女神の彫像
杖と羽の国を蹂躙しながら進むユークレスはとある町に辿り着き、その内の家の一つで体を休めていた。
闇夜に乗じて町に忍び込んだ彼は運よく誰にも見つからず、住民に気付かれる前に全滅させることができたため、安心して眠る事ができた。
大量の血がこびり付いた窓から差し込む日差しで目を覚ました彼は、何日ぶりかの安眠に気持ちよく体を伸ばしながら起き上がる。
「んっ……」
『いい顔してるぜ。やっぱ子供はしっかり寝なきゃだよなぁ』
「子供扱いするなよ……」
『何言ってんだ、まだまだお前はガキだろ? ちゃんとしっかり食うのも忘れたらいけねぇからな。どうせ誰も食わなくなるんだし、出てく前に食えそうなもんは食っていこうぜ』
「それは駄目だろ、人のものを勝手に取るのは良くないって母さん言ってたし」
朝を迎え、ユークレスは手早く家を出ようとする。
彼は復讐はしたいが強盗がしたい訳ではない。一晩寝床を借りはしたが、必要以上に何かを奪うことはしたくないのだ。
なので眠気もなくなった以上は急いでこの町の人間を皆殺しにするつもりだったのだが、その時彼は家の外が騒がしくなっているのに気が付いた。
一瞬自分がこの家に居るのが町の人間に気付かれたのかと思ったがそうではない。窓から外を覗けば、街道の一角で人が集まっているのが見えた。
「なんだあれ」
『気になるなら見に行ってみようぜ。適当に顔だけ隠しとけば気付かれねぇだろ』
ジルベールのアドバイスのもと、家の中から適当な布を見付けて頭にかぶり、ユークレスは人だかりの方へ行ってみた。
すると、それまでの豹変ぶりが嘘のように住民はユークレスに襲ってこなかった。
『……マジで気付かれないのかよ。こいつらとんでもねぇ節穴だな』
耳を隠しただけでユークレスは彼らの敵だとすら思われなくなったようで、あまりの馬鹿馬鹿しさにジルベールは呆れる。
簡単に欺ける程度の連中という事ではあるが、ユークレスからすればどうだっていい。近付いても問題ないというなら都合がいいので、利用するだけだ。
「さあさ、大神官様の祝福を受けたヴェルセナ様の彫像です。女神の寵愛を受けたい皆様、金貨五十枚でどうぞお渡ししますよ!」
人の壁の向こうから響くのは商売人らしき者の声だ。ユークレスにはよく見えないが、そこにいるのはゆったりとした法衣を身に纏った者のようだ。
「……なんの集まりなんだ?」
『俺が見た限りだとゴミの買い取りって所だな。物価なんざ知らねぇけど、確実にぼったくりだろ』
「おや、おつかいかな?」
近くには来たが、ユークレスには何をしているのか理解できなかった。
そんな彼の呟きを聞きつけたのか、人だかりの内の一人がにこやかな顔でユークレスを見る。
どこか嫌な気分になるにやけた顔の老人は彼に勝手に説明を始めた。
「今日はお城の僧侶様がケルペンド様の祝福を授かった女神像を私たちの町でお渡しに来てくださったんだよ」
『ギャハハハ! 渡しに来てくれたんだとよ! カネ取られてんのによく言えるよな!!』
「金貨五十枚だったっけ」
「うむ、日々のたくわえがなければ用意しておけないだろう。ヴェルセナ様が私たちの節制と信仰心を確かめられておいでなのだよ」
老人の顔には苦いものなど無く、それどころか喜ばしい事を語るかのような表情だった。
ユークレスは金銭の扱いをしてこなかったのでよく分からないが、自分が頑張って集めたものを無意味なものと交換するという行為の意味不明さだけは理解できた。
『すげぇなユークレス、こんなやつらが国中にいっぱいいるってんだぜ? 道理で耳隠しただけでハーフエルフだってバレねぇ訳だぜ』
「君もご両親のために女神像を授かりにきたのだろう? さ、私の事はいいから先にお並び」
親切心なのか、老人は自分の立っていた場所にユークレスを進ませて下がる。
別に欠片もそんな像は欲しくないのだが、道が少し開けたおかげでこの先で何が起きているのかはよく見えるようになった。
「さあ、対価をお見せください」
支払いを命じられ、列の先頭で一人の女がおずおずと金貨の詰まった袋を差し出す。
僧侶に一枚一枚数えられていく間、女の方は俯き、祈るように手を組んでいた。
「……おや、四十九枚しか入っておられませんが」
