4:船上にて
「早く寝なさいって言ったわよね? 一時間も寝坊だなんて、貴方達何をしていたの?」
翌朝、隊長室まで息を切らしてやって来た僕らを見る……リナルナさんは呆れていた。遅れたのは事実だから、甘んじて叱責を受けよう。そう思うのだがロランが欠伸ながらに話してしまう。
「クレールは皆を朝の散歩に連れて行ってから、二度寝をしてたら俺より五分遅かった」
寝坊もするさ。昨夜は寝付きが悪かった。昨晩は僕の部屋をアルチナとその侍女に奪われ、急遽別室で寝泊まりする羽目になる。寝具が違うと身体の調子も良くはない。
「言い訳を我慢した僕の事情をバラすな。ロランの馬鹿は普通に寝てました」
それから朝の散歩。オリヴィエと一回、歩き方を教えるため……アルチナとアンジェリカと一回、まだ起きない馬鹿の代わりにローランドともう一回。昨日の今日だ、ロランを外に出すのは危険だと……心配した僕の優しさを返して欲しい。
どんな犬でも脅える睨みをロランに向けるが、この底辺犬は眠いと目を擦るだけ。残念ながらロランは犬ではないようだ。僕ら二人の仲の悪さに、リナルナさんは失望して肩を落とした。
「もう……明日からは私はいないのよ? 二人でしっかり支え合いなさい。起きていたならロラン、クレールを起こしてあげないと。例え五分でも早くね」
今度時間に遅れたら、このままずっと二人まとめて同室だなんて! リナルナさんは真顔で恐ろしいことを言う。冗談じゃないと僕らは顔を見合わせる。
「やめてよリナルナ! クレールと仕事以外でも一緒にいたら、人間臭くなるから困る」
「獣臭いのはお前だ。水を恐れず毎日ちゃんと風呂に入れ。お前とローランド、同じ匂いがするから区別が付かないとオリーヴがたまに困るんだ。昨日の捜索だってそうだぞ。お前がちゃんとしていれば、もっと早くに見つけていた」
「船では普通に同室だから仲良くしなさい」
今から辞退したいと言ってもきっと聞き入れられない。今後はどっと疲れることが予想される。少しでも体力の消耗は避けようと、不利な反論を呑み込んだ。嫌そうな顔はしながらも。
「よろしい。では最終確認よ。貴方達、ちゃんと任務の内容覚えてる? 変更箇所も含めてロラン、言ってみてくれる?」
「僕らはノルウェー……コペンハーゲン出発の、幾つか港を経由して……アイスランド。そこから一週間くらいでアイスランド一周。終わったらベルゲン。そこから帰国。陸に着いたらクレールに紐を付けておけばここまで連れて来てくれる」
「馬鹿ロラン」
空路ならブレーメン空港からベルゲンまですぐだ。そこからアイスランド行きの客船が出る。しかし……
「アンジェリカが飛行機嫌いとお前が言うから、僕らは時間の掛かる海路になっただろ。キール運河経由の船旅だ。ヴェーザー川からブレーマーハーフェンを通り北海へ。そこからラベ川、ブルンスビュッテル……キール運河。今から出発しても運河を抜けるのが明日の朝……到着は午後にはなるだろう」
船は天候に左右されるし、運河は速く進めない。目的の船は明日の夕方、コペンハーゲンを発つ。何事もなければ間に合うが、船には問題のある奴ばかり。不安にもなる。お前も少しはしっかりしてくれと、僕は地図を机に広げ……都市の名前・船の針路を教えてやるが、ロランは生返事を返すだけ。
「全く……僕らは船舶免許もないし、他の騎士を頼っての移動だ。少しは申し訳なさそうにしているんだな」
「それはクレールもだろ」
ロランの癖に言い返すとは。僕が心の底からうんざりと、吐き出す息に隊長は苦笑気味。
「大丈夫よ、その点は。資格だけはちゃんと更新しているマリアに行かせるわ」
「これクレール君、何故引き下がる? 儂なら迷惑掛けて良いかと思うのはどうかと思うぞい」
「いえ、普段から僕も迷惑を掛けられているのでこれでお相子かなと」
僕の言葉にリナルナさんは呆れている。
