表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
20/23

新緑鮮やかな季節に


「……どうしてあなたがここにいるの?」


 国王への謁見から数日後。リゲルは再び近衞騎士の制服を纏い、アルテミシア王女の前に立っていた。


 数日のうちに業務の引き継ぎなどを行い、今日の勤務開始は午後から。しばらくして私室から出てきた王女は、人員配置の異変に気づき、ぴたりと動きを止めた。


「また、お祖父(じい)様が何か……?」

「いえ」


 虚をつかれた様子でこちらを見ている彼女に、リゲルはきっぱり伝える。


「私が、国王陛下にお願いしました」

「…………」


 大きな瞳がいっそう見開かれて。二、三度瞬きを繰り返したあと、彼女は困ったように眉を(ひそ)めた。


「とりあえず、外に出るわ……」



 王女は、手に一冊の本を持っていた。天気が良いので外で読書をしよう、当初の予定はそんなところだったのかもしれない。

 しかし、彼女は読書の定位置である木陰のガーデンチェアを通り越し、迷うかのように庭を歩き回った。いつも目的地に一直線の彼女にはめずらしい。最終的に、石造りの噴水を囲むように置かれたベンチ、そのひとつへと腰を下ろす。


「座って」

「……はい」


 業務中なのでと断れば、おそらく「私が言っているのだからいいの」等と返ってくる場面だ。それを察し、リゲルは大人しく彼女の隣へ腰掛けた。

 眉間に微かな(しわ)を寄せたまま。彼女は、日焼け防止の絹手袋をはめた指先で本の表紙を数度()ぜてから、ようやく口を開く。


「どうして、自ら近衛に戻ったの?」

「王女殿下が結婚なさらない理由を、まだきちんと聞いていませんでしたので」

「それは……もういいと言ったでしょう。それに、なぜ急に? あなたはずっと、お祖父様の任務に消極的だったじゃない」


 俯き加減で話をしていた王女がぱっと顔を上げて、途端に目が合った。だがリゲルはもう、これをそらさない。


「……俺のせい?」

「え……?」

「この間、“不吉な子”、って言っていたのは」




 数日前、国王へ謁見した際のこと。「王女の側付きに戻してほしい」というリゲルの申し出を、王は二つ返事で了承した。

 拍子抜けしていると、王はすかさず問いかけてくる。


「それよりも、あの子が結婚したがらない理由はわかったのかね?」

「いえ……、確かな話は聞けていません」

「ふむ、そんなに難しい話だとは思っていなかったのだがな。流れ者の君がここへ来たとき、私はピンときたのだ。あの子は、幼い頃の婚約話を忘れられないのではないかと」


 あっさり明かされる王の思惑、その手の中で踊らされていた事実に、複雑な感覚が湧く。が、この王が食えない相手だというのはわかっていたことだ。

 そんなことよりも、と。気を取り直したリゲルは、心に引っかかっていた事柄について訊ねた。


「あの、“月の子”というのは何でしょうか。王女殿下が、ご自身をそう仰っていました。不吉な子だとも」

「月の子だと? ああなんと、あの子はそんなことを気にしていたのか……」


 国王には意外な単語だったようだ。目尻の皺を伸ばすように小さく目を見張ってから、王は説明をしてくれた。この国に古くからある「月の女神」信仰、五年に一度の「月暦(つきごよみ)の年」、その閏日(うるうび)に産まれた子供の誕生日をずらす風習があること。


「国の長たる私がはっきり言い切るのもどうかとは思うが、“月の子”は古い慣習で、形式的なものに過ぎない。どの土地にもあるだろう? 念のため守り続ける、厄祓いなどのしきたりが」


 他国出身のリゲルは知らなかった風習だが、どうやら一般的には気にするものではないらしい。

 だが、彼女は――熱があったとはいえ、先日の取り乱し方は尋常でなく見えた。本気で、自身を“不吉な存在”だと思っているとでもいうような。


 ――彼女が言う「私のせい」って、それはまさか……




「自分のせいで、レグルスが死んだ、と?」


 声もなく俯いた王女を前に、リゲルは(おのれ)への情けなさが募ってゆくのを感じた。

 俺が自分のことばかり考えている間に、彼女はどれだけ苦しんでいたのだろう。幼くして両親を亡くし、そこへ婚約者の訃報が重なって。周囲に不幸が降りかかるのは自らのせいだと、迷信ともいう考えを握りしめるまでに。


「月の子の風習について、陛下から聞きました。だけどそれはあくまで形式的なもので、不吉だなんて誰も思っていない――」

「わかっているの」

「……え」


 彼女がこだわる慣習というのは、恐れるべきものではない。だが、伝えようとした言葉は思いのほか静かに遮られる。


「古ぼけたしきたりだというのは、私もわかっているわ。でも……怖いのよ。もしも大切な相手ができたときに、その身に何かあったら、私は自分のせいだとしか思えない」

「そんな……。だから、わざわざ(いわ)く付きの、他国との縁談に乗り気だと?」

「……大国と縁を結ぶのは、悪くない話よ。私だって一応王女ですもの。それに、もし私が“不吉な子”だったとしても、好きになれそうもない相手に嫁ぐならちょうどいいでしょう」

