ハーブシロップの効能
――似ていると、思ったから。
幼い日の哀しい記憶を思い出させる人だから。だからこそ、私が彼を愛することはない。
『アルテミシアや、離宮への滞在は楽しかったか?』
『ええとっても! 今年は遊び相手がいたから!』
『ああ、ネメシア国から小さな客人が来ていたんだったな。気が合ったようでよかった』
『ええ、おじいさま、あのね。レグルスは、来年も再来年も来るって言ってたわ。それでね……あの、大人になったらわたしを迎えにくるって』
『なんと、それはそれは。愛しい孫娘から九歳にしてそんな話を聞くとは、祖父としては少々複雑だが。ふむ……ネメシアの王子か、悪い話ではない。向こうの王と話をつけておこう』
『アルテミシア、……悲しい報せがある。ネメシアで政変があった。王族が生存している見込みはないようだ』
「――アルテミシア様、どうかなさったのですか?」
「…………え? ああ、」
侍女カーラの声かけにより、アルテミシアの意識は自室へと舞い戻った。自らの左手にある木製の丸い刺繍枠と、そこに張られた白い布地が目に入る。
縫い取り中である秋草のモチーフは、一部が過度にぽこっと浮き上がっていた。心ここにあらずの状態で手を動かしていたため、同じ箇所に糸を重ねすぎたのだ。
「何かお悩みですか? もしかして、あの騎士さんのことをお考えになっていたとか」
「……カーラ、何か勘違いしてない?」
「ふふ。だって舞踏会のお二人は、とってもお似合いでしたもの」
アルテミシアは侍女に一瞥を投げたのち、手元の刺繍へと目を戻した。その不恰好になってしまった意匠を見て、小さく息を吐く。
「まあ、ダンスが不自然に見えなかったのならいいのだけれど」
舞踏会の仮パートナーを依頼した青年。練習は順調だったものの、会の当日、彼の様子は明らかにおかしかった。
聞けば、「広くて明るい場所が苦手」とのことで。会場を見ないよう伝えたところ持ち直してくれて、ダンスは無事乗り切ったのだが。
彼の異変に関し、アルテミシアは反省していた。
――青ざめて、腕は微かに震えていた。ああいう場所が苦手との事情を知らなかったとはいえ、申し訳ないことをしたわ。……少し、無遠慮に頼りすぎてしまった。
初めて会ったとき、彼が新人騎士として挨拶しに来たときに、ふっと呼び起こされたのは。幼い頃、ひと月ばかりを共に過ごした少年のこと。
柔らかな黒髪に、琥珀色の瞳。似ていると感じるも、同一人物というのはあり得ないことだと思い直した。あの少年は、随分前に亡くなったはず。
また、この新人騎士が纏う雰囲気はやけに固いと、初対面では思った。しかし機会があって接するうちに、案外この壁は堅固ではない、そう感じるようにもなって。
彼は怪訝さを滲ませながらも結局は依頼ごとを受け入れてくれるので、つい――都合よく利用してしまったのだ。
――惹かれる可能性のない相手なら、ちょうどいいと思って。彼なら、近くにいても好き合うことはないと。
……誰も愛してはならない。私は不吉な子だから。
だけど――
「……私の勝手な都合で、彼を振り回してしまったわ。何か、お詫びになるようなことができないかしら」
◇
「これは……、一体……」
緑がかった濃い茶色の液体が入ったビンを前にして、リゲルは反応に困っていた。
困惑しているのは、差し出されたビンの中身がなんとも言えない色をしているから、というだけではない。差し出してきた相手、それに今いる場所も問題なのだ。
「複数のハーブを煮詰めて作ったシロップよ、体にいいの。寒くなってきたから風邪予防などにいいと思って。水やお湯で薄めて飲んでちょうだい」
「それは、大変ありがたいのですが……私は王女殿下からこのようなものを頂く理由がありません」
言葉を選びつつ、リゲルは横目で周りの様子を窺う。王宮付属の訓練施設にいる騎士たちは、何食わぬ顔で修練を続けている。が、内心では皆興味津々だろう。
訓練場にいきなり現れたアルテミシア王女が、一人の若い騎士の元へ真っ直ぐ向かっていった。しかも、その騎士は先日舞踏会で王女のパートナーを務めた者なのだ。
「理由はあるわ。ダンスに付き合ってくれたお礼よ」
「それは……仕事ですので……」
「仕事、ね」
このところ、ただの近衛騎士にしては王女との距離が近いが、リゲルとしてはあくまで「仕事だから」で片付けたい。
けれどもこれに、王女はめずらしく神妙な表情を見せ、言った。
「非番の日に申し訳ないのだけれど。リゲル、部屋まで送ってくれるかしら?」
