霊祓いの憂鬱
「こちらなんです。先生」
依頼人である中年女性の言葉に適当に返事をしながら私はその部屋へ向かう。
漂う臭いに私は思わず眉をしかめる。
ちくしょう……また、このパターンか。
「先生?」
不安げな女性の言葉に私は軽く頷き答えた。
「下級の霊ですね。大した手合いではありません。しかし、一般人には危険です。お母さまはここまでで結構です。あとはお任せください」
そう言って女性を追い払い、私は意を決して部屋の戸を何度かノックして声をかける。
「隆二くん? 入りますよ」
返事はない。
しかし、鍵は開いていた。
無言のままドアを開くとそこはゴミで足の踏み場もない部屋が広がっていた。
元々覚悟をしていた私はゴミを踏みつけながら部屋へ入っていく。
冬になってからこの依頼を受けて良かった。
夏場であればきっとゴミを踏み度に虫が飛び出していたに違いない。
そうして進んでいくと部屋の奥に体育座りで布団を被った少年が居た。
彼の周りには幾つかのゲームや漫画本が転がっている。
そして、彼自身は今も一心不乱にスマホに指を這わせているところだった。
ここにきて、私はもう完全に諦める。
残念ながら私は今回も霊祓いとしての役目は果たせないらしい。
「こんにちは隆二くん」
その声を聞いて彼はようやくこちらを向く。
不摂生な生活のためかでっぷりと太り、おまけに髪の毛も切っていない、まだ十六歳だと聞いたのにその顔はまるで夢を諦めた二十半ばの若者のように見える。
「初めまして」
「あんたは? また、ババアが連れてきたカウンセラーか?」
私は首を振る。
「ううん。私はカウンセラーじゃないの。霊祓い」
「霊祓い?」
予想外の言葉だったのだろう。
「そう。あなたのお母さんがね。隆二くんが悪霊に憑かれたのだと悟ったの。そこで私を雇ったってわけ」
彼はスマホから指を放してこちらを見つめた。
しかし、それも一瞬だ。
彼は鼻で笑う。
「なんだよ。悪霊商法か? あのババアついにはこんなんにも頼りだしたのかよ」
一人で語り、一人で納得し、また自分の世界に入ってしまう。
自分のことを心配して私を手配してくれた母親に対してなんて口の利き方だろうか。
だが、そんなことに義憤を覚えるような私ではない。
「悪霊商法ならまだ良かったんだけどね」
私はそう言うと、こっそりと懐に隠し持っていた小瓶の封を切る。
それと同時に小瓶に閉じ込められていた悪霊が飛び出し、そのまま少年の身体に憑依した。
とはいえ、全ては一瞬のことであったし、何より霊を認識出来ない彼には何が起きたかも分からない。
だが、悪霊が体に入ったことにより確かな悪寒を感じているはずだ。
事実、彼は不意に吐き気を催したようにえずきだした。
「君、本物に憑かれちゃっているんだ。今、吐き気がするだろう? 悪霊が私に怯えて暴れているんだよ」
無論、嘘っぱちだ。
彼がえずいているのはたった今、悪霊に憑かれたからだ。
しかし、常人である彼はそんなことなど分かるはずもない。
「君は何かをする元気がない。憂鬱な気持ちに常に支配されている。だから、何も出来なかった。そうでしょう?」
「あっ、あぁ……確かに……」
えずきながら、彼は頷いた。
馬鹿らしい。
彼が動かなかったのは自身の怠惰故だ。
故に本来であるならば、彼と向き合わないといけないのは彼自身や彼の親なのだ。
だが……。
「それは全部、悪霊の仕業。だから今、解放してあげよう」
その言葉と共に私は呪いを唱えて悪霊の姿を実体に変える。
漫画に出てくる雑魚敵にしか見えない人魂をした悪霊を見て、少年が目を丸くしたが私は間髪を入れずに人魂を法力にて捕えあげてそのまま小瓶の中に封じ込めた。
「君も災難だったね。この悪霊は普通よりも強い。こんな輩に体を支配されていては何も出来なかったんだろう?」
自分でも恥ずかしくなるような嘘をぺらぺらと並べていくと、彼は段々とその嘘に乗っかりだす。
「確かに……ずっと体が重くて……」
それはあんたが怠惰なだけだ。
「あんな乱暴な言葉を使ってしまうのも本来の君ではないでしょう?」
「うん。僕だって本当はあんな言葉を言いたくはなかったはず……」
いくら見慣れないものがあったからといって、こんな嘘に乗っかるなんて呆れるほどちょろい子供だ。
いや、あるいは嘘と知りつつ都合が良いから乗っかっているだけだろうか?
いずれにせよ、ここでしっかりと釘を刺さなければまた厄介なことに巻き込まれかねない。
「悪霊は無気力な人間を狙うの。だから、今日からでも明日からでもいい。自分でしっかり動く事。学校に行かれなければ外に出る。外へ出られなくてもカーテンを開ける。カーテンを開けられなくても、しっかり起きる。そんな感じでとにかく悪霊がとりつく隙を作らない事」
矢継ぎ早に告げられる言葉に少年は真剣な目をして頷いていた。
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「ひどい時代になったもんね」
ため息をつきながら依頼人の家を後にする。
もう随分と長い間、自分がけしかけた悪霊以外を祓っていない。
ほんの三百年前ならば私は羨望の眼差しを向けられるような職業についていたのに。
「今じゃ、詐欺まがいのことばっかりしているんだもんなぁ」
呟き、懐にしまっていた小瓶の中にいる悪霊を見る。
すっかりと仕事道具の一つになってしまった哀れな悪霊は小瓶の中から惨めに私を睨むばかりだった。