chap.2 :悪魔の仔/神様のいないまち
「宇宙は広いから、確かに、宇宙人がいてもおかしくないのかも知れない。でも……。根拠のないものを信じ続ける位、私は強くない。神様だって、世界の何処に、いらっしゃるんだか。昔の本にはみんな雲の上に載っている図が書かれているけど、これだけ飛行機が飛び回る世の中になっても、天国を見つけたって言う話も聞かない。私も、飛行機に始めて載って、見渡す限りの雲海を見た時……、なんだか絶望的な気持ちになったな。母さんが、ああまでして信じ続けている神様は、一体何処にいるの?って感じがして」
彼女は幼げな丸い瞳を細くなびかせて、年齢の割に増せた印象を与える、冷たい笑みを浮かべた。
「今実在する世界を信じたくないから……、みんな、ありもしないものに、逃げるんだよ。真実の冷たさに、嫌気が差しているから……、嘘でもいいから、すがりたいんだよ。……大人って、みんな、意外に臆病なんだ。私達には、しっかりと生きなさいって、くどい位に言うくせに、自分は、何処の誰が言ったか知らない、聖なる言葉を、一言一句漏らさず完璧に復唱しようと、のぼせたようになっている。……お祈りをする時のお母さん、すごいんだよ。言葉と、言葉の間合いが、ほんの数秒ずれた感じがしただけで、細かい字で見開き2ページもある夜のお祈りを最初から、全部最初から、やり直しちゃうんだ。うう゛ん、って、変に神経質な咳払いをを何度もしてさ。あれを聞いていると、私まで、気が変になりそうになる。わたしは、子供の頃はお母さんと一緒にやらされたけど、大きくなって部屋が別々になってからは、全然やってない。やっているとは答えているけどね。隣の部屋の、お母さんのお祈りの声が聞こえるから、布団を頭までかぶって、耳を塞いで、眠りに落ちるのを、今か今かって、震えて待つんだ。あのうう゛ん、って言う、もう二度と聞きたくない不快な咳払いをまた聞く前に、って」
彼女は、また冷笑を浮かべた。彼の方を見るでもなく、一人、何かを思い出すように。
「私、滅びていくものを見るのが好きなんだ。昔、中学の体育館が立て直すために壊れされた時、重機で屋根が不格好に潰された体育館を見て、背中がぞくぞくする位、興奮したの。あの感覚、そう、あれは……」
「……まるで、エクスタシー」
彼女はそう言って、くすくすと笑った。エクスタシーという言葉の意味はあまりよくわからなかった。大好きなパンクロックの歌詞で知った程度だった。
「お母さんに言ったら、私はきっとまた、“悪魔の仔”だって言われるよね。でも、それでいいんだ。お母さんの信じるものを信じられない私は、自分の持って生まれた感覚を信じて生きていくしかない。たとえそれが、悪魔の様な感覚だとしても、それが現実に存在するものである以上、本に書かれた聖なる言葉よりよっぽど、信じるに足りるものじゃない?」
そう言うと、きらきらと輝いた瞳のままで彼の方を振り向いた。彼はそれに一瞥をもくれず、黙々と歩き続けた。彼女は、ふと微笑んだ後、瞳を狂喜に輝かせたまま、彼と同じように前を見ながら下校路を歩いていった。
「……だから、拓真は好きなんだ」
一人呟いた。そして、恥ずかしそうに笑った後、ポケットに突っ込んだままの彼の右腕に、自分の青白い腕を絡ませた。彼はうるさそうに彼女を睨み付けたが、かまいもしなかった。
そうして歩いたまま、住宅地の中を歩いて行った。
曲がっても曲がっても、同じような住宅と、同じような空が続く無限迷路のような街。囚われた者は、もう、何処へも抜け出すことは出来ないのか。彼女はふと、そんなことを思った。日常は、彼女にとっては、一種の迷路に似ていた。終わりが見えず、始まりも覚えていない。物事の進展すら計れない迷路の中で、毎日歩み続けるのは苦しかった。組んでいた拓真の腕を、強く、自分の身体に引き寄せた。
その時、隣を歩いていた彼の歩みが、ぴたりと止まった。
不思議そうに彼の顔を見上げた。
その顔が、みるみる血の色を失った。