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SS:琥珀色の記憶(後篇)



「殿下、参りました」


 リリア妃が息を引き取った翌朝、シリウスはウィクトル王子の執務室へと呼ばれた。妃が亡くなったと祖国へ(しら)せる必要がある。そのことに関する話だろう。

 執務室には重いカーテンが引かれたままで、外は晴れているのに室内は薄暗い。王子は机に片肘をついて頭を抱えていたが、シリウスの入室に気づくと椅子からすっと立ち上がった。


 王子は、ひと晩でこうも変わるのかというほどにやつれ、目の下にはひどい(くま)がある。しかし彼は真っ直ぐシリウスのほうへ歩いてくると、小さいながらも通る声で言った。


「申し訳ない」

「殿下、何を……」

「大切な姫君を、私のせいで喪った。クローティア国の……君たちの、大切な女性(ひと)を」

「…………」


 思わず、シリウスは言葉をつまらせる。

 無論、リリア妃が亡くなったのは王子のせいではない。彼が妃に無理をさせたことは一度もなかったし、妊娠中の経過も問題ないようだった。

 しかし出産というものは命懸けで、予期せぬ事態となってしまうことがある。彼こそが妻子を一度に喪った身でありながら、謝罪を言葉にして表さずにはいられない、その心の悲痛さを思うと何も返せなかった。


 続く沈黙の中、王子はシリウスのほうを静かに見ていた。しばらくして、掠れた声が絞り出される。


「喪が明けたら、私は次の妃を選ばねばならない。……薄情だと、思うか」


 後半は、吐き捨てるかのようだった。まるで自らを呪う響きだ。シリウスは、首を横に振るのが精一杯だった。

 王太子には、妃と後継ぎが必要である。それらを今、彼自身が誰より望んでいないとしても。


「……殿下、クローティアへ訃報を届ける役は、私が担ってもよろしいでしょうか」

「ああ……、そうだな、頼まれてくれ」


 やや間があいてシリウスが話しかけると、王子は気がついたように視線を上げた。目の前に他人(ひと)がいるのを忘れていた、そんな様子で。

 シリウスは、承った任についての誓いを述べる。


「祖国には必ず伝えます。ウィクトル王子殿下は、リリア妃殿下をこの上なく大切にしてくださったと」


 弱った相手への慰めなどではない、ただ、心からの誓いを。



   *



「使者の任を終えたら、君はそのまま祖国へ帰るのだと思っていたよ」


 宮殿の最上階の端に、テーブルセットを一組置けるだけの小さなテラスがある。王子ウィクトルがここを訪れるのは、普段背負っている諸々の肩書きから離れ、静かに過ごしたいとき。たいていの場合、王子が伴うのはシリウスのみだ。

 ゆるく吹きつける午前の風は、やや冷たく、(ほころ)びはじめた花の香が混じる。


 リリア妃が亡くなって、十年が経った。

 ウィクトル王子はその後、国内の貴族家から新しい妃を迎え、後継ぎも儲けた。彼は良き夫、良き父であり、そこには家族に対する確かな愛情がある。

 ただ――こうしてひとり静かな場所で彼が想うのは、おそらくリリア妃のこと。


「私が帰郷してしまったら、殿下が寂しがると思いまして」

「はは、君も言うようになったな」


 テラスからの景色は見通しがよい。王子は手すりの近くまで寄って、遠くの山へ目を向けている。未だ雪化粧中のその山を越えれば、リリア妃の祖国クローティアがある。


 王子の琥珀色の瞳は穏やかだ。穏やかに、過去を見つめている。前を向けていないという意ではなく、大事に仕舞っているかけがえのないものをそっと取り出して見るような、あたたかくて切ない視線。


