7:狼と魔女の夢
「……殺してくれ」
第九デッキ、展望レストランにて。私のパートナーは死を決意した。クレールのそんな情けない声に、私はむっと顔をしかめる。
「何よ今更」
今夜参加するパーティはフォーマル。第七デッキで行われるアニマル古代パーティは参加見送り。衣装が幾らあっても足りないもの。
「アルチナ、古代の方に行かないか?」
クレールが恥ずかしがる理由、それは頭に付いた耳の所為。ここは動物愛する兄弟団の船。フォーマルであっても、衣装に動物らしさは付いて回る。彼は仕事でも付けない獣耳が恥ずかしくて堪らないのだ。可愛いのに。まだ薄着の古代衣装が良いと言う程嫌なのか。理解は示す、それでも私は首を振る。勿論横に。
「古代パーティにアンジェを連れて行ったら、生贄ごっこをされちゃうわ」
チワワの先祖、南米のテチチは食用だった。その末裔を今夜のパーティに連れて行ったら注目の的だが、嫌な注目をされそう。
「オロンドさん、ご機嫌よう。姉様に振られました?」
「おお、アルチナちゃん。ちっ、あの馬鹿は獣パーティだとよ」
なるほど、アニマルパーティに参加すればこの男から逃げられると。姉様も強かだ。本心からこの男を好いていないことがはっきり解る。しかしパーティに男一人という図は哀れ。私は背後に控えるトリヴィアに声を掛けた。
「ルビー、お相手してあげて」
「ごきげんようオロンド様」
トリヴィアは冷酷な笑みで彼の腕を掴む。勢い良く掴まれた腕はギシギシ言っている。姉様を打った分、懲らしめなければ。
「凄いな。君はこれを見越してロランをあっちにやったのか?」
ロランはローランド、ラダにはアンジェリカ。オロンド避けとして姉の傍には犬を配置した。まともなドレスアップをしているのがオリヴィエだけだから、彼がフォーマルパーティ側となるのは決定事項。アニマルパーティに参加し続ければ、姉はアンジェリカとお別れせずに済む上、あの男に近付かれない。とは言え護衛がラダだけは不味い。……結婚間際の淑女が、他の青年と一緒にいるのは問題だ。
「姉様とあの人だけじゃ世間体が悪いのよ。不本意ながら姉様はこの人の婚約者だし」
そこで投入する子供っぽいロラン。騎士を二人連れているなら、不貞と疑われることもない。オロンドは外堀から埋めて来た。既に兄弟団内で、両家の婚姻関係は知れ渡っている。姉様は人間なのに、ケージに閉じ込められた犬みたい。私はそれが許せない。
「ねぇクレール。食事の後、付き合って欲しいところがあるの」
パートナーとしてクレールを選んだ理由の一つは、彼の方がロランより年上だから。これから向かう場所は、年齢制限が掛けられている。
「一応僕らは仕事中で」
「ペットルームは客ゼロだったでしょ」
ルームの利用があったら連絡が来る。上陸後が本番で、それまで自由に過ごせるよう私が根回しをした。連絡が入っても、少しの問題ならロランに任せて構わない。
「私とアンジェの依頼も同時に受けていることを忘れないように! 放って置いたらどうなるか。監督不行き届きで多額の賠償金がそっちに行っても知らないけど?」
「喜んでお付き合いさせて頂きます。でも何処へ? 年齢制限と言うとカジノか?」
「そうよ。私の年齢だと入れないけど、紳士にエスコートして貰ってなら入れるのよ」
クレールの経歴や年齢についてちゃんと調べは付いている。能力は魅力的でも、情報が全くヒットしないロランのことは断念した。クレールは十五を越えていて入場可能な年齢。
数十年前のカジノでは、入場年齢を二十代まで引き上げられるケースが多かった。しかし……少子化による賭博人口の低下、成人年齢の引き下げ、就労年齢の低下が一役を買い、賭博は身近な娯楽となった。
トリヴィアを使い、地元で荒稼ぎさせることも考えたが……賭博場のオーナーは兄弟団の関係者も多い。使用人が余所のシマで暴れたことで切っ掛けで、家同士の衝突にも成り得る。この《エステ・ソレッラ号》は、兄弟団のメンバーが同額出資し作り上げた欲の箱。私と同じ事を命じられ、乗船している者も当然いるわ。
