6:騎士と貴婦人
「何とか間に合ったのぅ、ほれ行っておいで」
「ありがとうございました、お帰りもお気を付けて」
「ほっほっほ、暇を潰してから帰るわい」
副隊長への礼もそこそこに、僕らはクルーズターミナルに降り立つ。
「す、すごい」
ターミナルには《エステ・ソレッラ号》……目的のクルーズ船は既に停泊されていた。全長およそ二百メートルの十デッキ、乗車定員五百名。端末へダウンロードしたデッキプランを見る限り、階層は全部で十デッキ。船内全ての客室にバルコニーが付く。
バルコニーから人や犬が落ちたとして、僕らは救助出来るだろうか? オリヴィエ達に飛び込みの練習をさせるべきだった。宿泊可能な客室は第六~第十デッキに広がり、僕らの仕事は第七デッキ。嗚呼もっと……なるべく下の階層に滞在できないものか。高所からの海面落下は良くない。途端に不安になって来た。驚く僕らにアルチナが笑って答える。
「ラグジュアリーでも小さい方よ。これブティック船だから」
これが小さいだって? 小さいものか。搭乗口はメインデッキの第五デッキ。下から第一デッキが積み荷置き場と駐車場で一般には未公開。乗客が自由に移動できるのは次の第二デッキから。その第二はフィットネス・スポーツ施設、第三デッキがレストラン・医務室、図書室。第四デッキはカジノと劇場・映画館他娯楽施設。第五はロビーの他にショッピングモールも兼ね備え、アートギャラリー・図書室まである。第六が客室が多くあり、小さなカフェやバーが備わる。第七がドッグラン他ペット専用施設。僕らの仕事はこの第七デッキが基本だろう。アルチナ達も僕らも第七デッキに部屋を取っている。そして第八がスパとプール、第九が展望レストランとバー、第十デッキが結婚式場。船を見上げるだけで首が痛い。乗って来た船の何倍の大きさだろうか? 紙や画面で見た情報と、実物とでは大違い。船に僕は圧倒される。
「小型でも大きい」
「ふふん、まぁ騎士団のに比べたらそうでしょ? これにタダ乗り出来るなんて最高よね?」
規模の大きさに言葉を失う僕の傍で、ロランはその率直な感想を零す。船を褒められたアルチナは上機嫌。経営の一部に兄弟団……エッセ家も一枚噛んでいる風。
アルチナの顔を立てるつもりもないのだろう。船への興味が薄れたロランはしきりに鼻を動かしている。初めての訪問先……街の空気も奴にとっては新鮮か。しかし出港に間に合っただけでも御の字、コペンハーゲンを見て回る暇は無い。
リナルナさんは当初、寄港先であるノルウェー・ベルゲンを目的地と考えていた。空路ならばブレーメンから数時間の距離と近い。だが海路では間に合わないと、行き先を変更。デンマークの犬の法律並びに動物騎士団は最も厳格であることが気がかりだった。
『マリアにちゃんと、港まで送って貰うのよ。あそこの騎士団は、うち以上に厳しいから』
出発前に、リナルナ隊長はそう言った。副隊長を頼るトラブルもなく、搭乗口まで辿り付けたのは幸運だろう。
厳格なデンマーク動物騎士団。かつてはそれに倣ったドイツだが、現在は『飼育免許制』へ改定された。僕もロランも当然免許を取得済み。騎士団の動物学校は、免許交付の役目も担う。
一方デンマークでは、現在も危険犬種が指定されており……指定犬種を国内に連れ込むことは出来ない。彼らを国内に持ち込めば即刻処分。危険犬種外も前科持ちは処分対象。アンジェリカの事件が明るみに出て、内容を大げさに取り上げられたならば。彼女が《人権持ち》であっても助けられるか怪しい。万が一に備え、アンジェリカのリードは僕が預かっている。
そう言った事情から、今回の旅で危険犬種を搭乗させたい場合、領海外か他国寄港先での合流となる。副隊長の言う暇潰しとは恐らくそれだ。珍しく真面目に仕事をするつもり?
