第1話 放逐
工房の裏手に呼び出されるといつものように嘲笑と罵声が浴びせられる。
「なあ、お前、明日で十八なんだろ? 情けないと思わないのかよ!」
そう言って下から俺を睨み付けてくるのは、工房に入ってまだ半年ほどの――、十二歳のヨハンだ。
ヨハンは俺と違ってものの二ヶ月で錬金術に成功している。
作ったのは回復ポーションとありきたりなものだったが、それでも六年間も居て何一つ錬金術に成功していない俺に比べれば天と地ほどの差だった。
当然、他の弟弟子たちも俺と違って着実に錬金術のスキルに磨きをかけている。
「ルドルフ、テメーは目障りなんだよ!」
背中に衝撃を感じてよろめいた。
俺を取り囲んでいた連中が笑う。
そうか、いま背中を蹴飛ばされたのか……。
「元貴族だかなんだか知らねえが、なにも出来ないくせに五年間も工房に居座ってんじゃねえよ!」
「そうだね……」
それだけ言うのが精一杯だった。
毎日のように繰り返される年下の弟弟子たちからのいやがらせ。
彼らに言われるまでもなく自分でも情けないと思う。
思うが……、どうすることも出来なかった。
「そうだね、じゃねえんだよ」
「お前みたいなのを見てるとイライラしてこっちの精神がやられちまうんだよ!」
「とっとと出て行っちまえよ」
自分でも情けなくなってくる……。
この世界では十二歳の祝福の儀式で一つから三つの何らかのスキルを授かる。
その授かったスキルに応じて自分の将来を決めるのだ。
最も分かり易いのは属性魔法のスキル。
属性魔法のスキルを授かった者はほぼ全てが魔法学院へ入学し、魔法に関する学問を修め魔法の技術の向上に努める。
鍛冶のスキルを授かった者で経済的な余裕があれば鍛冶師の養成学校へ通い、経済的な余裕がない者は鍛冶師の工房へ弟子入りをし、そこで鍛冶の技術を磨くことになる。
授かったスキルの数や種類に応じて己のスキルを研鑽して将来の職業を決めるのだ。
六年前の祝福の儀式で俺が授かったのは錬金工房という謎のスキルと自己回復、気配遮断の三つ。
両親が錬金術師だったこともあり俺は錬金工房のスキルを磨いて錬金術師となるためにこの工房へと弟子入りした。
しかし、六年経ったいまでも錬金術が発動したことはない。
「ちょっといいかしら?」
工房の裏手へと続く扉を開けて声を掛けてきたのは二歳年下の少女。
「アメリアさん、何でしょうか?」
ここにいるのは俺を除けば全員彼女よりも年下の弟弟子なので自然と口調も丁寧なものとなる。
もちろん、年齢だけが理由ではない。
アメリア自身、この工房にいる弟子たちのなかで最も優れた錬金術を使えるからだ。
「ルドルフを貸してくれる? 工房の片付けをさせたいの」
また後片付けか……。
工房の見習い錬金術師たちが後片付けを俺に押しつけるのは日常茶飯事だった。
「いや、行かせます」
「おい、さっさと片付けに行けよ」
「グズグズするなよ、アメリアさんを待たせるんじゃねえよ」
背中かを蹴られた俺は、その勢いのまま直ぐにアメリアの下へと駆け寄った。
「直ぐに片付けるよ」
「片付けくらいしか能がないんだからしっかりやってよね」
「ちゃんとやっておくから安心して」
俺は悔しい思いを内に秘めて返事をする。
片付けを始めようと工房へ入ると、後片付けをしていた少女と目があった。
「そっちも片付けようか?」
「自分でやるからいいわ」
蔑むような視線に続く素っ気ない口調。
関わりたくない、と全身で語っているのが伝わってくる。
「ルドルフ、ちょっといいか?」
入り口付近でマリウス親方が呼んだ。
「いま片付けをしているので終わってからでも良いでしょうか?」
「片付けか……そうか……。いや、片付けは後で良いから先に話をしよう」
そう言って親方は俺に付いてくるように言った。
「おい、いよいよじゃないか?」
「ルドルフのヤツももう十八歳だからな」
「大体、何の成果もないのに六年間も一つのところに居座るなんて図々し過ぎるんだよ」
弟弟子たちの言葉に俺は不安をかき立てられた。
