流れ者への特別任務
王女が結婚したがらない。
件の王女の名はアルテミシア、年齢は十九。高貴な生まれの娘であれば、既婚もしくは婚約しているのが普通の年齢である。しかし彼女は、寄せられた縁談を片っ端から断ってしまう。
縁談の内容が悪いというのではない。これまでの候補者は皆、気質、容色ともに申し分なく、家格や年齢の釣り合いも取れていた。
どうやら、相手が気に食わないとかそういう問題ではないようだ。近頃はもうはっきりと「私は生涯結婚しません」、こう言い張っている。
祖父としては、なぜ彼女がこうも頑なに結婚を拒むのか知り、良い縁を結んでやりたいと思うのだが……。
クローティア国王宮、謁見の間。玉座に座る老年の王の話を、リゲルは黙って聞いていた。
一国の王といえど、孫娘にはかなわないらしい。孫を思ってくどくどと嘆く姿は、そのあたりにいる爺さんとさほど変わらない。
適齢期にもかかわらず結婚を拒み続ける王女と、手を焼かされる祖父王。それはそれは大変なことだ、と思う。だが――
なぜその話を、今ここで俺にする?
「して、リゲルよ」
ふと気づけば、相手の顔には王の威厳が戻っていた。……嫌な予感がした。
「そなたに、王女が結婚したがらない理由を聞き出してほしいのだ」
◇
王への謁見を終え、案内された王宮内の客室にて。リゲルはひとり溜め息をついた。
流れ者の自分が、なぜいきなり国王の前に呼び出されたのか。そして訳のわからない任務を課されることになったのか。
発端は、恩人の死だ。
放浪の旅をしていた頃、リゲルには剣の師がいた。名はシリウス。年齢はリゲルの祖父ほどで、若い弟子にとっては親代わりのような存在でもあった。
リゲルが十一歳のときから二十歳になる最近まで、事情があって師弟は二人きりで旅をしていた。
少し前に、このシリウスが年齢的な衰えにより亡くなった。最期は眠るように安らかで、おそらく師は自らの死期を悟っていたのだろう。そして、リゲルのもとには一通の手紙が残された。
「俺が逝ったら、この手紙を旧友まで届けてほしい。ただし、リゲル。必ずお前の手で届けてくれ」――あろうことか、手紙の宛先はクローティア国の王だった。
リゲルは、手紙を届けさえすれば役目は終わりだと思っていた。王宮及び周辺施設の敷地をぐるりと囲む石壁の外側で、多少あやしまれながらも衛兵にこれを手渡し、そそくさと立ち去る。
約九年にわたって日陰の放浪生活を送ってきた彼には、王都の賑やかさは落ち着かなかった。早急に離れたいところだったが、日暮れが迫っていたので仕方なく、裏通りの安宿に一泊した。
翌朝、宿先に王の使者が待っていた。そうして、次には玉座の前へと連れ出されていたのだ。
リゲルは手紙の内容を知らない。けれどもこれを手にした王は、初対面の流れ者に不自然なほど親切だった。
顔を合わせるなり、王の瞳は柔らかに細められた。まるで孫を見るような眼差しだが、リゲルとしてはそんな目を向けられる覚えはない。
「各地を渡り歩き、先々で剣士の仕事を得ていたというが。今後はここで働くといい」
「…………」
「遠慮することはない。しばらく疎遠であったがシリウスとは旧知の仲だ。この老いた友からの思いを、彼の代わりに受け取ってはくれぬか」
――王宮で働くなんて冗談じゃない。
リゲルは気楽な放浪生活を手放す気はなかった。一人で細々やっていく程度の稼ぎでよければ、剣士の仕事はいくらでもある。用心棒や野盗退治、剣術大会に出て賞金を稼ぐという手も。
幸いリゲルは腕が立ち、師亡きあと一人でも今までと同じ生活を続けていける自信があった。
彼は、なんとか断れないかと無言のうちに思考を巡らせたのだが。一国の王にこれほど下手に出る物言いをされてしまっては、「ご厚意に感謝します」と小さく返すしかなかった。
しかし、王の話はこれで終わりではなく。
脈絡もなしに始まったのが、問題の――王女アルテミシアの話である。さらには「王女が結婚したがらない理由を聞き出せ」との、突如として課された使命。
王が孫娘に手を焼いているというのは、話しぶりから十分に伝わってきた。
だが、よりによってなぜ自分に役目が回ってきたのか。リゲルが怪訝に思う気持ちは隠しきれていなかったらしい。疑問に先回りするかのように、王は続けた。
「そなたなら、王女から何か聞き出せるのではないかと思った。老年の勘のようなものだ」
「……もし、できなかった場合にはどうなるのですか」
「そうだな、では期限を設けよう。一年だ。もし期限内に理由を聞き出せなかった場合には……リゲル、そなたがあれをもらってやってくれ」
――はっ……?