「私はこの船でお金を稼いで、姉様を解放してあげたいの」
「もし、僕が負けたら……君達は」
「別にどうもしないわ。私がお小遣いを散財するだけよ」
クレールは責任の重大さに、食事の味も分からない様子。どうして自分が選ばれたのか、彼は気付いていないのだろうか? ロランの力も魅力的、それでもクレールもやれると私は判断した。カジノの前から私の賭けは始まっている。そうだ……これは、賭けなのだ。しくじったなら、そこでお終い? そうじゃない。違う作戦に移るだけ。
「大丈夫よ、カジノも動物色あるから」
私はクレールを明るく励まし、気乗りしない彼を運命の第四デッキへ引っ張った。
*
「凄いわクレール! お父様に認められたら……将来私と結婚できるかも知れないわよ!」
僕が勝つ度、腕を絡めたアルチナが兎のように飛び跳ねる。彼女の言葉はリップサービス、本気にするな。本来の目的を悟らせないため、アルチナは書いた筋書きは……庶民の僕がアルチナと付き合うため、このカジノで稼ぎ成金を目指すというものだ。僕の仕事に支障が出るような噂が、広まらないと良いのだけれども。
「平気よ、広まったら私がもみ消してあげる」
囁くアルチナ。僕の不安を彼女は見抜き、悪戯めいた笑顔を浮かべる。彼女は侍女に何処まで計画を教えているのか。アルチナの嘘を知るはずのトリヴィアが、怨念・殺意の籠もった視線を僕に注ぎ続けている。彼女も大事なお嬢様達のため? 賭博に勤しんでいるが、成果は乏しい。彼女が不運な訳ではなく、この船のカジノは少し変わっているのだ。そう……初めてのカジノは想像よりも可愛らしい場所。芸を仕込まれた犬がカードを配り、ルーレットを回す。此方へやって来るカードは、電子首輪にカードが表示された犬。彼らは自由に動く。此方へやって来たなら餌をやる。健康状態の配慮のため、時間制で犬は交換される辺り、建前の愛護精神を感じられる。どの犬にどのカードが表示されるかは解らない。しかし、後どの程度でどの子が交換されるかが解る。健康状態空腹具合……犬騎士として見極めるは容易い。
オロンドのような輩もいるが、兄弟団のメンバーは動物を愛している。退場する犬に罵倒は浴びせたくない。それなら、退場が近い犬に賭ける。そういう子達に呼びかける。最後に稼がせてくれてありがとう。交代して行く犬に、良い言葉を贈って下がらせたい。兄弟団のエゴを予想して賭ける。あの首輪は犬の健康状態を感知し、数字を表示しているのだ。満腹が近い、体調が悪い、集中力が途切れそうな者ほど高得点のカードになる。僕の予想は的中し、これまで見たことが無いような大金を僕は稼いだ。朝が来る頃僕はもうふらふらで、トリヴィアに担がれ部屋まで戻る。
「最高だったわあいつの顔! オロンドの奴、カエルみたいな顔してたわよ」
「はい、お嬢様。喜ばしいことです」
僕らの荒稼ぎを聞きつけて、カジノにやって来たオロンド。犬嫌いを押してゲームに挑戦したが、彼は一晩で大金を溶かした。
「ディーラーやカードが犬なら、そりゃ楽勝でしょ犬騎士だもん! 今夜もお願いね!」
僕の活躍にアルチナは満面の笑み。今晩の約束をして、部屋を離れた。昨日の優しさは何処へ行ったのか。病み上がりなのもお互い忘れ、朝方まで賭け事をさせられた。今、出動要請があったら僕は死ぬ。
「……結局お前と同室か」
「反対側の部屋に、ラダがいるよ」
「ロラン……仕事が入ったら起こしてくれ」
「ワン」
返事を聞いて、僕はベッドに倒れ込む。アニマルパーティに行ったロランは好きな物を食べ、今までふかふかのベッドで眠っていたのだから羨ましい。僕は昨晩何を飲み食いしたのか記憶にない。こいつが僕より年上だったなら、代わって欲しい程に疲れた。もう意識を手放したいが、不安が過ぎり目が冴える。
(恐らく今日のでハイローラー認定をされた。今晩からは同じようにやれるかどうか)
もっと稼げる部屋に来ないかとオーナーに誘われた。今晩は其方に行こうとアルチナは言う。彼女達の力になりたいが……既に任務の域を超えていないか? これはアンジェリカのためになるのか?