そろそろ見習いを辞めないとならない、工房を出て行かなければならない時期だと言うことは知っていた。
俺は親方の後に付いて工房の外へと出る。
しばらく並んで歩いていると、親方が言いにくそうに切り出した。
「ルドルフ、明日は誕生日だったな」
「……はい」
十八歳の誕生日。
本来なら見習いとしてスキルに磨きをかける期限である。
「俺のところへ来て、もう六年か……。早いものだな……」
「……はい」
「俺の知り合いに猟師がいるんだが……、気配遮断のスキルをそこで磨いてみる気はないか?」
「……いまからですか?」
スキルを活かしてどの職業に就くかは十八歳までに決めるのが普通だ。
十八歳になってから新たにスキルの研鑽をするなど聞いたことがなかった。
「さすがにそれは難しいでしょ……」
自然と力のない笑いが漏れる。
「しかし、お前をこのまま俺の工房に置いておくわけにはいかないのも分かるだろ?」
「……はい」
やっぱり、だ。
俺は工房を出て行かなきゃならない。
そろそろだというのは分かっていたが、いざ親方の口から言われるとキツいものがあるな。
「お前の錬金工房というスキルは、やはり錬金術とは別物だったのだろう。いままで時間を無駄にさせてしまって申し訳ないと思っているよ」
「俺が不甲斐なかっただけです……」
「お前の亡き父上――、ブラント前子爵にも顔向け出来んな、こんなことじゃ……。本当に済まない」
親方が頭を下げた。
「いいえ、親方が謝るようなことは何もありません」
むしろ俺の方こそ感謝すべきだった。
無言でいる親方に言う。
「明日、工房を出ます」
「そうか……」
しばしの沈黙の後に親方が再び猟師の下で気配遮断のスキルを磨かないか、と口にした。
「考えてみます。返事は明日で良いでしょうか……」
そう返すのが精一杯だった。
◇
「眠れそうにないな……」
その日の夜、まったく眠れる気がしなかった俺は見納めと思って工房のなかを歩いてみることにした。
「懐かしいな……」
錬金術に使われる様々な道具類が並ぶ。
錬金術師はあらゆる職人たちの上位に位置する職業だ。
鍛冶師が作る金属製の武器や道具、裁縫師が作る革製品、薬師が作るあらゆる薬品。
それらを熟練の技術ではなく熟練の魔法で創り出す。
素材さえあればあらゆるものを創り出せるのが錬金術師である。
目指した遙かな頂に改めて無謀な挑戦だったと実感する。
父と母の偉大さを思い知る。
十二歳からの六年間、ここで過ごした思い出が蘇ってくる。
「もう、ここにはいられないんだ……」
辛い記憶の方が多いはずなのに、思いだすのは優しく温かな思い出ばかりだった。
初めてここへ来たときに温かく迎えてくれた親方や兄弟子たちのことが脳裏をよぎり胸が熱くなる。
気付くといつの間にか涙が溢れていた。
「ははは……。明日、ここを出て行くんだよな、俺……」
十二歳の祝福の儀式でスキルを得た俺はその帰り道に盗賊に襲われて父と母を失った。
同時に肉親からの愛情と貴族の地位も失った。
親族は父の妹である叔母とその子どもたち。
しかし、子爵位を継承した叔母が俺を引き取ることはなかった。
そのままこの工房へ預けられ、芽の出ないまま六年間が過ぎたのだ。
「俺の人生って何だったんだろうな……。あのとき、俺も父さんや母さんと一緒に死んでいたらこんな思いをしなくて済んだのかも……」
涙が止まらない。
自己回復、祝福の儀式で授かった己のスキルを恨めしく思う。
これがあったから助かった。
「これが治癒や回復だったら道も違ったかも知れないな」
自分しか回復できないスキルでは治療や回復を生業とする職業につくことは出来ない。
ひとしきり工房を回った俺は最後に親方の住む母屋へと向かった。
母屋から灯りが漏れていた。
「明日も朝が早いのに親方はまだ起きているのか」
俺は灯りに吸い寄せられるように窓へと近付いた。
すると、そこには見知った顔があった。
「義叔父さん?」
俺は慌てて身を隠す。
何で義叔父がこんなところに?
