一年間の契約
つまりアルテミシア王女の考えは、“リゲルが近衛騎士としてそばにいる間は、国王が自分に新たな縁談を持ってくることはないだろう”、ということだった。
「私は誰とも結婚するつもりはないのに、お祖父様が次から次へと縁談を勧めてくるから困っていたの。でも、あなたが来てからそれが止んだのよ。
あなたは別に、私との結婚には興味がないみたいだし。このままそばにいてくれたら助かるわ。一年の期限が終わる頃に理由を話すから、それならあなたへのお咎めもないでしょう。どうかしら」
「はあ……」
よどみない提案にいくらか気圧されつつ、
最終的に任務達成が約束されているなら、悪い話ではない、か……? そう、リゲルが打算を働かせた隙に。
「じゃあ、お願いね」と、王女はすかさず会話を切り上げてしまった。さっと身を翻した彼女は、もう私室に戻る方向へと歩き始めている。
護衛騎士として慌ててその背を追いながら、リゲルは思ったのであった。
あの王の孫だな……。
かくして、二人の初めての接触は終了した。
以降王女の態度はというと、この庭園でのやり取りなんてものは無かったかのようで。翌日からは再び、二人の間では言葉も視線も交わることなく、王女と護衛騎士の距離が保たれた。
――なるべく早く、任務を終えてここを去る予定だったが。このまま平穏無事に一年が過ぎるのなら、これでよかったかもしれない。解放されるまで少しの辛抱だ。
こう考えを巡らせたリゲルは、方針を修正。国王と約束した期限まで、残りの日々を大人しく過ごそうと決めた。
粛々と護衛業務をこなしていれば一年なんてあっという間だ。それが終わればまた、ひとり気楽な放浪生活に戻れる――
そう、思ったのだが。
……俺は、何をしているんだ?
数日後。王宮庭園の一角にて、リゲルは木箱一杯に入った花の球根を抱えていた。
この日、部屋から出てきた王女の装いはいつもと異なっていた。普段見る刺繍やレースをあしらったドレスではなく、簡素で動きやすそうな亜麻布のワンピースにエプロンという出で立ち。長い髪はすべて束ね、後頭部で丸く纏めている。
そして向かった先は、庭園だ。
なお「庭園」と一口に言っても、王宮の敷地は広い。芝が中心となった開けた場所や、散歩用の道に沿って樹木が植えられた区画など様々。
その中で行き先となったのは、生垣で区切った空間につくられた小庭だった。どこぞの田舎邸宅の裏庭といった雰囲気で、花々が自然に咲き乱れている。彼女が時々散歩に訪れるので、リゲルも護衛として何度か来たことがある。
しかし、今日の目的は散歩ではなかった。到着すると、彼女はそこで作業していた庭師たちと言葉を交わし、当然のように並んで庭仕事を始めた。
どうやら「次の春に向けて今から秋植えの球根を植えていく」、というのが本日の園芸計画らしいのだが。
なぜ、王女が庭仕事を……しかも、俺だけ横で見ているのはどうなんだ……。
リゲルには護衛任務という大義名分がある。だが平和な庭の一角にあっては、言ってしまえば「何もせず突っ立っている人」だ。それに、王女の最側近で護衛にあたっているのはリゲルだとしても、少し離れた場所には他の警備兵が不足なく配置されている。
つまり、作業中の王女の横で手持ち無沙汰なのは落ち着かない。
耐えかねて、リゲルは場に二人いる庭師のうち一人に声をかけた。髪に白いものが混じりはじめた頃の、笑い皺が目立つ庭師は気さくで。「何か手伝えることがあれば……」との控えめな申し出に、喜んで応じる。
指示されたままに、現在リゲルは箱一杯の球根と向き合っているというわけだ。
リゲルが任された仕事は、これから植える球根を一つ一つ確認し、状態がよくないものをより分けること。虫食いや、穴があったり皮がむけきってしまったものを除いていく。
庭師の一人は柄の長いシャベルを持ち、数歩離れた先の土を掘り返してほぐしている。王女はもう一人の庭師と相談しつつ、球根を植えていく位置を検討していた。