(もし目的の金額を稼げなかったら、アルチナはどうするつもりだ?)
アルチナは姉の自由を守りたい、金が必要……オロンドが邪魔。エッセ家はオロンドに弱みを握られている? 華々しい名声の裏に、借金でも抱えているのか? あの子が簡単に諦めるとは思えない。他に策があるはず。詳細は知れないが、僕を選んでいる以上……次の手はアンジェリカにとって良くない話。僕の退路は既に断たれているのかも。
(アルチナ……あんなに可愛いのにな)
幼くも狡猾。感情的に見え冷静……いや冷酷。姉のアルミダさんと違った魅力。トリヴィアが異常なまでに入れ込む魔性、魅力をあの子は持っている。……あの子は“魔女”みたいだ。何とはなしにそう思い、僕はロジェスのことを思い出す。
(人は、苦手だ)
笑う魔女ほど嘘を吐く。この船で、魔女でない者は……犬とロランだけなのかもしれない。僕がロランと組まされたのは、そんな理由なのかもな。支部では苦手だったこの男が、船の中では最も身近な者になる。こいつが変わったわけではない。環境が変わっただけなのに……僕はロランに安堵している。オリヴィエが傍に居るように、こいつが傍に居ることで。
(……ロラン、僕を見るな)
たった一日、ホーム外……人の中で仕事をしただけで、僕はこんなにも弱る。定住した犬をまとめられても、群れを率いるリーダーにはなれそうにない。僕の弱さや脆さを、ロランは解っていたのだ。だから僕を認めなかった。
「クレール、泣いてるの?」
旅立つ前に言われた言葉、再び奴から投げられた。頭から布団を被るのは暑い。涙を隠すためにそうしていたなんて、恥ずかしいこと口に出来るか! ロランの問いかけを無視し、狸寝入りを決め込もう。けれどもこいつは鼻が利く。まさか気付かれた? 涙に匂いなんてあるのか? 考えたこともなかった。軽く鼻を動かしても、僕には匂いは解らない。嗚呼、馬鹿なことをやっている。僕が答えない内にも、ロランは此方に近付いて、僕に影が伸びていた。
(お前に何が解るんだ。僕は何も教えていないのに)
普段言葉を交わしても、何も解り合えないのに。僕が黙っていることを、お前は知っているというのか? なんだか腹が立つ。お前の世話を焼いてもお前は嫌がるばかりで。その癖、僕が凹んで人を避けると……お前は近付いて来る。解らない、お前のことが。
「……母さんは、泣かなかった。パックに父さんは居なかった。だから父さんは解らない」
僕が黙っていると、ロランが独りでに言葉を紡ぐ。こいつが僕に、自分のことを話すなんて初めてだ。情報で知っていることでも本人から語られると、別の意味を感じてしまう。
「リナルナは泣かない。少し母さんに似てる。クレールは、母さんなのかな。父さんなのかな」
リーダーは親。パックが家族、家族がパック。ロランが僕に従わないのは。僕を認めないのは……僕とどのように家族関係を構築すれば良いか解らないから? 違う。ロランは……ロランは僕が“何”か解らないのだ。僕自身、僕が何かなんて解らないのにお前に教えてやれるはずもない。
「アルファ、ベータ? 兄さんかな、姉さんかな。解らない……初めて見る、狼だ」
ロランが僕を狼と言う。人間社会では生きられない生き物なのだと。
*
幼い頃から僕の傍には犬がいて……兄弟、家族のように共に過ごした。可愛い犬、離れる時はいつも寂しい。
「いいか、新しい家に行って元気でやるんだぞ!」
涙をぐっと堪えて、笑顔で彼らを送り出す。娘を嫁にやる父親の気分はこういう物なのだろう。僕は小さな内から気分はいつも父親だった。
