第21話 アンジェリカ・マクスウェル辺境伯 (三人称)
シェラーン王国マクスウェル領の領都カーティス。
マクスウェル領は魔の森と呼ばれる広大な未開発の地域と二つの国――、ブリューネ王国とベルクリッド王国と国境を接する。
その地理的な性質上、シェラーン王国の国防の要所の一つとなっていた。
この地を治めるマクスウェル辺境伯家はシェラーン王国の建国から続く国内でも有数の名家の家門でもある。
現在の当主はアンジェリカ・マクスウェル。
六十五歳とは思えない若々しい容貌。
白髪交じりの銀髪を結い上げた彼女はとても上品な雰囲気を漂わせていた。
居間のソファーに背筋を伸ばして座った彼女が穏やかな口調で問いかける。
「報告を聞きましょう」
彼女の正面に座るのはシャーロット・マクスウェル。
アンジェリカの亡き長男の娘――、彼女の五人いる孫の一人である。
「ご報告でしたら既に書類を提出させて頂いております」
「あなたの口から直接聞きたいのです」
マクスウェル辺境伯の琥珀色の瞳がシャーロットを射貫くように見つめる。
シャーロットの視線が一瞬だがアンジェリカの背後に控える年配の騎士――グレイグ・ターナーに向けられた。
「私の口から、ですか……」
実情を知るグレイグがマクスウェル辺境伯にどこまで報告を上げているのかを気にしているのが一目で見て取れる。
シャーロットもグレイグの口から真実が既に伝わるかも知れないと思っていた。
しかしこの二年間、自分の側近として派遣されていたことから一縷の望みを捨てきれずに表向きの報告をしてしまったことを後悔する。
マクスウェル辺境伯が深いため息を吐いた。
「グレイグから報告は受けていますが、私はあなたが実際に目にし、感じたことを話して欲しいのです」
マクスウェル辺境伯はシャーロットに表向きの報告でなく、真実を報告する機会を与えたのだが彼女にはそれが伝わっていなかった。
それどころか自身よりも先に事実を伝えたグレイグを逆恨みして睨み付ける。
「シャーロット」
マクスウェル辺境伯が悲しそうな眼差しでシャーロットをうながした。
すると、彼女が慌てて口を開く。
「通称マッシュ村と呼ばれる開拓村の一つから魔物討伐の要請があり、グレイグ男爵を筆頭に十名の騎士を率いて赴きました」
到着の翌朝、開拓村の住民九人を伴って魔の森へと通じる森林地帯へ踏み入ったこと、その森林地帯でオーガ三体と遭遇し、これを倒した経緯を詳細に報告した。
「討伐したオーガ三体とゴブリン五匹を村の住人である錬金術師の所持するアイテムボックスに収納して開拓村へと帰還いたしました」
「最初に遭遇したオーガの左脚に最初に損傷を与えたのも、オーガの両目を射貫いたのも開拓村の住民で間違いないのですね?」
マクスウェル辺境伯が念を押すように聞くと、シャーロットもその通りだと即座に認める。
「オーガだけでなく横合いから現れたゴブリン五匹を討伐したのも村の住民です……」
悔しそうに拳を握る絞める彼女に辺境伯が聞く。
「最初のオーガとの交戦中に現れた二体のオーガを無力化して騎士たちに花を持たせたのも村の住民で間違いありませんね?」
「錬金術師と神官の二人です……。彼らがオーガの両目を潰し両脚を損傷させて動きを止めました」
「その動きの止まったオーガに騎士たちがとどめを刺したと言うことですか……」
「はい……」
オーガ二体の手柄を譲る代わりに、オーガの素材が市場で取り引きされる額に相当する食糧の支援を約束したことも併せて報告した。
「手柄を譲られるよりも先に、オーガの両目を射貫いた彼らの矢を引き抜き、代わりに自分たちの記章が刻まれた矢を手に、射貫いたのは自分たちだ、と報告したとも聞いていますが……?」
辺境伯が呆れたように聞いた。
「事実です……」
「そのものたちの処遇は?」
「真実はともかく、表向きにはオーガを討伐した者たちですので報償を与えました」
「領都へ帰還するなり、オーガ三体の討伐に成功したことや暴れるオーガの両目を射貫いたことを得意げに吹聴して回ったそうですね」
暴れるオーガの両目を射抜いたとされる騎士たちに、そんな技量がないことは騎士団のものなら誰もが知っている。
向けられた疑いの目が確信に変わるのに二日と必要なかった。
オーガの両目を射抜いたと自称する騎士たちが、他の騎士と腕比べをして惨敗したのは帰還した翌日のことである。
そうなるとオーガ三体を討伐したことにも疑いの目が向けられる。
「叱責し、かの者たちには休暇を与えました」
オーガ討伐で報償を与えた者たちである。
謹慎させる訳にもいかず、特別休暇という名目で隔離していることを告げた。
悔しそうに俯くシャーロットとは裏腹に辺境伯は頭を小さく振ってため息を吐く。