「クレール、仕事では……マリアよりも気に入らない相手に出会っても、ちゃんとしなければいけないのよ? そこはよく解っているわね?」
「……はい」
隊長からの叱責に、ロランは他人事だと声を上げて笑っている。すぐさま奴も怒られた。ざまぁみろ。
「任務の間は犬達と、クレールだけが貴方の味方なんだから。ロラン、貴方はもう少し彼にも素直になりなさい」
「はーい……」
「返事は短く!」
「ワン!」
「良いけど違う!」
リナルナさんに叱られて、ロランは嬉しそう。構われたがりか。本当に、物の分別も解らない子犬のような奴だ。
(犬の扱いは、隊長より僕が優れている。それなのに何故ロランはああなんだ。僕と彼女の一体何が違うのか……)
ロランは嫌いだ。あいつと一緒にいると、僕は自信を無くしてしまう。犬と同じで犬とは違う、あいつの所為で。
「二人とも、良く聞いて。客船にはペット連れの乗客も多いわ。人権持ちの子であっても、簡単に彼らを上陸させることは出来ない。事前に許可を取る必要もあるし、許可されることは稀。脱走でもされたら生態系が崩れてしまう。だから貴方達が彼らのリーダーとなって、責任を持って預かることが必要なの。解るわね?」
僕らが受けた依頼はアンジェリカの教育の他に、客船での安全管理も含まれる。予てより望んでいた大きな仕事。それでもパートナーがロランだと思うと不安も覚える。そのロランはと言うと……にやけ面でリナルナさんに甘えている。
「それはクレールがやってくれるから俺はゆっくりしてる」
「駄目よロラン、貴方には他の仕事も任せたでしょう?」
「……へへへ」
あいつのにやけ面は、見ていて何故だか腹が立つ。隊長はお前の恩人であるのは事実。でも僕だってお前に貸しは幾つもあるのに。何だこの対応の差は。
「まーた聞いてなかったわね! まったく! ほらクレールがまた膨れているわ。あの子も現地の犬の調査に行きたかったのよ」
「そうだお前が無能なばかりに! 僕が優秀なばっかりにっ!! 僕が船に留守番だ!」
思い出せば余計に腹が立ってくる。僕だって現地のアイスランド・シープドッグに会いたかった! せめてノルウェーでは活躍している生身のノルウェジアン・ブーフントに会わなければ気が済まない!!
「犬だけじゃなくて……あっちの馬は神々しくて、でも結構人懐こいらしくて最高なんだぞ!? 僕も行きたかった!!」
「あはははは! クレールもしかして泣いてるの?」
悔しさから涙ぐむ僕を、忠実な方の相棒……オリヴィエが心配してくれる。人を馬鹿にした態度だ。あの男は別の群れの犬であって、なかなか僕に従わない。犬と違って下手に言葉が通じる分、相互理解が進まないのが現状だ。昨日は何でこんな馬鹿ロランのために、身体を張ったのか解らなくなる。僕が鼻を啜ったところで……唸り声が一つ。
「痛てて、解ったよローランド」
小さな黒犬に鼻を噛み付かれ、奴は渋々僕に従う。奴の小さな相棒は、僕をリーダーと認めているようだ。こんな馬鹿と二週間も一緒だなんて気が滅入る。上陸後の一週間は別行動なのがせめてもの救いだが、ロランにちゃんと仕事が勤まるのか心配ではある。出発間際、僕は隊長に相談事を持ちかけた。犬達にロランとアルチナの相手を任せて。
「リナルナさ……いえ、隊長。任務にもう一人くらい応援を頼めませんか?」
「あら、貴方一人で十分ではなかったの?」
「僕は問題ありませんが、ロランは問題だらけです! ……彼は言葉も頼りない。現地でやっていけるかどうか不安です」
「困ったわね……今は何処も人員不足なのよ。貴方と違って知識も経験のないあの子には、現地のレスキューから学ぶことも多いと思うのだけど……。それに言葉なら通信端末のAIが自動通訳してくれるでしょう? 最近の物は精度も上がっているし、ロランが操作を忘れなければ大丈夫よ」