「あら、泣かなかったの? 偉いわねクレール」
育てた犬が家族に迎えられ姿が見えなくなった頃、母に抱き付き大泣きするのが僕の常。そんな僕が泣かなくなった日、母はとても驚いていた。
「僕もブリーダーになるって決めたんだ。こんなことでもう泣かないよ」
「ははは、そうか! お前は犬達にもすぐ懐かれるからな。きっと、良いブリーダーになれる。変わることを受け入れられる者が歴史を作るんだ、クレール。泣かなくなったお前は昨日よりも強くなった! 偉いぞ!」
“犬を、あるべき姿に”それが父の口癖。人の都合、好みにより……可愛がり苦しめる、人の業。何とか出来ないものか。父は考え、やがて大きな成果を出した。血統を守ることは、疾患の遺伝も受け継ぐこと。しかし父は、外見的特徴を引き継がせながら、疾患を劇的に押さえ込むことに成功。研究は多くの犬種に有用であり、多くの依頼が舞い込んだ。
「フォンセさん、今度はこの犬作って下さいよ! この子の足を強くした種を」
「へぇ、どれどれ」
客と父の話し声。父が行っていたのは、身体の弱さを補うブリーディングによる新種の研究。血統よりも健康、犬の幸せが大事だと言う彼を、僕は心から尊敬していた。しかし――……
「どういう、ことですか!」
屋敷の地下で発見した犬を見て、僕は父を問い詰めた。本の中でしか見たことの無い、既に滅びた犬達を……父は復活させていたのだ。
「クレール、何をするにも金は必要だ。誇りだけで人は生きられない。好事家共が欲しがるんだよ、他人が持っていない犬を。絶対に手に入らない犬を」
先祖の特徴をよく持った子を使い、戻し交配で元の姿に近付かせる。新種作りと同じだが、近親交配による身体への悪影響……病弱、奇形も当然生まれる。
「見事だよ。しかし惜しい。バッククロスまでは正解だが親犬は違う。連中は古き良き血統を好むからね。遺伝子から復活させたクローンとのバッククロスだ」
現代でも人はまだ、過去へは戻る術を持たない。人間が欲と好奇心で、彼らの身体の形を過去へと戻す。今の姿を否定して。無理矢理時を巻き戻すために、生み出される犠牲。時の重圧を受け生まれる彼ら、その多くは健康からは程遠い。
「“変わることを受け入れられる者だけが、歴史を作る”……変われなかった者は可哀想だがこうなるさだめだ。これはなクレール。自然がやるか、人がやるかの違いだけ」
「犬のため、研究資金のためと言って貴方は……犬を犠牲にするのですか!? ……貴方のやっていることは許されない。今すぐにやめるんだ!」
「どの口が言う? お前が食べている物も、お前が着ている物も……そうやって私が稼いだ金で得た物だ。お前は彼らの犠牲の上に、これまで幸せに暮らして来た訳だ」
同罪なのだと囁かれ、僕の血の気は凍り付く。仮にそうなのだとしたら……僕は。罰を受けようと思った。
「“騎士団”ですか? すぐに来て下さい。場所は……」
震える声で、助けを呼んだ。父の怒声を、拳を受けても。
「誰にでも出来ることじゃない。君は英雄だ」
若い騎士は、僕をそう褒め称えた。法に触れる研究をした父は逮捕され、実父の悪を暴いたと僕は表彰されニュースになって……それでも僕の傷は癒えない。実の父親を売り飛ばし、暴いた悪。それを正義と呼ぶには、僕は多くを失い過ぎた。多くの犬を弄び得た金銭で育てられた身体。自分の血が、汚れていると思った。もう生きていたくなかった。
「……どうなるんですか、この子達は」
「仕事に向いている子は騎士団で引き取ることも考えているが……そうではない子達。師団は秘密裏の処分を望んでいる。肉食獣の餌にでもしろと言うのだから酷い話だ。だが解らんでもない。この子らが脱走して野生種と交雑したら困るだろう?」
