令和二年五月二日
二場 五月二日 土曜日
一場と同じ場所。サツキ、パジャマ姿でテレビを見ている。
アナウンサー では、「懐かしの名曲」のコーナーです。今日は、サザンオールスターズで「私はピアノ」。
前奏が鳴りはじめる。サツキ、立ち上がって歌いだす。サツキのまわりにだけスポットがつく。
サツキ、歌い終わる。
ベタ明かりにもどる。スマホの着信音が鳴る。サツキ、リモコンでテレビのスイッチを切る。
サツキ ああ、パパ。…うん。わかってるよ。今はどこのお店も休業中だもんね。この騒ぎが終わってからでいいよ。
しばらくの間。
サツキ ねえパパ。サザンが好きだったよね。
…へえ、そうなんだ。だけど「私はピアノ」って知ってる?
…そう。わたしはこの歌が好きだよ。前奏のピアノもいいし、「言葉じゃなくて態度でわかりあえてもいたのに」の後のベースの音もいい。失恋の歌だけれど、なんとなく甘くせつない雰囲気もいい。それでいて、なんだかけだるい感じもいい。…ふうん、そう。何よりも、「ひとしきり泣いたら馬鹿げたことネと思う」ってところが好き。わたしにはまだわからないけれど、大人になったらそんな気持ちになれるのかな。どんなに悲しいことがあっても、泣いた後で「馬鹿げたことで泣いていた」っていう気持ちになれるのかな。
…男のパパにはわからないか。…いや、未成年のわたしに、お酒の話をされても。それに、「ためいきがでちゃうよな恋」かあ…。わたし、彼氏ができたんだよ。パパ、心配?
しばらくの間。
サツキ そうなんだ…。(気を取り直して)あの、女とトラさんの話、結末を考えた? …そう。じゃあ、また明日ね。
サツキ、テーブルに両手を出して顔を伏せる。サツキ、顔を上げてスマホを操作する。
サツキ もしもし…、タケシ? …元気? わたしは元気じゃないよ。家には誰もいないし、学校には行けないし、誰にも会えないし。…タケシ。会いたいよ…。
しばらくの間。
サツキ …女の子にそう言われたら、「おれも会いたい」って言わなきゃダメでしょ! 全く! あれからすぐ外出自粛になっちゃって、デートもできてないのに! クラスのみんなも、わたしたちがつき合ってることをまだ知らないけど。
しばらくの間。
サツキ うん…。ハルミにだけは言った。タケシはだれかに言った?
しばらくの間。
サツキ そうなんだ…。だけど明日は特別な日だから、明日にはハルミ以外からも電話がかかってきたら、言おうと思うけど。
しばらくの間。
サツキ え、どうして?
しばらくの間。
サツキ わかった。明後日までは待つよ。だけど、明後日には言うからね。そうしないと、公認のカップルになれないし。それに、学校が始まれば…。十一日に、休校が開けたら会えるよね…。待ち遠しいな。
サツキ、ホワイトボードまで行って「5/1 金」を消し、「5/2 土」と書く。
サツキ …ねえ、明日は何の日かわかる?
間。
サツキ だから、わたしは憲法マニアじゃないっての! まあいいや。明日までの宿題にしておくから、明日は必ずタケシの方から連絡すること! わかった!? そうだ。あの女とトラさんの話、結末を考えた?
サツキ、ホワイトボードに円形闘技場と女とトラと扉の絵を描く。
サツキ うん…。うん…。うん…。まとめるとこういうことかな。
サツキ、客席にいる王女と、ピッチに引き出された若者の姿も描く。
ホワイトボードの絵を指しながら話す。
サツキ 王女は若者に一方の扉を教えた。
しかし若者は、王女が虎の扉を教えたかもしれないと思った。
若者はあえて逆の扉に向かっていった。
王女の「そっちじゃない!」という悲鳴も無視した。
扉を開けると虎が出てきた。
あわれ、若者は虎のお昼ごはんになってしまった。
王女が狂おしいほどの嫉妬を抑えて、恋人に女の扉を教えたのに!
若者は王女の真心を疑った、その賢しらゆえに、命を落としたのだ…。
しばらくの間。
サツキ なんて後味の悪い話なの!
…いや、だから、面白さを求めてるんじゃないの!
しばらくの間。
サツキ タケシは、もしわたしが女の扉を教えても信じないの? 愛する人を信じなくて、他の何を信じるっていうの?
しばらくの間。
サツキ そういうことを言ってるんじゃないの。確かにこれは「お話」だけど、こういうところに無意識っていうか、恋愛に対する本音が出るんだよ!
わたしだったら、絶対にタケシを信じる! タケシがわたしをあえて傷つけるなんてことは信じない! ましてタケシがわたしを殺すはずなんかない!
いや、タケシがトラに食われろって言ったらトラのエサになる! タケシがやれって言ったらなんでもする! そう、なんでもしてあげるよ。
なんでちょっとヒいてるの! 「おまえに殺されるくらい愛されるなんて、男冥利につきる」って言ってたじゃない!
しばらくの間。
サツキ いーや、絶対に言った! まあ、たしかにわたしはひとから「思い込みが激しい」って言われるけどね。とにかくそれだけの覚悟があるってことだよ。だからせめて、明日はそっちから連絡とりなさいよ。電話してるのはわたしだけじゃないの!
サツキ、スマホを操作して通話を切る。息が荒い。
しばらくそのまま。
立ち上がって、マーケット袋からラ王を取り出す。
ビニールを破って蓋を開け、ポットからお湯を注ぐ。
テーブルにラ王を載せてスマホで時間を計る。
スマホ、タイムアップの音を出す。
サツキ、蓋を開ける。
サツキ いただきます。
サツキがラ王を食べようとしたところで、スマホ、着信音。
サツキ、スマホを取る。視線はラ王。
サツキ タケシ? 連絡は明日って言ったでしょ! わたしだって暇じゃないんだよ!
