chap.2 :悪魔の仔/切り刻まれた空
右手に包帯を巻いた少女の姿が次に目撃されたのは、その事件から2日後の金曜の昼間だった。目撃した少年は、早瀬拓真という、当時17歳の少年だった。
拓真にとって、その日は、いつもと何の変わりもない、ごく退屈な一日になる予定の日だった。彼は、多くの生徒と同様に学校がそれほど好きではなかった。背が高く大柄で、何も語らずとも不思議な存在感を示すような生徒だったが、無口で、人と交わること好まなかった。
ややひねくれた所があり、学校でもクラスメイトの多くは、そうした彼を遠くから、時々からかって笑う以外は、積極的に交流を持つことはしなかった。故に、彼はいつも一人でいることが多かった。一人でフラリと教室に現れ、興味が有るのか無いのか解らない顔をして授業を聞き、終わればさっさと帰ってしまう。そういう生徒だった。
ただ、例外的にたった一人、彼に興味を持ち、積極的に話しかける生徒がいた。水貝由宇。同じクラスの女子生徒だった。
水貝と拓真は高校に入ってからの知り合いだった。一年の時から同じクラスで、付き合っていたわけではなかったが、比較的仲は良かった。水貝は男子生徒からの人気も高く、同級生達の中には、何とか彼女の気を引こうとしている者もいたようだった。だが、そうした生徒に対し、彼女はいつも素っ気なかった。その割に、彼女は周りから変わり者扱いされる拓真とよく話していたので、何人かの男子生徒は彼や、あるいは彼女自身にたいして、軽い嫉妬心を抱いていた。
そのような事情もあってか、やがて彼女も拓真同様に周囲から変わり者として認知されるようになっていった。実際のところがどうであろうと、一度そうしたイメージが知れ渡ってしまうと、彼女にわざわざ近づこうとする生徒は目に見えて減っていった。
彼女のことを比較的理解してくれていた数少ない友人のうちの一人は、彼女に悪いイメージが付いてしまうのを心配して、拓真と少し距離を置くようにことあるごとに忠告していた。だが、彼女は、いつもこう言って、その忠告に答えた。
「確かに、拓真はすごく変わってる……。でも、私の話を何も言わずに聞いてくれるのは、彼しかいないから」
そして、彼女はその後に、言葉を補うように、こう付け加えた。
「……私の話に、彼は余計な感想なんか、付けたりしないもの」
二人は、一緒に下校することが多かった。
拓真の側から彼女を誘った事は、しかし一度もなかった。どちらかというと、いつも由宇の方が下校する彼に勝手に付いて行くというような格好だった。誰かが、たとえ彼らのそう言う場面に偶然居合わせたとしても、彼らが親しげに会話をする様子は全く見られなかった。由宇の問いかけに、拓真が時折、ああ、とか、うん、とか、ぼそりと答えるだけで、二人の間に会話らしい会話は成立していなかった。
だが、由宇はそれでも、そうした彼との下校を、再び同じクラスに入った高2の始め日から、ほとんど毎日のように続けていた。そのためもあって、彼も始めの頃のように、邪険に彼女を突き放すような素振りは見せなくなっていた。
「……でね、マユってば、あの事件の犯人はきっと宇宙人だって言って聞かないんだよ」
ある日の下校途中。学校前の道を少し曲がったところだった。車が二台擦れ違うには少し狭い露地が、碁盤の目のように続いていた。電信柱や電線のネットワークが、住宅の屋根の間から見える青い空を黒く切り刻んで、見上げる者に、ただ溜息だけをもたらした。
憂鬱な街角で、由宇は楽しそうに笑っていた。
「あれだけの力を持った野獣みたいな生き物が、この街の真ん中にやってくるなんて、考えられないって。だとすれば、地球侵略に来た宇宙人位しかないんじゃないか、なんて、そればっかり。私は、全く信じてないんだけど、でも、最近、テレビのニュースも、まずあの事件からはいるじゃない?中には、ホントに宇宙人説を信じてる人も出てきてたりしてさ、なんか見てて、おもしろいを通り越して、ちょっとうんざりしちゃうんだよね」
彼女は、そう言うと、白い首を伸ばして、未だ日の落ちない青い空を見上げた。背の高い住宅に狭められた空は窮屈で、そして、手の届かないほどに高い。切り刻まれた空に向けて、彼女は指を逆さまに組んで大きく背伸びをした。深い紺色の制服の、上着の裾が持ち上がって、その下に身につけたブラウスの白い地が鮮やかに映えた。
「……宇宙人なんて、本当に、信じている人、いるんだね」
傷だらけの空を見上げたまま、彼女は呟いた。