「当該の騎士九名は即刻解雇しなさい」
「彼らはこれからの人材です」
「では、見習いに降格しなさい」
「彼らのなかには他領の貴族の子弟もおります。見習いに降格などしたら関係の悪化が懸念されます。謹慎処分でご納得頂けませんでしょうか?」
「手柄を譲って貰ったことは良いでしょう。多少の嘘やごまかしも必要です。ですが、直ぐにバレる嘘はダメです」
「悪気はなかったのです。ただ……、少々、世間知らずなところが……」
「彼らは騎士団の信用が毀損されるようなことをしでかしたのです」
辺境伯はシャーロットの言葉を遮り、譲る気がないことを静かに告げた。
「畏まりました……」
騎士たちの嘘――、表向きの報告が虚偽であったことが知れ渡るのは時間の問題だった。
そのフォローもしないとならない。
「グレイグ、騎士団内には今回の討伐の真実を周知しなさい」
「承知いたしました」
「お祖母様! それでは私の立場が!」
「嘆かわしい……」
騎士団の統制よりも自身の評判を気にするシャーロットを悲しげに見つめる。
それが自分に対する落胆の眼差しだと理解するのに時間はいらなかった。
「お祖母様、この度の失態は必ずや取り戻して見せます」
「どうやって?」
「幸いにして私の管理する開拓村に有望な平民が流れてきました。彼らを騎士見習いとして取り立てて」
「黙りなさい!」
辺境伯の鋭い声がシャーロットの未練がましい思いつきを遮った。
「その若者二人、いえ、少なくとも一人はあなたの部下になるのは願い下げだと言ったそうじゃないですか?」
「初対面で、シャーロット様が「琥珀色の瞳をした銀髪は嫌いだ」とおっしゃいましたので、そのことも影響していると思われます」
討伐に参加した騎士たちの態度だけでなくシャーロット自身にも原因があるかもしれないと告げた。
「迂闊な事を……」
「相手は平民です。一人は神官なので簡単にはいかないでしょう。ですが、もう一人は他国からの移民です。相応の地位をチラつかせれば簡単に考えも変わるでしょう」
自分に錬金術師を説得するチャンスをくださいと懇願した。
「シャーロット、あなたには期待をしていました」
「お祖母様……」
自身に向けられた悲しげな眼差しにシャーロットが怯える。
「ブラッドやオズワルドと違って領民を思いやる優しさがあると思っていました。少々強引なところはありますが、内政の手腕も見事なものでした」
「お祖母様、わ、私は……」
既に後継者候補から外されたと目される二人の従兄弟の名前を聞いてその場にくずおれた。
先に名前の挙がった二人の従兄弟。
ブラッドが代理統治する開拓村からの魔物討伐の要請に対して騎士を派遣するだけで自らが赴いたことは一度もなかった。
オズワルドに至っては支援するはずの食糧や物資も横流しをして遊ぶ金に換えていた始末である。
「あなたが担当する他の開拓村はそのまま継続して統治して構いません。しかし、今回の開拓村、マッシュ村からは手を引きなさい」
「は、い……」
ブラッドとオズワルドはそれぞれ一つずつの開拓村を残してすべて取り上げられていた。
それに比べれば随分と温情のある措置である。
「いままでのあなたの言動を鑑みれば、今回の失態は起こるべくして起こったことと言えましょう。ですが、評価すべき点は多数あります。挽回してごらんなさい」
「はい! ありがとうございます」
失った信用は大きかったが、それでも首の皮一枚繋がっている事実に安堵する。
「後任はどなたにしますか?」
とグレイグ。
「シャーロットが約束した物資を届ける際にパーシーとクラーラを同行させなさい。二人の反応を見てから決めましょう」
クラーラの名前が挙がった瞬間、シャーロットの顔が強ばった。
「お祖母様、クラーラはまだ十四歳です。性格も内向的すぎます。仮とはいえ統治させるのは早すぎます」
「あなたに口出しをする資格はありません」
口調は穏やかだったが鋭い視線は反論を許さなかった。
辺境伯が「ところで」と話題を変える。
「目撃情報では巨大な魔物ということでしたが、それがオーガだと判断した理由は?」
「え? あの、オーガ三体と遭遇しましたので……」
シャーロットがしどろもどろになった。
オーガ三体の討伐成功で浮かれていたこと彼女自身改めて気付かされる。
住民が目撃したのが討伐したオーガとは限らない。
失態がもう一つ。
他の魔物の可能性を完全に見落としていたことに背筋が凍る。
「グレイグ、約束した物資の用意を急ぎなさい。物資を届ける際には対大型の魔物用の武器と騎士団のなかから十分な戦力を率いるように」
「畏まりました」
放心するシャーロットの眼前で、辺境伯とグレイグのやり取りが続いた。