「あいつなら、その操作さえ満足にできません。これまで何度も教えましたが、僕の話をまともに聞いていないので……十中八九聞き流しています」
一緒は嫌だと口にはしたが、同じ任務に就く以上連帯責任が生じる。ロランを野放しにするより危険なことはない。国外にも現地の騎士団はある、師団もある。ロランは人間社会にまだ溶け込む力は得られていない。奴が失敗した時のフォローが出来る相手が必要なのだ。それは最悪、僕でなくとも構わない。
「……仕方ない。現地の騎士団に頼んでみるわ」
「ありがとうございます」
「でもねクレール……オリヴィエもローランドも上陸は出来ない。応援の騎士か貴方がどちらか選ぶことになるわよ?」
「解っています」
ロランのフォローか、犬達の指揮。どちらも僕の仕事である。他の誰かに任せて良いのか? 任せられるのか? 問いかけられてすぐに返事が出来ない。現地に着くまで保留で構わないと言われてほっとした。
「それならいいわ。行ってらっしゃいクレール、ロラン。パートナーと力を合わせて良い結果を期待しているわ」
*
「お嬢様、狭いですが船室の方へ。此方は危のうございます」
「嫌よ! 折角の船旅が台無しじゃない」
蒼い空と碧い海……一足早い船旅に、私の心は飛び跳ねる! 水を差すトリヴィアに、私は迷惑そうに答えてやった。騎士二人は何が面白いのか、そんな私達のやり取りを遠巻きに眺める。何か言いたいなら言えば良いのに。今時の騎士様は剣を持っていないのね。昨日も見たけれど、二人が持っているのは銃。もしかしたら獲物を仕留め損なった時のため、短剣かナイフくらいはあるのかも。客船に入るまでに、彼らの力量を見極めたい。
騎士団が用意した小型船は、思いのほか大きくこれで小型かと驚いた。表面上は冷静と暢気に見えるクレール達も、この大型ボートには初めて乗るのか? おやつを前にした犬のように忙しない。主に、彼らの耳と尻尾が。
(二人の頭って面白い)
ロランの帽子はローランドとお揃いの耳が付いていて、本物の耳のようにピクピク動く。今朝になって気付いたが、クレールは長髪を結わえた先が尻尾のようにパタパタ動く。尻尾ほどの感度はないが、顔の両脇の一房髪も時々動く。長い垂れ耳に見えて来た。
そんな忙しなかった彼らは、今では動きも鈍く大人しい。落ち着いているのだろうか? 二人の様子にパートナーの犬達も落ち着き……寛いでいた。あの、アンジェリカさえも。
(やっぱり良いなぁ……兄弟団で似たようなの開発出来ないかしら)
彼らの装備は、脳波や脈拍・体温等から感情を割り出して動く装置。あれで犬達に仲間と思わせているのね。私も欲しいと言ったらクレールに……まずは躾が先だと怒られた。そんなこと言わずにと彼の髪尻尾を触ったら、しばらく遠くに逃げられた。失礼なのは解るけれど、だって触ってみたかったんだもの。仕方ないじゃない。
「アルチナ様、アンジェが暇そうですが。船室の外へ連れ出しても?」
「アンジェ泳げないわよ? 海に落ちたら大変だわ」
「僕がいる限り決してそのようなことはありません。ご安心下さい」
「そう……? ならいいわ」
眠っていたアンジェリカも、何時間もそのままでは飽きが来たのか。クレールに連れ出された犬達は、初めての景色に驚いている。アンジェリカはまだしも、海難救助犬であるローランドとオリヴィエがそんな調子で良いのだろうか? 私は少し不安を感じた。
「クレール、大丈夫なのこの子達?」
「ロラン」
「音にはもう馴れた。匂いが違うのが面白いんだって」
「ふーん、そんなものかしら?」
犬の視力が低いこと、それなら私も知っている。彼らに見えている世界を、ロランは知っているのかな。なんだかとても羨ましい。
「でも……そうかも。海風って言うのも良い物ね。空路は綺麗だけど風の一つも感じないもの」
自然と戯れている気がしないわ。そんな私の不満さえ、彼らの耳には道楽娘の我が儘か?