「うーん、まだ少し時間があるわね。搭乗はもう出来るようだけど」
観光自体は興味があるが、日が悪い。街が気になっているアルチナを、どう言いくるめるか。
「お嬢様、電話です」
僕が悩む内に、トリヴィアがアルチナに携帯端末を差し出した。相手は……アルチナが誰より会いたがっている女性。アルミダの名を見た彼女は、端末に飛びつき大声になる。
「あ! 姉様! え!? わざわざこっちまで来てくれたの!? もう中に? ありがとう姉様愛してるわ! 行くいく! すぐに行くわ!」
助かった。ほっと胸をなで下ろす。旅の本番前にこれ以上疲れたくない。このタイミングの良さ。アルミダという女性はきっと女神のような人なのだろう。彼女に会うのが僕も楽しみだ。
はしゃいでいたのもそこまで。エントランスホールに入ってすぐ、僕は震え上がった。その場の全てが一級品、豪華な絨毯、シャンデリア……吹き抜け構造の階段、エレベーター。船内BGMは楽団による生演奏。騎士団の楽隊は、動物が楽隊服を着ているのが可愛いと人気だが……演奏する団員はあくまでお遊び。レベルが違う。煌びやかな船内に僕は眩暈を禁じ得ない。乗船時にダウンロードした船内図を見ると、ペット専用のエリアやルームも存在する。しかし同乗しているのはアンジェリカ同様に、人権持ちが半数以上。何処へ行くのも許される。船内の各所にペット用トイレが設置されていた。犬達のトイレトレーニングはきっちりさせている、アンジェリカにもロランを通じて、トレノ場所を理解して貰ったため心配は無い。問題は……ロランだ。
「……ロラン」
若干、声を震わせながら僕は奴の名を口にする。船内の物を壊しでもしてみろ。こいつの手綱をしっかり握らなければ、生涯借金地獄に陥るぞ。
「何?」
馬鹿を付けずに呼ばれたからか、素直に奴が返事をした。諄く説明したところで伝わりはしないから、もう一度彼の名前を呼んで……頼むぞとだけ僕は伝えた。奴は肯定も否定もせずに、「へへっ」と小さく笑うだけ。大丈夫かこの男。大丈夫か僕の人生。この馬鹿がやらかしたら、アルチナに身売りでもしなければ生きて行けなくなる。やめてくれよロラン、頼むぞ。言った傍から奴に怪しげな気配。
「暑い。脱いじゃ駄目?」
ロランが上目遣いで宣う言葉。これが母犬や温いリーダーならば、保護欲から甘やかしたくなるのだろうが、生憎僕は人間なのでそんな仕草に騙されはしない。
「文句を言うな野生児。全裸で走り回るのは狂人か英雄だけにしておけ。それかプールに行け」
船内の冷房は意外にも控えめ。動物にとっての適温を保っている。自然の風を感じるのも旅の醍醐味か。
「もうすぐ涼しくなる。あと数日もすればアイスランドだ」
お前がその間、じっとしていられるか心配だ。僕の震えに気がついたアルチナが、大胆にも腕を絡めてくる。既に僕の脳内は借金地獄が確定未来として出来上がっていて、彼女の腕を拒めるはずもなかった。
「もう! こんなんで緊張しないでよ! 私のパートナーは貴方なんだからね!」
「ふふふ、もうそんな年になったのね。大きくなったわねアルチナ」
僕らのことを、軽やかに笑う女性の声。顔を上げたアルチナは尻尾がなくとも喜びに満ちあふれている。それでも流石貴族令嬢。会いたい人に会えたのに。何と大人しいことか。彼女は飛びついたりせず、ドレスの裾を持ち上げ優雅に礼をした。
「ご機嫌よう姉様!」
「ルナ!」
アルチナ、だからルナ。それが愛称なのだろう。不思議な偶然。副隊長が呼ぶリナルナさんの愛称と同じ。名前を呼ばれたのを合図に、アルチナはアルミダさんに抱き付いた。アルミダさんは小さなアルチナを優しく彼女を抱き締め返す。幸せ一杯といった家族の再会風景に、此方まで目頭が熱くなる。
「待ち合わせ場所と違うのに、会えるなんて思わなかった!」
「ルビーが電話をくれたのよ。向こうに飛ぶ前だったから、丁度良かったわ。少しでも早く貴女に会いたかったから」
「うん! 私もっ!! 姉様と少し長く旅行が出来るわね! 嬉しい!」
