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亡くした初恋 〜王女が結婚したがらない理由〜  作者: momo_Ö


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違和感の答え


 ――おかしいとは、思っていた。


“レグルス”の故国ネメシアは、大国であれば一領主の土地ほどの小さな国だった。住んでいた王宮も、さほど大きくはない。宮殿というより(やかた)と呼ぶのが似合うような。

 とはいえ、簡単に賊の侵入を許し、一瞬で火の海に沈むようなことが起こり得るのか?


 十一歳だった当時は、そんなことを考える余裕はなかった。少し時間が経ってから湧いてきた違和感は、亡くした過去ごと見ないようにしてきた。約十年が過ぎた今、もう考えても仕方のないことだと、手を放しかけたところで。


 違和感の答えが、目の前に立っていた。


 深い紫色のドレスを纏った、黒髪の女性。ブロンテオン王の妃たちの列からやや引いて、踊らずに微笑んでいた。年齢や雰囲気から、妃ではなく親族かもしれないと思った。例えば「姉」とか。

 そう、()()()――ただし、対面して理解する。この女性(ひと)は、ブロンテオン王の姉ではない。僅か数か月だけネメシア国の王位にあった、レグルスの父の姉だ。


 伯母ヘレナがそこに立っていた。故国ネメシアを滅ぼした大国、ブロンテオン側の人間として。

 背中に這う冷たい汗が、リゲルの身体の熱を奪った。

 ――なぜ、あなたがここにいる? 亡国の王族は皆、命を奪われたはずだ。ブロンテオンの侵略によって。



「クローティア国第一王女アルテミシアと申します。お恥ずかしながら、道に迷ってしまって……」

「ええ、そのようですね。ただ、隣の騎士さん、具合が悪いのかしら?」

「えっ?」


 何も知らないアルテミシア王女は、目の前の女性が高貴な身分だと判断し、丁寧に挨拶をした。それから女性の指摘でリゲルを振り返り、目を見張る。


「本当だわ。リゲル、あなたまだ調子悪いんじゃない」

「すぐ近くに私の離宮があります。少し休んでから戻られては?」

「それはありがたいですが、でも……」

「申し遅れました。(わたくし)、ブロンテオン皇帝第三妃ヘレナと申します。会場にはきちんとお知らせしておきますから、お付き合いくださらない? 普段あまり表に出る機会がないので、他国の方とお話したかったの」


 リゲルが具合が悪そうに見えるなら、それは目の前の女性のせいだ。しかし、声が出なかった。

 自分だけ、まるで透明な壁を隔てているように現実味がない。彼女らの会話が通り過ぎていく。


 結局、話を纏めた女性二人に連れられて、離宮とやらに向かった。

「他国の方とお話したい」という彼女に「お付き合い」する気はない。ただ、知りたい気持ちはあった。一体なぜ――



「……なぜ、あなたがここにいるのですか」


 理性より先に、言葉が口をついて出た。

 思考が働かないまま離宮へ入り、リゲルは今、客室のテーブルに着いていた。隣にはアルテミシア王女、向かいには()()()()()()()()()ヘレナ。手元には、ヘレナ自ら淹れてくれた茶が湯気を立てている。


「え……?」と、隣のアルテミシア王女から、僅かに戸惑った気配を感じた。

 ヘレナは穏やかな、肖像画と見まごうほど静かな微笑を湛えている。そして、ひとふしの(なま)りもない流麗なブロンテオン語で答えた。


「お久しぶりね。会えて嬉しいわ、レグルス」


 ――何を……言っているんだ、この女性(ひと)は?


 記憶の中の伯母ヘレナは、たおやかで上品な人だった。そう、今目の前にいる相手と同じ。十年ぶん年齢を重ねているが、それだけだ。会うたびに微笑みかけてくれた、優しい伯母そのもの。

 なのになぜ、「ブロンテオン皇帝妃」と名乗るのか?


