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春の庭の彷徨


 ――そういえば、「一年以内に王女が結婚したがらない理由を聞き出せ」という任務は、どうなるのだろう。


 すっかり春めいてきた庭園を歩きながら、リゲルはぼんやり考えていた。

 王女の側付きを外されてから、もうひと月以上が経つ。今は、王宮の敷地を見回る警備兵の一人だ。


 新たな業務は気楽だった。決められた持ち場に赴き、異変がないかどうか確認しつつ巡回する。時々庭師や下働きの人たちに声をかけられて、天気の話をしたり、落とし物をしたが見てないかと訊かれたり。近衛騎士でいたときに比べ、「大勢いる兵の一人」として見られている感覚は身軽で。



 が、はたと気がついた。そもそもの発端、この王宮へ呼び出されて課された最初の任務、これはまだ有効なのだろうかと。

 リゲルが王女の側付きに配置されたのは、接点を多くして“理由”を聞き出すためだ。しかし警備兵へと異動になってから、彼女の姿すら見ていない。国王からの沙汰も特になかった。もはや忘れられているのか。


 こんなところ、すぐに出て行くはずだった。よくわからない任務などさっさと成し遂げて、ひとり気ままな放浪の旅に戻ろう、そう思っていたのに。


『ねえ、一年間付き合ってくれない? そうしたら、期限が終わる頃に“理由”を話すから』


 ……まんまと乗っかってしまった。最終的に任務達成が約束されているなら、悪い話ではないと思ったのだ。



 しかしながら、「彼女のそばにいる」という契約は既に破綻した。それならのうのうと一年の期限を待っていなくてもいいのかもしれない。

 彼女に掛け合って、例の理由をおしえてほしい、早くここを去りたいから、と言えばいい。

 ただ、問題は――


 立ち止まったリゲルは、見通しよくひらけた庭園の先、遠くなった王宮の建物を仰いだ。

 警備兵になってから配置された場所は、ここ宮殿の裏庭。王女と話をしようにも、今の立場では簡単に会うこともかなわない。




 どうするべきか――考えながら彷徨(うろつ)くうちに、リゲルはとある場所へ着いてしまった。

 常緑低木の生垣に囲われた小庭。昨年の秋、王女が球根を植えるという作業をリゲルも手伝った場所だ。


 そういえば、と再び思考が揺れる。寒さに強く、雪の下で芽を出す種類もあるという球根花。いちはやく春の息吹を感じられる花なのだと、王女は力説していた。



 なんの気まぐれか。ふと、リゲルは小庭の中へ足を踏み入れる。

 ――勤務時間内だが問題ないだろう。持ち場から大きく外れてはいないし、今日は特別に兵の配置人数が多い。


 警備が増やされているのは、今日が“月祭り”の日だからだ。

 この国で毎年春に行われる、“月の女神”を(たた)える祭り。各都市の広場では酒や菓子などを売る屋台が開かれ、この日は皆仕事を忘れて楽しむ。

 こうした催しはもちろん王宮にもあり、特別に開放された宮殿前庭では、人々に食事が振る舞われる。王族は民衆に顔を見せ、金の馬車に乗って王都を巡り、ともに祭日を祝う。


 しかし祭りの賑わいがあるのは、主に王宮の表側でのこと。リゲルの持ち場である裏庭部分では、普段とそこまで違いはない。警備の増員と、すれ違う使用人たちが多少忙しないくらいである。



 小庭の様相は、リゲルの記憶とはすっかり変わっていた。

 最後に訪れたのは模擬試合の前。冷たい地面に膝をついて、王女に勝利を誓った日だ。あのときは閑散としていた冬庭が、今は鮮やかな花々で埋め尽くされている。

 白、黄、紫……きれいに整列させるのではなく、自然な雰囲気で気のままに植えられた球根花たち。背の低い彼らは土からひょっこりと顔を出し、地に近い場所で(たの)しそうに天を仰いでいた。


「春を楽しみにしていてね」と、彼女が言うから。さっさと任務を片付けて去るつもりだったのに、と、感傷とも八つ当たりともつかない思いがよぎる。


 王女はなぜか、“この護衛騎士は植物に興味があるらしい”と勘違いして瞳を輝かせたが、実際のところリゲルには目の前の花の名すらわからない。

 だが、こういうものを見ているといろいろ思い出してしまう。つい押し込めて、保留にしていたものまで。



 続いてよぎったのは、修道院の庭でのこと。王女の“十年前の婚約者”についての話。

 リゲルとしては、それは“レグルス”ではないと思っている。根拠は、当時のレグルスには婚約の話など届いていなかったから。ただ、万一の可能性が後ろ髪を引く。


 ――正体を明かすことなど、できないと思っていた。約束も果たせず、何も持たない俺がレグルスだと言ったところで。今さら合わせる顔がないと。

 でも、もしも万が一、彼女の中で()()()()()()の存在がしこりになっているなら。……言うべきなのかもしれない。


 リゲルの中にある、寂しげな少女の横顔。そして、十年が過ぎても変わっていないことを知った、太陽の下の笑顔――笑っていてほしいと思う。彼女には。


 (かたく)ななまでに結婚を拒む王女。彼女が過去の約束を気にして動けないと言うなら、気にしなくていいと、自分にはもう果たせないから、どうか新しい縁をと。そう言えば済むのかもしれない。