サツキ、ラ王をみている。しばらくの間。
サツキ すみません! お母さんですか。タケシ君とお付き合いをさせていただいています、藤波サツキと申します。番号表示がタケシ君の携帯だったものですから。
サツキ、ラ王を見たまま。
サツキ いえ、そういう意味ではありません。タケシ君のお母さんだから「お母さん」と言っただけです。もちろん、タケシ君と結婚すれば「お義母さん」と呼ぶことになるのですが。
サツキ、ラ王を見たまま。
サツキ ちょっと気が早かったですね。では、「おばさん」と呼べばいいですか?
サツキ、ラ王を見たまま。
サツキ では「おばさま」と呼べばいいですか。
サツキ、ラ王を見たまま。
サツキ しかし、外出自粛期間が終わったら、ぜひご挨拶に伺いたいと思っています。
サツキ、ラ王を見たまま。
サツキ はい、しかし…。
サツキ、ラ王を見たまま。
サツキ いや、でも、オルゴールが…。
サツキ、ラ王を見たまま。
サツキ だから、タケシ君自身がオルゴールを私に買ってくれてですね…。
サツキ、ラ王を見たまま。
サツキ 嘘じゃありません! ちゃんとここにあります。告白の返事としてもらったんです!
サツキ、ラ王を見たまま。
サツキ はい…。わかりました! 私からは連絡しません! ただし、タケシ君自身が私に連絡を取ることは許してください。
サツキ、ラ王を見たまま。
サツキ そんなことはないと思いますが、とにかくタケシ君が連絡を取ったとしても怒らないでください…。わたしはともかく、タケシ君を!
サツキ、ラ王を見たまま。
サツキ わかりました…。ありがとうございました。失礼します。
サツキ、通話を切ってラ王を一口食べる。
顔をしかめる。
スマホの着信音。サツキ、スマホを耳に当てる。
サツキ お母さん?
ちょっとの間。
サツキ (悲しげに)ラ王が伸びた…。
ちょっとの間。
サツキ いや、料理の失敗なんて故郷だし。
しばらくの間。
サツキ だれにでもある。
ちょっとの間。
サツキ 切らないで! 今のはわたしが悪かったから切らないで!
ちょっとの間。
サツキ それで何か食べるものない?
ちょっとの間。
サツキ とんかつじゃなくてとんかつソースなんだ…。おかずにはならないかな。
ちょっとの間。
サツキ お好み焼きならおかずにするって話は聞いたことがあるけど。たこやきはどうなんだろ。
ちょっとの間。
サツキ サラミってなんか、おつまみのイメージがあるね。
ちょっとの間。
サツキ エビマヨネーズってどっちかっていうと、おにぎりの具かな。
ちょっとの間。
サツキ サラダはいいけど、それだけってのはちょっとね。
ちょっとの間。
サツキ いいけど、コーンポタージュだけじゃちょっとねえ。っていうか、本当にそんなにたくさん、うちに作り置きしてあるの? わたしはカップ麺もつくれないんだよ。そのまま食べれるの?
しばらくの間。
サツキ そんなにあるんだ! じゃあ、牛タン塩と、コーンポタージュと、オニオンサラダを食べる!
ちょっとの間。サツキ、立ち上がって箪笥の方にいく。
サツキ え? 料理が箪笥に入ってるの?
サツキ、箪笥の引き出しを開ける。中から「うまい棒」の大袋を取り出す。すわったまま横に倒れる。しばらく倒れている。ガバッと起き上がる。
サツキ 違うでしょ! これは牛タン塩と、コーンポタージュと、オニオンサラダじゃなくて、牛タン塩味と、コーンポタージュ味と、オニオンサラダ味のうまい棒でしょ!
ちょっとの間。
サツキ ねえ…、こんな時間に電話かけてくるってことは、今日も帰れないの?
しばらくの間。
サツキ そう…。明日は?
しばらくの間。
サツキ わかった…。おやすみなさい。
サツキ、スマホの通話を切る。うまい棒を取りだしてむしゃむしゃ食べ始める。そのうち、うまい棒をラ王の中にぶちこむ。食べてみて、顔をしかめる。スマホを操作して耳に当てる。
サツキ もしもし、ハルミ? ちょっと聞いてよ! ラ王がのびちゃって、スープが一滴もなくて、スープを吸いきった麺が、どんぶりに山盛りになって、麺に味がなくて、塩味さえなくて、それでいて量だけはしっかりあって、それでお腹をいっぱいにしちゃうことが悲しくて。なんかものすごく損した気分になって。それでうまい棒を食べてたら、口の中の水分が全部奪われて、のびたラ王のトッピングにしたら、うまい棒まで変な味になって…、ちょっと聞いてる?
ちょっとの間。
サツキ なんでラ王がのびたかっていうと、タケシのお母さんから突然電話があって、「そばで聞いていて我慢できなくなった」とか言ってたけど、わたしと喧嘩したことを、タケシが自分のママに告げ口したに決まってる! 全く、いいトシして男のくせに! マザコンなんだから! へその緒つながってるんじゃないの!
…なんでハルミが不機嫌になるの。
それで、ラ王ができて食べようとしたら、なんだかわけのわからない話を始めて、電話を切るタイミングがなくなって…。
照明、だんだん暗くなる。
サツキ タケシの奴、お母さんにわたしとつき合ってることを言ってないのかな。全然話が噛み合わなくて。そう言えば、ハルミの名前も出てきたけど、何か知ってる?
暗転。