「……ネメシアを滅ぼしたのは、ブロンテオンだ」

「ええ、そうね」

「じゃあ、どうしてあなたは……! 一体なぜ、故国の(かたき)である王の妃に収まっているんです!」


 声を荒らげた自分に驚いた。どこか自分ではないかのような、遠くから別人を俯瞰している感覚があった。

 隣のアルテミシア王女がはっと息を呑む。


 垂れた目尻が柔らかな印象を生む、深い琥珀色の瞳。その伯母の両目が、すうと細められた。


ブロンテオン皇帝(あのひと)は、優しい人よ。私を救ってくれただけなの」

「は……?」


 絶句したリゲルを、ヘレナはしばらく見つめる。

 それから彼女は、思い出話でもするようなゆったりした口調で、過去を語りはじめた。



 ネメシア王女としての最初の結婚は、彼女にとって地獄だったのだという。


 夫は国内の有力貴族で、降嫁先に最適な相手だった。リゲルも、レグルスだった頃に会ったことがある。温厚そうな人、そのくらいしか記憶にない。

 しかし表では紳士的な夫は、妻に対してだけ冷酷非道だった。「王家の出だからといっていい気になるな、お前には何の力もない」といった罵声が常。外には見えない暴力も。

 後から思えば、彼は己の自信のなさから妻を(しいた)げていたんでしょう……そんなふうに彼女は言った。


「誰にも言えなかったわ。父……あなたのお祖父(じい)様は、私が幸せな結婚をしたと思っていた。そして、あなたのお父様()が眩しかった。王太子として着実に歩み、妻子にも恵まれて。

 自分で言うのもおかしいのだけれど、私は優秀な王女だったの。女でなければ王位にあったと言われていた。だけど、父は優しいから。女性としての幸せを与えてくれたのよ。地獄だとも知らずに」

「だから……殺した、と……?」

「いいえ、そんなつもりはなかった。ただ、あの人に少し、弱音をこぼしただけ」


 彼女は諸国交流の場で、当時は王子であったブロンテオン王に出会った。そして密かに関係を持った。

 彼女は自らの身の上を、事細かに語りはしなかったというが。その「弱音」に対し、若きブロンテオンの王子は言った。「あなたが悲しむ姿は見たくない。悲しみの芽は私が摘んでさしあげましょう」、と。


(たわむ)れだと思ったわ。だけど……いいえ、あの人にとっては小国を滅ぼすことなんて、戯れに過ぎないかもしれないわね」



 何も言えなかった。過去の彼女がどれほど苦しんでいたか、リゲルには想像もつかない。

 銀糸の髪に、紅い宝石の瞳を持つ、優美なブロンテオン王の姿が思い出された。人離れした美貌の愛人から囁かれる甘言は、天から垂れる救いの糸に見えたのだろうか。しかし、だからといって。

 

「あの夜、賊を館に引き入れたのは、伯母上なのですか?」

「いいえ、私はあの夜の計画を知らなかった。でも、あの人との何気ない会話の中で、警備配置などの情報を流したのは私。だから、私ということでいいわ」


 間違っているのは、俺なのか……? 一瞬そんな感覚がよぎるほどに、ヘレナの微笑みは穏やかで静謐だった。

 ()いだ、湖面。リゲルの困惑すら、彼女にはどうでもいいようだった。


 自らが原因で祖国が滅びたこと、炎に呑み込まれていった親族たちに、彼女は何を思ったのだろう。そんな形で彼女を「救った」愛人と、どのような思いで生きてきたのだろう。

 とうてい理解の追いつかない問いが、リゲルの前に現れては沈黙へと姿を変える。



 そのひとつひとつを(すく)い上げるかのような、たっぷりした間のあと。ヘレナはぽつりとひと言だけ言った。


「――もう、いいの」






いつもお読みくださりありがとうございます。

恐れ入りますが、感想欄はしばらく閉じさせていただきます。


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