“月祭り”でのエスコート役にジリアンを選んだという彼女は今、笑っているだろうか――




 しばらく、球根花たちの呑気な表情を眺めてから。

 職務を怠っていないで、そろそろ持ち場に戻るか……そう思って、振り返ったときだった。

 今日は庭師も祭りの催しを見にでも行っているのか、先ほどまで人気(ひとけ)のなかった小庭。その入り口に、人影が見えた。


 降りそそぐ光すべてをその身に集めたような姿は、見間違えようもない。現れたのは、セレモニー用の豪奢なドレスの上に、やわらかなアイボリーのショールを羽織ったアルテミシア王女。

 一歩後ろに付いている護衛は、威厳と体格からしてニコラスだろう。


 小庭は三方を生垣に囲われている。つまり、彼らとすれ違わずにここを出るのは不可能である。

 一般の警備兵が貴人に対してするように、リゲルは立ち止まって頭を下げた。いち警備に、王女が目をとめることはないかと思われたが。


「……リゲル? どうしたの、こんなところで」

「……このあたりが、持ち場ですので」

「こんな小庭の奥まで? ふふ、あなたって、本当に庭が好きだったのね」

「…………」


 もはや、この誤解は永遠に解けないらしい。

 そろそろと顔を上げると、彼女は微笑んでいた。日頃散歩に出かけるときの、寛いだ表情。祭りのあれこれは終わったのだろうか。



 失礼しました、持ち場に戻ります――そう言おうとして、しかしリゲルは口を閉じる。

 話をしたい、そう言うべきか。先ほど庭をふらつきながら考えていたこと。これ以上リゲルが王女のそばにいる必要はなさそうだから、特別任務を終わらせるために例の理由を教えてほしいという話。それから……自身の正体についても。


 実際に話をすると思うと、途端に鼓動が速まった。

 久しぶりに顔を合わせた彼女が、穏やかに笑っていたからかもしれない。リゲルが模擬試合に負けて、近衛を外されたことなどなかったかのように。


「迎えに来る」と言った幼い日の約束を、守れなかったこと、今後も果たせないこと、そしてずっと黙っていたこと。すべてを明かせばこの笑顔は(ゆが)んでしまうだろうか。そんな思いが、リゲルを躊躇(ちゅうちょ)させる。


 間延びした沈黙を、春塵を連れた生温(なまぬる)い風がくすぐってゆく。



 ややあって、護衛としてそばに立つニコラスが、その時間を静かに区切った。


「王女殿下、何やら天気が崩れそうです。急ぎ傘を持ってまいりますのでお待ちいただけますか」

「ええ、ではお願いするわ」


 雨? そんな気配はなかったが――驚いて空を見上げると、いつの間にか、灰色の雲が太陽へと近づいていた。

 そして、長年経験を重ねた近衛騎士とはすごいものだ。ニコラスの背を見送るや否や、頬にぽつりと水滴を感じる。


 しかし感心している場合ではない。リゲルの纏う制服は撥水性があり、そもそも身が濡れようがどうでもいいが、王女を雨にさらすわけにはいかない。


「どこか、屋根のある場所に……」


 小庭の片隅に、木造の簡素な小屋がある。スコップやバケツなど、庭仕事の道具を片付けてある場所だ。

 外からは狭小に見えたが、戸を引いてみれば中は案外余裕があった。大型の庭道具は壁際にまとめられ、小型のものや植物の種などは棚にきちんと整頓されている。人ひとりぶんくらいなら、雨宿りの空間が確保できるだろう。



 王女を小屋の中へ入れて、リゲルはひとまず安堵する。

 ぽつぽつと、落ちる間隔が狭まってきた雫が、土の色を変えていた。だがそれほど強い雨ではない、ニコラスもすぐ戻るだろうし。


 そうして、戸の外に立ったまま雨の様子を眺めていると、ついと袖を引かれた。


「ねえ、それだとあなたが濡れるでしょう」



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― 新着の感想 ―
王宮の裏庭の警備兵となったリゲルの心が、王女のことを想い浮かべつつ、自分で自分に問いかけるようですね。自分の正体を王女には明かすまい、と言いきかせてきたリゲルですが、王女に言うべきかと思案し始める姿が…
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