騎士が何を言っているのか僕には解らなかった。生きるためには食事は必要。当然僕も、何かは食べる。食事を否定は出来ないが、目の前の存在が誰かの食事に変わって行く……想像すると恐ろしい。僕は彼らを見送るだけなのか? 飼い主に引き渡す別れとは違う、飼い犬未満の出来損ない……今度の見送りは、黄泉への旅だ。
父を通報しなければ、少なくとも彼らは生きてはいられた。僕が父を告発したために、彼らは死んでしまうのか? それでも一生、身体の痛みに苦しみながら、苦しみ続けることと……すぐ終わること。どちらが幸せ? 何が幸せなのか、僕にはもう解らなかった。
「勿論、愛護の精神から騎士団は反対した。師団との対立、その仲裁に入ったのは兄弟団。それで何とか、兄弟団に里親を探して貰えることになった。うちでも同じ事を考えたが、如何せん資金力の差が大きい。見つからなかった場合はそのまま彼らが養ってくれる」
兄弟団……その名に僕は行き場のない怒りをぶつける。父の顧客の多くは兄弟団員。珍しい犬が欲しい、その次は……可哀想な犬を哀れむだって?お前達の望みが、彼らを作らせたのに。
「組織で人を見てはいけない。何処にだって良い奴も、悪い奴も居る」
「……それじゃあ、貴方は本当に良い人なんですか?」
「ははは、一本取られたな……では、確かめてみるかい? この子は君が好きになったって言っている。この子を育ててみると良い」
騎士は子犬を僕の腕へと預ける。ずしりとした重さと温もりが……無性に愛おしい。
「クレール君、その子は君が助けた内の一人だ」
受け取ったのは、白くて小さな……いや、大きな子犬。新種かもしれないとその人が言う。恐らくこの子は同種を増やすため……バッククロスに使われる予定であったと。
「僕は……何も。何も出来なかった」
「出来たし、これからも出来る。血統を守るのも大事な仕事……ブリーダーの仕事を否定するわけではないが、この子は自由になったんだ。誰を好きになっても良い。この子の未来は君が守ったんだよ」
果たして、そうなのか? 自信は無い。しかし必要とされていた。この子は僕が守らなければ。役割・責任を負うことで逃げ場を失う。じゃれつき甘える子犬に僕は繋ぎ止められた。
「立場が変われば景色も変わる。苦しみもあるが喜びもある。君が君の父上を否定したいなら、違う方法で君はその子を育てるんだ。その時に私が君にとって、善人か悪人か解るようになる」
犬達が消えた家。父が逮捕され、次第に抜け殻のようになった母。とうとう彼女は入院し、病院から出られない。僕と彼とだけでは広すぎて……僕も家を出た。何か仕事をしようと考えた時、父の名前とかつての僕の行動が人目を引いて続かない。どうしようもなくなった時、僕は騎士団に拾われた。お飾りの英雄にしたいのだろうが冗談じゃない。僕が選んだ役目は動物の世話係。騎士になる気は全くなかった。現場のレスキューに憧れたりもしなかった。半ば寄生に等しい僕の気が変わったのは……盗み聞いた騎士達の話から。
「全く、恐ろしいぜ魔女様は」
「お帰りなさい、また仕事を邪魔されたの?」
「薄気味悪い。本当に魔女かもしれねぇな。亡霊でも連れてやがるぜあいつはさ」