リゲルは助けを乞うように、王女の一歩後ろに控えている騎士へ視線をやる。彼が非番日の今日、護衛として付き添っているのはニコラスだった。
そして無表情に小さく頷く上官を見て、観念する。“王女殿下の仰せのままに”という意だろう。
ちらほらと、遠慮を忘れはじめた周囲の視線も感じる中。彼は王女と共に訓練場を後にした。
「ごめんなさい」
訓練場の前の道を歩き出して早々、王女は謝罪を口にした。
「断れなかったのよね、“仕事”だから。舞踏会のこと、あなたがあんなふうになるなんて。知らなかったとはいえ、無理をさせて申し訳ないと思っているの」
軽く俯いた彼女は、いつもと少し違う。冬前の、薄灰色に曇った空の下だからだろうか。しゅんと項垂れて、太陽が出ないことを悲しむ花のようにも見える。
「いえ、ああいう状態になるとは、私自身にも自覚がなく……だから、王女殿下のせいではありません」
「……そう。じゃあこれ、受け取ってくれるかしら」
リゲルの弁解に、王女は俯いていた顔を僅かにもたげて。
右手にさげた小さなかぎ針編みの手提げから、先ほどのビンを取り出した。受け渡しが保留となっていた、見事な色をした液体だ。
けれどもこれを相手がなかなか受け取らないので、彼女は小首を傾げる。
「もしかして、この色に怖気付いているの? 薬効を考えていろいろ入れてしまったから見た目はこんなだけれど、味は悪くないわよ」
「あ、いえ……」
リゲルがすぐに手を伸ばさなかったのは、液体の色に怖気付いたせいではない。思い出していたのだ。
十年前、この国で夏を過ごした際に。リゲルは軽く体調を崩して熱を出したことがあったのだが、受け入れ先の小さなお姫様は、これと似たようなシロップを作ってくれた。材料の違いか、そのときはここまで目を見張る色ではなかったけれど。
自然を駆け回って草花を愛でるお姫様は、摘んだハーブを台所で活用することにも貪欲だった。
『これを飲めば、はやくよくなるわ。わたしが作ったんだから、きくはずよ。それに、とっても甘いの』
もうあの少女に会うことは二度とないのだろうと。そうやって十年間蓋をしていた記憶が、折に触れては浮かび上がってくる。
「……知っています」
「え?」
「あ、いや」
過去の味を懐かしむ言葉。これが無意識に口からこぼれ出たことに気がついて、リゲルは慌てた。
だが、果たして幸と言うべきか不幸と言うべきか。彼女はリゲルの失言を過去の一場面ではなく、別の物事に結びつけたようだ。
「知っているって、ハーブについて詳しいの? ねえ、庭仕事を手伝ってくれたときも思ったのだけれど……あなた、もしかして植物に興味がある?
そうだわ、近々王都の修道院に行く予定があるの。その日の護衛はあなたにお願いするわ。あそこの庭は充実しているから、案内してあげる」
つい先ほどまで、しゅんとして見えたのが嘘のように。彼女は途端に瞳を輝かせ、生き生きと話を進める。
――何か、また面倒な誤解を生んだような……。
そうは思うものの、突発的に提案された“次の予定”を、リゲルは受け入れるほかなかった。……彼女は俯いているより、こうして嬉しそうにしているほうがいい。
自室に戻り、水で割ってみたハーブシロップは甘かった。
けれど、ただただ甘いものと認識していた記憶とは違って、ほんの少し、鼻に青い苦みが抜けた。
(補足)
作中のハーブシロップは、現実世界でいう“ハーブコーディアル”的なものです。
ハーブを凝縮した感じのシロップということもあり、それなりのお値段しますが、好きな人は好きかと。種類は様々で、炭酸で割ったりしても美味しいです!
(作中でアレな色をしているのは創作上です……王女が気合いを入れていろいろ詰め込んでしまったのでしょう;
種類によって味は違いますが、現実には苦いものはないかな?と思います、たぶん。多少薬っぽい風味がするものはあるかも?)
また、自然や草花を愛でるアルテミシア王女がハーブなどにも詳しいという設定は、どこかで描きたいと思っていました。
“アルテミシア”は、ヨモギ(漢方薬の原料などにもなる)の学名だったりもするんですよね。
上記に関連し、中世欧の薬草やら修道院やらに関して読みたいなーと楽しみに積読(汗)している書籍もついでにご紹介してみます。もしご興味あれば!(回しものではありません!のでリンクまでは貼りません)
ミシェル・ボーヴェ (著), 深町 貴子 (監修)『中世修道院の庭から 歴史、造園、栽培された植物』 – 2024/7/8
いつもお読みいただきありがとうございます。