舞踏会に向けて
「新人騎士さんのダンスレッスンですが、健闘されているようですよ」
「そう。それはよかったわ」
王宮の午後、ティータイムのひととき。アルテミシア王女の私室には、香り高い紅茶と季節の果実を用いた焼き菓子が並ぶ。
王女の斜め横には侍女のカーラが座り、先ほどダンス講師から受けた報告を伝えている。そのままの流れで、いつも通り貴婦人二人の談笑が始まった。
「舞踏会のパートナーに指名なさるとは、あの騎士さんを随分お気に召したのですね」
「適役だったのよ。これまでの婚約者候補にお願いするわけにはいかないし、他の近衛騎士たちは皆、妻帯者でしょう」
「あら、ニコラスでよろしければいつでもお貸ししますのに」
「あなたたち二人の間に割り込むなんてことは気が引けるわ。それに、ニコラスは……なんていうか……顔が怖いし」
“顔が怖い”。褒めているとは言いがたい夫への評価に、カーラは「ふふっ」と声を上げて笑った。途端に目尻が下がって、彼女はなぜかとても嬉しそうである。
ニコラスとカーラ夫妻の馴れ初めは、なかなかにロマンチックだ。十数年前、由緒ある貴族家の令嬢だったカーラは、王家主催の夜会で社交界デビューをした。両親からは当然、社交の場で良縁を見つけることを期待されていたのだが。
彼女の目にとまったのは将来有望な貴族令息たちではなく、十以上も年上の騎士――会場内の警備を担っていたニコラスだった。彼女はその後、目を剥く両親を熱心に説得して見合いの場を設ける。
剣の実力のみで王宮職に就いたニコラスは、中流貴族家の次男でありまとまった財を持たない。加えて年齢差、女性の扱いに対する心得のなさ。彼は「とても貴女に釣り合う相手ではない」と固辞の姿勢を続けたが、カーラは折れなかった。結局ニコラスが押し負けたらしい。
カーラに言わせると、無骨で、職務に一辺倒なところがいいんだそうだ。“顔が怖い”は、彼女にとってはむしろ褒め言葉なのかもしれない。
「確かに夫は、アルテミシア様のお隣に立つには華がなさすぎますわ」
謙遜の言葉とは裏腹に楽しそうなカーラを横目で見ながら、アルテミシアはパートナーに選んだ青年を思い浮かべる。
「華……ね。そういう意味では彼もどうかと思うけれど」
基本的に、無愛想なのだ。とはいえ護衛中に四六時中にこにこされても困るし、アルテミシアとしては業務に問題がないならそれでいい。
ただ、華やかに着飾って社交の場に立つ彼というのは、あまり想像ができなかった。
「人選を間違えたかしら……」
「まあ、何を仰います。お二人が並んだらきっと絵になりますわ。彼はニコラスのようにゴツゴツしていないですし、お顔立ちも整って、剣術をされるわりにはスラリとしていて」
「ええと、そうなの……? でもとにかく、どうにか形になるならそれでいいわ」
アルテミシアの頭には一抹の不安がよぎったものの。思いのほか高評価であるカーラの見立てと、改めて人選の趣旨を振り返ったところで、彼女なりに納得する。
今度の舞踏会では初めに、叔父夫妻、続いてアルテミシアとそのパートナーがダンスを披露することになっている。開会の合図として、主催である王家が参加者たちへ歓迎の意を表すものだ。
この一曲が、それなりに見栄えのする出来であればよく。何より変な誤解を生まない相手というのが、彼女にとっては絶対条件だった。
――庭園で問い詰めたときの、あの苦々しそうな顔……お祖父様が彼を見出した経緯はわからなかったけれど、彼自身が“王女の伴侶”の座を望んでいないことは確か。それを利用しているようで、いくらか申し訳なさはあるけれど。
……少し、様子を見に行ってみようかしら。
一方その頃のリゲルはというと――
「悪くない、悪くはないのですよ、でも……何かが足りないわ」
「はあ……」
ダンス講師グレイス夫人の、抽象的な指摘と勢いに気圧されていた。
最近まで流れ者であったリゲルには、ダンスの経験はほぼない。