師団で里親になった者がいた。表には出せない犬を引き取った男が。それだけではない。事件の前に父が売り払った犬! 人の世に解き放たれた絶滅種……彼らがブリーディングの道具になり数を増やしているなら無視は出来ない。師団の目的は狼狩り。奴らは、狼を狩っていた時代の犬を……再び作り出そうとしている。師団が僕の敵となったその日に、騎士団が僕の根城となった。最終試験まで行けば、騎士団のトップに会える。決起から望みを叶えるまで、そう時間は掛からなかった。僕が騎士になることを、騎士団が望んでいたのだから。
やがて面会することになった騎士団長。先代までは男性……当代は女性。彼女はボリュームのある銀髪に、周りと比べて高身長。支部で見せられた写真……その人に僕は見覚えがあった。
「……お久しぶりです、キャロル団長」
僕を助けた若い騎士。再会した時その人は……騎士団の長となっていた。
「私を覚えているのか?」
「僕は答えを見つけました。貴方は……“良い人”です」
*
「ラダ、水って何処で貰える?」
飄々とした印象の少年が、切羽詰まった表情で……私の部屋に現れた。彼の帽子は犬の言葉で緊張の形を作り脅えていたが、私が姿を見せることで、ほんの少し安堵する。
「店でも買えるが、頼めばすぐに貰えるさ。どうした、何かあったのか?」
「クレール、悪化してる。こう言う時カモミールがいいんだ。でも海には生えてないし」
疲労にストレス。風邪気味だった所に寝不足&追い疲労。ロランの言葉は拙いが、クレールがオーバーワークで寝込んでいると?
「解った、軽い風邪だと思うが医務室まで運ばせよう」
「良くない。人間の傍だと悪くなる」
自分が診ると彼は言うが、プロに任せた方が適確な処置を行える。子供の我が儘には付き合えない。私は彼の説得を試みる。
「……ロラン君、彼は人間だ」
「違う。クレールは狼だ」
そんなことも知らないの? 純粋な視線でロランは答える。
「何故、そう思う?」
「人間がそうしたんだろ? 狼を従えられる人間が欲しいって。だけどクレールの傍には本物の狼がいないから、本当のリーダーにはなれないから……クレールは壊れてしまう」
彼の真っ直ぐな瞳、爛々と輝く金は獣の目。彼の方が余程狼だろうに。情報とは違う少年の一面に、私は僅かにたじろいだ。
「狼は、人間になれない」
動物のような少年……彼は我々人間とは違い不要な嘘を吐かない。口にすること全てが真実。
「……だから君は、狼でいたいのかい?」
図星なのか、今度はロランが動揺する素振りを見せる。珍しい。犬以外には、何があっても弱みを見せない彼が狼狽えるとは。
「君たちのことはベルタ……いや、リナルナから話は聞いている。ロラン君、彼は君の恩人だそうだね」
クレールはロランを守ったが、ロランはクレールを認めていない。情報が真実ならば、ロランの行動は不可解だ。
「それは仕事に必要な話?」
二人を探る話をした途端、ロランが警戒・威嚇を始める。最底辺の狼が、強気に出たものだ。
「収穫だな。あいつが泣いて喜ぶよ。不仲な部下がこんなに立派になったって」
「……やっぱり貴方は人間だ。それは必要なこと?」
凄いなこの子は。私は苦笑し彼に背を向ける。備え付けの冷蔵庫には、ペットボトルがあった。有料だが、経費で落ちるだろう。ほらと振り向き手渡せば、彼は明るい笑顔となった。
「少しで良いなら、この水を持っていくと良い」
「ありがとう、ラダ」
「同じ物がそっちの部屋にもあると思うが有料だ。程々にな。ウォーターサーバーでなら無料になる。それか、アルチナに請求書を回しておくと良い。彼が寝込んだのはあのお嬢様の我が儘に付き合った結果だからな」