彼女の姉君は綺麗な人だ。貴婦人然とした美人。年の差は十まで行かないにしろ、七……八歳差はあるか? アルチナが騒がしくアルミダさんが落ち着いているため、失礼な話だが若い親子のよう。身体の何処かを患っている? 一動作一動作がおっとりしているが、不快に感じず優雅に映る。顔立ちはアルチナに少し似ているけれども、数年後に彼女がここまでお淑やかに育つとは思えない。そう思わせるのは外見ではなく内面だろう。
「その香水は……ふふふ、ルビー! それから其方は新しい使用人の方? はじめまして。アルチナの姉、アルミダです」
「姉様、彼らは犬騎士よ。船の安全管理と、私からの依頼を引き受けてくれたの」
「妹がご迷惑をお掛けしていないかしら? 悪い子ではないんですよ、私も目に入れても痛くないの」
「もう姉様ったら! あのね、こっちがクレール。こっちがロラン」
アルチナは僕らと彼女に握手をさせようとする。差し出された手に触れる際、騎士らしい挨拶と……跪いて手の甲へと唇を寄せた。何故かアルチナが膨れていた。ロランにもさせたら、彼女の手から良い匂いがしたのか? アルミダさんの甲を啜り始めたので止めさせた。お前それはセクハラだぞ。
「馬鹿ロラン! アルミダ様に失礼だろ!」
「クレールが謝ってくれるんだろ」
「この野郎……!」
「ふふふ。ロランさんたら犬みたいで可愛いわ! 仲が宜しいのね。クレールさんの弟さん?兄弟で騎士をされているの?」
「い、いえ! ロランとは唯の同期です」
「あらあら。それは照れている声ね」
挨拶中に、アルミダさんの視線が僕へと向いた。目を細めるアルミダさん。その焦点は僕に定まらず、何処か違う世界を見つめる。声で表情を判断した? 彼女は目が見えていないのか。
「ワン!」
アンジェリカが待ちきれずに飛び出して、彼女の手を舐めリードを掴ませる。アンジェリカが盲導犬をやるというのか? アルチナは使っていないが、アンジェリカはハーネスに馴れていた。あれは犬の引く力を引き出す装置だが、アルチナと僕とが行った散歩では……首輪よりハーネス時の方が、アンジェリカはアルチナの命令によく従った。あれは習慣……慣れか? 彼女が盲導犬だったとは、一言も聞いてはいない。ならば正式な教育は受けていないはず。独学で? 盲目の女性がアンジェリカを育て上げたとするなら、彼女のブリーダー能力は僕以上。
「ところでルナ、そちらの方は? 足音が止まったから一緒の方よね?」
アルミダさんの言葉に僕らが驚き振り向くと、他の搭乗者の中に僕らと同じ制服の青年が立っていた。僕らと違うのは、彼は模造耳や尻尾も持たず、首元に白いスカーフを巻いていること。リナルナ隊長が手配した、三人目の騎士? 初めて見る顔だ。外部任務に飛ばされた支部の人間ではない。デンマークの騎士団からの派遣?
「初めまして、私はラダ。ラダ・ブランダ。コペンハーゲン本部より参りました。此方は挨拶の代わりに……」
僕の予想通りに、彼は現在地名を口にした。落ち着いた低めの声と本部の名前に、僕は緊張してしまう。有事の際は、敵になるかも知れないと。事情を知らないアルミダさんは、笑顔で三人目の騎士を迎えた。気障な贈り物を喜ぶ姿は、恋を知ったばかりの少女のよう。
「まぁ! 良い香り……ふふふ、ラダ様ね? 覚えましたわ。ラダ様は何騎士様なの? 当ててみて良いですか? うーん、旅先がアイスランドだから……きっと馬騎士様ね!」
彼がやったのは手品だ。スカーフの中から一輪の白薔薇を出し、アルミダさんへと贈る。彼女の事情を一瞬で悟ったのか? 彼女には好評だったが、普段から薔薇を持ち歩いているのだろうか? 副隊長並みの不審者かもしれない。
「ねぇ、私の分は?」
姉だけ口説かれているようで気に入らないと、白スカーフを引っ張るアルチナ。姉を愛する気持ちと、女として姉だけちやほやされる気持ちはまた別物なのだろう。
「“私は貴女に相応しい”だなんてキザすぎ! 姉様だってそんなに浮かれて……あ、やっぱり姉様あの結婚嫌なんでしょ!?」
「酷いことを言うなぁ。お義兄ちゃん傷付いてしまうよ」
「げ、オロンド……さん」