「っ申し訳ございません!」
地に膝を突き、女は救いを求めるように叫びながら僧侶を見る。
「子供の服を新しくしまして、お金が足りなく……! どうか!! どうかそちらのお金で像を!!」
「……いけませんなあ、信仰の証であるこの像を値切ろうなどと」
彼女の言葉は聞き入れられることなく、僧侶は女を冷たい瞳で見下ろしながら金貨の袋を後ろに控えた僧侶に渡す。
「あなたの不道徳な行いの罰としてこちらは没収させていただきます。次の機会までに、更なる節制を胸にお誓いなさい」
「そ、そんな……!」
「なんと愚かな。子供の服など買うために女神像の対価へ手を出すとは」
「物事の順序も考えられないの……?」
崩れ落ちる女に、周囲からの心無い言葉が飛び交う。ユークレスは、自分が異常極まりない空間に放り出されてしまったのを実感する。
批判を浴びながら群衆の中に消えていく女に続き、今度は痩せこけ、瞳だけに力を宿す青年が僧侶の前に立つ。
「さ、対価を」
「ふふふ、ご覧ください僧侶様!」
青年は金貨の袋を三つ差し出した。僧侶はそれを受け取って再び数え始める。
「僕はあらゆる無駄を削り取りました! 食事は少量を日に一度、妻と子供の持ち物も全て売って毎日二十二時間働いて金貨を百五十枚揃えて参りました!」
「うむ、よろしい。では像を三つ、お譲りいたしましょう」
青年が歓喜の瞳で受け取ったのは、以前ユークレスが見た絵画の女神とは似ても似つかないような不細工な木彫りの像だった。
「大事になさってください」
「おおお……! 次は四つを貰いに来ます!!!」
「素晴らしい……なんという信仰だ」
「あんな信心深い夫がいるだなんて、彼の家族が羨ましいわ……」
先程の女性への対応が嘘のように民衆の声は彼を称えている。
常識を歪まされてしまいそうな光景が続き、ユークレスの頭は痛くなってきた。
『……ヤバいぜユークレス。このままここにいたら俺、笑い死んじまう』
「わざわざ見に来るほどのものじゃなかったよな。あんなの子供でも彫れるだろ」
随分人が集まっていたので何か面白い事でもやっているのかと思ったが、ユークレスの目には下らないものしか映らなかった。
すぐに立ち去ろうとしたが回りの人間は彼の言葉を聞き取ったのか、盛り上がりを見せていたのが嘘のように静まり返る。
「……聞き捨てならない言葉が聞こえましたね。誰です? 大神官様の加護宿る敬虔な像を侮辱するのは」
「……。俺だよ」
周りからの目線は、既に彼を強く睨みつけている。
逃げても面倒な事になるのを察したユークレスは人ごみの中から抜け出して僧侶の前に現れた。
彼を見て、僧侶は目を見開いた。
「おや、こんな子供が。いけませんな、例え年若き者であっても過ぎた悪戯というものはあります。この国で生きる者であれば、ヴェルセナ教への罵倒はいかに些細な物でも許されはしないのですよ?」
「そうかよ、だったら」
諭すような言葉に、ユークレスはかぶっていた布を取り払う。
銀の髪が広がり、その間から覗くハーフエルフの象徴である耳が町中に晒される。
「この国の奴じゃない、ハーフエルフだったらどうするんだよ」
「っ!? 魔物!? ……殺しなさい!!」
僧侶の言葉を待つより先に、ユークレスの耳を見た町人たちが襲い掛かる。
が、彼らの手が触れるよりもユークレスの魔剣が振り抜かれる方が速かった。
「ジルベール!」
その瞬間に、彼の周囲の人間は一人残らず魔剣の餌食となった。物言わぬ肉塊が街道を埋め尽くす。
『顔が見えたらこの豹変ぶりとはな。心底狂った連中だぜ』
死体を乗り越え、ユークレスは僧侶たちが袋の中に詰めていた女神像の一つを手に取り、じっくりと眺めてみる。
どれだけ見ても、これに大金を出そうとする人間の気持ちは分からないままだった。
「なあ、これって加護だか祝福だかって本当にあるのか?」
ユークレスの疑問にジルベールは笑いながら答える。
『あるわけないだろ。大神官とやらが誰かは知らんが何の力も宿ってねぇし、見ての通りの不細工で何の使い道もないおもちゃだ』
「そうだよな」
魔剣の言葉を聞き、ユークレスは木彫りの像を放り捨てた。それだけで像は割れ、女神の肩から上が飛ぶ。
そしてこの町の人間も皆殺しにするべく、彼はその場を離れていった。