ロランは私の話を最後まで聞かず、部屋の戸も開けたまま飛び出していく。愛嬌ある笑顔を作れても……やはり彼も“狼”だ。人に飼い慣らせはしない。その上で、再び彼の言葉を考える。クレール・オートは何者か? 本部からのデータでは、将来有望な騎士……生家がブリーダー、悪事に手を染めた父を止め、家族を騎士団に売って示した正義が褒め称えられている。
(子犬は親元から離してはいけないんだが……社会への適応能力を失う)
賞賛された彼の正義は、彼に大事なことを学ばせる前に彼から家庭を奪ってしまう。言葉や態度は大人びた少年でも、クレールは人の心を知らない。人の友を得る前に、犬に近付き過ぎたから。犬の心は解っても、人とは上手く暮らせない。少しの無茶が、莫大なストレスになる。騎士団は人より動物の比率が高い。彼にとっては楽園だろう。しかしこの船は……。
「ワン!」
「ありがとねアンジェ。ラダ様のお部屋はここかしら……」
うっかりしていた。私は扉を閉める前に思案に耽っていたようだ。ロランが開け放した扉から室内に声が響く。訪問者はふたり。
「アンジェリカ? それにアルミダ様まで。何かお困り事でもございましたか?」
「アルチナったら、無茶をしたみたいなの。それでぐっすり眠っているわ」
傍にアルチナはいない。妹の名を口にして、アルミダは優しい笑みを浮かべた。
「結婚前の女性が、一人で男の所へ来るべきではありません。部屋までお送りしましょう」
「あら、それなら大丈夫よ。……アンジェも一緒だもの。それにねラダ様……貴方が私を呼んだと思ったのだけれど? 私の勘違いだったかしら?」
昨日贈った薔薇を胸元に飾り、彼女は私に会いに来た。
「私に“一目惚れ”をされたのかと思いましたわ。ラダ様は動物騎士なのに、随分と花にお詳しいのですね」
「昔……教えてくれた人がいたんだ」
白薔薇一本、そんな意味も併せ持つ。花は既に開いていたが、彼女に見えていないのを良いことに私は平然と嘘を吐く。触れたらすぐに解る、無意味な嘘を。
「残念ながらそれはまだ蕾でね。意味が変わってしまう」
「まぁ! ラダ様は、私が“恋をするのは早すぎる”と思ってらっしゃるの? それとも……以前のことを気に病んで?」
アルミダは、蕾の別の意味を口にする。“少女時代”……その意味その通り、私と彼女は面識がある、以前にも。
(やはり気付かれていたか。上手くやったと思ったんだが)
名を変えた。それでも名乗った時にはもう、アルミダには気付かれていたのだろう。
「……さぁ、どうだろう。忘れてしまったよ。昔のことは。でもねアルミダ……私は“約束は守る”よ」
「ふふふ……沢山の約束をしたから、どの約束か解りませんわ」
胸元に手を置き、此方にもたれ掛かる彼女。婚約者のオロンド、使用人のトリヴィアに目撃されたら大事だ。
「アルミダ……」
「ラダ様……私の最後の我が儘です。今夜、一緒に映画とオペラを観ませんか?」
抱き締めようとした瞬間、彼女が腕をすり抜ける。離れてしまった彼女に、寂しさを感じると……もう一度彼女が近付いて、笑いながら牙を剥く。噛み付かれたのは首筋だ。貴婦人からの攻撃に、私は驚き動きを止めた。彼女はその隙に、手紙を私の胸へ滑り込ませる。腰を抜かした私に、飛びかかるアンジェリカは上機嫌。撫でれば顔を舐められた。新しい特技を考えなければならないようだ。
「気付かれるとは思わなかった。だが君は……美しくなったと思うがまさか、吸血鬼にでもなったのかい?」
「動物騎士様なら、獣の言葉もお分かりになりまして? さぁ、帰りましょうアンジェ」
貴婦人は優雅に微笑み、私の部屋を去って行く。手紙の封を切れば中身はチケットは二枚。それだけだ。一枚はドキュメンタリー映画、二枚目は……