「アルチナは自然が好き?」
「アルチナ“様”だ、馬鹿ロラン」
クレールの言葉美頷くトリヴィア。仕事となってからのクレールは、私に敬意を払ってくれる。言葉の上では。一方ロランは何も変わらない。私はどちらの対応を喜べば良いのか解らなくなる。どちらに合わせろと言うべきなのか。大人達より年の近い彼らにまで、畏まられるは窮屈で。しかし子供と馬鹿にされるも気に入らない。じゃれる二人を私はそのまま眺めるだけ。
「ロランは海が好きなの?」
自然が好き? 尋ねる彼の耳は喜びを表していた。
「どうだろ、初めて見たよ。俺もあんまり泳げないし」
こいつ駄目だ。ロランの責任者たるクレールに、私は食い掛かる。彼はさっと目を逸らしながらローランドを差し出した。
「クレール、あれって犬騎士として大丈夫なの!?」
「ローランドは泳げるから……」
「目が泳いでる!!」
「でも、嫌いじゃないや。人間少ないし、匂いも音も少ないし」
デッキから海原を眺めるロランは、愉快に悲しいことを言う。クレールと口論中の私の耳に届いた言葉。声のトーンと言葉が不釣り合いだったから、彼の言葉が私の中へと強く響いた。
「……はぁ、馬鹿ロラン」
馬鹿ロラン。たった一言それだけなのに、クレールの言葉には多くの心を感じる。当の本人には何も届いていないよう。
「……変なの」
二人は同じ言葉で話せない、犬とは意思の疎通が完璧なのに、同じ言葉のパートナー同士は何にも解り合えていない。犬との仕事のプロフェッショナルでも、社会不適合者?
人と関わる仕事が嫌で、代替品として動物選ぶ人はそういう仕事は向いていないと聞いたことがある。二人は才能こそあれど、その典型的な例? 最高の適職かつ向いていないという矛盾。いっそ才能が無ければ良かったのに。
「アルチナ様、もう間も無くラベ川に入ります。運河では低速となりますので、アンジェの食事はその時が良いかと」
クレールの言葉通り、遠目に閘門が見えて来た。私達は西から東へ、ブルンスビュッテル・キール間の約百キロの距離を七時間かけて通航する。
「揺れが少ないってことね。それじゃあ私達もその頃に食事にしましょう」
不思議なものね。クレールが私を立てることで、アンジェリカは私がクレールよりも偉いと認識し始める。様付けへの抵抗を感じながらも、私はちょっといい気になっていた。
「料理はクレールが作ってくれるの?」
「ええ、簡単な物になりますが」
「デザートも付けるように! ルビー! クレールが私の嫌いな食べ物入れないかチェックして来て!」
我が儘を発揮する私に、彼は苦笑を。彼女は短い返事と笑みを残して船室へ。料理の間、犬が可哀想だから外へ連れ出したのだな。目の前でずっと待ては確かに可哀想。リーダーであるクレールは、彼らを甘やかしはしないだろうし。
(ふーん、しっかりしてるのね)
デッキの柵は高く、犬が跳び越えられないように出来ている。落下事故を防ぐためにもリードを繋ぐ場所もあり、リードの長さは決して海まで届かないよう出来ている。
「さ、ロラン。約束通り二人きりよ」
私は秘密の話をするように、彼の隣へ移動し囁く。過保護なトリヴィアが私から離れるように、私は一芝居を打ったのだ。
ロランとクレールなら、クレールの方がマシだと彼女は思う。私だってそう思う。私が彼を気に入る姿勢を見せれば「お嬢様の相手として見極めなければ」と……彼女は姑のようになる。クレールにトリヴィアが目を光らせれば、その分ロランへの接近チャンスはやって来る。
「アンジェリカって、あのアンジェリカ?」
「え? 何のこと?」
ロランの第一声は、私の予想とは違う言葉。昨夜の話を、アンジェの考えを私は詳しく知りたかったのに。少し失望したが、彼の機嫌を損ねて何も聞けなくなっては困る。私は彼の会話に付き合った。
「アンジェは可愛いでしょ? 今も可愛いけど、小さい頃はもっと天使みたいだったの。だから天使。ああ、でも……姉様はハーブ由来の意味もあると仰ってたわ。魔除けとしてね。エッセ家を、私達を守ってくれるようにって」
