第4話:そして、夏は始まった。
セミのけたたましい鳴き声で目が覚めた。
自室はムッとした熱気が立ち込め、脱水症状のような頭の痛みに顔を顰める。
そろそろエアコンを稼働させて寝ないと熱中症になり兼ねないかもしれない。
夏休み1日目。急を要する用事はないので朝はゆっくり過ごすのも一考だろうか。しかし、一部の科目で量は無いが夏休みの課題も出ているので、それらを片付けてしまっても良いかもしれない。
「ようやく起きたようだな」
リビングへ向かうと、神妙な表情を浮かべた親父がソファに座っていた。
「…………」
親父が神妙な表情を浮かべている時は十中八九碌でもない事が確定する。そして、そんな碌でもない事の9割が悪ふざけであり、1割が真面目というアンバランスさ。それのせいで嫌でも話を聞いて判断しないといけないのが面倒臭いことこの上ない。
テーブルに両腕の肘着き、手を組んで顎に当てているその姿は、新世紀な人造人間に登場するダメ親父を連想する。
俺は怪訝な様子でをしつつ、とりあえず親父の向かい側に腰を下ろした。
「夏が、始まったな」
親父は言う。
……だから何だと言うのか?
「ところで仕事は?」
「休みだ。たとえ社畜であろうとも休日くらいはある」
まあ、それはそうだ。
しかし、釣りを趣味に持つ親父が休日に俺が起きるのを待つというのは実にレアだ。普通ならまだ日が昇っていない早朝に釣り道具を手に海へと出掛けている筈なのだ。
これは間違いなく何かある――それを俺の誰かは知らない守護霊が告げている気がする。
「夏と言えば、大抵の男は馬鹿になる」
「……はあ?」
「青春という免罪符を手にした馬鹿は羞恥心をかなぐり捨て、勘違いと勢いなんていう凶悪な武器でひと夏の過ちを犯すんだ」
「…………」
「俺は、お前をそんな子に育てた覚えはないからな」
「そんな子に育てられた覚えはないから」
神妙な顔で発したセリフは9割の悪ふざけであった。いや、もしかしてこんな馬鹿話をする為だけに俺を待っていたのか?
「さて、本題は終わった。残りは余談にはなるんだが……」
そう言った親父は「少し待ってろ」と告げて、リビングを出て行く。そして、紺色のキャリーケースを手に戻って来た。
「旅行にでも行くのか?」
俺は問う。だが、旅行しては時期的に少し早い。大型連休――所謂お盆期間に合わせて予定組みするのが一般的だろう。なら、このキャリーケースは一体?
「透ちゃんからは話は聞いているだろう?」
……え、何も聞いてないが?
俺の困惑の表情に、親父が「ふむ」と顎に手を当てる。
「まあ、そんな些細なことはどうでも良い。とりあえず今日からお前は透ちゃんと夏休み最終日まで鷹司本家へ旅行だ」
ふと、先日に透が言い放った3人娘との会話を思い出した。
確か、透は「夏休みは本家で過ごす」と言っていた。
……まあ、それは良い。家庭の事情だから致し方ない事だ。だがしかし、それがどうして俺も鷹司本家へ行く事になるのだろうか?
そう言えば、あの日、最後に透が何かとんでもない事を口走ったような気がしたが……何て言っただろうか?
いや、そんな事はどうでも良い。それよりもどうして俺が鷹司本家へ行く事になっているのか?
「どうしてって、先週にはなるが透ちゃんとその両親、俺たち夫婦で決めた事だが?」
そこにどうして俺が含まれていないのかを聞きたいのだが?
その時だった。
「話は聞かせてもらいました! 何がどうしてどうなって何が起こればそんなふざけた事が決定するのでしょうか! ええ、それも兄さんの姉であるこの私へ相談の1つもなくです! これは万死に値します。絶対に許しませんよ、あの泥棒猫めッ!」
そんなセリフを早口で叫びながらリビングの扉を開け放たれ入って来たのは、ぼっさぼさの髪の毛と気崩されたパジャマ姿の女性――恥ずかしながら俺の姉である雨宮美琴である。そして、自他ともに認める重度のブラコンである。
美琴の登場に親父が深い溜め息を吐く。
「はあ、美琴。気を確かにして聞いてくれ。現実は非情であり残酷だ。お前がどれだけ愛を囁こうとも実弟である海音とは結婚できない」
「できない理由を探すよりも、できる理由を探すべきだと思います!」
「……うん、社畜精神のある父さんもそのセリフは知っているが、この場で言うものではないと思うぞ」
「この日本の法は間違っています。私がこんなにも海音を愛していると言うのにッ!」
愛されているのは素直に嬉しいのだが、その愛が姉弟の垣根を悠々と突き抜け過ぎている。
「最早、一刻の猶予もありません。既成事実を作ってしまいましょう!」
「母さん! 美琴がいつかの母さんみたいな女彪になってる!」
親父がリビングでそんな事を大声で言う。
あといつかみたいな女彪とは一体……?
「ええい、幾ら両親であろうとも私は諦めませんよ。私と海音には運命の赤い糸で結ばれているのですからッ!」
「海音! そのキャリーケースを持って家を出るんだァ!」
「この弟狂いめ、一体誰に似たのかしら?」
「……それはたぶん母さんだ」
いつの間にかリビングにやって来た母の言った言葉に、親父が真顔で言う。
きっと親父と母の間でいろいろあったのだろう。
パジャマを脱ぎ捨て下着姿で俺へ飛び掛からんとする姉VS両親の対決を尻目に、俺はそそくさと着替え等を済ませる。そして、準備されていたキャリーケースを手に家を出た。
……冷静に考えると俺の家族って斜め上の方向でヤバいのでは?