喪失 後編
『おい、そろそろ起きた方がいいと思うぜ?』
「ッ!?」
意識を手放し眠っていたユークレスは、突如響く声に驚き、目を覚ました。
が、近くには誰もいない。彼が寝ていたのは子供一人がギリギリ入り込める程度の引き出しの中なのだから、別の誰かがいればその方が恐ろしい。
聞き覚えもないし、きっと夢の中で囁かれただけなのだろう。
「……あっつい」
大分時間が経ったのか、引き出しの中はひどく蒸していた。
まるで強い日差しを浴びているような熱に我慢しきれず、ユークレスはタンスの中から出る事にした。
どれだけ眠っていたのかはわからないが、きっとマナが彼の事を探し疲れてしまった頃であるような気がしていたし、もしかしたら両親が帰ってきているかもしれない。
内側から引き出しを開けて飛び出したユークレスが見たのは橙色に照らされた室内だった。
だが、不思議な事に窓の外は暗く、いくつかの星々がきらめいている。
「……?」
寝起きの頭では状況が上手く理解できず、ユークレスは目を擦りながら寝室を出てマナの所へ向かう。
どこにいるかはわからないが、もしも両親が帰ってきているなら一緒にいるはずだ。もしかしたら三人で先に夕食を食べているかもしれない。
そう思い、ユークレスはリビングへと向かった。
すぐに、三人を見付けられた。
「よし、焼いてくれ」
壁に座らされたロクドールとメルテラ。それから少し離れた場所で見知らぬ誰かに押さえつけられたマナを発見した直後、意味のわからない言葉が発される。
ユークレスの両親の前にも知らない男がいる。二人は同じ兜と鎧を着ていた。ちょうど先日にユークレスと揉め事を起こした剣と団結の王国の人間だろうか。
それに気付くと同時に兵士はユークレスに背を向けたまま、火の付いた紙を放り投げる。
メルテラの肩に落ちたそれが一瞬の内に燃え広がり、ロクドールの体をも巻き込んで二人は炎に包まれた。油か何かが塗られているのか、その勢いはとても激しい。
「え、なに……、なんだよ」
文句も言わず、動きもせずに焼かれる両親。それを見て、ようやくユークレスの頭も動き始めた。
兵士の握る剣。そこには真っ赤な血液がべったりと張り付いているのだ。昨日も、そしてユキワタゲが殺された時にも、見たもの。
二人は殺されたのだと、肉の焼ける嫌な臭いがユークレスの鼻まで届いた時に理解した。
「……ッッ!!!!」
訳の分からない状況だったが、怒りが彼の体を動かさせた。考えるより先に、まだ自分の存在に気付いていない兵士へ飛びかかろうとする。
だが、その直前にマナと目が合った。今までに見たことのないほど怯え、幾筋もの涙の流れた痕がある。
「いやぁぁぁ!! 来ないでぇ!!!」
「っ、マナ……!?」
助けて、ではなく来ないで、と言われた。その絶叫に勝手に動いた彼の体は止まる。
そして暴れはじめたマナを兵士の一人がさらに強く押さえ込む。
「お前っ、動くな! お前も殺したっていいんだぞこっちは!」
大人と子供では体格差でまるで敵わない。それでも逃げ出そうとする彼女の頭を苛立つように乱暴に掴み、床に額を叩きつけた。
とても見ていられない光景に思わずユークレスはまた動き出しそうになるが、マナの顔が持ち上げられた一瞬、再び視線が合う。
怯え切っていたはずのその目は、いつの間にか決意、覚悟のようなものを帯びている気がした。ユークレスは、彼女が最近よく言っていた言葉を思い出す。
「何してるんだよ。ガキはモルディラ様の所へ持ってくんだから傷つけるなって言っただろ」
「逃げようとしたんだから仕方ないだろ! 小遣い稼ぎもいいが、バレたら俺達も殺されかねねぇだろうが!」
二人が言い争う間に、マナは額から血を流しながらユークレスへと目で合図を送ってくる。
「隙を突いて逃げて」、と目線で訴える彼女に、ユークレスは無言で息を飲む。
そんなことはできない、と彼もまた首を振る。だがマナはそんなユークレスを見て嬉しそうに、そして困ったように眉をハの字に曲げた。
