あと少しの辛抱ですよね!」

 ああ。私を励まさないでくれ。それは私を苦しめるだけだから。

 私はゆっくりと刀を抜き出し、それをダンデの背中へ突き刺した。彼はたちまち床に倒れ込んだ。私はすぐさま刀を抜き取り、ダンデが苦しまないようにダンデの頭を一刀両断した。

 「ダンデ……すまない……」

 無論、許されようなどと思って発言したわけではない。私はお前を殺したことをしかと背負って生きるつもりだ。

 再び身体から力が湧いてきた。これなら勝算はある。

 迅速にダンデの死体をひし隠した私は、全速力でヒシンの元へと向かった。

 

 街中にはかなりの敵が入り込んでいた。私はそれを一人残らず薙ぎ倒しながら進んだ。しかし、先程まで見えていた水飛沫は見えなくなっていた。私の中で不安が募る。

 ヒシン……どうか、どうか無事で……!

 しかし、その想いは届かなかった。いや、思ってしまったからかもしれない。いや、きっとどちらも関係はないのだろう。

 ヒシンは他よりも一層荒れた場所で膝をついていた。彼女の周りを敵が取り囲んでいる。

 「ヒシン!」

 私は周りの人間を一掃し、ヒシンの元へ駆け寄った。

 「ヘリクか……すまない。ヘマしちまった」

 ヒシンは致命傷を負っており、普通では即死してしまうレベルの外傷だった。

 「私が衰えたのか、相手が強かったのか……とにかく私では勝てなくてな……」

 「そんなことはいい!すぐに医務室まで——」

 「よせ。この感じじゃもう助からない」

 ヒシンはパッシブにより出血の量を最低限に抑えてはいたが、それでも身体へのダメージは限界を迎えているようだった。

 「どうして、ここまでして……」

 「レイに聞かなかったか?約束を守るためだって。まあ、守れそうにはないがな……」

 「私を守る必要などない。お前が無事なら、それで良かったんだ……」

 「はは、そりゃお互い様だったな。だが、このままじゃお前も、レイも、みんな死ぬことになる。だから——」

 その言葉の続きは簡単にわかった。私は耳を塞ぎたかった。しかしあいにく、両耳を塞ぐことができる腕がなかった。

 「私を殺せ」

 ヒシンは安らかにも見える笑顔で言い切った。

 「その様子を見るに、殺してきたんだろう?だったら、それを無駄にするわけにはいかないよな」

 「そんなこと……私にとって一番大切なのはお前なのだから……できるわけ、ないだろう……」

 「そいつは嬉しい言葉だね。その言葉が本当ならきっと、あんたはこの国を救えるさ」

 「しかし……」

 「やれやれ。お前が私を殺さなかったら、私はこのままのたれ死ぬか、誰かに殺されるかしかないんだぞ?いいのか?あんた以外の人間が私を殺すなんて。私は嫌だね」

 「……」

 それでも、私の表情は曇っていた。

 「まったく……大切な物なら、また作ればいいじゃないか。わかったわかった。なら一つ頼み事をしよう。私の代わりにレイの世話を頼みたいんだ。死ぬつもりなんてまるでなかったから、ろくに言葉を残せなかった。最悪な母親だよ。私は。だから、その尻拭いをしてくれないか?もっとも、お前が私を殺す決断をしなければ始まらないが」

 「……わかった」

 そうまで言われてしまっては、断ることは到底叶わなかった。

 「……私からも、一つ頼みがあるのだが」

 私はずっと心に秘めていたものを、ポケットに入っていたものと共に取り出した。

 「この指輪を、つけさせて欲しいんだ」

 「あんた、それって……」

 「ああ。そうだ」

 「……かっこよく、頼むよ」

 ヒシンが私を守ると約束したあの日、結局その約束は破られることになってしまった。そして、今は反対のような状態になっているが、これから交わす約束も破れることになるだろう。

 私は跪いて、ヒシンの薬指に婚約指輪を通した。

 「私と、結婚してください」

 「……謹んで、お受けします」

 ヒシンは頬を赤く染めて、上目遣いに私を見た。感極まったその目には涙が溜まっていた。叶うことのない婚約が成就したこの瞬間、私は最も幸せで、最も不幸せだった。

 「……あんたは泣くなよ」

 ヒシンはパッシブで私の涙を拭った。

 「さ、妄想は終わりだ。一思いにやってくれ」

 「……後は全て任せてくれ」

 「思い詰めすぎるなよ」

 その言葉を最後に、私はヒシンと意識的に目を合わせ、刀を彼女の首元に近づけた。

 ヒシンに斬首を施すと、私の瞳は橙色の光を得た。私はヒシンを失った喪失感から気を逸らすように、ただ無心に、ひたすらに刀を振り回した。しかし、体感その時間はあっという間で、気がつけば戦いに勝利していたことを覚えている。