「それじゃあ名前はアルミダが付けたんだ」
「ええ、そうだけど……それが何か?」
「アルミダってクレールに似てる? リナルナっぽい?」
例えが何故、その二者なのか。ロランの知りうる限りの人間で、例えられる相手がその二パターンしかなかったのか? どちらも真面目そうではあるけれども……
「うーん、姉様は……リナルナみたいに落ち着いてるけど、クレールよりももっと分かり易く優しかったわ。絵に描いたようなお嬢様よ、私と違って」
「本とか好き? 難しい言葉とか言う? 昔のこととか何でも知ってたり……」
「頭が良いって言いたいの? それならそうよ、姉様は私の自慢の姉様よ。姉様に出来ない事なんて何もないわ!」
「……俺、みんなに聞いたんだ。ローランドの名前をどうするかって」
「あの子は貴方が名付けたの? 私にも解るわ、あの子はブレーメンの英雄像からでしょ? ブレーメン生まれなの? それともフランスのブリーダーから貰ったとか?」
小さな黒犬ローランド。イメージとしては英雄らしくない。第一印象としては名前負け。それでも実際見てみた英雄像……想像していたよりは小さい。そんな肩透かし感は一致しているのかも? オリヴィエの優雅さは、名前が合っている風に感じるけれど。
「俺を名付けたのはリナルナだから。ロランの、ローランドの物語を聞いたんだ。どうして俺にそんな名前をくれたのかって」
脈絡無く変わった話題。それでもロランの中では全てが繋がっている? 聞き流すには複雑な話を彼が始めてから、私は口を挟むことも忘れて彼を見つめた。名付けたって……あの隊長とロラン、どういう関係なの?
「その話にアンジェリカっていうお姫様がいて」
「そうなの? 不思議な偶然ね!」
話はそう繋がるのか。着地点が見え私はほっと息を吐く。愛犬がお姫様と同じ名前だなんて素敵なことだわ。姉様はそこまで知って名付けていたに違いない。
「そのお姫様ってどういう人? アンジェに似てる?」
「何て言えば良いんだろう。良いところもあるし悪いところもあるし……色々やらかしまくって主人公を振る」
「ね、姉様多分それは知らずに名付けたと思うわ!! 多分そうよ絶対そうよ!」
少し聞く限り……アンジェリカが良いお姫様とは思えなかったので、私は力強く否定した。
「船暇だろうし、端末でも読めると思う。俺のに入ってるから」
「あ! ちょっと!!」
ロランは自分の端末を、私に渡して船室へと去った。携帯端末くらい私も持っているのに。もっと高くて凄い奴。そもそも組織の内部情報が刻まれたそれを部外者に預けて良いの? ロランは何を考えているのかさっぱりわからないわ。唖然としたが、好機でもある。私はロランの端末を、有り難く拝借することにした。
「……なんて上手く行かないわよね」
ロランが起動してくれた読書アプリ以外は、本人の認証がなければ動かない。今晩、眠れなかったら目を通そう。ロランはあれで、約束を果たしたつもり。それならアンジェが言いたかったこと、そのヒントが隠されているはずだ。ローランド……『オルランド』の物語の中に。
私はロランの端末をポケットに入れ、彼の後を追いかける。船室からは良い匂いが漂い始めていた。デッキの犬達もそろそろ痺れを切らして甘えた声を上げている。彼らの分の食事はまだかと催促に出かけよう! リードを金具から外し、手にしたところで彼らは私を引いて走り出す。あっという間にローランドとオリヴィエのリードが手からすり抜け、船室へ。飛び込んできた彼らはクレールに叱られて、クーンと甘えた声を出している。命令だと解っていても、飛び込みたくなる料理とは……味の期待は出来そうだ。
「アンジェ……」
彼らがあの調子でも、彼女は動かない。アンジェリカだけはその場に佇み私の命令を待っている。僅か一日の訓練でここまでいい子になるなんて。
「よし、行こっかアンジェ!」
「ワン!」
愛犬の様変わりに感動した私は、……その瞬間だけ“目的”を忘れていた。まるで私達が、普通の飼い主と飼い犬であるかのように。