「おねがいです、殺さないでぇ……」
マナは今度は二人の兵士に懇願する。すると、ユークレスの両親に火をつけた兵士がしゃがみ込み、彼女の頭を撫でる。
「大人しくしていれば殺さないよ。別の所で暮らしてもらいはするが、まあ……痛くはないだろう」
「……わかりました、おとなしくします」
少しして、それがマナの演技であることに気付いた。「自分は殺されないから、逃げてくれ」とユークレスへ伝えているのだ。
それが正解なのか、彼女は更に男たちの気を引こうとする。
「に、逃げないから、離してください。くるしい……」
「……どうするよ」
「それくらいいいだろ。二人いるんだから、逃げてもどっちかが殺せばいい」
のしかかるようにマナを押さえていた男だったが、片割れの言葉に納得して彼女を解放する。
自由になった途端、マナは自分を押さえていた兵士の首に手を回し、顔を近付けた。
「…………」
「!? 何を」
「あー、大丈夫だ。これは殺さなくていい」
それを見ていた兵士が剣を振り上げたが、抱きつかれている側は手で制止した。
鼻と鼻が付くような距離でマナの顔を見る男はひどくにやついている。
「一応聞いておくが、これは何のつもりかな?」
「本当に殺さないって約束してください、そうしたら、私の事好きにしていいです」
「ははは、用心深い事だなぁ。暴れないなら元からそのつもりだったが、仕方ねえな、約束してやるか」
そう言うと、男はマナの唇を奪った。
「ん、んん……」
「おい、お前……」
「ぷはぁっ、ホントはこんなガキ趣味じゃないんだが、こう迫られちゃあな」
マナが見知らぬ男とキスする瞬間を目撃してしまったユークレスだが、確かに今注目は完全に彼女に集まっている。
心苦しいが今の内に逃げ出すしかない。彼らがユークレスから背を向けている間に家の外へと繋がる扉めがけてゆっくりと歩いていく。
兵士の後ろを通って五歩。それで扉に手が届く。
一歩、二歩と金属鎧の背中を音もなく通り過ぎ、そこでふとユークレスの視界にはテーブルの上のものが入り込む。大きな籠だ。
そこには彼の両親が一生懸命採ってきてくれたのだろうキノコと、彼の大好きなキブの実がいっぱいに詰まっていた。
「……ぐすっ」
これを美味しく料理してくれる人も、一緒の食卓で囲んで食べてくれる人もいなくなってしまったのをふと思い出し、涙と鼻水が零れる。
「ん?」
「あっ……」
わずかにすすった鼻水の音が響き、兵士が素早く振り返る。
視線が合い、ユークレスは思わず声を上げてしまった。
「あぁ? まだ隠れて、や、がぁぁっ!?」
マナの体をまさぐっていた兵士も彼の存在に気付く。
しかしそれと同時にマナが兵士の鞘から剣を抜き、首元へと深々と突き刺した。
すぐに引き抜かれ、首に開いた穴から大量の血飛沫を上げながら絶叫して男は倒れる。
「っ!! お前、やったな!!」
「早く行ってぇ!」
残った兵士はユークレスからマナへ視線を戻し、仲間を殺した少女に向けて剣を振りかぶった。
彼女を助けたい衝動に駆られるも、ユークレスはマナの叫ぶままにぶち破る勢いで扉に突っ込んだ。
惨劇の繰り広げられた家の外に出た彼は振り返ると、マナと兵士が剣で打ち合っているのを目撃する。力の関係で、マナの方が押され気味だ。
「逃げてよユークぅ!!」
このまま続けばどちらに軍配が上がるかは明白だった。それなのにマナは逃げろと叫んでくる。
できることなら今すぐ戻って助けに入りたい。だがユークレスはカレットに近い力を持つとはいえまだ子供だ。大人相手では勝負にならないし、いくら頑丈であっても剣で斬り付けられれば無傷ですまないのは分かっている。
少なくとも無手ではどうすることもできない。何か、武器が欲しい。マナを守るための力が。
「! 待っててよマナ!!」
心当たりが一つだけあった。ユークレスの知る、邪悪な敵を打ち倒す力のありか。
そこへ向かって、ユークレスは全速力で走り出した。