 それから、私はレイを守るために死力を尽くした。彼女のために孤児院を設立し、何かあったときすぐ人を派遣できるように公安を、すぐに避難できるように鉄道を隣に配置した。あまり贔屓をして私が皇帝の座を退任することになっては本末転倒であるため、他にもたくさんの政策を施してカモフラージュをはかった。心苦しくも、レイにとって最も脅威なのは私自身であったため、私はレイとの関わりをキッパリと絶った。さらに、なんとしてでも国を守るために非倫理的な夢獣の研究にも手を出した。

 

 なのに。だというのに。

 レイは今、その夢獣となって私の目の前にいる。

 レイを守れなかった。ヒシンとの約束を守れなかった。

 全て私が悪いんだ。レイを大切にし過ぎたんだ。今まで誤魔化してきたつもりだったが、心に嘘などつけない。少しは思い入れがあると思っていた皇帝という地位と全財産を捨てた時も、まるで力の足しにならなかった。私を狙う人間がいるならば、私の弱点を探して当然だ。レイを逃がすどころか、無事でいさせることも叶わなかった。こんなことになるならば、レイを信頼できる人間に任せてもっと遠い場所で暮らさせればよかった。いや、私に信頼できる仲の人間などいないか。

 現状、夢獣状態を回復させる手段は見つかっていない。したがってレイは今、力尽き死を待つことしかできない。

 ならばいっそ、レイを殺してしまえば。私はランベル以上の力を得ることができるかもしれない。ヤツに仇討ちできるかもしれない。しかしそうしたからといって、レイが帰ってくるわけではない。

 私は、私は……俺にはしかし、それしかできない。


 ヘリクの瞳が橙色に点滅している。彼は刀を持ち上げ、大きく振りかぶった。


 「やめろ」

 ランがヘリクの腕を掴んだ。

 「もうやめろ。お前の負けだ。それを捨てたら、人間でなくなる」

 ヘリクは力なく手から刀を離し、その場にへたり込むと、ランを睨んだ。

 「仲間がレイを捕まえた時、ついでにインセ国にいってもらったんだ。そいつはまあまあ融通が利いてな、夢獣からの回復方法の研究を依頼したんだ。そこはインセの中でも最高峰の機関らしく、期待値もかなりあると思う。それと、レイは今仲間のパッシブでだいぶおとなしくなっている。これから迅速に向こうに送って延命をはかる予定だ。向こうの設備や人員のパッシブを鑑みるに、かなりの期間は持たせられるみたいだ。だから、レイを元通りにできる可能性も高いはずだ」

 「そこまでして……一体何が目的なんだ?」

 ヘリクは一瞬表情を緩めたが、すぐに元の険しい表情へと戻した。

 「いい質問だ。俺たちの目的はな、シンアイを丸々潰すことだ。手始めとして、この国を乗っ取ってやろうと思い、お前に変わる皇帝を探したんだが、あいにくいいのが見つからなくってな。端的に言うと、人質を取ったから、俺たちに付かないかってことだ」

 「レイが治るという保証はないのだろう……?」

 「可能性がある、てだけで協力する価値はあるだろう?」

 当たり前かもしれないが、ヘリクはランに対して猛烈に憎しみの感情を抱いている。彼はランを睨みつけているままだ。

 「おいおい。レイはお前にとって何としてでも助けたい相手ではないのか?」

 ヘリクは一度目線を下に向けた。

 「なに、そこまで悪いようにはしないさ。お前は俺たちの言うことを聞いてくれればいい。もしお前に命の危険があったり、この国が危機に瀕したりしたら俺たちが守ってやる」

 「……同じような約束を、前に破られているのだが」

 「なら、もう信頼するのと絶望するのは疲れてしまったか?終わらせたいなら手伝ってもいいが……今はまだそうではないだろう。まだ絶望しきっていないだろう。終わらせるなら、最後の最後でいいんじゃないか?」

 ヘリクはランへ顔を向けた。

 「お前が絶望するのは俺たちが失敗した後だ。それは万が一と言うには確率が高すぎるくらいだ」

 この満天の自身と真っ直ぐな言葉。ヘリクは懐かしさを覚えた。

 「だから——」

 ランはヘリクへ手を差し出した。

 「ああ、そうか。お前は、お前が——」

 下から見上げるランの姿、その輪郭を見て、ヘリクは全てを確信した。

 「どうだろうな。もしそうだとしたら、実の妹を死地に追いやったクズだ」

 そう、ランはディサ帝国に取り残された、ヒシンの息子であった。

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