もしかして、親方が俺を引き取るように進言してくれているのだろうか?
あり得ないと思いながらも聞き耳を立てた。
「そうか、とうとう明日出て行くのか」
義叔父の笑い声が響いた。
「まだ断言はしていませんが、出て行かざるを得ないでしょう」
「ルドルフには錬金術の才能はなかったということで間違いないのだな?」
「はい、この六年間で一度も錬金術が成功したことはありません。ルドルフの持つ錬金工房というスキルは錬金術とは異なるもので間違いありませんでした」
それを聞いて義叔父が高笑いをした。
「それは何よりの朗報だ、妻も喜ぶだろう」
「子爵様の心の重荷がなくなって喜ばしい限りです」
「まったくだ、これであいつがブラント家を継ぐ可能性が潰えたのだからな」
「ルドルフのヤツがいつ錬金術を成功させるのかと、私も毎日ハラハラしましたよ」
親方が調子を合わせて笑った。
どういうことだ?
義叔父と親方が……、俺がこの工房を出て行くことを喜んでいる。
俺に錬金術の才能がなかったことを――、錬金工房のスキルが開花しなかったことを喜んでいる……。
「しかし、六年間も良く耐えたな」
「そこは私を褒めてください。弟子たちを使ってルドルフが逃げ出さない程度に精神的な苦痛を与え続けました」
「だが、心は折れなかったのだろう? 少し手緩かったのではないか?」
親方が義叔父の指示で俺を追い詰めていただと……?
胸が締め付けられるように苦しい。
俺はこみ上げてくる吐き気を必死に押さえて二人の会話を聞き取ることに集中した。
「これが約束の報酬だ」
重みのある音が響いた。
「ありがとうございます」
「これであとはルドルフが死んでくれれば万事収まるな」
「自己回復あるので簡単には死なないでしょう」
実際にこの工房でも何度か事故に見せかけて怪我をさせましたが何れも治ってしまいました、と残念そうに言った。
「まったく、両親と一緒に死んでくれれば面倒がなかったものを」
「悪運が強いヤツですから」
「義兄夫婦の暗殺に成功しただけでも良しと思うしかないか」
義叔父の笑い声が響いた。
いま何て言った?
俺の両親の暗殺に成功した、だと……?
頭が真っ白になった。
叔父の声が響く。
「ルドルフを殺せば約束の倍の金額を出すが、どうだ?」
義叔父の言葉に恐怖が湧き上がった。
足がすくむ。
「それは……」
「度胸のないヤツめ」
「申し訳ございません」
「では殺し屋はこちらで手配するから、お前はアイツの居所が分かるような魔道具を用意してくれ」
「ちょうど良い魔道具がございます。追跡の短剣です」
「追跡の短剣? どのように追いかけるのだ?」
「短剣がどの方向に、どのくらいの距離にあるのかをこちらの鏡に映し出します」
鏡で判別出来る距離はおよそ百キロメートルだと言った。
「それだけの距離を追えるなら危険を冒して領内で殺すこともないな。領地を出た後、どこへ向かうかは知らんが領地から離れたところで殺すとしよう」
俺を殺す?
俺を殺すために親方が魔道具を提供するのか?
混乱する俺の耳にさらなる衝撃が届く。
「念のため、お前はあいつがどこへ向かうのかを確実に押さえておけ」
「承知いたしました」
俺は殺されるのか?
叔母が子爵の地位を確実にするためなのか?