思わず頓狂な声を上げそうになり、リゲルは慌てて片手で口を押さえた。
「お言葉ですが、俺……私はなんの身分もない流れ者です。万が一、ご冗談であっても、王女殿下の相手には相応しくありません」
動揺により言葉遣いを乱しつつ、さすがに反論する。
しかし、王の笑顔の奥にある瞳はいたって真面目だった。
「こんなことで冗談は言わない。それに言葉を返すようだが、そなたの血筋は問題ないはずであろう? ――レグルス王子殿下」
「…………その名は、もう」
“レグルス”――それは、彼にとって捨てた名であった。正確に言えば捨てたというより、亡くした。
九年前、ネメシアという小国が滅びるにあたって、かの国の王子レグルスもまた死んだのだ。
政変により、父王をはじめ王族は命を奪われ、居住していた館には火がかけられた。混乱のさなか間一髪で当時十一歳のレグルスを救って逃げたのが、騎士として館に出入りしていたシリウスだ。
ネメシア滅亡の糸を引いたのは、東方に位置する大国ブロンテオン。状況を踏まえれば、生き残った王子を擁立して国を取り戻すなどということは不可能だった。王子は名を捨て、二人はただ生き延びることだけを考えた。
「私はこの先レグルスとして……王族として生きる気はありません」
「ああ、言葉が足りなかったな。そなたに政治的役割を求めるつもりはない。私は旧友シリウスの大事な存在である青年に、安全な居場所を与えたいだけなのだ。王女の件はついでだと思ってくれればよいし、そなたの過去も私の心に秘めておこう。それでどうだろうか?」
先ほどの王とのやり取りを思い出し、リゲルは溜め息を重ねた。いつの間にか相手の言葉をすべて受け入れることになっていた。やはり一国の王ともなれば、食えないな……胸中でぼやきながら、どっと疲れを感じる。
客室には、いかにも高級な布が張られたソファーが置かれている。彼はそこへ遠慮なく倒れ込むと、静かにまぶたを閉じた。
――アルテミシア王女か……。
彼の思考はゆっくりと、奥へ潜っていった。ゆっくり、奥深くへと。
レグルスの名を亡くして以来、意識して浮かべることはなかった古い記憶。
夏の森。緑を濃くした樹々に囲まれ、ぽっかりとあいた空間。中心には、向こう岸を見渡せるくらいの湖がある。空の青と、樹々の緑。それから力強い太陽の光を受けて、湖面は一瞬一瞬ちがう色に輝いていた。
十歳のレグルスは湖畔に座って、目の前の景色を飽きずに見つめていた。空気は涼やかに澄みわたり、あたりはとても静かで。世界から時間というものが消えてしまったんじゃないか、ふとそんな感覚にとらわれるほど穏やかな場所だった。子供ながらに美しいと感動したものだ。
だが、彼が美しいと思ったのはそれだけではなかった。
彼の隣には、一人の少女がいた。その両瞳が映すのは湖面と同じ、青とも緑ともいえない神秘的な色。
それが、先ほどまではしゃいだ声を上げて、ワンピースの裾をつまんでちょこちょこと走っていた少女と同一とは思えず。どきりと、レグルスの胸は小さく音を立てた。
不意に少女がこちらを向いて、目が合う。瞬間彼女はにこっと、花が咲きこぼれるかの笑みを見せた。今度は大きく、胸が鳴った。
――彼女はもう、俺がレグルスだとは気づかないだろう。死んだことになっているし、俺はきっと面影がないくらいに変わっている。住む場所も食べるものも一切の心配なく、無邪気にすべてを享受していた子供のレグルスは、もういない。