だが、これでも王子だったのだ。ダンスの前段階で必要となってくる貴族的な所作は、本人は無自覚でもある程度身体に染み付いている。また、剣術で鍛えた体幹や運動能力はステップの習得に役立った。
つまり、教わった動きを再現するという点では、彼はかなり優秀な生徒だった。ただ、それだけでは不足のようで。
「ステップの覚えは早く、姿勢もできています。だけれど何か……そう、ダンスへの情熱のようなものが足りないのですわ!」
「情熱……」
「王女殿下のパートナーとして踊るという最大の栄誉なのですよ、その喜びをもっと、全身で表現して!」
「……努力します……」
――なかなか難しいことを言う、できるだけ目立ちたくないところを駆り出されたというのに……。
心中はぼやきで一杯だったが、やるしかなかった。うまく踊れなければかえって目立ってしまう。とはいえ情熱だとか喜びだとかは理解が追いつかないので、一旦置いて。
そうやって、この気が重い仕事にリゲルはなんとか食らいついていた。
と、そこへ。
「進捗はいかがかしら? 健闘していると聞いて、様子を見に来たのだけれど」
脳内でステップを復習するのに集中していたリゲルは、気づくのが遅れたのだが。
前触れなく練習用ホールの扉が開いた先には、王女本人がやって来ていた。
「まあ王女殿下! ええ尽力しておりますけれど、殿下と合わせられるほどにはまだ……」
「そう? でもいいわ、せっかく来たのだから試してみましょう」
そう言って、王女はリゲルの元へ歩み寄ると、ホールの隅に控える楽士たちに合図を送る。舞踏会本番には大きな楽団が音楽を奏でるが、その中からダンス練習のために少人数で来てもらっている者たちだ。
ゆったりとしたテンポの、けれど軽やかさも備えた三拍子の曲が流れ出して。
すっと高い位置へ差し出された王女の右手を、リゲルは慌てて左手で受け取った。それから遠慮がちに、右手は彼女の背へと回す。
「まずは予備のステップから。ゆっくりでいいわ、準備ができたら次に進んで」
言われるがままに踏み出したステップは、講師のグレイス夫人と練習したときよりぎこちなかったことだろう。
けれども王女は、拙いリゲルの動きを汲み取って柔軟に合わせてくれる。
リゲルはひとまず、習ったステップを生真面目に並べていった。
「あら、上手じゃない。でも、そうね、そんなに硬くならなくていいのよ。もっと気楽に、次の動きを躊躇わないで。無理にリードしようとしなくても大丈夫、わかるから」
“女性を導くように、重心移動や肩の動きで次のステップを伝えること。女性が困らないよう、しっかりリードしなさい”と。講師によるレッスンでは口うるさく言われてきた。
だが、王女はこれを不要だと言う。
不思議な心地だった。大げさに伝えようとしなくても、次にどの動作をするか頭に浮かべるだけで、彼女に読み取られているような。
これは、彼女のダンスが上手いということだろうか――
いつしかそんなことを考える余裕ができていた。しかし、リゲルの思考はそこで途切れる。
曲が終わりを迎え、同時にグレイス夫人の拍手が鳴り響いたからだ。
「まあ……! 息が合っていて、素晴らしかったですわ。わたくしが心配する必要などなかったようですわね……!」
「なんとかなりそうでよかったわ」
王女は、夫人に返事をしたあとで、再びリゲルのほうへくるりと振り向いた。
「予想以上の出来で安心したわ。この調子でよろしくね」
「……はい」
曲が流れている間はダンスのことで精一杯だった。
けれど、自身の左手のひらには彼女と手を組んだ感触が残っていて、そのことにリゲルは後から気がつく。
柔らかで、自分のものより一回り小さく、ほのかな温もりを感じる手。
またそれは、いつかの日に少女に手を引かれて野を駆け回った、あの感覚にも似ている気がして。
グレイス夫人は踊り終えた二人へ交互に視線をやったのち、たいそう満足そうな笑みを浮かべた。
舞踏会の本番は、着々と迫っていた。