そんなの俺を殺さなくたって子爵の地位は叔母のものじゃないか……。
◇
俺は、一睡もすることなく朝を迎えた。
早朝、弟弟子たちが起き出す前に荷物をまとめて親方の家の扉を叩いた。
「もう出発するのか?」
眠そうな顔で扉を開けた親方だったが俺の旅装束を見るなり眠気が吹き飛んだように目を見開いた。
「はい、別に弟弟子たちに挨拶をする必要もないかと思いまして」
「少し冷たいんじゃないか?」
「申し訳ありません……」
「いや、そうだな……。黙って出て行った方が良いかもしれないな」
俺が黙っていると、
「ちょっと待っていろ」
そう言って部屋の奥へと消える。
しかし、直ぐに戻ってきた。
手には短剣とカバンを持っていた。
「これは餞別だ。短剣はそれなりの業物だ。護身用に大切にしてくれると嬉しいよ。カバンのなかには鋼と鉄、何種類かの薬草が入っている。練習に使ってくれ」
「ありがとうございます」
例の短剣で間違いないだろう。
俺は素直にそれを受け取った。
「あと、これはわずかだが路銀の足しだ」
「これは頂けません。蓄えなら六年間の給金があります」
三ヶ月は暮らしていけるだけの蓄えである。
「これは私の気持ちだ」
無理矢理俺の手の中へと押し込んだ。
「ありがとうございます」
「元気でな」
「はい、お世話になりました」
顔を上げるといつもの優しげな笑顔があった。
この笑顔で六年間俺を騙し続けていたのか……。
「では、失礼します」
「ルドルフ、どこへ向かうんだ?」
「まだ何も決めていませんが、この時間ならバイロン市に向かう馬車があるはずです。その馬車に乗せて貰おうかと考えています」
俺はそう言って六年間世話になった親方の下を後にした。
◇
南門へ来てみると予想したとおり幾つかの駅馬車があった。
駅馬車に素直に乗るか、行商に同行させて貰うか、と悩んでいると威勢のいい若い行商人の声が耳に届く。
十代半ばの若い商人が他の商人から大量の商品を買い付けているところだった。
「積み荷の心配は不要だ! あるだけ買うぞ!」
「大丈夫か? 欲張って馬車が動かなくなっても知らないぜ」
「何の心配もいらない」
若い商人が意味ありげに笑う。
「マジックバッグか! そりゃあ、スゲえ」
「違う違う、アイテムボックスだよ」
得意げに言う若い商人の言葉に仕入れ先の商人が目を丸くした。
「羨ましいな。アイテムボックスがあるなら商人として成功したようなものじゃないか」
「だろう? 俺に投資しないか?」
「アイテムボックスの容量しだいだな」
仕入れ先の商人が慎重に答えた。
アイテムボックス――、魔法のスキルの一つで魔力量に応じて異空間にものを収納して持ち運びができるというものだ。
しかも、アイテムボックス内では時間が経過しない。
これなら荷物の重量や鮮度が低下するような商品でも気にしないで運ぶことが出来る。
貴族や商人なら喉から手が出るほど欲しいスキルだ。
ただし、希少なスキルでもある。
俺自身、これまでの人生でアイテムボックスのスキルを持っている人とあったことがなかった。
「見てろよ、ここに積んだ荷物くらいなら全部収納してみせるからな」
若い商人はそう言うと積み上げられた荷物に向かって右手をかざした。
次の瞬間、荷物が消えた。
「いまのを全部か! これほどの量を収納出来るアイテムボックスは初めて見たぞ」
「どうよ! 俺に投資してみる気になったか?」
アイテムボックスを使って見せた若い商人を中心にたちまち人だかりが出来た。
彼らの表情を見れば分かる、若い商人のアイテムボックスのスキルを目の当たりにした者たちには一様に衝撃が走ったのだろう。
しかし、俺に走った衝撃は間違いなく彼ら以上だった。
俺はこっそりと自分の荷物に右手をかざして、それらを錬金工房へ収納しようと意識した。
刹那、俺の荷物が消えた。
俺の頭のなかに収納されたものが一覧として表示される。
「これが錬金工房のスキル……」
鼓動が早まる。
興奮をしているのが自分で分かる。
アイテムボックスのスキルが発動するところを見た瞬間、錬金工房のスキルで何が出来るのかを理解した。
そして、直感的に分かる。
この錬金工房のなかにあれば鑑定ができることが、錬金工房のなかに必要な素材があれば錬金が行えるのだと。
自然と笑いが込み上げてくる。
父母を殺害し、いままた俺を殺そうとしている叔母夫婦への怒り、そんな叔母夫婦に協力して俺を騙し続けた親方への怒り。
無力ゆえに心の奥底へと押し込めていた復讐心が急速に浮上する。
いまはまだ無理だが光明は見えた!
「人生最悪の日だと思っていたが、これは人生最良の日かもな……」
錬金工房の能力を磨いて力を手に入れて見せる。
待っていろよ、必ず敵は討つ。
俺は拳を握りしめて一人ほくそ笑んでいた。