「だけど……!」


 再会した彼女が、流れ者の自分とは異なり、記憶のままに美しく成長した姿が眩しくて。いっそ別の誰かと幸せになってくれていたらよかった、そんなことを思う瞬間もあった。

 しかし、周囲が心配する縁談、これを前向きに考えているのだと言う彼女は。雨宿りのときと違い、やけに落ち着いた微笑を湛えている。その笑みはどこか寂しげで、たとえば何かを諦めたようにしか見えなくて。――違う、そんなふうに笑ってほしかったわけじゃない。



「俺は、行ってほしくない。自分が不吉だという前提で、身を捧げるなんてことしないでほしい」


 碧色(へきしょく)の瞳がリゲルのほうを向いて、驚きに見開かれる。


 国王と話をする中で、彼女が結婚を拒む理由が繋がっていった。自分のせいで誰かを不幸にしてしまったのだと、心の傷をひとり抱える少女の姿がよぎった。

 心臓を掴まれた心地がした。俺のせいで……彼女はレグルスの死に罪の意識を感じて苦しんでいたというのに、俺は自分のことばかりで。


 何も持たない自身を惨めに思い、彼女の隣に立てる存在ではなくなったことを気にして、逃げ続けて。

 そんなの、どうでもよかったのに。夏の湖畔へ並んだときに感じた想いは、ただ彼女に笑っていてほしい、それだけだったのに。


「君は、不吉だからそばにいられないと言って俺を遠ざけたけど、それは違う。現に俺は生きてる。君は不吉な子なんかじゃない。証明が必要だと言うなら、この先も……、俺はずっとそばにいる。だから、行かないでほしい」




 こぼれ落ちるんじゃないかと思うくらい大きな瞳が、リゲルを映して、揺れて。その驚きのような表情が、ゆっくり移り変わっていった。


 ――……ああ、似た光景を、いつか見た気がする。


 昔も今も、俺に大した力はない。それでも、ほんの僅かでも彼女の救いになればと、精一杯の言葉を探して、絞り出して。

 そんなちっぽけなものしか渡せないというのに、彼女は。この世にある幸福すべてを受け取ったかのような表情(かお)をするから、もらったのはこちらのほうだという想いで胸がいっぱいになる。



「……わかったわ。縁談は、受けない。それで……あなたはずっと私のそばにいると言うの? それって……」


 王女は時間をかけて、穏やかに頷いた。けれどもそのあと、ちらと見上げるように向けられた視線には、不安げな様子が残って見えて。


 リゲルは、早く王宮を去ろうという当初の決意はすっかり消えていたのだが、彼女にもこれを伝えなければと思い、口を開いた。


「任務が終わったら王宮での職を離れるつもりだったけど、近衛を続けられるよう申し出ようと思う。分不相応だと言われるなら、警備兵でも下働きでも。何らかの形でここにとどまれるようにするから」

「……え?」

「え?」


 どんなに長くても、特別任務の期限である一年で近衛騎士を辞める予定だった。だがその後も彼女のそばにいると決めたなら、王宮にとどまる方法を見つけなければならないと。

 リゲルとしては真剣で、自然な思考の流れだったのだが。


「あなたがお祖父様と取り交わした内容って、たしか……。この流れで働き口の心配に意識が向くって、すごく真面目なのか、ものすごく鈍感なのか、どっちなの?」


 なぜだか王女は心底呆れたような顔をして――それからとても無邪気に笑った。



「まあいいわ。ねえ、あなたはやっぱりレグルスなのね。名前を変えて、今の自分には何もないだなんて、別人にでもなったような口ぶりだったけど、あなたは何も変わっていないわよ」

「………………えっ……」


 王女ではなくひとりの女性の、ごく素直な感情がこちらへ向けられていることに、そのくるくると変化する表情に、リゲルは見惚れていた。

 と、不意に上半身が前方へ引っ張られる感覚があり、思わず声を上げる。そして遅れて理解した状況に、慌てた。


 王女の両腕が首元に回されている。つまり、勢いよく抱きつかれたような格好である。先ほどまで敬語も忘れて話をしていたというのに、リゲルは急速に自身の立場を思い出した。


 だが、「どうか離れてください」と上げかけた抗議の声は、王女の小さな動作によってかき消される。

 彼女はリゲルの癖のある黒髪をふわりと撫でて、子供に対するように優しく言った。


「きっと、大変だったのよね……。嫌じゃなかったら、だけれど、聞かせてほしいわ。この十年間、あなたがどうやって生きてきたか」

「……うん」


 結局リゲルは大人しく頷いて、ふわふわと頭を撫で回される感覚を受け入れる。やっぱりもらったのはこちらのほうだ、と思いながら。



 力強い日差しが降り注いで、瑞々しい新緑や花々の色を、よりくっきり映し出している。さああ、と、絶え間なく流れる噴水の水音が、耳に涼しい。

 彼女と出逢った夏が、近づいていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
 想いが溢れ出し覚醒したようなリゲルの行動は、遂に! と、思わせるも、まさかのド天然にアルテミシア様もズッコケたのか前のめりになられたようで、怪我の功名なのか心配から自分の殻に閉じ籠もっていた気の病も…
アルテミシアとレグルス、これまで途切れていた二人の道が、今また一つにつながったような、とても心に残るエピソードですね。 今まで王女から遠ざかろうとしてきたリゲルが、自ら国王に志願したこと、国王は実は…
>俺は、行ってほしくない わあ、リゲルずばっと言いましたね! おめでとうございます(?) でも活動報告によると、まだ何かがあるんですよね。楽しみに待たせていただきます。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