突如会話に割り込んだ新たな男。馴れ馴れしくアルミダさんの腰を抱き、薄ら笑いを浮かべた彼は見るからに成金だ。全体的に品がなく、高価なもので身を固めれば良いと思っている。アルミダさんの雰囲気に、彼が似合っているとは思えない。アルチナもそうなのだろう。前に聞いた名を苦々しく口にする。
「嫌だなアルチナちゃん水臭い! お兄様って呼んでくれて良いのに」
「まだ正式な夫婦じゃないですしー。結婚式挙げるまで兄様だなんて認めませんから」
アルチナの反抗期には苦笑で接する義兄。しかしアンジェリカが目に留まった瞬間、彼は怒りを露わにした。この男……あろうことか、アルミダさんに拳を振るったのだ。
「まだ生きてやがったか! この嘘吐き女が! アルミダ、早くその犬処分しろ。二度と俺の前には見せるな。俺との暮らしで犬なんか飼わせないからな。それから……」
オロンドは、煙草の煙をラダに向かって吐きかける。凄まれても涼しい顔の青年騎士。彼は凪の海のよう穏やかに、そして一歩も退かずに彼を見た。
「……私に何か?」
「アルミダに今度ちょっかい出してみろ。お前の明日は鮫の餌だ」
ラダはただ者ではない。パートナーさえ連れず、銃を手にすることなくこの余裕。自信の裏付けは何か? はったりならば凄い度胸の大馬鹿だ。彼を馬鹿と思わなかったらオロンドは、舌打ち一つで退いた。
「葬式には俺が手品を見せてやる。お前の薔薇が赤薔薇に変わっちまうな! はっはっは!」
オロンドは脅しの言葉を残し……荷物も持たずに去って行く。盲目の彼女に運ばせる気か? クルーに手伝わせるチップすら置いていかない。何て男だ。それまでは鬼の形相だったアルチナ、トリヴィア。僕が怒りで震えだしたのを見て、アルチナはうっとり眺め出す。トリヴィアは更にパワーアップして鬼だ。
「ね! 嫌な男でしょ!?」
「鮫の餌にしたい」
「クレール素敵……」
「こらアルチナ。心配は嬉しいけど、冗談でも言って良いことと悪いことがあるわ。クレールさんも駄目よ!」
叱られても全く怖くない。これでどうやってアンジェリカを躾たのか謎だ。柔らかな雰囲気……不思議な魅力がアルミダさんにはある。
「でも……最後にアンジェに会えて良かったわ。ありがとう、アルチナ」
「最後なんて言わないでよ! 私知ってるのよ! 姉様には好きな方がいたって! 私絶対認めないからね! 姉様が好きでもない人と結婚するなんて許さないから!」
「アルチナ……それはもう良いのよ」
兄弟団で最も富めるエッセ家。その内情は、外部からは計り知れない程闇深く。順風満帆とは行かない様子。
「結婚するならクレールみたいな人が良いわ! 姉様どう!? クレールは声もだけど見た目も綺麗よ!」
「アルチナ!?」
「ロランも犬そっくりで姉様好きだと思うわ!」
他人事に、僕らが異物混入。アルチナの奔放さには驚かされる。僕へ接近したと思えば、今度は姉に売りつけて。この子は何を考えているのか。
「クレールがパートナーだったら、姉様のこと殴ったりしないし、姉様が殴られそうになったら守ってくれるわ! クレールは立派な騎士様だもの!」
胸が痛い。耳が痛い。アルチナが僕の評価を上げた理由が判明したが、今アルミダさんを守れなかった事実が突き刺さる。
「アルチナ、買い被り過ぎだから……」
「とか何とか言ってるけど、クレール格好良かったのよ。ロランのために、ルビーを負かしたんだから!」
「まぁ、あのルビーを? それは詳しく聞きたいわ」
「お嬢様、アルミダ様! お止め下さい! それに私は負けてなどおりません!」
「そうなの? それじゃあ荷物を預けたら船を見て歩かない? アンジェとももう少し一緒にいたいし……皆さんにお礼をしなくちゃ」
エントランスで長話ははしたない。すっかり長話しちゃったと、アルミダさんは顔を赤らめる。上の階のフロントでチェックイン。荷物はクルー任せ、ショッピングモールへ向かおうとは彼女は提案。仕事場の地図は頭に入れておきたいし、犬達を船に慣れさせたい。此方としても有り難い話だ。荷物の量でチップを支払い、その金額で彼女は僕らの荷物量を推測、見事言い当てた。
「騎士様方もアルチナも、その荷物の少なさだと……今晩の服は現地で買うつもりだったのね?折角ですし私が見立てましょうか?」
「良いわよ姉様、私にだって選べるわ!」