彼女は、生成りのエプロンの裾を捲って折り返し、包むように球根をいくつも抱えて。そこから取り出した一つを地面に置いたり、首を捻って持ち上げては置き直したり。
無意識に、その姿を瞳の端に映しながら。
リゲルはふと、彼女の頬に付着した黒っぽい汚れに気がついた。白い肌にはかなり目立っている。
土か? 隣に立つ庭師も指摘する様子がないのを見ると、よくある光景なのか。
……まあ声をかけたところで、「どうせまだ汚れるから落とすのは最後でいいわ」、そんなふうにでも言う気がする。
そうだ、彼女はこういうお姫様だった――。
十年前、リゲルがまだレグルスだった頃。クローティアを初訪問した彼は、少々後悔していた。
当時、近隣諸国へ見聞旅行に出ていた兄王子を真似て、「僕もどこか行きたい」と言い出したのは彼自身だった。
けれども十歳の少年にとって、初めて一人で――と言っても、もちろん十分な人数の従者を伴ってだが――長期間の旅に出るというのは過酷だ。馬車は想像以上にがたごとと揺れるし、食事は普段に比べれば質素だし。
――もう疲れた。なんで旅行したいなんて言っちゃったんだろう、帰りたい……。
十日ほどの旅路を経て目的地に着いたときには、既にくたくたになっていた。
この旅におけるレグルスの滞在先は、クローティア王家が所有する夏の離宮だった。
迎えてくれたのは王太子夫妻とその子供たち、それから、王太子の姪にあたるアルテミシア。
到着した日、疲れ果てた彼は挨拶もそこそこに、割り当てられた客室にこもって寝てしまった。
だが翌朝早く。ベッドでまどろむ少年の脳内に鳴り響いたのは、元気のよすぎるノック音だ。
「はやく朝ごはんを食べて、お外で遊びましょう。わたし、あなたが来るのを楽しみにしていたのよ」
彼女はとにかく外で遊びたがった。
青々とした芝の上を駆けて、不意に眼前を横切った蝶に足を止めて。離宮の周りに咲く花の名前を説明しながら、小さな客人の手を引いて湖へと歩いた。
――お姫様って、こういうものだっけ?
短い人生経験をたよりに、レグルスは考えてみる。例えば姉や親戚関係にある令嬢については、室内にいる様子が真っ先に浮かんだ。
紅茶を嗜み、あるいは刺繍道具を手に、飽きることなくお喋りに花を咲かす女性たち。彼女らが外に出るとしても、日傘片手にしずしずと歩むのみだ。ドレスを埃まみれにして駆け回るところなんて想像がつかない。
だから、隙あらば外に出て自然と触れ合う、日差しも土埃も一切気にしない“お姫様”には目を丸くしたものだが。
彼女を追う視線は、滞在三日目にはもう離せなくなっていたと思う。
そんなことを思い出しながらも――リゲルは球根を選別するという仕事をこなしていった。
検品が済んだものは王女の手に渡り、着々と植えられていく。
高い位置にあった日は徐々に傾いて。けれども空が赤らむ前には、予定されていた工程がすべて完了した。
作業で火照った体を、夕風がすう、と撫でゆく。
王女は、庭師たちに対してするのと同様に、リゲルにも労いの言葉をかけにやってきた。
「あなたが手伝ってくれたおかげで捗ったわ。春に芽が出るのを楽しみにしていて」
「春……」
リゲルの口から思わずこぼれた呟き。
これを、王女は植物への興味ととったらしい。
「ええ。球根花はまだ寒い時期に咲くものもあって、いちはやく春を感じられるの。だから、秋には必ず仕込んで毎年楽しみに待つのよ」
説明の声を弾ませながら、彼女は笑った。額に汗を滲ませて、上気した頬には未だ砂粒をのせて。
その生々しさを前に、リゲルは戸惑う。
突如呼び出されて王命を受けたとき、季節はちょうど夏が終わったところだった。特別任務の期限は、次の夏が終わるまで。
――春には、俺はまだここにいるのか。
気づいてしまった自分が、少し嫌だった。