第9話 暗殺者 (三人称)
ブリューネ王国の一地方であるブラント領。
その領都であるリント市の中心部にこの地方を治めるブラント子爵の屋敷があった。
深夜、屋敷の門を黒ずくめの男性が潜る。
「どちら様でしょうか?」
老年のメイドが長身の訪問者をうさんくさそうな目で見上げる。
すると、そこにはまさに眉目秀麗という言葉が当てはまるような端正な顔立ちの青年がいた。
青年は左手に握った銀色のペンダントをメイドの目の前にかざす。
それはブラント子爵家が特別な者に対してだけ渡しているものだった。
「ネイサン・ケレットだ」
青年が自分の名を告げてから数分後、彼は屋敷の執務室へと通されていた。
執務机の向こうには四十代半ばとは思えないほど若く美しい女性が、豪奢な椅子に悠然と座っている。
ブラント子爵家の現当主であるダニエラ・ブラント子爵である。
彼女の傍らには夫であるトーマス・ブラントが立っていた。
ネイサンは正面の女性に向かって恭しく挨拶をする。
「お初にお目にかかります、ご領主様。ネイサン・ケレットと申します」
「よく来た」
ネイサンに声を掛けたのはトーマスだった。
トーマスはネイサンにソファーへ座るよううながし、自らも彼の正面へと座る。
ブラント子爵が執務机の向こうから語りかける。
「実績も十分な凄腕だと聞いていたけど想像していたよりもずっと若いわ。それにとても……、いえ、随分と礼儀正しいのね」
ダニエラは「とても美しい顔をしているのね」と口に出しそうになったが、直前で言葉を改めた。
ネイサンもダニエラが自分の容姿に見惚れているのを十分に承知しながらも、気付かぬ振りをして受け答えをする。
「恐れ入ります。職業柄貴族の方々と接することも多いので最低限のマナーは身に着けているつもりです」
直後、付け焼き刃なので至らぬところはご寛容頂けますと助かります、澄ました顔で付け加えた。
「謙虚なところも好ましいわね」
「恐縮です」
妖しく微笑むダニエラにネイサンが無表情で答えた。
無表情な整った顔立ちをダニエラが黙って見つめていると、彼女の夫であるトーマスが不機嫌そうに話を切りだす。
「貴殿に頼みたいのは我々の甥であるルドルフ・ブラントの暗殺だ」
ルドルフの似顔絵をローテーブルの上に置いた。
血のつながりがあるだけに、現領主であるダニエラ・ブラントをどこか連想させるような整った顔立ちをしている。
ただ、雰囲気は違った。
気の強そうな印象を与えるダニエラに対して、その似顔絵からはどこか気弱そうな印象を受けた。
そして明らかな違いは髪と瞳の色だった。
ダニエラは燃えるような赤毛とコバルトブルーの瞳。
それは代々続くブラント家の血筋の特徴でもあった。
対してルドルフは白銀の髪と琥珀の瞳をしている。
琥珀の瞳は一般的だが白銀の髪は数が少ない上に目立つ。
探しだすのは容易そうだ、と考えていた。
似顔絵を見つめるネイサンに向けてトーマスが意地悪そうな笑みを浮かべて言う。
「六年前に貴殿の師匠が暗殺し損ねた少年の成長した姿だよ」
その言葉にネイサンの表情が一瞬強ばるが、直ぐに平静を取り戻して言う。
「ちょうどその日に授かったスキルで助かったそうですね。確か、自己回復という希少なスキルの持ち主だと聞いております」
「理由はどうあれ、お陰で六年間も待つことになったよ」
「トーマス、それくらいにしなさい。まさか祝福の儀式でそんなスキルを授かるなんて誰も想像していなかったのだからしかたがないでしょう」
「恐れ入ります、ご当主様。師の汚点は私が必ずや雪いでご覧にいれます」
「頼もしいわね。言葉の端々から自信がうかがえるわ」
とダニエラ。
そんなダニエラを横目にトーマスが一枚の手鏡をローテーブルの上に置く。
「これがルドルフの居場所を突き止める魔道具だ」
「鏡、ですか?」
「この鏡と対になる短剣――、追跡の短剣をルドルフが持っている」
トーマスはルドルフが持っている短剣と鏡との距離が百キロメートル以内になると、鏡を中心に短剣のある方角と距離を鏡に光点として示すことを告げた。
「この魔道具を貴殿に貸してやろう」
「ありがとうございます。この魔道具があればターゲットを探しだす時間と手間が省けます」
トーマスの横柄なもの言いにも顔色一つ変えずに感謝の言葉を述べると、ネイサンは手鏡と似顔絵を受け取った。