「そう言わずに。貴女がどれくらい大きくなったか私も知りたいのよ。私の我が儘に付き合ってくれたのだもの、服くらい用意させて? 騎士様の分も貴女に合わせて用意するわ」
このご令嬢、些か人が良過ぎるのでは? 初対面の……顔さえ見えない僕やロランにまで世話を焼く。他人事ながら心配だ。アルチナの反論に僕は何度も頷いた。我が儘娘の血は姉にも流れているのか、彼女に押し切られる形で……そのご厚意に甘えることとなる。
「すみません……何から何まで」
「良いんですのよ、妹の我が儘に付き合って下さったのですから。騎士団の方を三人も……本来あり得ないことですわ」
「アルミダ、クレール、この服きつい」
「様を付けろ。僕にじゃないアルミダ様にだ。うん……サイズはぴったりだな、問題ない。そういうのは堅苦しいって言うんだ。あ、申し訳ありません」
僕とロランのやり取りを、アルミダさんは笑いながら聞いていた。
「ふふふ、騎士様って皆そうなの? 賑やかで楽しいわ、昔を思い出すようで。私も騎士団とは仲良くしたいと思っていますわ。ですからそう畏まらずに」
「ありがとうございます」
アルチナは姉絡み言動では不審な点がある。エッセ家の人々はイタリア人。……オロンドとの関係、現時点で未婚か既婚か不明。彼女はまだ若い。お嬢さん(シニョリーナ)と呼ぶのが礼儀だろうか? 僕は悩んだ末に、アルミダさんと彼女を呼んだ。
「先程はありがとうございました。次はラダ様の服を選びましょう」
「いえ、私は用意してあります」
「あらそうなの? でも足りないと思うわ。小さな騎士方とアルチナもね」
ラグジュアリーランク、ドレスコードは当然フォーマル。僕らに用意されたのは小さなタキシード。アルチナはイブニングドレス。そのはずなのだが……
「もう一着必要なのよ。ここのドレスコードは少し変わっていて……普通のフォーマルナイトの他に、アニマルナイトと言うコードのパーティがあるの」
「アニマルナイト!?」
「ええ。何年代、何世紀というテーマがあって、その頃の服装を動物達に着せるから……私達もその年代の衣装が必要になるわ。フォーマルでも参加出来るけど、楽しむならちゃんとしないと! 私も以前参加したのだけれど、毎晩時代が流れて行くの。だから……中世くらいの夜から、騎士様方には騎士らしい衣装で参加して頂きたいわ。パーティに花を添えると思って」
衣装の他に、その時代の中心だった動物を連れていると注目の的。兄弟団の人々は歴史についても詳しいようだ。しかし如何に成金であれ、突拍子もないドレスコードへの対応は困難。船内の妙な時代物ショップは、特殊なパーティ向けであったのだ。荷物は少なく、買い物の楽しみも旅の醍醐味と言うことか。金持ちの趣味は理解出来ない。僕が呆れた時、ロランの声が弾んで響く。
「鎧? 本物?」
ロランの奴、ああいう服が好きなのか? 銃より剣の方が好きか。ショーウィンドウに走り出したぞ。普段街中で見ている英雄像が着ているような鎧が展示されているなら気も昂ぶるか。あいつは英雄の名を付けられたのだから。
「軽い、軽量金属ね」
衣装を手にしたアルミダさんが、僕にも触らせてくれる。強度はしっかりしたそれは、想像よりもずっと軽い。これらも兄弟団の何者かが開発した技術なのだろう。少し見直した。開発・販売元は……【エルガー社】。銃の世界では聞かない名だが。
「これだけ頑丈で軽いなら……鎖やケージにも応用出来るかも」
「ふふ、真面目なのねクレール君」
「い、いえ別に」
仕事モードに入った姿をからかわれ、僕は赤面してしまう。見えていないから? アルミダさんの距離が異様に近いのも原因だ。オロンドとかいう男もそれで勘違いした思い上がりに違いない。僕は大丈夫だ。大丈夫だ。
「ローランドはどれがいい?」
ロランは抱えたパートナーに衣装を見せている。ローランドは嫌がっていた。当たり前だ。犬は人とは違う。彼らは備わった姿で完璧なのだ。全く、動物愛護の成金趣味は解らない。オリヴィエだって水兵襟が許容範囲。着飾る彼は愛らしいが、僕のオリヴィエはそのままの姿で十分最高。着飾らせるは人間のエゴだ。それが“人間になる”という意味ではないと僕は思う。ロランの馬鹿にも後でよく言って聞かせないと。僕がロランの後を追おうとした時、オリヴィエのリードがピンと張る。彼が立ち止まるなど珍しい。