「シリウス、……君がいてくれて、よかった」


 ――ええ、私もです。


 いち騎士の身分で口にするのは(はばか)られる言葉を、シリウスは微笑みの中に溶かした。

 けれどもきっと、優しいこの王子には伝わってしまっていた。互いに、かけがえのない女性(ひと)を喪ったということが。




   * * *




 シリウスは、ゆるりと目を覚ます。

 ずいぶんと懐かしい夢を見た気がした。


 すぐに起き上がることはせず、安宿の幅狭い寝台の上で、首だけを動かして部屋を見回す。大股一歩ほどをあけて置かれた隣の寝台は、既に(から)だった。

 部屋の外からは、朝特有のざわめきが聞こえる。起き出した人々が支度を整え、どこか慌ただしく外へと向かう、雑多な音。


 おもむろに老体を起こしつつ、首を小さく傾げてぽきりと鳴らす。カーテンを開けたところに、背後で部屋の扉が開いた。


「ありがとな」

「ん」


 部屋に戻ってきた連れの手には、二人分の朝食を乗せた木の盆がある。薄くスライスした堅パンに、葉くずを煮込んだスープはまだ湯気が立っている。さびれた宿屋のサービスにしては上々だ。

 部屋にテーブルはないので、盆を無造作に寝台へ置いて、それぞれ朝食をとる。パンをもそもそと頬張りながら、シリウスは思いついたように言った。


「そろそろ街を移動しよう。久しぶりに俺の故郷へ行こうかと思うんだが、どうだ?」

「……クローティアに?」


 この旅が始まってから八年。亡国の王子を連れて逃げたシリウスは、いくつかの国境をまたいで各地を転々としてきた。その間、祖国クローティアには入っていない。

 だが、そろそろ戻ってもいいかと考え浮かんだのは、今朝見た夢のせいか。


 それから、隣の寝台に座る相手の反応を、シリウスは見逃さなかった。

 亡き国を出たとき十一歳の少年だった彼は、いつしか立派な若者に成長していた。あどけなさが抜け、飄々(ひょうひょう)として、あまり表情をあらわにしない青年となったのは、境遇のせいもあっただろう。

 しかしクローティアの話を振った一瞬、彼の瞳にはささやかな光が瞬いたように見えた。


「ああ、お前も訪れたことがあったんだったな」

「だいぶ前だから、ほとんど覚えてない」


 すげなく返すと、青年は食べ終わった食器をまとめはじめた。

 シリウスのぶんも受け取り、宿の厨房へ返却に向かわんと立ち上がって――けれども彼はぼそりと言い残す。


「……すごく、綺麗な場所だったことは覚えてる」



 青年が出ていった扉を、シリウスは微笑みでもって見送る。

 次の行き先が決まった。そして、自身にとっては旅の終着点になるかもしれない。だが、若き彼にとっては。


 夢の光景が重なって、彼は、彼に似ているなと思った。

 いや、血縁なのだから似ていて当然なのだが、その親族の中でもとりわけ。大切なものへ向ける優しい琥珀色が、なんだか同じだなと思ったのだ。


「まったく、若いくせに何も要らないみたいな顔しやがって。けど、綺麗だと思えるものがあるなら大丈夫だろ」


 そう独りごちると、シリウスは出かける準備を始めた。旅の途中、どこかで上質な羊皮紙を買わなくちゃなと、そんなことを考えながら。









お読みくださりありがとうございました。

現在家庭の事情などで、腰を据えて本編に取りかかれない状況となっています。申し訳ありませんが、今後の更新も遅くなってしまうと思います。

そんな中、本SSはするっと書けたので、この機会に投稿させていただくことにしました。本編冒頭へと繋がるエピソード……本編に出てこない人ばかりの話ではありますが、背後で見守ってくれているような物語として、お楽しみいただければ幸いです。


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― 新着の感想 ―
過去を見つめるような、王子の琥珀色の瞳が印象的です。大事に仕舞っているかけがえのないものをそっと取り出して見るような、という描写も心に残りました。そして、その琥珀色を宿した、今目の前にいる青年と過去を…
SSありがとうございます。 シリウスと王様は旧知の仲とのことでしたが、こういう事情だったんですね。 切ない……。でも王様がとてもいい人なので、そこはほっとしました。 リアルも大変そうですが……。mom…
シリウスさんと陛下、そんな関係だったのですね。私、少し勘違いしていました。 とても大切な、そんな気がします。 友情ですね。だからこそ、本当に大切な方と共に生きさせてあげたいと、彼に影を映しているのかな…
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