インスタントホラー 夜桜の怪
夏だからホラー。
§
あれは私がまだ大学生だった頃の話だ。季節は春真っ盛り。仲間内で集まり花見をしようということになり、とある運動公園に皆が集まった。
「よう!お前ら、ちゃんと酒持ってきたか?」
その会の主催者のKは持ち前のコミュニケーション能力をいかんなく発揮し、集まった面々に挨拶を投げかける。
「しかし……意外と寒ぃのな」
誰かがぼそりと呟いた。私を含め、その場の全員がそう思ったことだろう。正確な時刻までは覚えていないが、その花見は夜に行われた。提灯の弱々しい光で照らされた夜桜の下に全員が座れるぐらいの大きさのシートが広げられ、そこから少し離れた所に小さな池が見えた。その池は照らされた桜とは対照的に周囲にまったく光源がなく真っ黒で、まるで地面にぽっかりと穴が空いているかのように感じた。
「ま……酒が入れば忘れるさ」
会は概ねその言葉どおりになった。参加人数は10人前後くらいだったと記憶している。先輩後輩男女入り混じったメンバーだった。
「あぁ……そういえばさぁ、この公園……自殺があったらしいぜ」
ワイワイと皆がはしゃぐ中、先輩の一人が突然不穏なことを口走った。正直なことをいうと、誰がそんなことをいったかまでは覚えていない。しかしながら、皆が集まる楽しい会でそんな嫌なことをいうやつは先輩ポジションの者しかいない。よってこの嫌な情報を提供したのは先輩とさせてもらう。
「やだ……こわい」
先ほど説明した通り、メンバーの中には女の子もいる。巨乳のミカちゃんとか、誰とでもヤルとかいって私には絶対にヤらせなかったあの女とか。
「いやマジなんだって。発見されたのは朝方だったんだけど、死亡推定時刻がちょうど今くらい……」
バシャっと何かが暗闇の池で跳ねた。楽しい空気は一変して重くなり、女の子たちは怯え始めた。その時、何か温かいものが私の太ももに触れたのがわかった。
「えーっと……シュウ?」
私の太ももに触れたのは後輩のシュウの手だった。シュウはマイペースというか、こういうことに怖がるような性格の子ではなかった。一緒に遊びにいって『ちょっとドラマ見たいんで』といって、先輩と遊んでるのに途中で帰っちゃうような、とても可愛らしい顔をした後輩だ。男の子だけど。
「あっ。スイマセ……先輩あの、一緒にトイレどうっすか?」
シュウの連れションの提案とほぼ同時だった。
「えーー!?何!?真っ暗じゃん!!」
桜を照らしていた提灯から明かりが完全に消え去った。先ほどの小気味悪い話のせいもあって、小規模なパニックが起こった。
「ちょっと!!」
誰かが暗闇に向かって走り出した。するとまた別の誰かが暗闇に向かって走り始めた。まるで海に飛び込むペンギンの群れのように皆が次々と暗闇に消えた背中を追いかけていった。
「……大丈夫か、シュウ」
その場に残ったのは私とシュウだけだった。
「ダ、ダイジョブッス」
年々記憶も朧気になってきているが、その時のシュウの声があまり大丈夫そうに聞こえなかったことだけははっきりと覚えている。
「先輩すごいっす」
「ん?」
「皆走って逃げる中、一人だけどっしりと胡坐をかいて」
「君が手をどけなかったからじゃないかな?」
「いや、先輩はそんな男じゃないっス」
シュウから謎に信頼されているということが確認できて、私はとても嬉しかった。
「ななな、なにが起きたっすかね?」
頼れる光源は月明かりだけだった。あの弱々しかった提灯の光の1000分の1ぐらいの薄暗さの中、シートの上の酒やつまみや缶や袋のゴミなどが散乱していたことをかろうじて確認する。
「うーん……多分、消灯時間」
「そういうことかぁ」
「あ」
私はあることに気付き、声をあげた。
「えっ!?」
「あ、ごめん。携帯で照らせるだけ照らしてみよう。まず片付けないと」
「そっすね。でもその前にトイレ行きませんか?」
私は気の毒なシュウに付き添うことにした。
§
「シュウ、まだかかりそう?」
「スイマセ……寒さと酒でちょっと……」
公衆トイレの個室の扉越しでの会話。小さい方だと思い込んでいた私はどうするべきか思い悩んだ。私一人で片付けに戻るべきか、シュウの帰還をこのまま待つか。普通ならどちらでも良いと思う。しかしながらシュウは普通の子よりも少し、というかかなり可愛らしい顔立ちをしている。この場にシュウを一人残し、まかり間違って変態おじさんなんが彼の元へ現れたら……私はきっと一生悔やむだろう。シュウは男の子だけど。
「先輩、俺のことは放っておいても……ダイジョブッス。先にいってください」
「だけど……ホントにいいのか?」
「ダイジョブッス……ダイジョブッス……」
他ならぬシュウの頼みだ。後ろ髪を引かれる思いではあったが、私は一人片付けに戻ることにした。
§
宴会場所と公衆トイレは歩くとかなり離れた場所にあったように感じた。月明かりに目も慣れてきて、目的の桜の下まで50メートルくらいの距離まで迫ってきたころだろうか。私はシートの上に誰かが立っているのを確認した。その人影はゆらゆらと踊っているかのように揺れていて、それを見た私は誰かが戻ってきて片付けてくれているんだと思った。10メートルほど進んだところで違和感に気付いた。他に表現できる言葉が見つからない。とにかくその時、私はほとんど直感的に不安を感じた。その人影が私の知っている人物たちの誰のシルエットとも一致しないのだ。影は踊り続け、私の視線を支配し続けた。私と影の距離はどんどんと縮まる。残り30メートル。もしも……。残り20メートル。もしもアレと鉢合ったら、私は……どうなる?恐怖で背筋が凍った。瞬間
バシャ
池から何かが跳ねる音がした。その音がきっかけだった。私は視線を切ることができ、すぐにその影とは反対方向へと向き直り全力で走った。
§
「あれ、先輩?どうしたんすか」
「いや……ちょっと……忘れ物」
「忘れ物って、なんすか」
「うん……ゴミ袋」
「あー。それじゃその辺のコンビニとかで買ってきますか?」
「……いや、今日は帰ろう」
「え、でも」
「いいから、今日は帰ろう」
私はシュウに何もいわなかった。その日はその場をあとにし、翌日の朝に片づけをした。
気持ち悪かったよ、あの影。