「オリーヴ……」
「わ、ワフっ!」
名を呼ぶと彼は誤魔化す顔になる。すれ違ったドレス姿のトイプードルに見惚れていたな。近い犬種が着飾っているのを見て、ウィンドウに映る自分の姿が恥ずかしくなったのか。流石僕の愛犬。その知能指数は並の犬を越えている! などと喜ぶ時ではない。
(服? オリヴィエに服? オリヴィエが服? 考えたこともなかったな)
僕の価値観で本人の希望を無視することも、人のエゴであるのかも。任務外では好きなことをさせてやるのも大事。僕は彼へと許可を出す。その結果、店員におめかしされたオリヴィエは耳にリボンが付けられた。彼は雄なのだが……。これではタキシードは似合わない。あっという間に僕のパートナーは女装犬になっていた。悔しいが可愛い。
ローランドとアンジェリカはどうしているだろう? 彼らの様子を窺うと……ふたりは着せられることを拒んで暴れ、服を脱ぎ捨てる。名家の犬であるアンジェリカが着飾らない理由はこれか。最終的に彼らは、耳リボンと……首輪を飾る白襟と蝶ネクタイで妥協した。
「きゃああ! オリヴィエ可愛いー!」
普段飼い犬に着せられない鬱憤を、僕の犬で果たしたな。オリヴィエは、アルチナからも服を貢がれていた。値段を知った僕は胃が痛い。僕の心など知らず、褒められたオリヴィエは鼻高々にモデル犬歩き。そんな歩き方を僕は教えた事はないのだが。パートナーの知らない一面に、僕はショックを受けていた。
「クレール君、少し良いかい?」
「ラダさん……?」
姉妹二人が仲良く服を選ぶ内、もう一人の騎士が僕に声を掛けて来た。彼は女性に好かれる風貌で、店内でも人目を惹いていた。今は任務中……女性達から声を掛けられるより、取り込み中にしてしまおうと、話し相手に僕を選んだ? 彼は戸惑う僕を、店のソファーへ誘った。
「あのプードル……パートナーのこと、全て理解している。君はそう思っていたのかな?」
「いきなり、ご挨拶ですね。でも……そうです。返す言葉もありませんよ」
ブレーメン支部の上司は女性が多い。ベルリン本部の団長も女性だ。普段の職場で、年上の男性と接することが少ない僕は、彼の空気に飲まれてしまう。接し方が解らないのだ。
「価値観の違いに驚いているのかい?」
「……だと思います。オリーヴは嫌がると思いました」
「犬もそれぞれ。ああいうのが好きな子も中にはいるものだ。保温の他に抜け毛防止にもなるし、こう言った場所では利点もあるよ」
「自由も安息もない。騎士団の犬になったこと……彼は不幸と思うでしょうか?」
ロランがローランドの剣を名乗る、その裏で……僕はオリヴィエを、僕の剣にしていた。大事なパートナーと言いながら、目的のための道具として利用していたのだ。望んだ初めての大仕事……目を向けないようにし続けた事実に僕は直面していた。
「そればっかりは、本人に聞いてみないと解らないな。そんなこと出来ないから、出来る範囲で大切にしてあげることが大事なんだと私は思う」
これまで僕は、オリヴィエとの関係に絶対の自信を持っていた。リーダー不在の犬は、脅えの中を生きている。僕は彼を決して不安にさせない。僕というリーダーの存在が、彼にとっての幸福であると信じて疑わなかった。そこにロランが現れて……格下の存在に犬が救われている事例を目撃し……そして“兄弟団”のやり方を知る。我が儘に、自由に。思い通りに、本能で。誰に命じられる事なく、保障された安全……全ての欲望を満たす一生。犬にとっての幸せとは何なのか、僕は僕のやり方こそが幸せなのだと断言出来なくなっている。
「な、何だロラン」
奴は背中を僕の腕へと触れさせる。ソファーの左隣にくっついて、何も言わずに腰を下ろした。疲れたのか? 偶然か? 奴は目を閉じ寝た振りだ。
「あはは、その子は嫌いじゃないってさ! 君のやり方も」
ラダさんが口を開け豪快に笑う。左肩から腕にかけての温もりが、少しだけ心地良かった。